信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

大切に乗らなければ

2014年03月28日 21時35分20秒 | Weblog
昨日、2年毎の車の車検のため茅野まで出かけた。
高遠を通り、杖突峠を越え茅野まで1時間余。
伊那に移住したので販売店を換えれば良いのだが、もう6年のお付き合いとなり、
決心がつかない。

高遠では4月1日から始まるさくら祭りの準備で普段静かな町並みが
活気がある。
4月10日ごろ開花予測となるが、確かに桜の木が多い
高遠沿線の道路沿いを見渡すと木々が紫色を帯び、あと2週間もすると
相当な人ごみが連日やってくるのであろう。



杖突峠付近は雪景色だった。
流石に道路は解けているが、周囲の山々はまだ雪深い。
道路脇は雪の壁になっている。
穏やかな気温とのどかな田園風景の伊那谷から僅か30分くらいの道のりの標高の高い
杖突峠とは雲泥の差の景色の差がある。

車の点検が終了して一日置いて夕方又、代車に乗り車を引き取りに行った。
赤いFITはエンジン音も静かで運転しやすく、快適に茅野まで昨日の渋滞
もなくホンダのお店に到着した。
私の車はスポーツタイプの4駆だからエンジン音は意外に重い。
半年毎に定期点検をしているのだが、別の車に乗ってみるとヒトの車が良く見える。

諏訪で新しい仕事に就き、これまで乗っていたトヨタのFFの車を買い替え毎日5年間勤勉に
通勤して6万余キロ走った。



不都合な箇所も交換し、帰りの走りは来る時と同じ車かと思うほど軽いエンジン音と
走りで洗車されてピカピカに光った車体は久しぶりだ。
長い冬と雪とエンカルといつも吹きまくる埃の舞う風とで
車は汚く汚れるのに慣れてしまっていた。

人間も同じなのであろう、どうせ歳だからとか、ヒトに会うことがないからとか
自分の中に理由を作り崩れていく。
自分も車も一緒に歳を取って行く訳だ。

車内もエアーフイルターを交換したら嫌な臭いが消えた。



信州で暮らすには車が必需品だ。
どこへ行くにも歩いていく距離ではない。
などと考えながら自宅へ到着したが、今回は5年目を過ぎた車をもっと大事にせねば
と反省する。
通勤に使っていたためゾンザイになっていたと思う。





伊那谷にも春が来た

2014年03月25日 20時56分20秒 | Weblog
2,3日前から気温が上がりだした。
といっても朝夕の気温差が大きく、朝起きると庭には真っ白に霜柱が立っている。
飛び出していった犬たちの足は戻ってくると、泥でぽっくりを履いたようだ。

冬は寒い寒い原村から引っ越してきて初めての春を迎える。
2月から3月の初めまではドカ雪のため、雪景色の中で生活をしていたが
すっかり溶けて気温が上がり春めいた風情にほっとする。

昨年移植した球根類が芽を出し始めた。
あれほどの長期に雪の中ですっかり凍って駄目になったであろうと思っていたので
庭のあちらこちらで発見した時はとても嬉しかった。

夏の暑い時に何度も往復して移植していたので、案外丁寧さには欠けていたと思う。
伊那は大きな谷になっているので風が強く吹く。
毎日午後になると穏やかだった午前中に比べ、場所によっては屋外での作業がはかどらない。

それでもにわかに農家は勢いづいて田んぼや畑で作業する姿が増えてきた。
あぜ道の下草を焼く風景が見られるようになった。
煙がたなびく様子はいかにも春らしい。

      
東京は桜の開花のようだ。
先週、既に咲いている木々を見てきたが、この伊那地方は4月の17日が開花の予測だ。
有名な高遠の桜が咲けば高速道路や諏訪や茅野方面からの県道は渋滞となる。
それでも見渡せば広範囲にピンクに染まる田園地帯とまだ白い雪が残る高い中央アルプスや
南アルプスの風景は長かった冬の寒さを忘れさせてくれる大自然の醍醐味だ。

これから毎日悪天候でない限り庭に出ては菜園と花壇作りで時間を忘れて仕事をする季節になる。

神奈川は初夏だった

2014年03月18日 20時47分26秒 | Weblog
雪景色が姿を消した翌日、年に2回の眼科の定期検査に出かけた。
中央林間に居住していた頃から通院を始め、原村に移住しても年に2回は通院を続けている。
何も遠いところまでわざわざと言われるが、ますます大事になる目は信頼する医者を変えることが出来ない。

引越しがあったので延び延びになったが、ムスコの休みを選んで今回初めて泊まりで出かけた。
犬を飼っていると泊まることが出来ず、今はムスメが傍にいるので大手を振って出かけられる。

渋滞を予測し午前中の受診のため朝6時半に家を出る。
退職し、高速運転から遠ざかるが億劫になるとますます老化が進む。
八王子から圏央道の高尾山方面に抜け橋本へ出ると相当な時間が短縮になる。

慢性渋滞の16号線から離れ、抜きつ抜かれつ、今回は10時半には病院に着いた。
運の良さがもうひとつ。
長い間ラジオはTBSを聞き続け移住と共に残念ながらFM長野しかきけない。
土曜日の永六輔の土曜ラジオの電波が入り、しかもきたやま修がゲスト出演していた。
半年前に何気なく聞いたこの番組で永六輔の言葉がろれつが回らず気になったが
パーキンソン病ということだった。あの頃よりずっと話が出来るようになっている。
北山修も小保方さんの研究論文の経緯を解説し、理系と文系の研究論文方法を比較をわかりやすく
説明し、時々運よくぶち当たる年に数回のラジオ出演にでその話題にいつも感心する。
永六輔とお互い転ばないように励ましあう仲になったと・・・・
今回の大雪で転んで顔面を打ち、1ヶ月も内出血が治らなかったようだ。

大混雑の眼科だったが、丁寧な検査と診察で網膜や緑内障の疑いから解放された。
けれど年々加齢は続くので半年後との検査は今後も続く。

今回の受診のあと、6年前に住んでいた中央林間や町田へ買い物に出て
さすが都会の街づくりの変化のスピードの速さにすっかり田舎に住み慣れた
モノは驚くばかりだ。
梅の花は場所によりもう終わっているところ、満開のところ、桜の花まで咲いているではないか。
早いところは葉桜になっていた。
歩いていてもぶつかり合う街の混雑、混みあう大型スーパーや吉祥寺並みの専門店が魅力的。
もう新宿や渋谷まで出かけなくても済む
便利さに数年前まではうっとうしいと思っていたのに今更都会はいいなぁと思う。

多分品物より、刺激的な雰囲気に沢山の活気をもらい、もう住む気にはならないがやる気を得たのが
今回の発見だ。
6年前は都会に疲れ逃げ出すように信州へやって来た。
何もわからず住んで、いろいろ学びその上で良し悪しを知った。
中央高速の通過点で原村や小淵沢付近の凍りついた雪景色は当分溶けることがなく
2.3時間もすると春の花が満開の首都圏の違いは大きすぎる。

1泊し再び強風で横風に煽られながらの高速運転だったが、不思議と出かける前の
面倒くささが消えうせ気分も軽く伊那に戻ってきた次第。

ムスメとムコはとしよりの長距離の高速運転で都会へ出て行くことの危うさを盛んに心配していた。



ぬか床作り始めるの巻

2014年03月13日 11時21分28秒 | Weblog
今年の子供達からの誕生日プレゼントはストーブの薪入れとぬかみそを入れるホーロー容器
に決まり又新しく我が家の一員に昨日加わった。

毎日燃やす薪はその日の気温により異なるが何といっても伊那に移住して初めての
暖房なので薪割りの方法、燃やし方、手入れの仕方などこの4ヶ月間で学習している。
我が家はストーブ会社の宅配される針葉樹の薪を使用しているので結構細かい樹皮
のくずが散らかる。
薪の置き場をストーブの傍で毎日掃除し、あれこれ入れ替えながら鉄製の薪入れを
布製から入れ替えることになった。

薪割りをしてから家の中に運び込む作業はチカラがいる。
老女は頑張らねばならない。

そして今回あらためてぬかみそ作りを始めた。
40代の子育て中の何でも手づくり信仰の時代に同居の姑の手前、ぬかみそ作りも行った。
しかし子供を連れて夏休みに実家に里帰りし、戻ってくるとぬか床は異臭を放ち
白く腐敗し取り戻すのに一苦労の連続で以来いつの間にかぬかみそは姿を消した。

遠くに勤務地を持っていると漬物作りは縁遠くなる。
野菜が豊富な信州へ移住して来ると何種類もの漬物を近所から教えられ常に作っていた。
今回、ムスメの出産、里帰りで玄米の精米機が登場した。
5分米から8分米までその日にあわせて精米しているが、米ぬかがどんどん溜まってきた。

退職して時間が出来たお陰と朝のNHKのドラマのごちそうさんの影響で美味しいぬか漬け
が食べたくなった。

溜まった米ぬかは丁度1.8キロあった。
ぬかと同量の水とぬかの13%の塩を煮立て冷ましてぬかと混ぜる。
捨て漬け用の野菜と唐辛子と昆布を用意しぬか床を作る。
毎日2回ずつぬか床をしっかりかき混ぜ寒い季節なので約2週間で本漬けが出来るようになる。

とにかく手入れが大事で暑い季節には腐らせないよう注意してかき混ぜていなければならない。
これから家庭菜園で作るきゅうりやナスを意識してきれいな色の美味しいぬか漬けを夢見て行きたい。


 

東日本大震災から3年

2014年03月12日 14時40分02秒 | Weblog
昨年の11日、東日本大震災2年目の記事を書いた。
丁度自分の誕生日に当たる追悼の日になってしまったため
おめでとうの言葉は宙にさ迷ったままだ。

昨年の記事を読み返してみるが、現地にボランティアとして貢献もしていないし
自分の生活が手一杯だったのでどこか心の奥深くでは復興支援には背を向けている罪悪感で1年を送ってきた。

けれど故郷の福島を思う気持ちは変化していない。
生まれた福島県は浜通り、中通り、会津地方との区分けで、
中通り地方は郡山以外目だった都市はなく、昭和20年代に生まれ育った自分は
いわきや会津にひけ目をずっと持っていた。
長年の名門進学校もいわきに集中していた。
原発のいわきは東京へ大量の電力を送り続け、漁港もあったので華やかだった。
子供ながら浜通りはお金持ちと言う意識を持っていた。

それが住民は故郷を追われ、フクシマという原発汚染地帯になり
世界的に悲惨な汚名を受けたまま将来の見通しもつかない地域になってしまった。
被災地の現場を実際に見ていないため、マスコミから情報を知るしかないが、
きっと状況はもっともっと想像を絶するのであろう。

2年目になり3年目になり、時間が経つのが早くなる一方、
震災の地域は広すぎて政府や民間の復興の手は風化していく危惧に恐れる。
自分に出来ることで震災の地に役に立ちたいという気持ちは年々、
何も出来ないジレンマに変わって行き風船のように膨らんでいくばかりだ。

さっぱり溶けない目の前に広がる雪景色にため息をつくこの3月である。

すばらしい梅村マルティナさん

2014年03月05日 17時19分55秒 | Weblog
毎週楽しみにしている3週前のEテレでのベニシアさんの猫のしっぽカエルの手の番組で
京都の知恩寺の手づくり市が紹介された。

以前、移住する前の秋の原村のクラフト市で京都の染色家の作家さんと知り合い、
麻の座布団を作って頂いた。
その時に京都での手づくり市に参加している旨を伺った。
それが知恩寺の市だった。
そこで梅村マルチィナさんというドイツ人の方が毛糸の作品を出品しておりその美しい色の
毛糸に惹かれた。
中でも腹巻帽子という編み分けされた帽子にもマフラーにもなる便利な作品がこの季節、
寒い地方に住んでいる者にとっては大変便利そうで欲しい…と思った。
ひっくり返すと2重の帽子が2通りかぶれる。
ネックウオーマーにすると襟元が暖かい。

けれど手に入れる術がない。
全国ネットでの放送は近づき難いものがあり、京都のYWCAで編み物教室を開いているとの
ヒントからネットであちらこちらを探していった。
辿り着いたら梅村さんは東日本の大震災後、気仙沼に住民票を移し、京都と気仙沼を行ったりきたりして
OPALと言うドイツの毛糸を使用し編み物教室やアトリエを立ち上げ地元の方々と作品や毛糸も
販売しているという。
ブログも発見。
その行動力に驚いた。

早速ネット注文を試みた。折から大雪のため宅急便が信州や山梨は不通になり輸送の問題があった。
しかし梅村マルテイナ気仙沼FSアトリエ株式会社の対応は迅速でかつ丁重で恐れ入ってしまった。
注文が殺到し送付に時間を要すると詫び状も入ったが、何と数日で注文の品は宅急便が開通した
数日後に届いた。
ここでまたまた恐れ入ってしまった。
まさかのことで自分が手に入れることが出来たとは信じられなかった。

送付状に添付された気仙沼FSの販売窓口となっている斉藤商店の社長さんは被災者であり
気仙沼FSアトリエのスタッフも全員被災者である。その方たちが起こした事業は売り上げを
被災者や被災地に還元することになるという。
中に書かれた文章には胸を打たれた。
もう直ぐ被災から3年になり、復興はまだまだめどが立たず世間から忘れ去られていく今の現状
に思いを戻された。
届いた腹巻帽子は大変便利でお洒落だ。
ムスメに見つかり、自分も欲しいという。

  

今から30年以上も前に子供たちのセーターを自己流で学習し相当編み物に時間を費やした。
しかし時代の流れと自分の仕事への復帰と共に編み物からはすっかり遠ざかった。
今になって歳を取り時間を手にしたときに面倒くささと根気と老眼が
細かい作業に向いていないことを悟った。
何がきっかけになるか、無性にそのマルティナさんの
毛糸のカタログを見たときに編み物への意欲が沸いてきた。

毎晩、今編み針を持ち数時間夜の静かな時間を編み物の世界に浸っている。
思えば勘は取り戻したが、若い時にえた自己流の技は今、間違えて覚えていたことを沢山発見する。

手仕事は考える時間を作り、同時に作品が出来上がる。
美しい色のOPAL毛糸はすばらしく面白い模様が綴られて行く。
自分もこれからはヒトのために役立つものを作っていくことが出来ればと日々精進だ。




誠に残念です。

2014年03月05日 16時12分10秒 | Weblog
2月に2度降った雪はじわじわと溶けていき、昨日久しぶりに開放感を味わった。
周囲の景色を見渡してああ、伊那に引っ越して来て良かった。
これから春がやって来る、桜や次々と咲く花に囲まれて…と妄想状態になった。

2月の雪掻きと薪割りで腕と肩の筋膜を痛め、整骨院に通っている。
ようやく治って来たと安心した翌日は又大雪になった。
ボタン雪の大粒の雪は瞬く間に銀世界になり、周囲の山々は何も見えなくなっている。





昨日はマゴは遅いお宮参りだが諏訪の神社へ出かけて行った。
2ヵ月を過ぎもう外へ出ても危うくないので嫁ぎ先のおばあちゃんに抱っこされて
お参りする。

戌の日にお参りに行った夫婦は赤ちゃんが生まれたら、その後報告に来てくれないと
宮司さんが言っていたっけ。

昨日は整骨院に治療に行った足で温泉へ出かけた。
引越しをしてから温泉へ行く機会を失い、しばらく振りだ。
日差しを浴びて森林の中での露天風呂で手足を伸ばしまたとない幸せを感じる。

暖かい気温に誘われて午後は犬たちを引きずり遠出の散歩に出た。
気持ちが良いとどこまでも歩ける。
知らない場所だから駒ヶ根方面に向かう。
1万歩近く歩き家に戻ってきたが、明日は雨か雪と言う予報を見て信じられない!
とムスメと叫んだ。
やっと雪も溶けてぬかる玄関前の駐車スペースが乾きほっとしていた矢先だ。
クロッカスが咲いて福寿草も明るく輝いている。



ああぁ今日は白い雪景色と一日お付き合いし、又直りかけた腕と肩は重たい雪掻きで
元の木阿弥。