信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

健康診断

2012年02月29日 22時04分44秒 | Weblog
天気予報が大当たり。
朝方から雪が降り、雪かきする時間もなく高速道路で諏訪まで行く。
いつになく道路は雪が積もったままで、前後の車は慎重にスピードを出さず走っているが、道路は凍結していて
ガタガタしているためだ。
いくら時間短縮を高速道路で行なったとしても、インターを降りて一般道路に降りたとたん渋滞が待っていた。
川沿いの通勤バイパスは通常ならノンストップの信号なしの便利な道路だが、脇見もできない狭い道路で
今朝は道路脇に滑ったのか3台の車が落ちていた。
渋滞をくぐり抜けたが遅刻の結末になった。

今日は年に1回の健康診断の日である。
朝食抜きで朝の健診の受診者の問診を取り終えてから自分が受診の立場になった。
健診着に着替え血液を採血され心電図や聴力、視力、レントゲンを撮った。
一番最後だから待ち時間もなしに次々と呼び込まれ11時には胃の内視鏡室にいた。
肩に痛い注射をされ、なぜか待合準備室でテレビを見ながら待っているが、緊張をとくためなのか
画面には社交ダンスのステップを踏む場面が写っている。

ここもろくに座っている時間もなく、すぐにカメラの部屋に案内され、喉にスプレーで麻酔をされた。
まずい味の麻酔にゲホゲホし、くわえてくださいとマウスピースを渡された。
ここからが苦しい時間になった。

嫌に長いな~とか医師が話す言葉が読み取れず、わかったつもりで息を吐いたりしていたが
今回はおえっと吐きっぽくなり涙ながらにただひたすらに終わるのを待ったが、
さあ今度は十二指腸まで入りますと言われ
まだそんなとこかいなとガックリする。
やたらに嘔吐反射が強く出て何とか終えたがモニターを見ながら説明を受ける。
要はあまり綺麗な胃ではなかった。
変な粘膜が現れたり、軽い潰瘍の痕があちこちにあったり、粘膜が縮んでいたり、
こういう粘膜からがんが発生するのですから1年に1回は必ずカメラを受けましょう
と説明する医師は軽く言う。

ピロリ菌も飼っているようで除菌したほうがよいそうで、これまで毎年カメラを飲んでいたが
そんな話は出たこともなかった。
あまり胃の調子が良いほうではないでしょうと言われたが、信州へ来てからの方が
胃袋は健康になったと思っていたのに…。
腹囲も体重も全く昨年と変わらず、血液データーは下降し結果は胃を除き良い方だ。
と自己満足したが…健診の医師に帰りに呼びとめられ、ピロリ菌がいるんだって?
と言われぎゃふん。
そのうち除菌しましょうとまたダメ押しをされた。
ふん、無縁だったものが親しげに近づいてきて其のへんで笑っているような気がする。
嫌な奴のピロリ菌め。

手紙を書くについて

2012年02月25日 23時03分59秒 | Weblog
2月はじめに親しい人が亡くなった。
3年前から病気の治療をしていたが2度の手術とその後の薬物のきつい治療に耐えて
治ってみせると期待していた。

私が都会から山梨へ移住しようと誘ってくださったし一緒に土地も探してくれた。
子供たちと一緒に何度も泊まってご馳走になった。
芸術家なので山野草を描き、退職後は理想的な生活を送っていた。

亡くなる2週間前に息子と一緒に東京のお家にお見舞いに行った。
お知らせを聞き呆然とした。
覚悟も出来ておらず言葉が出なかった。
それ以来虚しい日が続く。
手も足も出なくなりお葬儀も亡くなったことを真正面から認めることになるので伺えなかった。

今日、奥様からお手紙が届いた。
私たちがお見舞いに伺ったあとお礼の手紙と称して下書きした文章と
大好きな花のアネモネの絵はがきが
身の回りの整理をしていたら出てきたので送りますと書いてある。
本当に絶筆なったお手紙である。

何度読んでも涙で霞んでしまう。
まさかその後自分でも亡くなるとは夢にも思えない文章であった。

手も足も出ず奥様におくやみの電話も手紙も書けずずっと気になりながらも2週間を過ごした。
今日お手紙を頂いた途端、お返事を書いた。
長い手紙になった。
書き終わり胸のつかえが取れた。
まだまだこれからもあちらの世界に行ってしまったことを認めたくないが
桜が咲いたら大泉で奥様と一緒に待ち望んでいられた花見をしましょうと約束をした。

朝から寒い一日で雪が降り続いている。
手紙を1通書き終わったらその後続いて友人たちにも近況を知らせご無沙汰を解消した。
職場でも家でもPCに向かい、文字を書く機会がなくなった。

学生時代に授業中、隠れて手紙を書いていた時代が愛しく感じる。
マメだと言われるがそれでも不精に成り果てている。
いつもそうだが手紙を書き終わると清々しくなる。
便箋や絵はがきを相手に合わせて選び、切手も選びに選んで投函する。
相当エネルギーを使うから却って好きなのかもしれない。


記録

2012年02月19日 11時13分07秒 | Weblog
ニュースでは聞いていたが昨夜、一向に部屋の温度が上がらず、なんだかやる気が出ず
そのうちガラス戸が凍り始めた。
長野県でも原村は低温の地域である。

今朝の廊下の温度がマイナス5度。
えっ見間違いかと目を近づけたが変わらない。
冷凍庫か、この家は。

台所の流しでは洗い桶の中の水が氷になっていた。
飲み残しのお茶は勿論湯呑の中で氷になっている。

さて、外気温だがマイナス19度。
やはり眠っている最中に只事ではないと目が覚めたのだがいよいよここまで来たか。
冷蔵庫どころか、冷凍庫以上の家の中。
昨夜アフリカのムスメと話したがあちらは45度。
こちらはマイナス19度。
お互いの状態がピンとこない。
理解できない…

春よ来い、とつくづく待ち望む日々になっている。





 

  我が家で新入りのルビーネックレス、ぷくぷくぴちぴちの多肉。

ヒトの想いは様々

2012年02月18日 23時05分59秒 | Weblog
中井貴一と小泉今日子のドラマを毎週見ている。
熟年年代の主演の独身の2人もさりながら周囲の人物が面白い。
平清盛の父親役からガラリと違った役を表情豊かに演じている中井貴一の別の顔が誠に楽しい。
と、思ってそのドラマのホームページを覗いた。
ドラマを見終わって寝る前に読んだのだがこれがいけなかった。

若者たちからの誹謗中傷のツイッターが続き褒めている記事は全く見あたらず、中年になった
中井貴一と小泉今日子をめった切りにしている。
歳を重ねるのがそんなに悪いのか。
自分たちが経験していない生き方を描いたドラマをジジババとかシワだらけとか外面的なことをあげつらげ
それを読んだほうが胸が悪くなり布団に入ってからもその言葉が蘇ってきた。

今日、雪が降る寒い休日、掃除をしつつ溜まったビデオを見た。
北の国からが23話目になり純と蛍の母親が亡くなり東京での葬式に上京した話だ。
子ども2人と雪子おばさんを先に飛行機で送り出し五郎は1日遅れてやって来た。
葬式が終わるとすぐ五郎は富良野へ帰るという。
周りの人間はもっと傍にいてやれとか情がないとか散々悪口を言う。

しかし大滝秀治役がとっさに飛行機で上京するための金がなかったのだ。とポツンという。
北海道の開拓農家は土地に這いつくばって泥にまみれながらわずかな金を得る。
普段は金を持ち合わせていない。
五郎は飛行機に乗る金がないので1日掛かり夜行列車で東京まで出てきた。
帰りも列車に乗り子供たちは飛行機に乗せる。
実情も知らず悪口を言いたい放題いう周りに老人は釘を刺した。

自分たちの日常もよくあることだ。
何が本当かも知らずに人の批判ばかりする人間がいる。
自分はそれ以上のことをしているかというとそういう訳ではあるまい。
ヒトがヒトを批判する。恐いことだ。
考えは様々だが逆に自分の愚かさを露呈するようなことになってはいけない。
と、自分も反省した。
それにしても30年も前だが大滝秀治の演技はステキないぶし銀だった。


週末多忙

2012年02月12日 23時12分54秒 | Weblog
今週末は犬たちを午前中トリミングに連れ出し、ホームレス犬から見違えって麗しくなって
戻ってきた。
すぐその後午後から伊那へ出かけ今後住むかもしれない土地を不動産屋さんから紹介され説明を受けに行く。

幸運中の幸運でいずれムスメが結婚して住む土地のすぐ近くに候補地が見つかった。
いわゆるスープが冷めない距離。
北杜市に持っている土地はこうなると売らねばならない。

まあしばらく熟慮して決めていくことになるであろう。
そして夜、ムスコとムコと一緒に夕ご飯の寄せ鍋を食べながら今度は
6月の結婚式のスケジューリングを行う。
ムスメはまだアフリカにいるので帰国後、結婚式をスイスで行うことにして
近親者でドイツからスイス方面に旅行も兼ねて移動しスイスのルツェルンで式を挙げることに決まった。

11年前にドイツからスイスへ大学生のムスコと実の姉と一緒に初めての海外旅行をした。
結婚したばかりの姪夫婦がいたのでチャンスとばかりに出かけていった。
あれから11年、皆、変化をしたがムスメの結婚を機会に集合する。
素晴らしい親孝行の巻きだ。
またグリンデルワルドではアイガー北壁を見上げ、ユングフラウヨッホに再会できる。

50代の長かった苦労が報われることになるのかもしれない。

    
     今日の八ヶ岳はまた雪が降り積もったようだ


これからの1年

2012年02月05日 13時09分27秒 | Weblog


     


給湯器が復旧した。
低温のため電気系統が壊れたらしい。
職場で朝の問診で、受診者の方から(特に別荘地の住人)は水道が出ないという話はよく聞く。
今年は日本ばかりでなく海外でも凍死するくらいの異常低温のニュースを聞くが、夏の高温といい
一体どうなっているのだろう?
復旧しただけマシと考えよう。

週末は時間をかけて犬の散歩が日課だが、日中は雪が舞い、気持ちは瞬間出来るじゃないと思うが
ダメダメ、長歩きすぎるには寒すぎる。
先週と続けてNHKでの土曜ドラマ、キルトの家を見た。
先週は丁度ドラマの途中で電話が来て、上の空で見ていて終わってしまっていた。
芸脱者な俳優が勢ぞろいし老人問題がテーマだが、若者夫婦も交え東日本地震も内容に出てくる。
津波の話が出てきたときには思わず涙が出た。

都会の団地で年をとり、孤立化していく老人が抱えている問題が全部脚本から伝わってくる。
都会も地方も一人暮らしの老人の行く末は共通で身につまされる。
そうかそうみじかに感じるのは私もそういう年齢になったか…
山田太一の脚本の台詞はすごい。
日常ありがちだがベテラン俳優が言葉に出すとその場で書きとっておきたいくらいの名セリフばかりで
ある。
老人の人格は見捨てられ、おじいさん、おばあさんの言葉で片付けられるが皆、きちんとした名前があり
入院先でもその不満をじっとしまっておいたという話には医療機関などはよくあることだ。

節分は季節は冬だがその日を境に確かに前年度との区切りのような気持ちにさせてくれる。
3月の誕生日を過ぎるとまもなく新年度がやってくる。
移住して5年目が過ぎるが、振り返ると
1年目は経験のない職場でミスのチェックに怯え自分の無能さのどん底で辞めることばかり思い詰めた
2年目、病院のシステムが紙のカルテから電子カルテに変わるための訓練が1年続き、
    病院が機能評価を得るための神経ビリビリの日々
3年目、職場の健診システムの入れ替えで新しいシステムに変わるための準備と研修とデモの1年
4年目、健診センターが5年に1度の機能評価のための準備とデモ 合格しないと看板を下ろさなくてはならない
5年目、健診センターの建物の新築と移転
    と毎年いろいろよく続いたものだ。

    ここまで何とかやって来られたので、仕事に慣れて面白さが出たがこの辺で退場しようかと思い始めた。
    スタッフは数倍に増え新しい施設は業務が順調に流れている。
    年末には新しく開設した婦人科検診の施設の設営を任され全力投球で向き合いそれも2月に入って完了した。

今後の1年は長年続けてきた仕事とお別れをする期間だ。
自分自身の老後の問題を徐々に受け入れながら、新しい土地での生活を作り上げねばならない。
忙しい、忙しいと言いつつ毎日が過ぎていくのに精一杯だったが、未知の信州という土地で仕事が出来たのは
最後の自分の仕事の経験を積むには良かったのであろう。

キルトの家というドラマを見ながらおかげで自分のこの先の生き方も方向が定まったということである。

  
     



初体験

2012年02月04日 12時36分04秒 | Weblog
どこもかしこも低温でブルブル震えている毎日。
大寒をすぎてからがもっともっと下がり始めてきた。

昨夜台所で夕ご飯の後洗い物をして嫌に今夜は温めてもさっぱり
手が冷たくてパソコンのキーボードにも長い時間は向かえないので諦めて寝よう。
と洗面台で顔を洗おうと蛇口をひねってもお湯が出ない。

台所もダメだ。

ああ…先程まで出たのに、なんてこった。

屋外湯沸かし器に異変が出たのだ。
これは手が出ない範囲。
気温はマイナス17度に下がっている。
これまでの信州での経験はマイナス15度まで。やられたなあ。

明日は復旧のために全力を尽くさねば、お湯の出ない生活には耐性ができていない。