信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

寒さの中で過ごす時間

2017年01月25日 15時28分16秒 | Weblog
今年の寒波到来のピークは過ぎたらしいが、鳥取などの異常降雪は過去に経験したので
その恐ろしさを想像できる。
暖冬と言う長期予報は温暖化とともに信じられない予報をもたらしている。

地震もゲリラ洪水も大量の降雪も年間を通じていつ被害が自分たちにも及ぶかもしれないとの恐れを
持つような時代になった。

この2週間の寒波もわかっていても震えた。
特に夕方以降の気温の低下は太陽が拝めない日は尚更厳しかった。

やっと今日は外での薪割りもすくまないでできるようになった。

今年の冬の時間はこれまでよりマゴに時間が取られなくなり、さあ何をしようかと
時間の使い方を考える。
忙しく働いていたのが長かったため、自分の好きなように時間を使うという世間様に申し上げる
退職者の時間の使い方にまだなれていないためやや罪悪感を感じる。

それでも今年はクリスマス前から編みものに一生懸命になりマゴや娘夫婦、友人などに毛糸の帽子を
7つ編んだ
そして、マゴの保育園経由のイベントで竹製のバターナイフ作成を経験し、忘れないうちにと家に帰って
3本作った。

毛糸の帽子はこの地域では外を歩くには必需品でありおまけにマスクもしてもこもこスタイルとなる。
地元の手芸品店で教えてもらった作品とNHKの素敵にハンドメイドでおしゃれなおそろいの帽子
というコーナーをたまたま観て編んでみた。

マゴは頭がどんどん大きくなるし、どこに置いてきたかわからないという行動の広さで
常に帽子を探している。
コドモの帽子はいくつあっても良い。

自分の子供時代はセーターやカーデイガンを手編みで編んでもらった記憶はあるが
帽子をかぶった思い出が残っていない。

その反動か、残り毛糸があればすぐに編みたくなる。
昨日ちょうど3枚目が編みあがったときに、帽子がないとムスメが家中探していた。

良かった。
いいチャンスだ。




骨の経過を追って

2017年01月22日 12時25分42秒 | Weblog
今から約10年前の冬、職場でふざけ半分に受けた骨密度の検査で衝撃を受けた。
まだその当時は骨粗鬆症の病気は話題にはなっておらず、簡易検査は地域の健康イベントで行われ
その結果を実年齢と照らし合わせ喜んでいた。

まさか放射線で撮影する検査との間に差が生じるとは知らないから、自分の骨は若いとタカをくくっていた。
ところが結果は要治療。すぐに医療機関を受診してくださいである。

医療機関に勤務していたから整形外科受診し薬を処方され、はじめは疑っていたが定期的に薬の効果を見るために
骨密度の検査を受けた。

知らぬが仏であった。
自分の体をなめていた。
それ以来健康診断を受ける更年期を通過した女性には骨密度の検査を一度は受けた方が良いと
重点的に勧めた。
女性ばかりでなく男性も喫煙者に勧めたところ結構、要治療の頻度が高く発見される。

職場を退職したが服薬は続き、年齢からいえば効果が上がるより悪くならないよう、骨折しないよう
と処方される都度言われる。
処方薬は有り難いことに効果があるので引き続き飲んでくださいと一年に一度の骨密度検査を受けて
指示される。
諏訪まで朝早く車で出掛け検査を受けるが毎年、その日は心の奥はもしかして骨密度は落ちてしまっていないか
心配する。
最近の食事はダメだったかなとか牛乳の飲み方が減ったからとかいらぬ心配をする。

服薬も生活習慣も影響が大きいけど、食事はあまり役に立ちませんという医師もいた。
5年くらい治療が始まって骨密度の上昇が横ばいで
下がっていなければ良しとしてくださいという医師もおり頑張ってみようという気持ちがくじけた。

3年前に伊那に移住し、マゴが生まれ漬物石のように重い子守りと広い庭の花づくりと野菜作りに
体重は減り続け、筋肉痛は回復せずおまけに冬場は薪割りだ。

絶対に減ってしまった筋肉だから骨密度も低下するだろうと思っていたが、何と脊椎は10年前は63.6から71.0まで
上昇し股関節は64.0から72.4まで上昇した。
今年も昨年から僅かずつ上昇している。
毎日の犬との散歩も股関節強化には役立っている。

脊椎は骨の部位からバラバラだから油断しないでくださいと言われた。
負荷を掛け過ぎても良くないが、今の生活が骨量の低下にはなっていないので
地味に筋肉を甘やかさないような生活は続けねばならない。
60過ぎたら顔や容姿より骨の丈夫さが勝負だ。

雪が今日も山から舞っているが庭では福寿草がいつの間にか咲き出している。
気持ちが暖かくなる風景だ。






やっと消息がわかり・・・・

2017年01月22日 11時59分09秒 | Weblog
著書を読んで長年素敵なご夫婦と、秘かに尊敬していた津端さんご夫婦。
昨年、ご主人が亡くなられた由、テレビで知った。
奥様の英子さんが寒い冬の中畑で作った野菜を調理したりして遺影に
話しかけながらどうぞと毎日食べてもらっていた放送が衝撃だった。
あれから1年、残された87歳の英子さんの暮らしを心配していた。

畑は広い。
しゅういちさんと野菜作りの作業は分担し自給自足に近い生活を続けていたのに
力仕事や修理作業などどうしたかしらと、折にふれ心配した。
健康を保っているかしらとか人生の先輩の消息は気になるものだ。
まさか春日井市まで住所も知らないのに尋ねるわけにもいかないし、雑誌社に問い合わせても
無理だろうと思った。

ところが、今日新聞のテレビ欄でふと目についた。
午後の4時から8チャンネルで1時間半も人生フルーツというタイトルでご夫婦の記事が放映される。
何とラッキーなこと。
これで心配していた英子さんのその後がわかるかしら?







寒波

2017年01月12日 11時46分03秒 | Weblog
今週になり、寒波のニュースが目立つ。
国内ばかりでなくヨーロッパやギリシャの雪景色に目を見張った。
温暖化は想像のつかない現象になり、雪を降らせたり台風になったり被害が増大するばかり。
東北の豪雪地帯では老人だけが残る地域が増え雪下ろしさえままならない。
91歳の老人の屋根の融雪にかける灯油の値段が10万もかかりしかも玄関先などの歩く部分は自分で
雪掻きする。

先日の雪が降った際はもうあきらめて朝早く近所に合わせて雪掻きをする気持ちは捨てた。
それでも翌日の筋肉痛はやって来た。
庭は雪が残りまだら模様で、気温が低いから解けることがない。

この数日、前面の中央アルプスの山から吹き下ろす雪雲が夕方になると近づいて来て
ここまで来ないでと毎日犬と散歩しながら急ぎ足になる。
地方の天気予報は必ず住んでいる地域に当てはまるとは限らない。
既にこの時間、雪雲で霞んでいる飯田や宮田村からぐるっと諏訪方面まで雪が吹っかけているのだろうと
思われるか白くかすんだ景色になっている。
既に雪雲は早々と近づき、雪が降り始めた。
木曽駒の山々はもう見えなくなった。






この週末は東京でもこれまでにない寒波でマイナスの最低気温となると報道されるが
何と伊那でも来週の19日は最低気温マイナス19度と表示された。

寒波がどのくらい寒いかこれまで経験のない都会から信州へ越したその夜寒波の恐ろしさを体験した。
以来、冬は毎日マイナス10度から18度まで行ったり来たりの毎日を過ごした。
マイナス18度までは原村に住んでいた頃連日経験し冷凍庫にいるより寒かったが
それより強い寒気は果たしてやって来るのか、大寒はまだ遠い。

今年の想い

2017年01月09日 17時18分19秒 | Weblog

年末から年始はいつもながら毎日が走りゆき、客も帰り家の中を片付けているとやっと
いつものペースを取り戻す。
その頃はすでに七草を過ぎた頃だから、新年への自分なりの思いも薄れている。

クリスマスにノロウイルスに襲われ、体調を取り戻すのに自信がなくすでに新年を迎えていた。

毎年のことではあるが大晦日から元旦がつまらなくなってきたのはいつの頃かなと思う。
子育てや受験に気持ちを投入していた頃は実際きつかったが張りがあった。。
忙しい年代は観たくてもk新年会の客の準備に追われ、紅白歌合戦を楽しみになどの時間がなかった。

今や2016年末紅白を見終わったときにその演出に虚しさを覚えた。
昔はこうではなかったな。
どのチャンネルにも同じタレントが出演し見る気もしない。
ゆく年くる年で永平寺や京都に知恩院や北海道や東北の雪国のお寺から鐘を撞く中継で
何だか厳かな気持ちで
新年を迎えていたが今年は雪も少ない暖冬だった。

自分も時代も変わったのだと言い聞かせ胸の中に抱えた寂寥感は消えはしない。
折からぴったんこかんかんで高級肉を食べ歩くシーンが続き引き寄せられるより
こんな贅沢を喜んでみていることが出来なくなりチャンネルを変えた。
見たい番組がないのも通年となった。

ふと、ビデオに撮った北の国からを思い出し、4話くらい続けて見た。
35年も前の北海道のドラマは色あせず、かえってしみじみ思い起こすことばかりで
ドラマから教えられる生き方はお正月のつまらないという気分を一掃させてくれた。
35年も前の北海道での全く何もない生活から親子の成長のドラマが続くが、今でも北海道は
自然災害が続き、収入が閉ざされ現金収入がない農家が多すぎるのだ。
鉄道も廃線が続き、都会の贅沢さとは縁遠い。

海岸や炭鉱や農村の廃屋も増えあのドラマの時代は今に通じている。
2002年にドラマは終了し、黒板五郎の遺言というテーマで、自然の中で生きろ。
自然は死なない程度に食べさせてくれる。
つつましく、謙虚に生きろと子供たちに何も残す財産はないが一番大事なことを一親は示してくれた。

飽食とモノがあふれ心はすさび、もっともっとと高みの生活を求め、今はいかに捨てるかを示す本が
売れる。
今や北の国からのドラマでさえ知らない年代になった。
35年前に見始めたドラマから教えられた世代だけが繰り返し再放送を見ているのだろう。
電気もガスも水道もなかった戦後生まれは、今になって日本列島改造を通過しバブル崩壊を
経験し、やっとほっとしたら高齢者といわれる年代に入っていた。

心の原点はやはり心の奥底に潜んでいた。
つつましく、謙虚に生きていこうはこれから毎年新年に想う自分の目標である。






初笑い

2017年01月01日 15時59分44秒 | Weblog
大晦日、NHKでさだまさしの番組が目に入り寝るのが遅くなった。
なまさだ、よくやるわい。

遅くなるから半分はビデオに撮り大笑いしたところで今年は明るくいきたいと思った。

投稿者のはがき

電車で座っている前に老女が三人座っておしゃべりしている
その会話が聞こえ、どうやら久しぶりに映画を連中は観てきたらしい。
そのうちの一人が映画のタイトルが思い出せないらしい。
どうやら君の名はらしい。
3人で色々言っているが、思い出した一人がそうだ!
名を名乗れだといった。

新年そうそういい話だ。

年末の買い出し

2017年01月01日 15時07分24秒 | Weblog
年末のムスメとマゴの奉仕日3日目。

生ものを買い出しに諏訪の角上という新潟から仕入れている魚屋へ向かう。
もう信州へ越して10年目だがこの店で30日に買い出しに突進する恒例の日である。

31日は朝6時から開店するがもうそのエネルギーは失った。
マゴとムスメを誘い伊那から諏訪へ向かう。
ムスメはほとんど、私が信州へ引っ越してから海外暮らしだったから
この混雑にはしり込みしていた。

店は駐車場も大混雑でその店内の盛況ぶりに自然と感化され血が騒ぐ。
やっとのことで買い終わり流石にマゴも混雑の中で周りを見渡すのも忙しい。
豚肉の角煮を口に放り込まれしばらく静かにしていた。

買い物が終わり諏訪湖畔にあるSL機関車を見に行く。
マゴは何回か父親といったらしく場所を覚えている。
SLはすぐそばの職場に5年も務めていたが全く眼中になかった。
しかも諏訪湖の花火大会に毎年その傍を歩きながら会場へ向かっていたはずが
気が付かなかった。



こんなどでかいのがなぜ目に入らなかったのか?
SLのD51で飽きるまでマゴはよじ登ったりして堪能し傍の諏訪湖の遊覧船がゆっくり
遊覧に出掛けるのを手を振って見送った。

諏訪湖の遠くに北アルプスが真っ白に見え、5年間見慣れた景色がとても懐かしく
離れて住んでみると愛おしい。
寒さで震え上がり我慢の限界になり傍にある千人風呂に入る。
温泉の効果は抜群で買い物とマゴの湖畔の遊びで遊び気分に満たされ30日の年末ぎりぎりの
イベントは終了した。
遊びは大事だ。
ノロウイルスに襲われた体と心は取り戻せねばならない。










年末のお仕事

2017年01月01日 14時12分20秒 | Weblog
クリスマス=マゴの3歳の誕生日であったはずが記憶が蘇ったらすでに年末の寸前になっていた。
誕生日前祝に多分症状の激しさからノロウイルスに感染し、周囲の大人を巻き添えに
誕生日お祝いは消滅した。

ふらつきながら日常生活を取り戻そうと思うが思うのと実際は大違いだった。
しかしやらねばならないのはムスメの家の障子貼りだ。
昨年マゴの格好の遊びになった障子破りは好奇心も収まり、外から見たらすさんで心を痛めていた。

信州へきて車で通過し、犬の散歩で通りがかりいずれも民家の障子がボロボロに破れているのに気が付いた。
何とまあと思い、多分空き家かなと思ってやり過ごした。

しかし子供のいる家も犠牲になるとわかった。
3年前に原村から引っ越してくる時に借りていた家の障子を貼りなおした。
ビフオー、アフターの差が大きすぎ寒さに手がかじかんだが気分が良かった。

今回は自分から名乗りムスメの家の障子を貼る。
ここで時機を逸っしたら数日後には新年を迎えやる気を失ってしまう。

いざ始めたら障子も色々種類がありガラスが入った雪見障子は枚数が増え手こずった。
しかも3歳のマゴはケイもやる!とちょっかいを出す。
ノリでべとべと、被害続出。

昨年はまだ2歳だからごまかせたが今年はダメだ。
言い出したら引っ込まないし
何でも出来ると思い込んでいる強気は大したものだ。

予定より一時間オーバーし6枚の障子貼りは終了する。
家の中は明るく蘇りスラム化から脱出した。

終わってみたらお婆さんは障子貼りのためにやれやれ、長生きせねばならない義務感に襲われた。