信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

音楽の効果

2008年03月30日 18時51分34秒 |  日記
昨夜もと勤務先の友人から音楽のデーター便が届いていた。
先日のブログに、いちご白書をもう一度やなごり雪が大好きだと書いたらその友人がPCにそのメロデイーを届けてくれた。
感謝感謝、で早速保存し、夜中に聞いた。
涙が出た。

いちご白書をもう一度のあの歌詞は自分の世代に通じる詩で、長髪がはやり男の子は就職するときにばっさり切ったものだ。
大学紛争、フオークソング、その後のビートルズ、グループソング
あの時代に青春時代をすごしたものにとって、いちご白書のメロデイは胸をえぐられる。すぐあの時代に戻れる。
忙しい青春時代をすごし、団塊の世代は就職しても追いつ追われつ仲間と戦い、そうして社会に貢献し今やその仕事先から離れる時が来た。
音楽はすごい。
日常生活で思い出せといわれても、絶対思い出すことの出来ない過去の自分がこうして瞬時に過去へ戻れるのだ。

秊友人には感謝、感謝。
いつも自分が彼の辛い時の力になっていると思っていたのに実は、そうではない。
私がこうして仕事を終え、遠い離れた何の縁もない場所で暮す時に
感じる寂しさ、先行きの心細さ、体への不安、冬越しの不安などに折々送ってくださった音楽がそれを救ってくれた。

今日も朝FM長野を聞きながら台所で仕事をしていたら、大好きな南こうせつのパーソナリテイの番組が始まり、ゲストが青木真理子さんだった。
彼女の歌声にはフアンも多いが最近アルバムを出した。
その話題に触れ、北山修に会った時に勧められて作曲した曲目をアルバムに何曲か入れたそうだ。
あの愛をもう一度とかイムジン川とか懐かしい北山修のあの時代の曲が流れた・・・・。
そして番組の中で電話が通じて北山修が登場した。
歌手から京都で精神科の医者になり、いま九州大学の精神医学の教授になっている。

毎週土曜日永六輔の土曜パーソナリテイでいつも聞いていた番組だが
時々北山修が登場していた。
自分もその当時会社で精神医学に関したメンタルヘルスの仕事が中心だったので北山修の話はとても身近に感じ、全くその通りと拍手したくなる学説をするりと話し暫くその話の内容は心の中に長く残っていたものだ。
土曜日のある日思いがけなく、ラッキイ!と思えるほど北山修は登場してきた。
番組への登場は一年に数回しかないのに運よく聞けたのだ。

大学教授になったためもう話が聞けるチャンスは無くなったと諦めていたのに、今日も思いがけなくいい話が聞けたのだ。
団塊の世代は長い旅をして来た。もう落ち着き場所を見つけてゆっくりとしても良いのではないかと言っていた。
そうなんだ、南こうせつも還暦、北山修も同世代。みんなその時代を生きてきたんだ。
昨日、今日と音楽というものからこれまで知らず知らず貯まっていた疲れが抜けたような心が得られた。

休日とはかくあるべきものなのだろう。
散歩の途中で見つけた踊子草と昨年より咲くのが遅い水仙の花だが、信州にも確実に春が近づいている。

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食器への思い入れ

2008年03月29日 17時25分36秒 |  日記
さあ、土曜日は忙しいのだ。
明日の畑作りのために今日は外回りに徹する。
信州へ来て1年、周りに溶け込もうと努力しすぎたあまり、むさくるしいおばさんになった。
外見も、内面の知識も、無理せず自分らしくなろうと1年経った今そう思える。
午前中、猛スピードで洗濯や掃除に明け暮れお昼過ぎ、あほ犬たちを散歩させて疲れさせその隙に出かけることにした。
明日は西から天気が崩れるというが、気温はいまいち低いがそれでも春の陽気になった。
出かける先はこの秋知り合いになった、北杜市の大泉の陶芸作家が長坂町で陶芸展を開いているのでそこを訪ねていくのだ。
車で40分くらいの距離なのでどうせ行くなら春の景色を感じ取ろうと
いつものコースを選ばず、南アルプスの甲斐駒ケ岳をじっくり見ながら田んぼや民家を見ながら。
ああ、山梨は春が来ている、信州はすぐ隣なのに、まだ半月は違うと景色の中で感じるばかりだ。
梅の花は満開で、道端の草は青々と伸びている。
気温もずっと原村より高く、暖かい日差しにうっとりする。
山の木々も芽を葺き、車から降りて歩きたい気分にさせられる。

長坂町の町のギャラリーのおいでやと言う展示場に高橋さんは作品を展示して何人かの見学者を相手にしていた。

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いつもの作業服と違い、チェックのシャツとチノパンのスタイルなので
本当は若いのだ。笑顔が明るく若々しい。

冬に頼んでおいた湯飲みが出来上がっていた。
展示されていた中のご飯茶碗が気に入った。
歳を取ったら食器にこだわりが出てきた。
信州という生産地のためか塗り物を買い集めるようになった。
木曽漆のお椀を買ったらそれに見合う飯茶碗が欲しくなった。
暫くの間高橋さんと話し、茶碗と湯飲みを包んでもらいおいで家を出た。


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帰りに富士見高原の鉢巻道路にあるヒルサイドホテルの日帰り温泉による。
冬になり雪が積もってからこの道路は滑って危険なので温泉は諦めていた。
丁度4ヶ月目でこの上質な温泉に入れた。
あまり長湯をしたのではないのに、お湯から上がったら気分が悪くなり湯当たりした。こんなの初めて・・・。

血の気がうせた顔でこれではいけないと、夕食に手作り梅酒をワイングラスに一杯飲んでみた。
又もや炬燵で沈没。
渡辺えりの面白そうな土曜サスペンスはほとんど眠っていて気が付いたら別な番組になっていた。
このまま寝てしまおうと思ったが、昨夜のWiiのトレーニングを始めた。
今度は昨夜よりスコアーが良く新しいメニューが加えられたので辞められなくなり、それに挑戦した。
早めにやって来た筋肉痛で、ジョギングは1回でパス。
あれもこれもとステップボードの上で歩いたり、ステップする。
これはテレビの画面上に自分の似顔絵が出て観客がいて、トレーナーがいて見ながらトレーニングをするので面白くてたまらない。
30分はすぐに過ぎ行き、昨日と同様の体力年齢を保ち、土曜日のスケジュール総てこなし、満足しながら眠りに就いた。





金曜日の気持ち

2008年03月28日 16時08分44秒 |  日記
金曜日の夜はたまらなく嬉しい。
その日の役割は午前中は健康診断の問診何十人か、その後前日の結果報告書のチェック、(これが何とも重たい仕事だ)午後は本日受診者の健診結果の結果の総点検、問題ありの人の紙面での指導表をPC画面から総てアウトプットし、続いてドクターが結果の説明をした後の生活指導、
これが何人も何人も続けて片っ端から指導していくが何故か私の前に来て座る受診者は長っ尻で、有難いことだがこんな話始めて聞きましたとか言う。
こちらも私の指導で生活が改善しその結果、これまで長いこと抱えてていた悪いデーターを改善する方向に本人が気持ちを変えてくれるならば
遣り甲斐があるというものだ。
けれどどうしてもそのためには時間がかかり、ありきたりの注意指導のパターンでやれば時間は早いが改善することには繋がらない。
受診者は健診の後は医者や保健師に怒られるから嫌だと99%が思うことだからそうであってはいけない。
幸いに前の勤務先で徹底的に社員の相談に乗ってきたので、これが今別な勤務場所に来たら、とても役立つ。
その生活指導を続けて何人も行い、その後何種類かの指導記録を済ませる。
これが手書きで、同じような内容を何枚も書き、要精密検査の人には
紹介状を作成する。これも何枚も書き込む用紙がある。
だから指導して、その後記録に追われると、その日の集計を出して終了するとどうしても時間外に突入している。
記録を簡略化すると自分のプライドに反する。
という訳で金曜日だがいつも時間外勤務をして帰宅する。
家に帰ると嬉しいから、あほ犬たちに向かってただいまぁ、1週間が終わったよ~、明日から休みだ!と声を掛ける。

その夜は食事時に、純米真澄のあらばしりをワイングラスに1杯飲んだら
沈没した。
夜中に起きて目が覚めてこんな嬉しい夜に早く寝ては勿体ない(とっくに夜が更けていたが)先週購入したWIIのトレーニングを始めた。
先日息子の家でこの任天堂のWii fitを試した。ヨガを行い、バランスと体力のチェックをしたところ、あららら・・体力年齢が75歳と出た。
毎日仕事で、健康診断を受けた受診者に向かって運動しましょうといい続けているこの当事者がこの始末だ。
一年発起して早速器械を購入し、息子がスキーに来た帰りに寄った際セットアップしてくれる幸運がやって来た。
夜中に、というか次の日になったが、バランスボードに乗り、有酸素運動を30分行なった。
途中で汗がたらたら流れ始める。
なんだかこんな一枚の板の上で運動するなんてと思ったのが悔やまれる。
30分経った後体力年齢をチェックしたら44歳に改善した。
お陰で体がほかほかでお布団に入れた。
明日は土曜日だから少しくらい朝遅く起きても罪にはなるまい。
その後確実にやってくるのは、ふくらはぎの筋肉痛は間違いないだろうね。輦


懐かしい時代

2008年03月26日 21時55分18秒 |  日記
森田公一とトップギャランの青春時代
南こうせつの神田川
ばんばひろふみのいちご白書をもう一度
大好きな曲のトップスリー


何気なくチャンネルをNHKから変えたらあの思い出をもう一度、昭和の名曲なる番組で
ううう・・・・あのなつかしのメロディーに胸が揺さぶられる。

神田川は学生紛争の後の貧乏な時代に大流行した。保健師の国家試験の
会場は学生紛争でバリケードが張られ会場は国士舘に移った。
東大紛争で亡くなった樺みち子さん、同年代だ。
よど号事件、浅間山荘事件、赤軍派韓国へ脱出と続く。

子供たちが3歳の頃は北の国からが連続ドラマで始まり毎週楽しみにしていた。
長いドラマだったから子供たちの成長に通じている。

恋に落ちてのあの住宅街は住んでいた中央林間の隣の街が舞台になった。
イルカのなごり雪。
胸の中がえぐられる曲はいくつか残っているものだ。
何故か最近はなつかしの映画音楽と共に、メロデイと共にその当時の
出来事はふっと忘れ去っていたはずなのに蘇って来る。


話題満載

2008年03月22日 22時32分44秒 |  日記
春が来た八ヶ岳と南アルプス
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熱が下がり、気分良く出勤した。
諏訪湖に向かって通勤バイパスをハンドルを握っている時は人間時には熱を出して毒素を体の中から出すと後がぐっと体が健康に戻れるのではないかと思ったが・・・・・・勘違いだった。

健診業務に就き時間と共に体調がぶり返す。咳き込み鼻水ビショビショをマスクでごまかし午前中危くセーフ。
午後は松本の金融機関へ行く予定で午後休を取っていたが、脳みそが腐っているので役に立たず、方向転換し違った用事を済ませることにした。
まずは欲しい本が買いたいので本屋へ。
思わぬ時間を過ごし、風邪薬をのまなくてはならぬので、迷った挙句いちばん食堂という定食屋へ入る。 
焼き魚定食を食べていたらオールデイズの曲が流れていて恋の片道切符
やブレンダリーの歌声に一気に中学生から高校時代のあの頃に戻った。
そういえば高校時代はハリウッド全盛時代で頭の中では、鉄道員やクワイ河マーチやシェーンカムバックや夢中になった曲が沢山あった。
焼き魚と映画音楽、オールデイズ何とも変な取り合わせ。

その後犬たちの食料品とおやつを買い込み明るい陽のあるうちに帰宅した。途中原村役場で印鑑証明を取り寄せたが待合で絵本があったので手にした。
河童の川太郎の懐かしい絵本。碌に文字も無い絵ばかりだが面白かった。

明るい時間に帰ることの無いので犬が大狂乱。
長い長い散歩に出かけるが久し振りに暖かい日差しで、朝雪が舞ったとは思えない。
行く先々でふきのとうが綺麗な黄緑の顔をのぞかせていた。
春は一気にやって来たのだ。

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足を伸ばしこの6ヶ月手伝った菊作りのハウスまで行ってみた。
畑はまだ何も植えられていないので広々として、あのすさまじかった菊作りの日々が蘇って来た。
もう2度と出来ない貴重な経験だった。

1時間半の散歩かが終わるともう5時を過ぎていた。大分日が長くなった。

メールを開けると、もと勤務先の友人から訃報のお知らせが届いていて
思わぬ人が亡くなったことに大のショックを受けて暫くぼうっとしてしまった。
まさかのこと、まだ58歳ではないか。
わたしが退職して信州へ移住するのを羨ましいと言っていた。
その夜は明るすぎるくらいの大きな満月で煌々と闇夜を照らし、その月にご冥福をお願いした。
夜になって宅急便が届き実の姉から高知の分担とポンカンが送られてきた。
                  
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おすそ分けに昼間の菊作りの家に持っていったら、アネモネの花束を頂いてきた。たった半日の休日だったが、盛りだくさんの出来事があった。
風邪は治らず、次なる症状へ移行し、まるで男のように変わってしまった声と、底なしに出る洟と喘息のような咳にすっかり汚らしい顔になってしまった。


よろよろ・・・

2008年03月20日 14時57分54秒 |  日記
先週末横浜へ行き5月末の気温の中、美味しいものを食べ、マッサージを受けすっかり気分を入れ替えて元気良く原村へ帰って来た。
ところが、ところがだ。
すっかりエネルギーを放出してしまったらしい。
昨年引越してきて異文化の中で生活し、おまけに就職までしてしまいどの程度自分の活力を使って来たのかと気付かなかった。
どうにも大変だとは思いながらも毎日の生活に埋没し、マイナス思考にする自分が嫌いなのでいつも胸を張って1年間を過ごしてきた。
されど自分も人間、そうそういつまでも生き生きと格好良くいられるはずが無いことを思い知らされた。
この2年間高い健康保険料を支払いながら、保険証を使ったことが無いのがいつしか自慢になっていた。
そんなこんなで自分を侮っていた。
月曜日の午後から勤務中にやけに体が痛い。まさか熱が出るなどとは夢にも考えないので通常通り働いて帰った。
食事が夜食べたくない。
熱を測ったら38度ある。体が全身痛むだけで他にどうってことが無いのだが、お風呂にだけは入る勇気が湧かず寝た。
朝起きる時熱を測ったら37.9度ある。声が変わり寒気がするが今日は1泊人間ドックの担当を2日間持っているので、頭の中で注意信号が出た。
しょうがない気力で頑張ろうと出勤する。
鼻水くしゃみや声変わりでまともに相手に向えないので、マスクをしてごまかした。


同僚の心あるものはもう帰ったらというが、肝心の上長が無関心。
そういう人らしいので張り合って帰らないことにした(後で考えたらばかばかしいことだった)
何と、就業後健診センターの定期ミーテイングにまで出席し帰宅するが
その頃はもうへろへろ。
帰宅しての熱は38.3度。何もかもやる気が無いが犬たちにご飯を上げ彼らが散らかした部屋の中をへっぴり腰で片付け、最後に炬燵に沈没した。
暖かいコタツの中だが寒いわ寒いわ、それでも動けず11時ごろ観念してベットに寝た。
明けて、お彼岸の20日は雨模様で天気が悪いと聞いていたが、朝外をのぞいたら、まさかの雪景色ではないか。
暑さ寒さも彼岸まではこの地方では通じない。
降り積もった雪が屋根から時折落ちてくるがその物音で
、あほ犬たちが吠えるは吠えるわ、うるさいし、寝ている私の部屋の戸を足で開けろとガシャガシャそれも耐えられない。
昨日処方してもらった薬はなかなか効き目も遅く、まだ熱も下がらず
だみ声で部屋の中は気温はそう下がっていないのにストーブを2つ燃やしているがそれでも寒い。
お昼過ぎ炬燵に入ったがもうここから1センチも動きたくない。
返す返すも具合悪いと思ったら、休むに限る。私はあまりにも周囲に気兼ねをしてしまった挙句この始末だ。

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気分が悪いもてあまし気味の体だが、お昼前に最近友人になった女友達が電話して来た。何だか共通点の多いこの友人と話すととっても気持ちが軽くなった。
その直後、実家からお彼岸だが帰らない私に電話があった。姉が帰っているので傍に声が聞こえる。
私の変わり果てただみ声に兄はびっくりし又もや一人で遠く離れて生活する妹に心配が増した様だ。すみません。


これから春に向かいあのすばらしい季節に花が次々と咲く。
こちらの自然と向かい合い、これまで都会では知ることが出来なかった日々を送ることが出来るのかと思うと今へこんでいる自分をまた前向きになれる良いお薬になる。



すばらしきかな休日

2008年03月16日 22時50分30秒 |  日記
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15日の土曜日はいつもの通勤の朝と同じ時間に家を出て、中央道原のバス停から高速バスに乗り息子の家に出かけた。
私の誕生日のお祝いと息子の結婚のお祝いを兼ねて横浜うかい亭で食事会をするためだ。
昨年も還暦祝いで娘も一緒に4人で豪華な食事を楽しんだ。
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これまでの寒かった日々は消え去り、横浜は春真っ盛りで、梅は散り際だし桃や椿が満開だったので確実に原村と1ヶ月の季節の差を感じた。
庭園や建築様式や家具調度がすばらしいもので、別世界に入っていく。


食事が終わりなつかしの中央林間の町を散策し、買い物を済ませあまりにもくたびれた体をマッサージしようと嫁と一緒によだれをたらして至福の時間を過ごした。
美味しい食事を食べて、その後マッサージとは最高の体には過ごし方だ。

息子の家を車で送られ原村に朝の5時近くに戻って来た。
留守番、置いてけぼりの犬2匹が興奮して出迎えてくれたが、まさかのそこには息子夫婦がいたのでさあ大変!
それからは大騒ぎ、去勢して太ってしまったミルキイを見てヨメは泣きそうになる。
くびれた黄金のわき腹のミルキイは消滅し、ドラム缶か箱型のボックスカーになってしまった。
明け方ようやく全員と2匹が寝静まった。
さて、日曜日の今日はゆっくりとブランチ、食後の眠さとけだるさを我慢して、全員で春の陽気の八ヶ岳を見ながら散歩に出かけた。
しかし時間が足りない・・・・・。
次なるは北杜市のUさんご夫妻のお宅を訪問。
ここではご夫妻が東京の自宅で2週間のモンゴル人のホームステイの受け入れをした経験談を聞く。
国民性というか、個人の特質というかあまりにも非常識なモンゴル人の滞在の事件の数々を伺い一緒に腹を立てた。
いつもUさんのお宅に伺うと大泉の森の中の家の雰囲気にすっかり飲み込まれてしまう。
次はさくらの咲く頃にまた集会をしようと約束して薄暮の道を帰宅する。
道端にはようやく春を告げるクロッカスの花が咲いて先日の福寿草といい春先に咲く花は見た途端心から嬉しくなる。
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2日間、中身が濃い明日からの毎日が元気になれる時間を過ごした。
横浜へ帰っていく息子たちと途中で別れた時の寂しさはいつものことだが。
自分達の生活がきちんと出来上がっているのだから数時間は寂しさと同居する。



time to say goodbye

2008年03月14日 22時38分20秒 |  日記
                    

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今週は1週間みっちり働いた。
雪が降ったり気温も不安定で、粗大ごみ、資源ごみと出遅れてはいけない闘いの日が続いた。
そのため寝不足の日が続いたが早くも週末に近づいた。
帰り際にエンジンを掛け、CDを聞きながら帰ろうとスイッチを入れた。
流れてきた曲に突然胸がきゅんと縮んだ。
娘が大学2年か3年の冬、一緒に厳冬の北海道へ旅行をした。
娘も私もそれぞれ悲しい心を抱えきれくなった頃だった。
職場でも家庭でも行き場が無く、パンク寸前で、格安の真冬に息子の勧めで旅に出た。
札幌から小樽へ列車に乗った。
雪が降る寂しい日本海に沿って荒れた海を何とも無く眺めていたら
娘が耳にイヤホンを入れてくれた。
美しい曲が流れてきて、窓の外の景色とその曲がぴったり合い、暫くぼんやりと聞いていた。
初めて聞いた曲だが娘が教えてくれたSarah Brightman。
曲はtime to say goodbyeという。

その美しい歌声は私の心に入り込み、あの寂しい雪が降り風が吹きすさんでいた日本海の海が焼きついた。
その後通常の人生では経験できない出来事を数年かかって乗り越えてきた。勤めていた会社も退職した。
八ヶ岳の麓の村へ引越しして来て今日で丁度1年目を迎えた。
春から夏へ季節が移り野菜を作り、菊作りを手伝い、秋になって諏訪湖の傍の病院へ勤めた。
想像以上の冬の寒さと度重なる雪と車通勤の恐さを知り、今少しずつ春に向かっている。
自分としては相当頑張った1年であった。
流れてきたサラ、ブライトマンの歌は突然あの日本海の景色に引き戻させられ、娘との小樽の旅を思い出した。
子供たちと一緒に行った沖縄、九州、そしてハワイ。
子供たちはどんどん成長し、社会人になった。思い出は確かなものになって残った。普段は忘れて記憶のそこに深く沈んでいるが、今日のように突然浮上して胸がきゅんとなる。
上質な思い出とはそのようなものだと思う。






いくらなんでも・・・

2008年03月10日 22時51分25秒 |  日記
 
昨日までの2日間の休日はまさに春がそこまで来ているような思いになせられて幸せな期待感に溢れてお布団に入った。
さて月曜日・・・今日は2ヶ月に1度の粗大ごみの日なので早起きして
車に詰め込もうとカーテンから外のお天気をのぞいた。
ぎょえー   外は雪景色になっている。しかも激しくぼたん雪が降り車は雪をかぶって洗車した効果は2日間しか持たなかった。
昨日の今日お天気はがらりと変わり、やはり信用してはいけなかった。
ぼさぼさ降る中をまたあの2月の毎日雪が降る中こわごわハンドルを握り締めて運転した思いにすぐに戻ることが出来た。
昨日の福寿草は幻だったのか

明日は61歳の誕生日。
天気予報では又もや気温が上がり、暖かい春のような日がやってくるようだ。
この寒い地方に住んでいると何より気持ちの良い青空が天からのプレゼントに思えるようになった。
さあ今年の自分の1年間はどのような運が巡ってくるのか。
凶と出るか吉と出るか、そろそろ60歳も超えているのだから、幸せだなあ生まれて来て良かったなと心から思える日がやって来て欲しい。

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昨年の今日は子供たちから横浜うかい亭で還暦祝いをしてもらった。
素敵な素敵な、思い出に残る日だった。

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あれから1年が経ち、全く環境も生活も変わり、自分がどのように変化したのか、それだけはわからない。


春を見つけた

2008年03月09日 22時46分12秒 |  日記
信州での初めての冬を経験したが、この2月は家中がちがちに凍っていた。ついでに自分も体が硬くなり、親を亡くしたため心まで凍っていたような気がする。
今週の週末は気温がぐんと上がり、洗濯や布団干しで忙しかった。
家の周りが雪だらけなので洗濯物はおろか布団を干すなど論外で考えることも出来なかった。
けれどマイナスの気温から解放されると畑はしょうがないが、周りの雪は解けていく。
今日も泥団子になる覚悟で犬の散歩に出かけた。
昨日よりずっと長いコースで、退屈しきっていた犬たちは文句も言わずせっせと短い足で歩く。
八ヶ岳は標高の高い阿弥陀岳や横岳は雪が一杯だが、麓付近は紫色に変化し始め、木々の芽吹きを待っているような気配がする。
歩いている途中で汗をかきあつくなるが、あの震えていた寒さをこのような気温が上がり始めると途端忘れかけるのは一体何なのだ?

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道端で福寿草の花が咲いているのを見つけた。
昨年12日に引越してきたが、そのころはまだこの花は咲いていなかった。
雪が例年より多い年だというが、春の花が咲き始めるのが早いのは何だか良くわからない。
こんな馬鹿陽気であっても昨年などは4月18日に雪が降って驚いたのだから、まだまだ信じてはいけないと疑っている。
その後、小淵沢のリゾナーレに買い物に出かけ、傍にあるスパテイオ
で温泉に入り、暫くぶりに青空を見ながら温泉に浸かった。
露天風呂の傍の木立にふと気が付くとねこやなぎが白いつやつやとした芽を出していた。


休日とは

2008年03月09日 00時25分21秒 |  日記
 金曜日の夜はとても心が浮き立つ。
一人暮しだし、別段誰かと会う約束があるわけでもなし、家に帰ってあほ犬と顔を突き合わす時間を送るのだが何故か嬉しい。
こんな感情は以前の勤務先では考えなかった。
仕事がきついからとか嫌な仕事だからとかといったことではない。
兎に角、金曜日の夜は嬉しくて、何やかやまとまったこともせず、しかし寝る時間は遅くなり、翌日に廻ってから布団に入っている。
それだから月曜日に目が覚めたときはああこれから1週間!と考えると
長いなあと思うのだろう。

珍しく土曜日だが雪が降らず晴れ間の暖かい日差しのため3回も洗濯機で洗濯をし、お昼過ぎに犬孝行に散歩に出た。

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気の毒に犬たちは私が諏訪湖畔に勤務を始めたばかりにお日様に当たる時間に散歩に出ることを失った。
ただいまぁと夜帰ってきては懐中電灯をつけてショートコースで大急ぎの散歩をするのだから彼らも運動不足になってしまったに違いない。

雪景色の散歩はまぶしくて、膝まで雪にうずもり、日差しのみ春らしさを感じる。
しかし喜ぶ犬たちだが家に帰ってきた時は足も胸もお腹も泥だらけで
そのままお風呂に直行・・・。
泥団子になった犬は洗われてしょぼくれたぬれねずみに変わった。

その後今度は汚くなった車をシャンプーしようと諏訪に向かった。
セルフサービスのカーシャンプーは順番待ちで行列をなしていた。
中央林間時代はカーシャンプーのお店を知らないで自分の家の庭先でいつも磨いていたから今回10年ぶりくらいのものでどきどきし、シャンプーが始まり車の中にいたらめまいがするほどだった。
シャンプーが済んで車を磨き上げたら、自分の車かと疑うほど美しく蘇った。
あまりにもこれまで雪道を走り汚いのに慣れてしまっていた。
だから後ろのバンパーをぶつけても落ち込まずに済んだのだ。
私の車は本当は綺麗なのだ。
まだ買って3年に満たないのだから当たり前だが。寧


へとへとです

2008年03月06日 22時50分31秒 |  日記
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春が近づいているのではないかと期待していたが、昨夜はかつての寒さを肌で感じた。朝起きたらガラス戸はバリバリに凍っていた。
気温はマイナス10度である。
まだ信州は春は遠いなぁぁぁ。

職場へ出ると同僚は1人休みと。
ま、それはそうでと働き始めたところもう一人の同僚から親が急に亡くなりこれから帰るから1泊人間ドックを替わってと言われ、それから
一騒動。
いきなり準備もなく7人のドックを2日間預かりそのほか全部で91人の健康診断の受診者をたったの3人のメンバーでさばいて行くにはあまりにも人数不足だ。一人で3人分動き回っても追いつかない。
けれど受診者を帰すわけにはいかない。
ありったけの脳みそを絞り汗を1リットルくらいかき、何とかドックのスケジュールに放り込み、魔の午前中が終わった。
午後も一人で2役こなし、午前中受けた健診の受診者の保健指導と山盛りの書類を書き終えたら夕方の残業時間に入っていた。
係長がこんなことよくあるのよと軽く言いそれを聞いた私はびびった。
たった3人で1日をこなしていくには無理だらけ。
準備もなく受診者には十分なサービスも出来ず、汗をかきながら吹っ飛びまわっての仕事は全く予測していなかった。
それなのにこんなこと良くあるのよと言われては、私としては超不満。
と言って就職して5ヶ月あまりでやめるわけにはいかない。
もう少し様子を見よう。
帰ろうと駐車場へ向かう途中の田んぼの傍ではすっかり雪も解けて
緑の草がいつの間にか生えていた。
しかもおおいぬのふぐりが青い花を咲かせていた。
この花が咲くと春がやってくるとずっと子供のころから信じていた。
マイナス10度であろうと諏訪は春がそこまでやって来て、諏訪湖の氷も解け始めた。

原村へ帰って来たが、またそこは別世界、雪景色で、道路は雪の壁が厚く、まだまだ黒い地面を見れるのは大分先のことになるのだろう。


環境が変わって

2008年03月01日 23時24分11秒 |  日記
3月に入ってしまった。
2月は飛ぶように過ぎ去ってしまった。寒くてたまらないから早く春が来ないかなぁとは思う。
年越し蕎麦を食べたのがついこの前なのに、あれからカレンダーを2枚も破ったのか・・・。
原村の住民も今年は異常な年だ、こんなに雪が降る年は珍しいと言い、雪が凍ったまま解けない上にまた更に降る日が続く。
マイナス10度とか15度とかに慣れて、今日も雪か・・・と内心恐れつつ通勤していたが、いやぁもう3月とは!
昨年の今頃は引越し準備を始めてたものだ。
人生、覚えている限りではもっとも短い1年間と思った年になった。

原村へ来て生活始めたがその違いを考えてみた。

<失ったもの>
娘との生活 都市銀行 電車での通勤 電車の中の読書の時間 暖かい冬のひだまり おしゃれしたいと思う自分 香りを楽しんだ自分 スカートをはく日 かかとの高いパンプスを履く場所 喫茶店でお茶を飲む日 おしゃれな洋服 便利だった地下鉄 残業 家への持ち帰り仕事 タクシーに乗る日
高島屋や伊勢丹 映画を観る 友人とご飯を食べたり飲み会をする
電車に乗る 半袖の服を着る ウインドウショッピング しょっちゅう布団を干していたベランダ 近所の親切な山形さん 便利な眼科や耳鼻科 化粧品店 WOWWOW 衛星放送  観葉植物 蘭 多肉植物 
(全部凍死した) アクセサリーを身につける 一杯いた友人達
そうそう、毎月のお給料 梅林 散歩道 遊歩道 美味しいおすし屋さん ドンキホーテ ゴルフをする 骨密度 実の母親

<新しく得たもの>

八ヶ岳の景色 春夏秋冬の美しい景色 野菜作り 車通勤による緊張感 新しい友人 犬の散歩の時間 美味しい空気 病気をしなくなった体 早い時間の夕ご飯 新しい仕事 日焼けした肌 LAMPU・YA 
和窯 田舎暮らしのノウハウ 諏訪地域の景観 山菜採り きのこ採り 花作り 

これが都会と田舎暮らしの差というものか・・・。
11日でもうすぐ61歳になる。
60才を超えた自分など想像も出来なかったが、すでに通り過ぎてしまった。
今こうして雪がちらつく休日を過ごしていると、あの春先の暖かい日差しの中央林間の家の近所の梅の林が一番恋しく思える。
あの香りの中へ飛んで行きたいと思う。