信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

文化革命

2013年03月30日 11時19分28秒 | Weblog
3月末日で退職したがその翌日息子が訪ねてきた。
入院手術したあとなのでむしろ病後の快気祝いをしようということになった。

縛られていたものから解き放たれて乾杯したシャンパンがことのほか効き
睡魔に襲われる。
ところがはい、プレゼントと渡されたバッグと共に中に小さな箱が入っていた。
開けてみたところ、思わぬ代物が…

タブレット。

iPad miniではないか。
スマートホンも使っていない私がいきなりですか…

ムスメと二人で退職祝いと誕生日祝いにしたそうだが
それから使い方の特訓になった。
居眠り半分の母親がチンプンカンプンの頭にタッチの仕方もおぼつかず
初めてパソコンを教えてもらった時よりは僅かにはマシだが、余りにも便利な機能が
詰め込まれているので、教えられてもわかったふりをした。

PCとタブレットと使い分けをしようと思うが、短時間でタッチするだけで
多機能に入れるのは便利すぎる。
ついでにASKAのアルバムも入れてもらった。

退職した母親が急速に老け込まないよう子供たちの高い気遣いの賜物であり
これはなんとかして使いこなさねばならない。
職場で毎日歩いていた万歩に近い歩数も外へ出ないで家事に専念すると
大変まずいことになる。

考える力と体力と両方が今後の大事な毎日のノルマになった。 

    


卒業した

2013年03月29日 21時55分33秒 | Weblog
3月の勤務日最終日。
9時から辞令を貰い退職の挨拶を済ませた。
時間というものはちゃんと様々な複雑な気持ちを整理して
すっきりとしたところまで連れていってくれるものである。

昨夜仕事を終えて犬の散歩を済ませ家に入ったらあららら・・・・
ムスメ夫婦が来ていた。
多分私が寂しいと思ってのことだろう、花束とケーキを持ってのことだ。
シャンパンで乾杯し夕食を食べ、いちごのケーキを食べ終えたら
炬燵ではムスメ夫婦も犬たちも揃ってガス中毒で倒れているような風景で
爆睡している。
そして1時近く意識を取り戻し深夜に伊那の家に帰っていった。

66歳の人生の半分はこの職業の学生生活と続けた勤務で送ってきた。
これでやっと自由に使える時間を持てるということで同時に老人の仲間に
入ったということだ。
また新たなスタートだ。

    


婿からのユリの花と職場からの桜の花束で満艦飾



歌の力

2013年03月25日 23時01分51秒 | Weblog
五寒二温。
夕方空が暗くなったが雪が降り出した。
東京は桜が満開と聞くが、まだまだこの地方は油断ができない。

お天気も、自分の毎日もモチベーションが上がらないままだが
今夜、テレビでのSP番組で4時間、あなたが聞きたい歌の4時間スペシャル
とあり初めは何となく聞き流した。

安住アナウンサーの進行で年に1回くらいの割でこの番組を楽しむことが
出来ている。
30年や40年とは自分の青春時代や子育て時代の初めの頃だ。

いい歌が作られそれを聞きながら自分たちは一生懸命生きてきた。
若いときは周りを考えず、将来も読めず、ただ毎日をひたすらに生きてきた。

確かに貧乏な若い時を過ごしてきたが、今は豊かになり世間もそれなりに30代でマイホームをもつ時代になった。

歌を聴くことにより確かにあった忘れ去っている懐かしい自分の過ごしてきた日々を思い出す。
南こうせつとかぐや姫、加山雄三が歌う後ろに一番輝いていて
先も見えなかった青春時代を過ごした湘南の風景をはっきりと思い出す。

今でこそ信州へ移住し、毎日山々を見ながら暮らしているが、
20代は湘南、鎌倉、茅ヶ崎、平塚、小田原まで繰り出し遊んでいた。
長らく神奈川で暮らし、ハマっ子だった。
夏は日焼けし真っ黒に焼けることを競っていた。

過去を思い出すことを老化の現れと言われ蓋をするが、時々若いときの自分の未熟さを思い出すのも悪くはない。
今でこそアイドルはAKB48だが私の時代はグループサウンズだった。ジュリーだった。
歌を聴くといろいろ思い出しそして考え、元気をもたらしてくれる。
たとえそれが森繁久彌の知床旅情であろうと、千昌夫の北国の春であろうと何でもチカラをくれるのである。

    
   矮小の水仙が咲く


複雑な気分

2013年03月24日 23時12分52秒 | Weblog
今週あと4日すると人生最後の仕事を終える。
もう、後はない。
もうこれまで十分働いたではないかという気持ちと不思議にせめぎ合う気持ちとまぜこぜで
この1ヵ月を働いてきた。
ああこれで楽になれると思うのと毎日の違ったリズムを過ごすのと半々だ。

今日は伊那へ出かけまたもや建築会社と打ち合わせをする。
何度も繰り返し推敲を重ねかなり思うような間取りに近づいたが
まだまだ予算オーバーで、またもや来月に持ち越した。

今までのほほんと生きてきたのが毎回反省させられる。
打ち合わせを終えてムスメと初めて訪ねてみたイタリアンレストランで昼食をとった。
飛び込みだから掛けだねと言いながら、注文したパスタが予想外に美味しく、
日曜日の連ドラのディナーの厨房風景を思い出した。
これで新しくお気に入りのお食事処を手に入れた。

そのあとムスメに頼まれて庭の草花を春らしいものに植え替えたいと
これも初めての園芸店に行ってみた。
高遠に近いため道路際に植えてある小彼岸桜はもう開花も近く
あと1週間かな?という当たりでその頃はごった返しになることであろう。

園芸店も思いの外奥行きがあり、春の草花や植木類がびっしりと置かれ
ムスメは迷いに迷って花を選んだ。
丁度昨年の今日、アフリカから帰任し成田に着いた日だ。
1年も経つと、もう伊那の住人になり、庭に植える花を選んで悩んでいる。
人生はまことに先が読めないから面白いのかもしれない。
私のこれからも転換期に差し掛かっているわけであり、どうなるのか…

今日はムスメにもう増やすのはやめなさいと言われながら園芸店で
見つけてしまった多肉植物を手に入れた。
自分で思うにマニアの領域に入ってきたようだ。

ビオラや金魚草は買ったがいいが仕事を辞めてから
ゆっくり植えようとダンボールに入れたままになった。


  断崖の女王という珍しい多肉植物、ブラジル産
    
    ハオルチア 玉扇
   

ふきのとう

2013年03月20日 22時45分31秒 | Weblog
絶対に溶けないであろうと思われた凍った雪がなんとこの数日の雨で見事に溶けてしまった。
今日はお彼岸のお中日の有難い休日である。
午前中、庭に出て雪の溶けた庭を調べるが、チューリップの芽がいつのまにか出てきているではないか。
数日前までは雪の下で冷たい思いをしていたはずだが、植物は強い。

陽が当たる蕗畑でふきのとうが幾つも出始めている。
福寿草もふきのとうもいかにも春の訪れを最初に運んでくれるおつげの植物だ。

ふきのとうは今夜、天ぷらにしてそのほろ苦さを味わってみよう。
この緑色は冬枯れの色を失った庭で季節のはじめに見る色である。


 

小さな楽しみ

2013年03月18日 23時16分08秒 | Weblog
三寒四温ならぬ五寒二温くらいの毎日の気温差がここしばらく続いている。
なかなか春らしい気配が近づいてこない。
そんな中秘かな楽しみを見つけた。

この寒い凍りつく朝の台所の南向きの出窓に置いた鉢植えが少しずつ変化が始めた。
多分観葉サボテンの種類であろうが、それとも多肉類か
一枝挿し木をした所、小さな枝がつぼみを持った。
蕾と分かるまでは時間が掛かり、数ヶ月経った今赤く色づき
花が咲きそうなところまでこぎつけた。   

   

朝起きて台所に行くと一番先に、彼女にご挨拶をする。
よくぞ凍結せずにここまで育ってきたこと!

どこで手に入れたかわからないのだが、今春が来るときに真っ先に庭で咲き始めた
福寿草と共に毎朝楽しまさせてもらっているたまらなく可愛い小さな存在である。


       

東日本大震災 2年目

2013年03月11日 23時02分24秒 | Weblog
毎年、3月11日は晴れの日であることが気分を明るく持ち上げてくれる。
昨日までの強風と、生暖かい気温にはつい油断をしてしまったが
今朝起きて温度計を見たら、マイナス6度。

一晩で一気に20度は下がってしまった。
車は凍って、窓ガラスは霜で真っ白になっていた。

子供も含めて誕生日のメッセージが届いた。
仏様には今日まで生かされてきたことを感謝した。

職場では2時46分に院内放送があり東日本大震災で亡くなられた方々に
黙祷を捧げた。

夜、帰宅してテレビをつけたが追悼番組が大半で、
この2年間の復興状況を放送している。
そんな中、郡山に住んでいる高校時代からの友人から電話が入った。
懐かしい福島訛りで、やっと郡山の近所でも家の取り壊しが始まったという。
手つかずの状態から少しずつ順番が来たようだが、もう2年もかかってこの
ノロノロ状態で先が読めないという。
親戚も家族もどんどん歳をとってきて税金はこれから上がるし
生活費も苦しくなるし良いことないねとしんみりと語った。

高校時代のあのピチピチとした若さはどこへ行ってしまったんだろうね
と遠くに去った過去の確かにあったあの弾けるような年は幻のようだ。

昔母親から自分が生まれた時の話を聞いたが、福島の父親の実家で
大雪の降る3月11日の午後3時近くに生まれたのよ、それで陽子という名前を付けたのよ
と母は言った。
それから数10年経ち、同じ時間のこの日は誕生日どころではなくなり
毎年黙祷を捧げる時間へと変わって行ってしまった。



































変革をしようと思う

2013年03月10日 17時16分52秒 | Weblog
明日3月11日は自分の66歳の誕生日である。
亡くなった父母にこれまでこの世に役目を持って生かされてきたことに感謝しなければならない日である。
片側には東北大震災の2年目の追悼の日でもある。
複雑な、とても複雑な気持ちの毎年繰り返す日ともなってしまった。

5年前の3月13日にこの信州の大寒波という日に引っ越してきた。
それから5年が過ぎ去ったが、娘や息子、自分にもそれぞれの出来事が降りかかり
まあ何とかそれなりに落ち着いた生活を手にしている。

ここへ移住してきて書き始めたブログは家族バラバラになったために母親の消息を
知らせるための記事を書く手段になった。

もう5年か~。
6年目に入ったから、そろそろ変化をしようではないか。
信州生活も、秋に伊那に移住するから八ヶ岳の麓のタイトルでは変だし、
いろいろ考えてみた。
明日は誕生日だ。
ちょうど良い。

先ずはタイトルを変えよう。
信州スロウライフ12ヵ月
としてみた。
多分気ぜわしい性格の自分はスロウならずスピードばかり求めて上手くいくかわからないが
それを目標として戒めていこう。


犬も嬉しいと走っていても笑っている

卒業

2013年03月10日 16時38分14秒 | Weblog
今月は退職の日を迎える一日ずつ勤務日が減っていく月である。
毎週あと何日?と思いながら実はすっかり忘れて抱えた仕事に毎日追われている。

それでも先週は人事の担当者から何度か呼び出され退職手続きを済ませるが
段々それらしく、終わりだ、と心に示しをつけることができるようになった。

昨日の土曜日は岡谷の社会保険事務所に年金の手続きに行ってきた。
ムスコの入院のためにきれいに車を洗車して往復して帰ってきたが
昨日の朝、さて、出かけようと車を見たとたん仰天した。
前夜雨は降ったようだが車がひどく汚れていて乗るのが恥ずかしい。

犯人は黄砂とM2.5と花粉で驚くほど黄色く汚れている。
この数日周囲の山々が見えないほど霞んでいるのはそのためか…。

年金事務所では担当者がとても丁寧に説明して年金請求の手続きを済ませた。
これでいよいよ年金生活者となる。
但し、請求しても実際は6月以降になるためしばらく無給生活者となる。
それに輪をかけて
今月の最後の給与からは社会保険や健康保険が2ヶ月分、市町村民税3ヶ月分差し引かれ
手元に残る額が僅かになると聞き、生きる意欲がなくなった。

20代の若いときから専業主婦時代の10年間だけ社会生活から遠ざかったが
後はひたすら数十年働き続けやっと自分の年齢に見合った生活の方向を決めてそこへ向かって
今は移行しつつある。
自分で自分にご苦労様と言わねばならない。
体が丈夫であったのが一番の支えとなった。

本当に今度こそは人生の仕事場面からの卒業である。
入社、入学、4月は新たな生活へ向かう人々の充実した心のスタート
の季節であるが、自分の卒業後の気持ちは空白となりこれからどうするかは
自分次第である。

春らしいかおり

2013年03月07日 23時01分10秒 | Weblog
 

昨日中央林間からの帰り、近くのイオンの店頭での切花や鉢植えがフロアー一杯に
広げて売っている場面にでくわした。
チューリップやバラ、サイネリア、ありとあらゆる春の花が超特価で売っている。
花の産地は私が住んでいる地域ではないか。
最も温室で育ってはいるが、束で売っているのが安すぎる。
花を飾って幸せを感じるのは手軽だし、なんと言っても値段が魅力的過ぎる。

花束と球根類、などなど買い込んでしまったあと、植えるにはしまった!
まだ信州は雪が残っていたと気がついた。

後部座席に大事に乗せて原村へ戻ってきた。球根類の芽の出てきた鉢物は
そのままにしてストックの花を20本とフリージアをありったけの花瓶に飾ってみた。
ヒアシンスは目の前に置いた。

    

一日勤務して帰宅したら、もう玄関に入ったとたん、ぷーんと花の香りが流れてきて
思わず深呼吸してしまった。
あと2ヶ月も経つと春はいちどきにやってきて、花が次ぎつぎと咲き揃う幸せな季節が
確実に来るのだ。
花は幸せを運んでくれる。


初夏の一日

2013年03月06日 23時30分26秒 | Weblog
うそー。
気温が18度ですって。
マイナス8度の原村から出てきた翌日は気温がぐんぐん上がり、
持ってきた洋服が合わなくなってしまった。
病院通いにはもうコートも必要が無くなった。

 

近所の梅の木が満開で、まるで桜の花が咲いているように見える。
椿もびっしり花を付けている。
体がついていけない。
今夜はまた原村へ舞い戻ってきたが、今こうして
ブログを書いている足はこたつの中だ。
勿論ストーブも炊いている。
3日間、よその国に行ってきたような錯覚に包まれている。

 

病院の中

2013年03月05日 23時28分15秒 | Weblog
中央林間滞在2日目。
仕事を離れ一市民としてムスコの病院で過ごす。
朝早く1番早い手術のためともかく病院へ出向く。
家族は手術室のそばの家族室でPHSと番号札を持たされて待機する。
予定時間が2時間だが場合によっては短縮するか延長するかはあるが
術後医師から説明があるので身動きが取れない。

午前中の何件かの手術の家族が同じ部屋に待機させられている。
雑誌を読みながら待っていたが、傍にいる中年夫婦の会話がモロに耳に入ってきて
本の内容が身に入らなくなった。
妻が夫にくどくどとあなたは病人の部屋で食べたり飲んだりしすぎるとか
食べ物のゴミをエレベーターの前のゴミ箱に捨ててみっともないとか
細かい批判をずっとしている。
日常生活がいつもそのようなのであろう。
夫は子供のように妻に叱られ続け、社会の前線で仕事をしてきた大人の男性とは思えない。
段々大きな声で他人の前で夫を叱り続けているのを聞いているのが耐えられなくなってきた。
しかも手術が終わるのを待っている大事な時間の時である。
最近、こういった場面を良く見かけることが多い。

あたかも綾小路きみまろのショウを見に行っているようなもので、結婚して40年も経った
夫婦の会話を聞いているようだ。
妻は日常茶飯事の出来事についてだんだん感情的になり、夫を批判し続けている。
まるで子供がお母さんから叱られているようなもので、口答えもせず人格を否定されても
黙っているではないか。

ずるずるとしたむかつく忍耐も時間切れであるが
1.それとなく静かにしてくれと注意する
2.我慢し続け本を読んだふりをする
3.席を外す

と選択肢はあるが小心者の私はいずれを選ぶか悩んでいるうちに手術が終わりましたと
呼ばれてしまった。
病院の中で今日は社会勉強をした。

梅の花が咲いている

2013年03月04日 19時34分10秒 | Weblog
今日から3日間、もと住んでいた神奈川県に朝早くやって来た。
ムスコがお腹の手術をするので、朝6時に家を出て高速で約3時間、中央道を飛ばした。
毎度のことだが雪景色が小淵沢あたりから姿を消す。
今朝も寒かった。
ガラス窓も車も凍っていた。

長坂の辺りでは窓の外から見える南アルプスと甲斐駒ケ岳が多分最近降ったのであろうが
真っ白に山々が朝日を浴びて光りあまりに美しさに驚いた。
八ヶ岳を見慣れているが流石に南アルプスは標高ももっと高く鳥肌が立つ。

今回は超渋滞の八王子からの16号線を避けて新しく開通した圏央道を通り高尾に抜け
橋本まで随分とショートカットして楽々町田に着いた。

今日からは留守宅の犬たち2匹の子守にムスメが助っ人に来てくれるので安心して
出かけてきた。
そのため日曜日は一日かけて取り繕いの掃除をした。
ムスメは冷蔵庫や細々したものの整理と掃除が大得意だから
母親の威厳を守るためには先手を打たねばならない。

神奈川県は暖かい。
梅の花が紅白色とりどりに咲きそろっているし、椿の花も満開だ。

息子の入院に付き添い、主治医や麻酔の医師の術前の説明を聞き、同意書を書き
お昼過ぎにはすっかり病人の家族の気持ちが出来上がっていた。
いつもなら白衣を着ての勤務では逆の立場であり、ついつい勤務先と入院先の
比較をしていた。
こういう病人の家族は可愛げがない。

息子の留守宅に夕方戻り、暖房も必要がない部屋でフリースのパジャマにびっしり付いた
タオルの毛玉取りに徹した。
働いているとオトコはこういうことが最も苦手になる。

明日は9時から一番で手術のため、ご家族は8時までにおいでくださいと言われた。
たまには離れてみたいと思っていたが、犬たちの気配がないとかなり寂しい。
幼い頃の子供と同じでああだこうだとしょっちゅう周りをうろついて手を焼いているのが
本当は気持ちに張りを持たせてくれているのだ。
明日は手術が終わったら、元住まいのこのへんの春の景色をゆっくり歩き回って見てみたい。