信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

季節が変になっている

2008年05月31日 18時19分04秒 |  日記
変だ・変だ・
今、季節は5月も末。
五月晴れとは行かなくても、爽やかな空、澄んだ空気、暖かい光線、花が一杯咲き乱れ、思わず伸びをしたくなる季節の真っ只中ではないか。

けれど毎日さぶいわ・・・今日も気温10度で昨夜から雨が降り続いて、
夕べは花の金曜日のことさらの開放感は消え失せて、何もかもやる気が出ないでアラフオーを見て寝てしまった。
あほ犬は炬燵とストーブ派にそれぞれ分かれ、いつもなら休日の主人に調子を合わせてはしゃぐのだがしんみりとして寝ている。
みるきいとロゼは交互に盛んにくしゃみまでしているではないか。聯

2週間前に植えつけたきゅうりやナスはしょぼくれてさっぱり伸びず、遅霜のせいで葉っぱが白っぽくなって縮んでしまった。
炬燵に入り、台所では煮豆やこんにゃくの煮物などがよい香りがして
すっかり冬気分。
ストーブではやかんの湯気が暖かく、部屋を程よく湿らせてくれている。

明日から6月にはいる。
もうカレンダーは残り半分、3月4月はどこへ行ったのか?
雪国では春を心待ちにして、だから春が訪れると嬉しくて働く気分が倍増するのに、今年はずっと春は中途半端で寒いですねーと会う人毎に挨拶する。

今日は土曜日で、原村のこの居住地区の中新田の大運動会、勤務場所の赤十字の病院祭と両方重なり、どちらも蹴って山梨の土地の草刈を予定していた。
踏んだり蹴ったり、全部駄目と来ている。

明日はこの町内会のイベントで、近くの河川のお掃除が予定されている。
長靴姿で、それぞれ武装し、肥料袋持参で何と!朝6:00に集合し、一斉に川を掃除しながら川上から川下まで歩く。
雨天決行、すさまじい決意で、欠席者は3,000円徴収される。
朝寝坊している場合ではない。
諏訪湖へ注ぐ小さな川をお掃除し結果的に諏訪湖を守るのだそうだ。

炬燵でネットで近日公開の映画を探った。
昨年の今頃はわざわざ映画代より高い交通費を掛けて甲府まで出向き、クイーンを見た。
あれから、パイレーツしか見ていない。

とても恋しい映画館。中央林間時代は夕食後に化粧も落とし映画を観にいったほど便利だった。
ここは信州・・・・映画館は廻りに聞いても知らないという返事が返ってくるほど興味の対象外のようだ。

最高の人生の見つけ方、アウエイ・フロム・ハァー、山桜と観たい候補はあるが信州では見れない。地方はそれなりに良さも沢山山盛りあるが
いつでも思ったときに、は無理だぁ。
ああ寒い寒い。



偉大なる人

2008年05月27日 23時17分19秒 |  日記
先月記事に書いた三浦雄一郎さんが昨日エベレスト登頂に成功した。
75歳という最高年齢のことで注目されていた。
ところが、その一日前に76歳のチベット人が登頂して年齢を塗り替えてしまった。
さぞ三浦さんがっかりしたことであろうと思ったがそれは凡人の考えることだったらしい。

三浦さんのお嬢さんが北海道の自宅で会見に応じていたが、三浦さんは70歳の時にもう一度エベレストに登りたいと言った。
ところがその時、心臓病で、期外収縮、心房細動といった重大な病気で医者からは登山など持っての他と止められてしまった。
しかし75歳でもう一度との思いを叶えたいとそれから2度の心臓手術をし、トレーニングを重ね、普通の人ではなかった。
6500メートルの山に挑み同伴した息子のほうが高山病にかかりベースキャンプに戻ってきたそうで、この5年間頂上に立つことだけを考えてトレーニングをしてきた三浦さんにとっては世界最高年齢などどうでも良いことなのであろう。
頂上で有難うありがとうといっている言葉をニュースで聞き、更なる感動を頂いた。


花盛り

2008年05月25日 22時48分50秒 |  日記
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今週末も雨の休日になってしまった。五月晴れには縁遠く、予定していた畑の作業が全滅である。
季節が変わり、着る洋服がなくなった。
何を着て良いのかわからない。毎日同じ洋服で通勤しているが、車での通勤であるし、病院に到着後はすぐにユニフオームに着替えるし、あまり着る洋服にはこだわらなくなった。
都会では色が溢れているから黒い洋服ばかり着ていた。
しかしここでは何と言っても緑色が多いので黒は似合わない。
もっさりしておばさんっぽくなるし、明るい色を着こなすのが顔色も良く見える。
一日中、洋服の整理をしていたが、着れる洋服が大変少なくなった。
靴も同様。
ヒールのある靴や、スカートは縁がなくなった。
地方暮らしには地方仕様でなければならないということだ。
真夏に半袖を着ることも無く、昨年は終わった。
腐るほど沢山の夏服はしまったままで秋がやって来たものだ。
今年の夏は暑いというがどの程度か、昨年のように屋外作業ではなく
建物の中であるから、エアコンの被害にあうかもしれない。

夕方、雨が上がり、犬と散歩に出かけた。しっとりとした空気で、木々の香りが漂い、気持ちの良い時間であった。
今はジャーマンアイリスが花盛りで、綺麗で目を見張るばかりである。



メタボ海峡冬景色

2008年05月24日 23時35分43秒 |  日記
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5月のGW以来いやに夕食後疲れて眠くなり、30分や1時間軽く寝込んでしまう習慣がついてしまった。
強力な睡眠薬を飲んだような眠さで、その後目が覚めて夜更かしをする。
こんな毎日になんでなんだと自問自答する。

GWに職場のリニュアルをした。
4連休開けのぼけた頭でいきなり仕事を始めた。
フロアーの配置の変わった中を5人の保健師がそれぞれ5人の業務分担がすっかり変更したものでスタートした。
なれないものだから無駄な動きが多く、歩く距離も増え、2階と3階の健診センター内を1万歩は歩く。それに犬の朝夕の散歩や通勤の往復なども加えると軽く1万3,4千歩は歩いていることになる。
私の眠気はこれだ。
健康的だといえば健康だが何と言っても疲れる。

4月から特定健診が始まった。
40歳から74歳までの医療保険者を対象にメタボリックシンドロームに関する健診を義務化した。
これまでの健診システムも特定健診対応モデムに入れ替えた。
2008年の健診の申し込みはまだどの企業も様子を見ているが、健診結果についての保健指導は明けても暮れても大量の結果異常データー対象者を相手に行なっている。
前職場は特定の企業の社員が対称なのである程度まとまった集団であった。
受け持ちの職場の社員を相手に毎年健診結果をフォローしていくので
その社員のイメージと健診結果が結びついて頭に入っていた。
やりやすかった。

ところが今の職場は長野県全域からやって来るし、職業も年齢もあらゆる場面が想定される。
健診の種類も日帰りドック、一泊ドック、政府管掌健診、定期健診、成人病健診、脳ドック、予防接種、と種類も豊富で内容が異なっていく。
この半年間、午後から出揃ったデーターから保健指導を行なって来たが
毎日70人内外のデーターを見ているが、異常者があまりにも多く、まともな人が本当に少なく、要精密検査や経過検診に繋がる人たちの指導が本業となった。
まさしく未病の時代となったことが実感である。

長野県は男性は平均寿命は全国一になったが、今の40代あたりから70代の受診者はこれからはそれを維持できるか怪しいのではないかと思う。
メタボ健診になってから尚更、血圧、腹囲、血中脂質、血糖のいずれかに引っかかるし、血圧などは基準値を厳しくしてきているので緊張して計る人などは皆軒並み高血圧の病名を付けられてしまう。
そして医療機関受診し薬を飲む羽目になれば製薬会社が大もうけする。
腹囲が85センチ以上になると心疾患、脳疾患、糖尿病に繋がる率が大幅に増加する理由なのだが現場で毎日指導の場面に向き合っていると、人それぞれ背景が違うし生活の場が異なるのでメタボの枠にはめ込んで指導していくことに違和感を感じる。
確かに生活習慣が病気を招くことになるが、その仕組みを知らず健診をうけ、大半が悪い結果が出るものだから指導の場面については、叱られるとか注意されるとか言う受け止め方をする。
デブイズビューティフルと考えるものはいないので兎に角痩せろ痩せろの指導になっていくが、大体80キロ以上になった人間は悪いとは思っていても開き直る。
やせられっこ無いと抵抗し指導は無視する生活を続ける。
健診は受けるが、午後の指導の時間になると太目は全員姿を消している。
仕方なしに結果は郵送するが、一方通行であるから翌年さらに体重を増して健診を受けに来る。
いたちごっこである。
血糖値や脂質、腹囲がスゴイ人達の指導のほうがずっと気持ちの良いやり取りが出来る。
これから5年間に健診結果の数値の異常者を半数にする目標はお上のお達しだが、取り組む側は非常に労力が必要になった。

北アフリカで働き始めたムスメは英語でセミナーを行い、危険地域であるから地上の移動はせずセキュリテイガード付きで飛行機での移動をしている。
ビン、ラディンがいるかもしれない国である。

ムスコはというと6月にはシカゴの世界最大の忙しい空港のオヘア空港に勤務する。
離発着数が一日2,500機ととてつもない空港で仕事をするのでこれも大変なストレスフルな毎日になるであろう。
気丈な語学達者なヨメが頼りだ。
ああ、わが家族は今年からまた苦労をしょって立つ毎日を過ごすことになった。
せめても身体が資本だから、苦労にめげても何とかくじけずやっていって欲しいものと願うしかない。



休日

2008年05月18日 21時30分21秒 |  日記
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週末になるとお天気が悪く、やりたい事が出来ずに5月も中旬になってしまった。
今回、2日続けて晴れの日になり、お陰で2日間働きまくってしまった。
土曜日は必ずしなければいけなかったのがあほ犬たちのトリミング。
トリマーさんのみるばにハウスへ電話して予約を取り、家事の合間に車に乗せて出掛けた。
自分達から車の後部席に飛び乗ったくせに、発進した途端吠えまくり
うるさいわうるさいわ・・・叱りながら半分ノイローゼになりみるばにハウスへご到着。
トリミングの合間に茅野へ買い物に出かけ、引き取りに行ったがホームレス同様の犬達はトリマーさんの手にかかり美しく変身していた。
可愛い髪飾りを付けて頂き、すましていたが飼い主の声を聞いた途端はっとして吠え始めた。

夜ご飯が終わり一日中動き回ったので疲れが出て炬燵でダウン。
もうどうなってもいいやと夜やらなければいけない予定を捨てた。
けれど夜中に起き上がり、ムスメに頂いたWii sportsのソフトボール、ゴルフ、ボウリングを始める。
これは一人暮らしの特権だ。
ボウリングが面白く、こつをつかんだら止められなくなり5ゲームも続けてしまった。
最後のゲームではストライクが連続4回のフォースとなり、177点の最高点になった。
たかがゲーム、されどゲームなり、その後ゴルフをしたがこれも過去に無いスコアで全部パーで廻った。
そしてその後さすがに筋肉をほぐさねばならず、ヨガをやって終了。
時間は夜中の2時であった。
ばかばかばか・・・。

けれど日曜の朝は種まきの予定が迫っているので7時に起き睡眠時間4時間なりぃ。
2日間家事をしながら考えた。
子供達が海外生活に入り、これからまさしく一人暮らしになる。

自分の長い過去を振り返った。
最も心残りは、亡くなった両親との別れが出来なかったことで、感謝の言葉を言う機会も与えられないままに二人はあの世へ旅立ってしまった。
母親とは自分の仕事や結婚生活、子供たちなどについて自分の意見や考えを話し合うことは無く、その時そのときに追われ、母親とムスメトしての関係の中で自分の考えを深く掘り下げて話したことなど無かったではないか。
話す時間を得た時は母は別世界に行ってしまって考える力も言葉を失っており、2度と会話は出来ないままになった。
母親は小さいときに養女になったがために実の母親の愛情を知らずに育ち、裕福な育ちではあったが、愛情の掛け方を知らないままに成人し子供の親になった。
子供たちは厳しい教育を受け、母に褒められる努力が自分の務めと勘違いして私は育った。
だから日常的ななんでもない会話は無く、愚痴は自分の中に閉じ込めた。結婚生活も全部、全部、涙も閉じ込め封印した。

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ところがその厄介な閉じ込めた重い気持ちをこの原村の光や澄んだ空気、清冽な水や木々、四季の美しい景色、親切な周囲の人々、などいろいろな場面で融かしてくれるのである。昨日も犬と散歩している途中、うっと突然涙が出た。
結構なことであり、しまい込んでいた涙が出る自分を取り戻しているではないか。

このことを考えた時に、自分が親になり子供たちとは結構自分達の考えを言い合う場面が多かったように思う。
ムスメともブログなどを通じてコメントをして自分の考えを書いたりしている。
だからもうこれで親としての役目も大方卒業出来たのではないかな?

61歳という年齢になり自分を解剖すると長い間気付いていた自分の中のブラックホールがやはりずっとそのまま居座っているのだ。
人間完全ということはありえないが、私自身のブラックホールは過去も現在も未来も神様は、独りという運命を与えてくれた。

これから老いて行く一方ではあるが、ここの生活の中で少しずつ生活スタイルを縮小していくことをしなければならない。
若い時は10年先を夢見ることが出来たが60を越すと5年先も考えるのは危うくなり、チョッと先を見て暮らして行こうとの考えが出来た。
やっぱり休日は余裕があると自分の考えをまとめることが出来て先行き、大事なことだと思った。






この頃

2008年05月16日 22時34分04秒 |  日記
今朝、駐車場から病院へ向かって歩いていたら、向かいの山々を見てふと思った。
霧が峰や車山、これらの山は子供たちが小学生の頃、夏になると暑い東京を抜け出して遊んだところである。
それが今や、毎朝その山を見ながら仕事場所へ向かって歩いている。
北アルプスを見ながら運転し、勤務場所からは諏訪湖が眼前に広がり
その奥に雪をかぶった北アルプスがそびえている。

考えてみれば不思議なことである。
1年前には全く思いもよらないことであった。
縁もなかった土地で生活し働いている。ちゃんと生きているではないか。
と、患者さんの駐車場で鴨が1匹、日向ぼっこをしている。
病院の職員が傍を通るのに逃げずに丸くなってうずくまっている。
かわいらしい姿であるが、車が増えてくると轢かれてしまうから、傍へよって声をかけた。
よっ!どうしたの?といったらよろよろと立ち上がったがまた座り込んで足をたたんで座り込んでしまった。目の前で鴨の実物を見ることは珍しい。

今日の院内での歩行数は9900歩だった。朝起きてから犬の散歩などや夜までの歩数も入れれば1万歩は完全に歩いている。
前の勤務場所とはかけ離れて兎に角歩きっぱなしだが、午後は健診の受診者を片っ端から指導していく。
様々な職種の人と知り合いになり、社会にお役に立っているという実感が強い。
まだ頭も身体も衰えていない内は、人と繋がっていることは重要だと思う。
幸運と思える今の仕事はきつさは十分だが新しい脳細胞を作っていけるからもうちょっと頑張ろうと思った。
それはこの通勤途中の周囲の山々を見て心に浮かんだことだった。


春眠

2008年05月14日 23時16分58秒 |  日記
昨年の今頃はこのような感覚は持ち合わせていなかった。
新しい環境に入り、全く持って生まれて初めての農作業に毎日身体を使っていたが、張り切っていた。
ところが今年はなんだ!
怠惰な自分が今いる。
朝から眠い。諏訪に向かう途中の車の中でいつも同じ場所に差し掛かると眠くなる。
午後からもPCに向かっていると異常な眠さに襲われる。
このGWのあと1週間八ヶ岳の姿が見れなかった。天気が悪く雲に隠れ、しかも雨が降り、気温は毎日4度か5度。
3月の寒さに舞い戻り犬に向かって毎日寒いねーと言いながら散歩をし、ストーブを炊き、犬は炬燵を愛用している。
身体が変なのか、花や野菜の種を10種類も買って播く準備をしていたが
気温が25度以上にならないと発芽しないと書いてあり、毎日5度しかないのでは程遠い。
サイクロンや地震と海外では大規模の災害が続いている。
このところの異常気象は今後何か起きるのではないかと不安が募る。
その中、自分の異常な眠気は怠惰な証拠なのか、やっとこのところ寝付いてから朝まで4-5時間は途中で何度も起きずにいられるようになった。
定年を迎える1年前あたりから夜寝付いてから数度目がさめていて寝た気がしなかった。
やっとこのところそれが解消されたのに眠いとは何だろう?
老化現象と思いたくないのに夕ご飯を食べた後、テレビも見たくない、ボーとした時間を過ごし、12時過ぎに寝る習慣になっている。

朝から眠いのはたけしのこわーい家庭の医学では、慢性睡眠不足症候群といっていたが長いこと5時間の睡眠時間で生きてきたのでそれが当てはまるかもしれない。
原村へ来たら夜は10時ごろ寝ようと決心していたのに何も改善せず
12時を廻らないと布団に入らない生活を送っている。
春眠というと聞こえは良いが何のことは無い、生活習慣が悪いのである。



子離れ その2

2008年05月11日 00時43分43秒 |  日記
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先月、ムスメが転職してカナダからアルジェリアへ旅立った。
その話を聞いて、家族は驚き、そして彼女の幸運と度胸を心から喜んだ。間もなくあれから1ヶ月が経とうとしている。
昨夜、仕事から帰る途中のムスコから電話があり、胸騒ぎがした。
このところ異動の対象の最前列に立たされており、息子夫婦も覚悟ができ、先週のGWの蓼科での3家族の休暇も息子の異動の話が出て、どこに行くのか、中国?それとも・・・・と話題になっていた。
それから1週間も経たないうちに、勘は当った。

どこへ行くの?決まったの?と疑わず聞いてしまった。
うん、シカゴ。
なにかかにか色々しゃべったが、電話を切った後、ボーっとしたまま布団に入り、朝起きたら寒くて全くやる気がおきないではないか。
あちこち、話を聞いた親戚と友人と電話のやり取りがあり、心も寒く八ヶ岳は雪が降っている。
航空会社勤務のムスコは海外勤務は当たり前のことであるからもう数年前から心積もりはしていたはずだったが、いざその場面を迎えると自分の頭がばらばらで思考力が半減した。
ボーっとした頭で新聞を読んだ。
新聞ではエドはるみが遅いデビューで人気を得ている記事が目に入った。
自分が求めさえすれば、死ぬまで人の可能性は無限である。自分の可能性にふたをしないこと。
この歳だからという言葉に逃げないことなどを言っていた。
味わいがある言葉に自分が最近赤十字の環境に入り、おばさんだからとかとしだからとか言うようになっているのを見透かされたかなと思った。
年だからというのはとてもらくちんな言葉だから使い始めたら結構その言葉に逃げるようになった。

そしてNHKの画面が75歳になった三浦雄一郎さんのエベレスト登山への挑戦へのドキュメント番組を流していた。
64歳の時に、エベレストからスキーで大滑降を世界初でやってのけた。パラシュートをつけ谷に落ちる寸前に止まり助かった。
命を助けられた意味をずっと考え続け、生きる意味を考えまたその後75歳でエベレスト登頂に挑戦している。
三浦さんのお父さんの恵三さんは96歳で八方尾根からスキーで滑降し最高年齢でスキーを続けていた。体力も目も衰えていくが、骨折だけを恐れ食事に気を使い毎日トレーニングをしてスキーを90歳を超えても続けていた。
101歳で亡くなられたが、今の自分の可能性を信じていたという。
96歳の三浦恵三さんにはまだ35年も及ばない。それなのに年だからとらくな方向へ逃げている自分を恥じた。
今朝はテレビと新聞に学ばされた。
ぼうっとして自分がさ迷っているがこれではいけない。
しっかりしなくては。
子供たちとは遠く離れてしまうが、スカイプで話が出来るし、子供たちの海外での環境の中での成長を喜んで見守る親でなくてはならない。
三浦さん親子のように年だからなどと言わず、相反した冒険をする人間にはなれなくてもその精神は学びたい。

今年に入って母親を亡くし、ムスメ、ムスコも相次いで遠い国で仕事をするようになった。
思い出だらけの過去を振り返ると悲しくなるが、振り返っても前には進まないから、元気を出して自分も今の自分の可能性が何か、見つけなくてはならないようである。



GW は蓼科で

2008年05月08日 23時43分29秒 |  日記
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2日の夜から息子夫婦と、翌日からは姪夫婦と3組で蓼科の友人の山荘で
GWの休日を過ごす。今回は長い休日なので、食料品を買い込み、ゆっくり思いのまま過ごす時間を持てそうだ、しめしめとほくほくしていた。ところが盛りだくさんのスケジュールで計画は次々と変更しながら、移動し動きまくっていた。
2匹の犬も一緒だから、朝夕の散歩も含めより一層忙しい。
標高1450メートルの山の中だから気温も低くやっと落葉松の芽が吹き始めたばかりでまだ緑濃いとはいえない、春浅いところである。
下界は夏日といい うだっているような暑さの中、下手すると朝夕は暖房が欲しいくらいである。
桜の花見、ガラス工房、バーベキュー、ボウリング、温泉、食材の買出しをしては夜になるとお酒で乾杯
結構出たり入ったり忙しい毎日を送った。
今回でこの山荘で過ごすのは6回目になるというが、快適な広いログハウスを借り切り、木の香りに包まれ、全く日常生活から離れ山の生活に浸るのは誠に幸せな気分になる。

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木々の芽吹きもゆっくり眺められるし、その美しい色をしっかり目に焼きつかせることも出来た。
何よりも合間合間に皆で顔を合わせ、様々な話を通じ、考えさせられ、学習させられ、ああ良い勉強になったという気持ちを持てることが何よりのことだと思う。
こうして一人暮らしの歳をとりつつある母親を皆で囲んで休日を共に過ごしてくれる周りに感謝するばかりである。
お陰でこの1ヶ月、まぶたの下が痙攣し、これはストレスがたまって抜けないためか、と思っていたのに、そのヒクヒクが休みが終わったときに治っているのに気が付いた。

4,5日留守にして原村に帰ってきたら色々な花が咲きほこり、その速さに驚いた。
きゅうりを植えて行った畑は乾き、急に農作業を急き垂れた気分で焦りが出てきた。

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