実家から電話が来た。
92歳になる長期入院中の母親がいると、実家からの電話は、さては
具合が悪いのか、それとも悪い知らせ?といつも心が騒ぐ。
のんびりした兄の話の出方からああ良かったと胸をなでおろすことが何回あったことか。
今回はやはり具合が悪く、人工栄養に切り替えるための手術になるというので、実家に帰ることにした。
さあそれからはインターネットを駆使して電車の時間を調べる。
何と言ってもこの3月に長野県へ引越ししてからは電車に乗るチャンスがなくなった。
どこへ行くにも車である。
しかし長野県から千葉の銚子まで行くには約8時間のドライブである。
それも犬2匹を乗せて・・・。
車が嫌いで吠えまくる犬を連れてでは負担が大きすぎる。
そのため動物病院へ宿泊をお願いすることにした。
しかし出かける前日は病院は休診となっている。
当日出かけては、手術に間に合わない。
何度も兄とやり取りして、手術が終わったあと到着になることの了解をもらい、準備をした。
朝一番で動物病院に到着して犬を預け、中央線の富士見駅から電車に乗る。
ここでも運のよさでたった一台、駅の無料駐車場が空いていて幸運を感謝して電車に乗る。
それからは中央線、総武線、総武本線の乗り継ぎで6時間後銚子に着いた。
ハハの手術は熱も下がり順調に終わっていた。
久し振りに見る顔は黄色実を帯びて顔色が悪く、意識は無く、全身随分と小さくなりどんどん思い出に残っている母親のイメージから遠ざかっていく。
私もいずれこの母親と同じ顔になっていくのかと何だか実感が無いでもない。
今回の手術をして径管栄養になれば、食べ物でむせり、肺炎を起こす
心配が少なくなる。
兄夫婦も3食病院に出かけてその都度母親に食事を食べさせる苦労も無くなる。
ただし自動的に咀嚼する動作がなくなるので脳の衰えに繋がる。プラスと-両面同居だ。
夜実家に戻り実の姉と兄と兄嫁と食事をしながら話し込んだ。
姉は日帰りで神奈川へ戻って行った。
残った私と兄夫婦と話が続き、気が付いたら夜中の2時半ではないか。
慌てて寝たが、何でも話が出来る兄妹であったので充実した時間であった。
こんなの随分久し振りのことで、子育て中は出来ないことである。
翌日父親のお墓参りをして、自分が手伝いをして作った菊をお墓に手向けた。
母の様子を病院に見にいき、昨日より顔色も良くなったので
又兄夫婦に託し、長野へ帰るために電車に乗った。
往復の乗車では、5ヶ月ぶりの電車だが、段々都会に近づくに連れ
空気の悪さを体が感じる。
しょうがないではないか、冷涼な気候の山の麓に住んでいるのだからと思うが、それほど私は長野の人間になったということか。
乗り継ぎ、乗り継ぎで、富士見駅に到着するがフエーン現象とかで
途中はべたっとした湿気で暑かった。
富士見駅に着いたら、途端に木の香りが鼻につき思わずうーんと深呼吸してしまった。
動物病院から犬を引き取り車に乗せ帰る途中、吠えまくる1匹が何と声が嗄れてしわがれ声で吠えるが、それがおかしくて笑ってしまった。
先生は人の気配がすると吠えていましたよとおっしゃったが、多分吠えまくってこの声になったに違いない。聯
たった2日間の犬とのお別れだったのに、家に着くと犬たちは嬉しそうに家中走り回り、いつも寝ているソフアーに全身をこすりつけ
ている。
それなりにストレスを感じたのだろう。
久し振りの実家への帰省だったが、電車に乗り、沢山の考える時間があり、環境が変わり、退職し、自分自身が様変わりしたが、この原村に越してきたことを素直に喜べる自分が居ることを感じた。
実家があること、いつでも帰ることができる場所であるが
この年になって自分の落ち着く場所があることが何より大事なのだなぁと。
92歳になる長期入院中の母親がいると、実家からの電話は、さては
具合が悪いのか、それとも悪い知らせ?といつも心が騒ぐ。
のんびりした兄の話の出方からああ良かったと胸をなでおろすことが何回あったことか。
今回はやはり具合が悪く、人工栄養に切り替えるための手術になるというので、実家に帰ることにした。
さあそれからはインターネットを駆使して電車の時間を調べる。
何と言ってもこの3月に長野県へ引越ししてからは電車に乗るチャンスがなくなった。
どこへ行くにも車である。
しかし長野県から千葉の銚子まで行くには約8時間のドライブである。
それも犬2匹を乗せて・・・。
車が嫌いで吠えまくる犬を連れてでは負担が大きすぎる。
そのため動物病院へ宿泊をお願いすることにした。
しかし出かける前日は病院は休診となっている。
当日出かけては、手術に間に合わない。
何度も兄とやり取りして、手術が終わったあと到着になることの了解をもらい、準備をした。
朝一番で動物病院に到着して犬を預け、中央線の富士見駅から電車に乗る。
ここでも運のよさでたった一台、駅の無料駐車場が空いていて幸運を感謝して電車に乗る。
それからは中央線、総武線、総武本線の乗り継ぎで6時間後銚子に着いた。
ハハの手術は熱も下がり順調に終わっていた。
久し振りに見る顔は黄色実を帯びて顔色が悪く、意識は無く、全身随分と小さくなりどんどん思い出に残っている母親のイメージから遠ざかっていく。
私もいずれこの母親と同じ顔になっていくのかと何だか実感が無いでもない。
今回の手術をして径管栄養になれば、食べ物でむせり、肺炎を起こす
心配が少なくなる。
兄夫婦も3食病院に出かけてその都度母親に食事を食べさせる苦労も無くなる。
ただし自動的に咀嚼する動作がなくなるので脳の衰えに繋がる。プラスと-両面同居だ。
夜実家に戻り実の姉と兄と兄嫁と食事をしながら話し込んだ。
姉は日帰りで神奈川へ戻って行った。
残った私と兄夫婦と話が続き、気が付いたら夜中の2時半ではないか。
慌てて寝たが、何でも話が出来る兄妹であったので充実した時間であった。
こんなの随分久し振りのことで、子育て中は出来ないことである。
翌日父親のお墓参りをして、自分が手伝いをして作った菊をお墓に手向けた。
母の様子を病院に見にいき、昨日より顔色も良くなったので
又兄夫婦に託し、長野へ帰るために電車に乗った。
往復の乗車では、5ヶ月ぶりの電車だが、段々都会に近づくに連れ
空気の悪さを体が感じる。
しょうがないではないか、冷涼な気候の山の麓に住んでいるのだからと思うが、それほど私は長野の人間になったということか。
乗り継ぎ、乗り継ぎで、富士見駅に到着するがフエーン現象とかで
途中はべたっとした湿気で暑かった。
富士見駅に着いたら、途端に木の香りが鼻につき思わずうーんと深呼吸してしまった。
動物病院から犬を引き取り車に乗せ帰る途中、吠えまくる1匹が何と声が嗄れてしわがれ声で吠えるが、それがおかしくて笑ってしまった。
先生は人の気配がすると吠えていましたよとおっしゃったが、多分吠えまくってこの声になったに違いない。聯
たった2日間の犬とのお別れだったのに、家に着くと犬たちは嬉しそうに家中走り回り、いつも寝ているソフアーに全身をこすりつけ
ている。
それなりにストレスを感じたのだろう。
久し振りの実家への帰省だったが、電車に乗り、沢山の考える時間があり、環境が変わり、退職し、自分自身が様変わりしたが、この原村に越してきたことを素直に喜べる自分が居ることを感じた。
実家があること、いつでも帰ることができる場所であるが
この年になって自分の落ち着く場所があることが何より大事なのだなぁと。