信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

楽しい手仕事

2016年12月27日 15時51分57秒 | Weblog
昨年,マゴに編んだ毛糸の帽子がへたってきて頭も大きくなり
新しく編もうと考えた。
10日くらいあるから今からならクリスマスに間に合う。

早速手芸の本を見たが適当なものがない。
手芸店に行く。

駐車場へ入り切れない車に驚いた。
季節もさりながら、そろそろ来季の保育園入園グッズを作るお母さんたちで一杯だ。

サンプルの毛糸の帽子がおいてあり何とか編み図をもらえば編めそうな気がして
毛糸を買う。
暗い冬空にはきれいな色の帽子をかぶることを勧めたい。

家へ帰り早速その夜から編み方開始。
モザイク色の毛糸のため編み進むのが色が代わり楽しくてやめられない。
3日で出来上がり次はムスメのも編もうと思いつく。
そうして毛糸を買い集め友人などにも....と考えると気が急く。
編み物は数十年前に編んだ経験で、いざ始めたら編み方の図や棒針編みに困ったときに
開く本などを前にじっと考える時間も増える。
とじ方などにより出来栄えがずっときれいになる。

最初のマゴの帽子は犠牲になりムスメのもまだまだ精進だ。
かくて4個の帽子をこの10日間で作り上げた。

最後のとじ方、目の拾い方で短気を起こしたくなるのを我慢に我慢を重ね
くじけそうになるのを克服した。
まるでパズルを解くようなとじ方はこの年齢で初めてで自分を呪っても仕方がない。
出来上がった4個目の帽子はまずまずだが、まだきれいに仕上げることもできる。

多分、10個も編めば何とか満足できるかもしれない。
配色が異なるので出来上がった帽子はこの世で1点ものだ。

栗原はるみさんはこねないパンを考えだし100個も試作して本に掲載したというが
努力なしには人様の前に出すことが出来ないことはよく理解できる。





カレンダーへの思い入れ

2016年12月22日 11時34分15秒 | Weblog
毎年、10月末くらいになると決まってこれからやらなければならない義務感に
包まれる。
とても減ってしまった友人たちへの年末の贈り物はお互い健康で暮らしている証のやり取り
だから大事にしている。

今から振り返れば笑ってしまうが現役時代にお中元、お歳暮と称して玄関先に
積み上げた品物は時代の賜物だが忙しく飛び回っている身には深々と感謝している間がなかった。

時代は移り我が身も退職し仕事から離れて、そういえばお歳暮という時期もあったわねえ
と懐かしく、人生の推移をしみじみ味わっている。
最近は年々増える喪中はがきがお歳暮にとって代わり増えて来ている。

変わらぬのは部屋のカレンダーだ。
この15,6年で住まいが3回変わり部屋の間取りによってまず数が変わった。
部屋数が多ければ当然部屋ごとに飾るが、好みも変わってくる。

今の最期の家は間取りも少なく壁面が少なく窓が多いので外の景色自体が風景画になり
当然残った壁面はすっきりしたい。

新しい家にはピンを打つこともはばかられる。
来年のカレンダーも無事用意が出来て新年が迎えられる。
このカレンダーへの思い入れは、親のどちらからのDNAを継いだのか。
父親は17歳の時亡くしたから、多分母親であろうと思われる。
父親は日めくりを愛した。

時代が、物は裕福になり、親が出来なかった海外旅行も子供は何度も経験し
海外のカレンダーは必ず手に入れるようになった。

3か所しか貼れないが必ず登場するのはルナカレンダーだ。
これはもう10年以上の愛用だ。
これをしげしげと眺め月の満ち欠けは勿論、日の入り、日の出を毎日確認し
山が近く日の入りが早い地方に住むと大変便利になった。
新月や満月を都会に住んでいるときは興味もなかった。

信州へ越して、さらに伊那に移住して夜空を仰ぐ日が増えた。
空が広いためもある。
満月の日は尚更だ。
夜中に目が覚めて外が明るいのは月のせいだとネオンのない地域に住んで初めて知った。

24節気なども歳を取ると知識が増えることに感謝することの一つである。



霜の朝

2016年12月21日 08時53分53秒 | Weblog
月に一度の古紙回収の日。
昨夜から雑誌やDMの紙をより分けひもで縛りスタンバイした。
朝は8時までに離れた場所に車で運ばねばならない。
起きてぎょっとした。

車が雪こそ降っていないが、霜で真っ白で凍っている。
外の温度計はマイナス8度になっている。
暖機運転に時間がかかり焦った。

この数日山の頂上付近には雪雲がかかり姿が見えなかったが今朝は
晴れ上がり真っ白に、さらに雪が深くなっている。
やはりアルプスは夏山より雪に輝く姿が気高く神々しい。





木曽駒が岳、宝剣岳も見える






空木岳、熊沢岳


貧しいが懐かしい思い出

2016年12月20日 15時12分20秒 | Weblog
クリスマスに間に合わせようとマゴの毛糸の帽子を編んだ。
毛糸は選ぶのに悩むほど豊富で、輸入品もありとにかく色がきれいだ。

丁度ラジオを聴いていたら、聴取者のクリスマスの思い出という投稿を聞いて
絶対に思いださない自分の幼い時代が蘇った。
60代後半の女性だったが、クリスマスはその当時はなく、お正月に母親が編んだ
再生毛糸のセーターが楽しみだったという。
同じだ。

戦後生まれの小学生時代は福島県の小さな町で育ち、クリスマスという習慣はどこにもなかった。
お正月が大きな行事で雪が降り長い冬を過ごすのだが嬉しく心待ちにしていたのは
お正月に新しい下着や足袋(その当時靴下はなかった)ゴム長靴などがその時に合わせて兄や姉
と一緒に用意された。

お年玉などなかったように思える。手にしたことがなかった。
クリスマスなどはないがお正月に母がセーターやカーディガンを編んでくれた。
戦後のことで毛糸などは何回もほどいて洗って湯気に通し縮んだ毛糸を伸ばし
古い毛糸を配色しセーターに再生してくれる。

新しいのが欲しいなど考える頭を持ち合わせていず、再生されていても母親が編んでくれた
セーターは一冬着たものだ。
今思い出すのは山吹色のカーディガンで手首のゴム編みがほどけていても汚れて
ピカピカになっていても平気だった。

セーターをほどきながら小学生の自分は腕にほどいた毛糸を持たされ母親が毛糸球に丸めていくのが
嫌だった
ちゃんと持っていなさいといつも叱られた。

その当時はテレビもなくラジオしかない時代で夜は早く寝かされちょっとした静かな夜の時間は
親の手伝いをしたものだ。
コドモ時代、母がミシンを踏んで作ったズボンや洋服類は何を着ていたかも思い出せないが
音楽コンクールに着たワンピースだけは記憶に残っている。
嬉しくて眠れなかったほどだ。
今のコドモはこんな思い出とは縁遠いであろう。

自分が育った時代の貧しさは全体が貧しかったから、恥ずかしさもなかった。
母親に感謝する思い出は今になりちょこちょこと思い出すがすでに遅い。

NHKの朝ドラで戦後の神戸のヒロインがありえないと毎回思えるほどきれいな洋服を着ていた。
結局違和感を感じることがストレスでドラマを視聴する習慣は中断した。

自分と同じような年代の高齢者は同じ経験をしているのだなあと、その時代を共有した。
母と同じく自分も子育てに洋服やセーターなどすべて手作りした昭和50年代。

ああもうあの頃と大差がつき時代の変化は人間まで変えた。
手作りしようにも物はあふれ、材質も全く変わった。
朝のラジオでクリスマスケーキが何万もするというのが売れているという
馬鹿な話を聞いてしまった。
価値観の違いか。

コドモを育てていた30代は元気だった。
テレビも見ず夜必死でコドモが寝た後、ミシンを踏み毛糸編みをし喜ぶ顔が見たくて頑張った。
今はだめだ、時間に余裕ができたというのに根気が無くなり目がしょぼしょぼで
手元が見えにくい。
なんてこった。


地産地消

2016年12月11日 18時38分24秒 | Weblog





コシヒカリの玄米




2分搗きは胚芽がほとんど残っている。





近所の農家から頼んでいた新米が届いた。
南アルプスの冷たい水を引き込んだ三峰川(みぶがわ)の田んぼで育ったお米だ。
伊那は天竜川流域と三峰川流域の田んぼに分かれるが、今回初めて近所の農家から30キロ
分けていただいた。

長野県、コシヒカリという銘柄だがコシヒカリというと新潟産が有名だ。
新潟産は水分の保有率が19.2%で、長野県産は16%以下という。
だから新潟のコメは水分が多いから粘っこくもっちりとしているという。
精米の段階で水蒸気を吹きかけて19.2%にするそうだ。

長野産はやや硬めだから炊飯の際水をやや多めにして炊くと良いと聞いた。
しかも一番おいしいのは精米する時に2分搗きにすると一番おいしい味になると言われた。
魚も果物も野菜も皮と実の間にうまみがあるのでそれを取り除き形良くしてしまうと
本来のおいしさは取り除いてしまうから、米は白米はきれいだが2分搗きを食べると
本当のおいしさを知るという。

玄米を届けて頂いたので早速2分搗きに精米し水を多めにしてご飯を炊いた。
2分搗きのコメを食べるのは初めてでせいぜい7分までしかしていなかった。

色は黄色を帯びているが一口食べたら違いは大きかった。

先日、赤かぶと野沢菜を漬け終わり、冬の準備が終わった。
おいしいお米と漬物、夏に漬けた梅干し、昆布とかつお節で取った出し汁のみそ汁はこれもまた
畑から直行の野菜を入れ和食のおいしさをたっぷり味わった。

退職し伊那で暮らすようになってから食の大切さをこの年齢で、だいぶ遅いが
つくづく感じている。

冬の日差しですくすくと

2016年12月07日 15時06分17秒 | Weblog
11月に初雪が降りその後暖かい日ややたら寒すぎる日が交互に続く。
確実に12月であれば信州の外で育つ植物は枯れ果て見通しが良くなった。
今朝も庭の土は霜柱が10センチもあろうか、一瞬雪が降ったかというくらい白い朝だった。

観葉植物や多肉植物は一日中陽が当たる場所で元気に暮らしている。
近所の友人に夏頂いた松葉ボタンの類だが、外へ置いておけばとっくに枯れて
とろけている筈だが、室内に取り込んだら葉が増え始めた。
そして、夏の間より花が沢山咲きだした。
肥料を与えるとその後の3日後くらいには蕾を一斉につける。
花がとても大きいので豪華版だ。

冬の室内は限られた種類の花しかないが今年は日向で咲いている松葉ボタン様の花が
咲き明るいコーナーを作り出してくれた。

どなたか、この植物の名前をご存じないでしょうか?





断崖の女王様も順調に成長し、本来春先に咲くのであるが、我が家は多分1月に
咲き始めるパターンとなった。
この手のマニアの写真を見ると、とても立派な鉢に植えられており我が家も来年は
奮発して恪を是非上げてあげよう。


高齢者の運転

2016年12月05日 22時35分38秒 | Weblog
先日、信州の伊那から神奈川県の大和市まで早朝の高速運転で出掛けた。

この数か月高齢者の運転の事故が相次ぎ、とどまるところがなくニュースが続いている。
高齢者は法的には60歳とか65歳とか規定されているが、69歳の自分は年齢的には十分すぎるほどで
ニュースを聞く度にわがことのように胸が痛み、高齢者は1束ひとからげで非難されている気持ちになる。

といって、地方では車がないと生活が途端に不自由になるから、年齢で免許証返上という訳にもいかず
大きな社会問題であろう。

朝早い高速道路を走るので緊張が続くが追い越しがめまぐるしく気が許せない。
八王子から便利に開通した圏央道は分岐点を間違えなければ、そのまま30分もかからず
東名道に繋がっていく。
2年前ごろまでは高速を降りて16号線を通り相模原通過するのに下手すると高速を走っていた時間の
倍くらいかかったものだが、約20分で相模原愛川までノンストップで到着する有り難さだ。

やたら人も車も多い渋滞当たり前の都会からまた再び地方へ帰ってくると無事今回も
帰って来た、とテストを受けたような気持ちだ。

車はハンドルを握っていると前ばかりしか見ていないから、高齢者が運転しているぞ
などわかりやしない。
気を付けろと言われても気を付けようがない。
逆走することを想像しパーキングから速度を増して走行車線に入って行くがどうしたら
逆走できるのかわからん。

しかし高齢者の事故は毎日のように話題になっている。

先日、地元でスーパーに買い物に行き駐車場で車を入れてふと横を見たら乗用車の助手席に
ヘルメットをかぶったおばあさんが乗っていた。
運転席には誰もいないから連れが買い物に行ったのか。
しかし、ヘルメットをかぶせるには連れはおじいさんであろうか。
運転が危ないからヘルメットをかぶせたのか。
買い物をするくらいだから運転は出来るのだ。

とか考えていたら????とわからなくなって来た。





朝焼けの中央アルプス













大笑いした映画

2016年12月05日 21時59分57秒 | Weblog
映画館で1年ぶりに映画を観た。

伊那に引っ越してからも映画は観るが封切り作は大分経ってからになり、まあいいか
そのうちテレビで見るれるからと面倒臭くなってしまった。

今回はムスコの家に泊まり、定期的に受けている眼科の検査と実姉の入院先の
見舞いを行うためにまた早朝車を飛ばした。

信州の雪景色から韮崎で秋の紅葉になり神奈川は別世界だった。
めまぐるしいスケジュールを何とかこなし、帰ってくる日の朝一番で映画館に入った。

これだけは信州で待っている時間が惜しく、席に着いた時はほっとした。
公開中のオケ老人
画面に慣れ、ストーリィを理解するまで時間がいるが登場人物は大半が自分と同じ
年齢であろう老人だらけだ。

笹野高史 左とん平 小松政夫 藤田弓子 石倉三郎・・・
達者な役者がそろっているのを主役の杏が指揮者としてオーストラを作り上げていく
その努力。
そろいもそろって老人ゆえトラブルばかり引き起こしながら現実離れした部分と
妙に歳を取って経験しているからこそ理解できる場面とが絡み合い、大笑いする。

時々テレビドラマでも家で誰に気兼ねせず笑うこともあるが、そのような機会がごく少ない。
どちらかというと最近のドラマには現実味がないと腹を立て、あり得ないと怒り電源を落とす方が増えた。

若いが、杏は芸達者だ。
同じ町内会の老人は集まると飲み会に発展するが、音楽の力は凄い。
老人だからこその団結力とパワーは練習を重ね、コンサートを開くまでに至った。

威風堂々と新世界の第2楽章の曲が流れ映画が終了してもその曲はずっと頭に残り
信州まで帰る車の中元気をもらった。

最近、訃報や喪中はがきが季節柄増えて心中がっくり来ていたが、オケ老人のような映画を観て
いや、こうはしていられない、自分も何か目指すものを見つけたいと思うのだから
人が多い車が多い都会に行っても得るものは大きいのだ。