昨夜もと勤務先の友人から音楽のデーター便が届いていた。
先日のブログに、いちご白書をもう一度やなごり雪が大好きだと書いたらその友人がPCにそのメロデイーを届けてくれた。
感謝感謝、で早速保存し、夜中に聞いた。
涙が出た。
いちご白書をもう一度のあの歌詞は自分の世代に通じる詩で、長髪がはやり男の子は就職するときにばっさり切ったものだ。
大学紛争、フオークソング、その後のビートルズ、グループソング
あの時代に青春時代をすごしたものにとって、いちご白書のメロデイは胸をえぐられる。すぐあの時代に戻れる。
忙しい青春時代をすごし、団塊の世代は就職しても追いつ追われつ仲間と戦い、そうして社会に貢献し今やその仕事先から離れる時が来た。
音楽はすごい。
日常生活で思い出せといわれても、絶対思い出すことの出来ない過去の自分がこうして瞬時に過去へ戻れるのだ。
秊友人には感謝、感謝。
いつも自分が彼の辛い時の力になっていると思っていたのに実は、そうではない。
私がこうして仕事を終え、遠い離れた何の縁もない場所で暮す時に
感じる寂しさ、先行きの心細さ、体への不安、冬越しの不安などに折々送ってくださった音楽がそれを救ってくれた。
今日も朝FM長野を聞きながら台所で仕事をしていたら、大好きな南こうせつのパーソナリテイの番組が始まり、ゲストが青木真理子さんだった。
彼女の歌声にはフアンも多いが最近アルバムを出した。
その話題に触れ、北山修に会った時に勧められて作曲した曲目をアルバムに何曲か入れたそうだ。
あの愛をもう一度とかイムジン川とか懐かしい北山修のあの時代の曲が流れた・・・・。
そして番組の中で電話が通じて北山修が登場した。
歌手から京都で精神科の医者になり、いま九州大学の精神医学の教授になっている。
毎週土曜日永六輔の土曜パーソナリテイでいつも聞いていた番組だが
時々北山修が登場していた。
自分もその当時会社で精神医学に関したメンタルヘルスの仕事が中心だったので北山修の話はとても身近に感じ、全くその通りと拍手したくなる学説をするりと話し暫くその話の内容は心の中に長く残っていたものだ。
土曜日のある日思いがけなく、ラッキイ!と思えるほど北山修は登場してきた。
番組への登場は一年に数回しかないのに運よく聞けたのだ。
大学教授になったためもう話が聞けるチャンスは無くなったと諦めていたのに、今日も思いがけなくいい話が聞けたのだ。
団塊の世代は長い旅をして来た。もう落ち着き場所を見つけてゆっくりとしても良いのではないかと言っていた。
そうなんだ、南こうせつも還暦、北山修も同世代。みんなその時代を生きてきたんだ。
昨日、今日と音楽というものからこれまで知らず知らず貯まっていた疲れが抜けたような心が得られた。
休日とはかくあるべきものなのだろう。
散歩の途中で見つけた踊子草と昨年より咲くのが遅い水仙の花だが、信州にも確実に春が近づいている。
先日のブログに、いちご白書をもう一度やなごり雪が大好きだと書いたらその友人がPCにそのメロデイーを届けてくれた。
感謝感謝、で早速保存し、夜中に聞いた。
涙が出た。
いちご白書をもう一度のあの歌詞は自分の世代に通じる詩で、長髪がはやり男の子は就職するときにばっさり切ったものだ。
大学紛争、フオークソング、その後のビートルズ、グループソング
あの時代に青春時代をすごしたものにとって、いちご白書のメロデイは胸をえぐられる。すぐあの時代に戻れる。
忙しい青春時代をすごし、団塊の世代は就職しても追いつ追われつ仲間と戦い、そうして社会に貢献し今やその仕事先から離れる時が来た。
音楽はすごい。
日常生活で思い出せといわれても、絶対思い出すことの出来ない過去の自分がこうして瞬時に過去へ戻れるのだ。
秊友人には感謝、感謝。
いつも自分が彼の辛い時の力になっていると思っていたのに実は、そうではない。
私がこうして仕事を終え、遠い離れた何の縁もない場所で暮す時に
感じる寂しさ、先行きの心細さ、体への不安、冬越しの不安などに折々送ってくださった音楽がそれを救ってくれた。
今日も朝FM長野を聞きながら台所で仕事をしていたら、大好きな南こうせつのパーソナリテイの番組が始まり、ゲストが青木真理子さんだった。
彼女の歌声にはフアンも多いが最近アルバムを出した。
その話題に触れ、北山修に会った時に勧められて作曲した曲目をアルバムに何曲か入れたそうだ。
あの愛をもう一度とかイムジン川とか懐かしい北山修のあの時代の曲が流れた・・・・。
そして番組の中で電話が通じて北山修が登場した。
歌手から京都で精神科の医者になり、いま九州大学の精神医学の教授になっている。
毎週土曜日永六輔の土曜パーソナリテイでいつも聞いていた番組だが
時々北山修が登場していた。
自分もその当時会社で精神医学に関したメンタルヘルスの仕事が中心だったので北山修の話はとても身近に感じ、全くその通りと拍手したくなる学説をするりと話し暫くその話の内容は心の中に長く残っていたものだ。
土曜日のある日思いがけなく、ラッキイ!と思えるほど北山修は登場してきた。
番組への登場は一年に数回しかないのに運よく聞けたのだ。
大学教授になったためもう話が聞けるチャンスは無くなったと諦めていたのに、今日も思いがけなくいい話が聞けたのだ。
団塊の世代は長い旅をして来た。もう落ち着き場所を見つけてゆっくりとしても良いのではないかと言っていた。
そうなんだ、南こうせつも還暦、北山修も同世代。みんなその時代を生きてきたんだ。
昨日、今日と音楽というものからこれまで知らず知らず貯まっていた疲れが抜けたような心が得られた。
休日とはかくあるべきものなのだろう。
散歩の途中で見つけた踊子草と昨年より咲くのが遅い水仙の花だが、信州にも確実に春が近づいている。