信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

母の心配

2008年04月28日 22時23分19秒 |  日記
 DSCN5689.JPG DSCN5687.JPG

カナダから転職して新たな仕事に就いたムスメが1週間、音沙汰がなくなった。
行き先はアルジェリアのオフイス、まではわかっていた。
セキュリテイは確保されているし、トップ企業だから北アフリカでの仕事とはいえあまりにも遠すぎる国へ行ってしまったためいずれ落ち着いたら連絡があるはずと構えていた。
スカイプでの通話があり、ムスメの声が聞こえ安心したが、必要な書類を取り寄せてFAXで送って欲しいと頼まれ、それから大変!緊張感が走った。
ここは原村・・・これまでであったら東京に勤務しているので大抵のことは可能であり苦も無くやり遂げていた。
ロケーションが違うと大いにビビる。
しかしインターネットの恩恵を受け、書類を取り寄せ、経験の無いアルジェリアへ向けてFAXを送った。
大丈夫かしら?番号はあっているかしら?
違った場所へ送信されていないかしら?など心配が先立つばかりだが
指定された番号へ送ると問題も無くスムースに到着した。
それから暫くムスメのこれまでのカナダからのブログが途切れてしまい
毎日毎日、今日は更新されたかな?と開いてみてもカナダからの最終メッセージが残されたままになった。

今日もまだ無理かな?
全くこれまでと違った国へ行ったのだから暫く忙しいだろうと思っていたが、今日新しい職場での様子をブログに掲載していた。
親の私が想像以上にこの1週間の間ムスメは新しい職場での仕事の質の高さとボリュームの多さとまだまだ足りない英語力に苦労のどん底にいた。
初めからできるわけが無い、無理しても時間が必要などと思っていても
要求度は高いわけだから必死にマスターしなければならないであろう。
このハハも昨年の秋から冬の間新しい職場で仕事を覚えていったが、
細かい細かい作業は一気に覚えられないのでその間自分の無能力さをのろう事になる。
ムスメと私は月とすっぽんほどの仕事のレベルであるし、英語が 
べースでの毎日なので、神経が持つのかと心配になった。
また24時間セキュリテイガードが付くと言っても危険な国であるのは間違いないし、出張も始まり、それも飛行機を使ってのことなので、カナダとの全く生活が異なって慣れるまでの半年くらい消耗しない様願うしかない。
DSCN5678.JPG DSCN5693.JPG

望んだ仕事を手に入れたと娘は言うが、想像もつかない生活に入った娘に母親は今は静かな穏やかな花が咲き乱れる毎日を送り、申し訳ないと思う。
子離れすることって本当に難しい。


寒暖の差

2008年04月26日 23時35分02秒 |  日記
DSCN5575.JPG

天気予報どおり、今日はお昼前には雨が降りだした。
それにしても、GWに入り5月も目前というのに昨日との気温差が10度もある。

うううう・・・・それにしても寒い。
犬は炬燵にもぐったまま、身体が熱くなると出てきては床にひっくり返り、暫く身体を冷やしてはまたもぐる。
ストーブは焚きっ放し。

昨年の同じ頃は既に山菜を採り感激して食べていた。
それだけ山野草が伸びていたということだ。
今年は・・・・というと寒くて山にパトロールに行く気もしない。
まだまだこの付近でも水仙が満開でまだ山菜等は程遠い。
季節が良くつかめない。まだ1年生は比較するものが無いから。


松本に行く

2008年04月25日 23時56分59秒 |  日記
 DSCN5654.JPG DSCN5647.JPG

午後から休暇を取り、車の名義変更に松本の自動車検査場へ出かけた。
高速へ乗って、車窓からの景色を見てそうだ、松本へ行くのは1年振りだと気が付いた。
1年振りとは、時が経つのはこれほど早いとは・・・。
ムスメがカナダへ出かけ、その後2回ほど車のナンバーの書き換えに初めて松本を訪れたが、その時は必死だったから余裕も無く景色に感動することが少なかった。
ムスメと別れた寂しさが一番気持ちの中を占めていたかも知れない。
次々と生活に変化が訪れ、夏の真っ最中は菊作りと出荷で休む間もなく働き、秋になり日赤に就職し、冬の雪に閉じ込められ、マイナス18度の凍った毎日を初めて過ごし、まだ先月降った雪景色がはっきりと焼きついているのに今桜も梅も桃も一気に咲いている。
頭が付いていけない・・・・。

車の名義変更の手続きは今回はスムースに終わり、松本市内を見物して帰ろうという気持ちが湧かず、またもとの道を戻って来た。
松本の市内は諏訪や原村よりずっと暖かい。北アルプスが近いのに、桜の花は散ろうとしている。
高速道路の両脇に桜の花が点々と咲いているのが見えるが、良く見るとその下にはお墓が大抵あることに気が付いた。
そういえば子供たちが小さい時に絵本をよく読んで上げたが、絵には桜の木がある傍にお墓が並んでいた。
桜はお墓の栄養を吸い取って育ち、美しい花を咲かすのだと書いてあったのが焼きついている。
人間の魂が桜の木に乗り移り、春の短い日々に現世の人を喜ばすのか・・・・。

諏訪湖パーキングの眺望の良い休憩場で、今日のこの午後の時間を過ごせた幸せを感じられる自分が有難かった。

DSCN5669.JPG

何より1年前に比べたらこの諏訪が好きになっていた。
松本市内の道路際から見える景色も諏訪地方と異なり、気温も高く街自体もずっと大きく都会的だ。
諏訪湖を見下ろし今の自分の仕事ぶりを反省したり、しかし時にはこうした余裕のある時間を作るべきと強く感じたことが出来たことのほうが今日という日のプラス面であった。

昨年の4月のブログの記事を読んでみると、松本へ出かけたのは23日であった。
その日の午前中はハローワークの講習を受け、午後から松本へ行き、ナンバー変更しその後保険会社での事務手続きを終え帰宅しているがへとへとになったと書いてある。
しかも久し振りの高速運転でスピードが出せない・・・・と書いている。
今は何だ!
違反すれすれでつかまらないようにしながら吹っ飛ばしているではないか。
1年経つとそれなりに生活に馴染んでいくので、まさしく住めば都とはよく言ったものだ。
諏訪から茅野に戻ってきた時に前方にぱっと高い山々が見えてきた。
八ヶ岳だ。これは本当に美しい景色だ。同時にそれが見えたときに戻ってきたという思いが出たのは、やっぱりこの地方の人間になりつつあることなのかなと思う。



お花見

2008年04月20日 22時09分23秒 |  日記
 DSCN5635.JPG DSCN5634.JPG


連れ立って花見とやらを初めてした。
遅い信州にも桜の花が咲きだした。
長野県は南北に長いので、桜の花が咲き始める時期が微妙に異なる。
長野や松本、飯田あたりでは先週桜の開花のニュースを聞いたが、この原村ではまだ蕾だ。
富士見の友人が日曜日に4,5人で近隣の桜を見に行こうと誘ってくれた。高遠の桜を見に行くつもりでいたが、まずは近くを知らなくてはなるまいと誘いに乗った。
信濃境の駅に11時に集合し、2台の車に分譲し高森神社の樹齢250年のイト桜、これは小さい花びらで枝垂桜である。
この信濃境は枝垂桜があちこちに多く見られ、丁度見ごろになり、それはそれはきれいであった。
 
その後田端のイト桜、柏社、乙事神社の見学を次々に見て廻った。
案内役が建築家なので、思わぬ神社建築の詳しい説明が聞けて、これまで知らなかった神社の建築様式の知識を得た。
この1年間、引越しをしてから原村から小淵沢経由で何度も長坂まで出かけていたが、その途中にある神社などがあるのも知らず通過していたが、風林火山の武田信玄と諏訪の戦いの地であるためにそれにまつわる
お城や神社仏閣などがあり、古い歴史の中に先祖代々の墓を守り生きてきた集落の塊がこの地方である。
原村も300年の歴史がある。
自分の住んでいる村や町の中に古い文化財が沢山あり、歴史上は大変な財産になるが代が変わり若い世代になると文化財の保護には目が向かず、段々建物は朽ちてくるのが見える。
桜の木も250年、300年ともなると樹勢も衰え幹が裂けたり、枝が枯れたりするからそれを手入れをして守っていくのがその市町村の役割になる。
1年に1回、桜の咲く季節だけ見に行って綺麗だと褒めて後は木の事は考えもしないが、守っていく側の苦労を考えたことも無かった。

今日の案内役はこの富士見、原村近辺の景観を守る協議会の会長さんだが、歴史や建築のくわしい解説付きであるので、昨年以来通常知りえない地元の文化財を学習する場面が続いている。
ありがたいことではないか。
信濃境の小学校の校庭で桜の花の下でお昼ご飯を食べた。
DSCN5643.JPG

校庭は土だし草が一杯生えて、周囲は桜が満開で、里山の気分を満喫しながら混雑する桜の名所、観光地に出かけなくて良かった。
ひなびた場所でほのぼのとしながら桜の花を愛でる気分は何ともいえない幸せな思いで一杯になった。


出直し

2008年04月13日 23時12分04秒 |  日記
日曜日の朝、いつもは7時に起きるが、今朝は何と目が覚めたら9時半だった。最近年がら年中眠くて朝車の運転中も眠いし、私は病気でナルコレプシーになったと思った。
この1週間は夕ご飯の後、必ず眠くて1時間くらい横になったまま、その後起き上がり、深夜1時に寝る癖がついていた。
睡眠時間4時間半。
だらしなくなったのか歳を取って睡眠が少なくなったのかと思っていたが、これは疲れが溜まっていたのだと気が付いた。
原村に越してきてから朝早く目が覚め、そのまま寝付けなくなった。
おまけに夜寝るのが12時過ぎ・・・。朝は5時半に起きる。
寒さと戦い、春になったら神経が緩んできて眠気となってやって来た。
すっかり9時半まで寝たら、とても頭がクリアになり、歳のせいにした自分を恥じた。
最近友人になったドクターからあなたはスタミナがあると褒められたが
潔癖症と、一人暮らしでだらしなくなる自分を恐れ、休日はスケジュールを総てこなし満足する、それがいけなかった。
子供たちから無理するなといわれ続けていたが、無理していたのだろう。


犬の狂犬病の注射が近所のお寺の境内で、9時半から10時ということで、楽勝楽勝と思いながら昨夜は床に就いた。
ところが寝過ごし、慌てて準備して犬を引っ張りながらお寺に向かった。
途中で何匹もの犬に出会い、犬同士宙吊りになりながらワンワン吠えながらうるさくお寺に到着。
注射隊はもう次の会場へ向かう向かうために片付けをしていたが、獣医さんの顔を見たらかかりつけの富士見動物病院の先生ではないか。
お金を払う前に、もう犬の背中にぶすりと針を刺され、犬は痛いと思う暇もなく終了した。
脳天気の犬たちはいつもと違って周囲に沢山の人がいるのではしゃいでいる。

DSCN5573.JPG


さすがにもう終わりと、役場は片づけをしていたらまた車がやって来た。
車から犬が飛び降りて、殺気を感じたか逃げ出して、その後を犬の名前を呼びながら飼い主が追いかけて行く。
人の良い獣医さんも手伝って一緒に追いかけて犬を捕らえた。
さすがだ。秊

その後散歩をしながら家に帰るともう11時になっていた。
さあ朝御飯だと言いながら電子レンジを使ったがさっぱり暖かくならない。
何度スイッチを押しても反応が無い。
壊れたのだ。考えてみればこのオーブンレンジを買って今年で8年目になった。
毎日使っていれば壊れる年数になるのかもしれない。
しかし取り替えてまだ2年目にもならない電話FAXが壊れた。
電気屋に修理を問い合わせたら、修理代が馬鹿ならないし、修理にかかる日が2週間も必要と聞いて呆れた。

早速日々の生活に困るので午後から電気屋さんへ出かけた。
先週修理に出した車が美しくなって戻ってきたが、この1週間の通勤は代行車で諏訪まで毎日通った。
代車は2ドアーのスポーツタイプの車だが、ブレーキが甘く喫煙車だったらしく乗った途端むっと来るタバコの臭いで朝から気分が悪かった。
治ってきた自分の車は慣れたものであらためて可愛いと思った。
車の修理、オーブンレンジ、・・・・これは8年前とモデルも変わり、トースター機能は無くなり、パンが焼けない。
そのため、トースターと電話FAX も買い小市民は心が痛んで帰ってきた。
原村へ引越しして1年経ったが、この間家電製品が次々に駄目になった。
それもそのはず、世田谷から中央林間に引越す時に家電製品をすっかり買い揃えた。それが8年前。
寿命なのだろう。

電話を設置して、オーブンレンジをセットしたところもう夜の8時になった。
エネルギーを使い果たし、取扱説明書を読む元気は無い。
あすからぼちぼち使いながら読まなければならないが、8年前のオーブンと全く機能が進化してボタン操作でオタオタする様にできている。
昨日カナダのムスメから母親がインターネットで来て本当に良かったと褒められたが、電気製品を使いこなすほうが余程ど難しい・・・。
電子レンジといえば、ラップでくるんでチンが固定イメージだが、最新はスチーム加熱水蒸気調理レンジといってラップは使わない。
早く使ってみたいが、手が出ない。說


2年目の春

2008年04月12日 22時45分26秒 |  日記
DSCN5590.JPG DSCN5592.JPG 


 DSCN5559.JPG

春分の日を過ぎてから、ますます日が長くなり西側の山に陽が落ちるのが6時を過ぎた。
今月になって近くの火の見やぐらのスピーカーから、夕方流れるオルゴールが5時から6時に変わった。
朝も5時半におきて台所に行くともうすっかり朝日がさして暖かくなっている。
この数ヶ月の季節の変貌はすごく大きい。
ガラス戸がマイナス10度や15度でバリバリに凍り、おっかなびっくりで雪道を運転していたのが何だか記憶から遠ざかっている。
暗くて危なかった朝の犬の散歩は再開した。
朝日が八ヶ岳の東のほうから上るが、その前に出勤で車に乗っていて八ヶ岳に背を向けて諏訪湖まで走っていた。
途中の林や田んぼはぐんぐん緑が濃くなっている。
昨年、この季節に原村から別な地域へ毎日出かける用事は無かったから
目に入る景色がとても新鮮で嬉しい。

今日は朝からスケジュールの入れ替えをして犬たちを黙らせるために
散歩をした。
短くするつもりがついつい景色に誘われ長旅になった。

DSCN5577.JPG 

東京神奈川に比べ、1ヶ月は桜の開花も遅く、原村はまだ梅の花も咲かない。
多分桃や桜や梅の花は後半月もすれば一斉に花が咲くのであろう。
今日は風が冷たく、八ヶ岳の山を見ながら歩いているとひんやり寒さが
こたえる。
しかし1年前に同じ場所を犬を連れて歩いていた時と異なり、からだが寒さに順応したのか、感じ方が違って来たのがわかる。
午後は先週畑に石灰を蒔いた後に肥料を入れる予定だったが、今週に廻した。
きっと鍬で耕したらまた腰が伸びなくなるだろう。
やれやれ・・・・。




子離れ

2008年04月06日 22時44分34秒 |  日記
                    DSCN5539.JPG

モントリオールで働いている娘がこの21日で今の勤務を終え、アメリカ、南米へ旅行をして6月末にカナダの旅行を一緒にしようと予定していた。
ところが先週連絡が入り、応募していた会社に採用が決まり20日にロンドンに発つことになった。勤務地がロンドンと北アフリカのアルジェリアでこれまでの仕事が役に立つと。
急展開に頭の中は?・・であるが、その後電話で話し、ようやく理解できた。
7月にオーストラリアにwHで1年間出かけることでその準備も整っていたのに、方向も全く異なるヨーロッパだと?

また遠く離れることになったのは確実だ。
ムスメの念願がかなったのと、新たな旅立ちを喜ぶ親としての気持ちと
暫くまた離れるのかと色々複雑な思いで1週間を過ごした。

今朝新聞を読んでいたら大人になる若者へというタイトルで精神科医の斉藤環さんと作家の石田衣良さんが話した記事が目に留まった。
今の若い人は今日思うと明日には変わりたいと焦ってしまう。
大人になると3年とか5年とかかけて変えて行ける気持ちになれる。
精神科医は現場で精神的に成熟したといえる年齢が年々遅くなって来ていると言う。
今では全体に成熟といえるのが30代後半から40代というのが実感だそうだ。自分の子供を成熟させようという発想が家族に薄く、親が子離れできないからだ。
家から出そうという発想が無いし、いつの時点で子離れするかということも深く考えずに済ませている。
思春期、青春期が長期化し、未成熟のままの状況でいる。
欲求不満に対する耐性、とコミュニケーション能力この両方を持ち合わせバランスよく成熟するのが大人であると言えるのだそうだ。
自分の求めるものを探り、変化を求め苦悩しその結果何年もかかってそれを手に入れる、それを黙って見つめているのが親の役割でもあり、子離れといえると精神科医は言っていた。

そうか、そうかまさしく長年ムスメは変化へ向かって行動していた。
NZでも、カナダでもアラブのPJでも苦手な英語から逃げず、特に今回のカナダではフランス語もあり、自分の英語の欠点を知りながら、周囲に救われ、コミュニケーションが下手なくせにそれを克服した。
友人を沢山作り、孤独な生活とは縁が遠くなった。
仕事も難しいくせに逃げ出さず努力した。
その結果、これまでしてきたことのピースが全部はまったとムスメは言っていたが意味は同じかもしれない。
ぶっ飛んでいるムスメを手放している母親は親らしくないわ、心配じゃないの?結婚はしないの?と言われたことは昔から何回もあった。
周囲からは一流企業に納まり、適当に数年勤めて結婚し、子供を産んでが女性の王道という言われ方をされた。
皆生き方はそれぞれ異なるのだから型にはめられないではないか。

親としての基準は無いが、親の役目は何か?長年探し続けたものがやっとわかったような気がした、今日の新聞記事だった。

信州へ引越し1年経ったが、そういう自分自身は不確かだ。
仕事を持ってこれまでと同じ感覚で働いていたらガツンとやられた。
結局、昨日と今日、畑を耕しながら考え続け、仕事はマニュアル通り、
黙々とロボットで行こう。
私生活は自分らしさで行けば良い。
新しい仕事を追い続け、改革改革で訓練されてきた元の勤務先と同じような働き方は今度は必要とされないから・・・・。
DSCN5528.JPG