信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

独りでも豊かです

2010年06月28日 21時15分35秒 | Weblog
昨日、お土産のことを書いて、おひとり様には勿体ないと思いながら感謝の気持ちを
積み重ねる。
今日仕事から帰ったら、ご近所から山形のさくらんぼをどうぞと頂き、その後お向かいの
花作り農家の登美子さんから今真っ盛りの千鳥草の花束が届き、その豪華さに驚いた。

 


近所には花作り農家が揃っており、都会に居た時には考えられない花々をいとも
簡単に頂き、家中花だらけになることが常になった。

先日太っ腹だといったタダのペチュニアの10数鉢は植え替えた大きなプランターの中で鮮やかな色で咲き始めた。

続いて夕ご飯前に宅急便が届いた。
和歌山の友人から桃が送られてきた。
毎年退職してから季節に先駆けて大きな桃が届くようになった。

そして先日は実家からメロンが届き、やっと柔らかくなり食べ頃になったところである。

おひとり様の私には口が一つしかない。
アフリカ暮らしの娘は病気と栄養失調で3ヶ月で5キロ減ってしまった。
年寄りの母親より若い子供のほうが食べる価値があるのに、うまい事行かない。

もう直ぐ船便で送る食料品は船中でねずみに襲われるようなのでネズミ捕りの薬を
同封しようと思っている。

頂き物は順繰りご近所に分け合い、駄目にしてしまわないようにしなければならない。

日本はとても季節ごとに食べ物が豊かで、感謝せねばならないことである。


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年代物のお土産

2010年06月27日 18時14分49秒 | Weblog
       



本日、あほ犬2匹の美容院。
トリミングのため車に乗せて送り届けるが、気の弱い6歳は吠えっぱなし。

足の裏の毛までバリカンで刈って、夏仕様のすっきりとしたスタイルに出来上がった。
どうもカットで毛を沢山刈ってもらったのに太ったらしい。

2ヶ月ごとにトリミングへ行くが、この2ヶ月が段々早く過ぎると感じるようになった。
歳を取るのが早くなったということか?

午後は今度は人間様の美容院。
なぜか犬と同じサイクルになり同じ日の午前と午後になった。
料金の差は人間はパーマを掛けて、犬はカットと足裏バリカンとお尻のケアでその差は3,000円。

どちらも手間を掛けてもらうのだが、見違えて綺麗になり、
散歩の途中で、まあ可愛いと声を掛けられるのは勿論わんこの方で
人間の方は自分の内部で満足するのみだ。


お昼に客人が見えた。お土産持参で昨日新潟へ行って来たので、と珍しい物をいただく。

新潟は笹あめが有名だが、翁飴第十四代高橋孫左衛門謹製、と書いてあるとても由緒深きお菓子のようだ。
包装紙が良い。なかなか最近このような包装紙にはめぐり合えない。

一緒に自分のところで作っている商品もはいっており、これは16穀米に寒天が入っている。
こちらも大正5年創業と書いてあり、いずれも年代物である。
寒天をお米と一緒に炊くともっちりとするが、16穀米とのコラボで新製品である。

今晩楽しみに炊飯し明日のお弁当に持っていこう。
10穀米は普段炊いているが、16種はもう何が増えているのかわからないが、興味は寒天入りということである。
大変ご馳走様。

おまけに、虎屋の羊羹の重たい箱が最後に袋に入っていた。
虎屋様、通常は敷居が高くてなかなかお目にかかるチャンスが無いのですが、ご馳走になります。
と言ってもおひとり様の暮らしには、ずしんと重たい、羊羹の箱詰め、ははあ・・と慎重に考えて行きましょう。




 

ご難

2010年06月26日 21時13分14秒 | Weblog
今年は2キロ梅を漬けた               




梅雨に入ったが、九州での豪雨がひどいことになっている。
最近はしとしとしっとりという表現はできなくなり、降る時はどどどど~と一気に降り
台風か夕立のような有様となる。

日照りが続いた後、週末になり雨が降り始めた。
このところずっと農作業が続いていたので、夏服の入れ替えや相変らずの不用品の点検、
室内掃除は山ほどあるので楽しくやることにした。

雑巾片手にテレビの周囲の掃除を始めたが、テレビを動かしたらぷつんと言ってテレビの画面が消えた。
アンテナの設定が悪いとか再設定しろとかいうメッセージが出たが、コードを点検しても
全く変化は見られず、あちこち弄り回しても戻らないではないか。
段々焦り始め、テレビを購入した電気店へ連絡した。
30分くらい経ってから返事があり、休日なので販売元へ連絡つかず、出張点検の手続きを
取れば1ヶ月くらいかかりますといわれた。

えええぇ~まさか簡単なことと思っていたのに、1ヶ月とは酷すぎる。
W杯が終わってしまうではないか。

困った・・・・。
何度も取説を見て復帰させようと試みたが、お手上げ。

困った挙句以前世話になった原村の電気店へ連絡した。
夕方になって近所の電気屋さんが仕事の帰りに寄ってくれた。

あちこち見た結果、配線が違っていると発見してくれた。



おかげさまで取説を読んで、地デジの受信局やBSの受信設定を学んだ。
一時はどうなるかと思い、1ヶ月もテレビが見れないのではと本気で心配し
なまじっか掃除など始めたからいけないのだと反省したり気持ちが暗くなった。

落ち着かないので、先日漬けた梅干の紫蘇付けをしたり夏服の入れ替えをしたり
ああ今日はもう駄目かと思った。
人間もろいものだ。
ちょっとしたことでも恐れおののいているではないか。

神様、仏様、電気や様、有難うございました。



  

赤紫蘇を入れる前後の梅漬け

健康長寿長野県

2010年06月24日 22時04分21秒 | Weblog
本日は職場を離れ、松本まで研修に出かけた。
松本市はでかい。
会場は信州大学の隣。

神奈川県から引越したばかりの時はそれほど大きいとはおもわなんだが、今になって
車で市内を走り回ると、地方都市ではあるがさすが観光都市らしい風情である。

今日の研修は自分の属している職種の団体の総会であり、講演会がある。
毎日決まった仕事で職場と居住地を往復して、決まった生活リズムで動いていると
自分が段々ちまちまと小さな枠の中にはまり、小さなことを気にしながら生きている
のではないかと気になって来ていた。

その都度書いているブログだって毎日の生活周りばかりの話題で、
何てちっちゃい人間だと読んでいる人は思わないかと考える。

最近出不精になり、面倒だが車で会場まで出かけた。
必死になって高速道路を運転し、知らない土地を汗をかきながら市中を走り、
かなり脳の活性化になったと思う。

講演会の講師は首都大学東京、大学院教授 星旦二先生。
2時間余の講演の内容はこれまで自分達が学んできた保健衛生の学問を覆すものばかりで
ある意味ブレーンストーミングではなかったか。

長野県はなぜ健康長寿か
WHOの新しい健康
健康を決める要因
生涯現役でいるには とのテーマで話される。

健康診断のデーターから指導する時はこれまでのあら捜しをやめよう、まず褒めよう。

ちょいデブのほうが長生きする

                             
 
痩せろ、塩分を制限しろ、ああせいこうせいと指示するのはやめて個人の夢を応援せよ
とか特別養護老健施設は寝たきり老人を増やす、

長野県は最後の日まで長靴を履いていたいと願う老人がおり、80や90歳でも
現役当たり前、財布を渡さず、綺麗な空気を吸い冷たい水を飲み、公民館で勉強し
医者は余計な治療はしないという要因で世界の長寿県になった。

本当だ。
自分の住んでいる周りは老人ばかりだが、朝はもう5時過ぎには軽トラで畑へ出かける。
布団の中で車のエンジンの音を聞く。
雨が降っても休日でも働く。
標高の高い1,000メートル以上に住んでいる人は長生きだそうだ。(統計上)

95歳で脳血管障害で死のうという標語を掲げ、これからあなた達の指導する内容は
病理学上だった時代から健理学を方法論にしなさいと言われた。

面白くて笑ってばかりいて先生の話を忘れそうになるが、確かにうるさく指導されるのは
誰もが嫌だろう。
政治家と医師会と製薬会社の絡みから作られた特定保健指導の制度に振り回され
実績主義になった我々の仕事は、おかしいと思いながらも追いつかないくらい忙しい。


新しい方法論を聞きさあこれから、どう自分の仕事に還元していくか、
広い観点からこの地域の人々を応援していくスキルを、考えていこう。


 

きくち体操

2010年06月22日 23時12分21秒 | Weblog




フランス:南アフリカ戦を見ながらきくち体操を始めた。
前半、南アフリカの先制。サルコジ大統領が怒っていないかな。


それを横目に見ながら体操を続ける。
体力に自信はいくらかあったが、とほほほ・・・始めてみたら筋肉ぷよぷよ。
左右の骨盤が明らかに違う。

初めは北朝鮮とポルトガル戦を見ながら床に横になり、少しだけ試したが、筋肉が痛いわ痛いわ・・・・

明日から鍛える決心をしたが、これほど衰えているとは、いやはや、残念。

74歳の菊池さん、40代にしか見えない。

継続は力なり、上半身の体操をしてPCに向かいキーボードに手を置いたら
手がプルプル、血行は良くなったが、震えるわ。


ああぁフランスにレッドカード。



太っ腹ですね

2010年06月20日 19時55分02秒 | Weblog
昨日多肉植物を買う約束をしたため11時ごろハウスへ出かけてみた。
あらかじめ、買いたいものを眼をつけておいたので、割合早く気に入った物を選ぶことが出来た。
しかし現物を見ると欲が出るもので11鉢も買ってしまった。
園芸店で買ったらこうはいかない。

配合されたブレンドの土も譲ってくれるという嬉しい話でこれもリットル30円と
聞き、眼がになった。
土を10リットルと鉢植え11鉢で2,900円也。
随分と安上がりで今後幸せな日々を送ることになった。
なんと良い土地にやってきたではないか。

大事に抱えて車に乗り、お隣のシクラメンハウスの前を通ったところ、
路上に棚が置いてあり、ペチュニアの鉢が沢山並んでおいてある。

ご自由にどうぞと書いた紙が傍においてある。
ということはタダでお持ち帰りくださいということか?

はて、本当にいいのかな?まさか~タダなんてありえない・・・と迷っていると
奥さんが近づいてきてあら、去年、シクラメンを買ってくれた方ですねと覚えてくれていた。

そう、確かに買って送ったシクラメンの数より倍以上のシクラメンの小さな鉢を
おまけに下さった生産農家の方たちだった。

試作品は売ってはいけないので、無料で上げると言う。
好きなだけお持ち下さいと珍しい試作品を10数鉢運搬用のかごに入れてくれて下さった。

午後からその花々を切り戻して、プランターに分けて植え、それでも余り、花壇に
大盤振る舞いであちらこちらに植えていった。

今年の夏の花壇はさぞ豪華なことになるであろう。

誠に原村の花作り農家の人は太っ腹なことである。



   

今日買ってきた多肉植物達

多肉植物

2010年06月19日 23時52分27秒 | Weblog
昨夜降った大雨が朝方上がった。
洗濯日和になった。

最近の雨の降り方は、半端ではなく、道路を流れる水は川のようになっていく。
水の勢いで畑は土が流される。
それなのに、雑草だけはしっかり雨が降ろうと勢いよく伸びていく。
先週綺麗に草取りをしたのに、又もや元通り近く増えている。
これだけは不思議だ。


雑草取りをして、きゅうりやトマトの枝を紐で結わえ、西瓜の蔓を剪定し、
枝豆を植え、スナップエンドウを収穫し、あっちへ行き、こっちへ行き、
全然まとまらないが時間だけはきちんと過ぎていく。

まあ、畑らしい様子になり、一応終了する。
2匹の犬のうち1匹は家の中でいつもどおりマイペースで昼寝をしているが、
もう1匹はずっと畑で仕事をしている私のそばに付きっ切りで離れない。
気温が上がり,暑くなったが畑の中で土に寝転んでいる。
ストーカー犬だから、行く先々どこまでも付いて来る。
休日になると昼寝もせずさぞ疲れることであろうなと思うが・・・・・。

夕方になり散歩に出た。
涼しくなり田んぼは稲が青々として育ってきた。
今年は気温が低くなかなか田植えが終わらなかったが、それでも水が張られ、
用水には勢いよく水が流れ、カッコーが啼き、農村は清清しい。

いつも通りの散歩道を変えて、シクラメンハウスの並ぶ道を通ると、
新しく園芸ショップが出来ており、中を覗いてみた。

ペチュニアの鉢が並ぶ傍に、多肉植物の鉢が沢山あり、園芸店では見ることもない種類
がずらりと続き、嬉しくなってしまった。種類はセダム系という。
しかも値段を聞いたら市価の5分の1の値段であり嬉しくなり、うるさく吠える犬を置いて
明日車で来ることにした。
実は実は、多肉植物が大好きで、ちびちびと一つずつ買い足し、寄せうえを仕立て上げ
大事に育て、7,8年くらい過ぎた。
手間がかからず、それなりに存在感があり、かわいらしい姿で、地味なのがいい。
丈夫で摘んでは転がしておくとそこから根が出て増えていく。
パッチワークのように寄せ植えを作り色々な模様も作れる。
明日は数種類だがたっくさんあるので選ぶのに多分悩むのであろう。

たまには違った散歩道を選んでみると良いことがあるものだ。
原村はシクラメンを中心に菊やトルコ桔梗やアルストロメリア、アネモネといった花が
生産されているが、多肉植物にお目にかかろうとは夢にも思わなかった。
うっふっふ。

   

動けない時間

2010年06月17日 22時44分56秒 | Weblog
先週からW杯が始まったが、以来予想もしなかった毎日の生活リズムが出来上がった。
何だろう?
自分が怠惰になったのか、よくわからん。

5月の連休明けからやたら忙しくなり、健診を受ける客が増えに増えてきた。
今日のグループミーティングで5月の収益が前年比230万円増で
皆さんよく働いていますと言われ、忙しいと思ったのは気のせいではなかった。
今月は更にもっとひどくなった。

1日1万歩歩き、絶対に無駄歩きではないと思いながら、座る暇がない。
63歳のしなびれ婆さんがこんなに働いて良いものか?

10分で昼食を終え指導に廻るが、相手に夜は8時過ぎてのご飯はいけない話をするが、
最近の自分が帰宅が遅くなり、実は8時過ぎの夕ご飯になっている。

そしてWカップを見始めるとその場から動けなくなり、それも
ゴールの瞬間を見逃してはいけないとうとうとしながら、しぶとく食卓に張り付く。
野球やフィギュアや他のスポーツはちょいちょい席を立ったり出来るのに
なぜかサッカーはその場から動けない。

数時間後、ああ終わった~と解放されてから、台所で暫く洗い物や拭き掃除、と夜になって
神経症的な家事を暫く続ける。
ぴかぴかにすっきり綺麗に磨き上げ、お風呂に入り、布団へ転がり込む。

これがパターン化してしまった。
僅か数時間しかいない我が家の生活、自分が良く働くのか怠け者になったのか、W杯以来
判断がつかなくなってしまった。

それにしても今夜のアルゼンチンと韓国戦、メッシの実力を見せ付けられた。
守りの強い韓国だが歯が立たなかった。
上には上があり、スーパースターが揃っている
アルゼンチンはダントツの強さ。

22歳の若者の動きには、口を開けたままみとれてしまった。

  ジャーマンアイリス

同じアフリカでも

2010年06月13日 22時48分58秒 | Weblog
ワールドカップが始まり、赤や黄色のユニフオーム、ブブゼラの唸り、
サポーターの笑顔、見ているうちに興奮してくる場面が続く。

嘗てのアパルトヘイトの時代の面影もなく、マンデラ元首相の孫の死亡事故で欠席とかで
スポーツというのは熱気を呼び興奮の日々となった。

3月に西アフリカへ旅立ったムスメのブログからは悲惨な体調の状況が続く。
仕事も思ったよりゆっくりだし、備品消耗品も予算不足で文書管理も
思うようにはかどらないようである。

生活状況がこれまた、水や食料が途上国そのものの貧しさで40度を超える気温のため
体調を壊し、栄養不足で免疫力を失い、虫に刺され、化膿し足はでこぼこになってしまったそうだ。

生きて日本に帰れるか本気になって考える、体になった。

先日亡くなられた多田富雄センセイは日本人はあまりにも清潔な生活になり、
子供達の砂場遊びの砂まで消毒された砂を使い、抗菌グッズを使い、免疫力を失ってしまったと警告された。
お腹を壊すのは免疫力を習得するための過程だが、
抗菌剤で熱も細菌も押さえつけてしまう。水道の水はどこへ行ってもきれいだし、
確かに日本は清潔な国だ。

信州の清涼な空気と八ヶ岳の冷たい水を飲んでいたムスメは180度反対の生活に
今からだの改造中であるが、
水道水に糸ミミズがいるアフリカはあまりにも痛ましい。
無事2年間の赴任生活に耐えれるか段々心配になってきた。

テレビの画面に映る南アフリカの様子は西アフリカのブルキナフアッソに住むムスメの
環境とは同じアフリカでも格段の差であろうと思われる。

 

あれもこれもと忙しく

2010年06月13日 00時29分06秒 | Weblog


あああぁ・・・・この週末は時間が惜しい。

昨夜も11時過ぎからWC、南アフリカとメキシコ戦を見て2時過ぎに寝た。
日中、農作業で暗くなるまで腰が痛くなるほど仕事をしてもまだ追いつかない。

夜は韓国、ギリシャ戦を見る。
続いてアルゼンチン、ナイジェリア戦。

通勤の車の中で聞くFM長野で約1ヶ月前からワールドカップの解説を聞いてきた。
お陰ですっかり刷り込みをされて見なければならない気持ちになってしまった。
26日まで持つかしら?

始まれば画面に釘付けになる。
駄目だ、今日は集中できないからブログは中途半端になるのでこれでおしまい。

苦しみながらのアルゼンチンの勝ち。
メッシ・・・・・次回の活躍を。


記憶の彼方

2010年06月08日 21時09分31秒 | Weblog
ニュースから流れる菅政権だが、またしても短命政権!と思うことは今回はちょっと違った。
いい加減、国民はどうにかして欲しいと思うが、あまりにも小鳩は情けなかった。

報道から流れて来る評価は酷い物ばかりであったし、実際本音が見えなかった政治家であったなと思う。

最近政治家に初めて興味を持った時を考えてみた。
父親が教員でそのせいかもしれないが、今から50年位前、
社会党委員長の浅沼稲次郎さんが暗殺された時、新聞を片っ端からしまってあった
押入れから引っ張り出し切り抜いた。
中学生が社会党に興味がある訳ないのに、なぜかその時の自分の勢いを点として思い出す。

過去に自民党に投票したわけではないが、その後の社会党の活躍は自分の青春時代と共にどこかへ吹っ飛んでいってしまった。

思えば菅さんが昔、選挙に出馬し、3回だか落選した記憶は遠いけれど、市川房枝さんの選挙を応援していたのはよく覚えている。
秘かに市川さんには憧れた。
学生時代は学生紛争東大紛争、真っ只中暗い時代だったが、就職した時は県職員でスト破りもした。


けれど、熱かった若さも家族を持って子どもを持って、政治へのエネルギーは家族を守る方に廻ってしまっていった。
小泉さん以降の首相の名前は思い出すのに大変苦労する。
みーんな2世の政治家であり、どのくらい国民の実生活を知っているのか・・・・知らないだろう。

涼しい目つきの青年だったあの人が今や首相だ。

父親を高校時代に失い、母親は亡くなって2年経った。
親を亡くすということは、あの世に向かって防波堤になっていてくれたのがなくなってしまい、死ぬという感覚が身近に感じるようになったことである。

今になってから両親を如何に知らないままに、理解することも少なく、自分が歳をとってしまったという残念な思いが段々膨らんできている。
自分の子供達もいつか同じ想いを感じるようになるかもしれない。

浅沼稲次郎さんの話をしてくれた父親には全く僅かな記憶しかないのであるが、いつかあの世で父親に会ったら民社党の話を上手く出来る自信がなく、
中学時代に夢中ではさみを持って切り抜いたあの気持ちだけは伝えられるかな。

   

庭でクレオメの花が咲き始めた

歯の治療終了

2010年06月06日 21時54分06秒 | Weblog
         


日本橋まで通った歯の治療が終了した。

高速バスを予約し、バスの乗るまで予約したのが間違っていないか心配し、小淵沢から
韮崎あたりまでの南アルプスの迫る山を眺めながら景色を楽しんでいた。

今回は星野富弘さんの花の詩画集、種蒔きもせずを往復でずっと読んだ。
今日で最後かと思うと何だか喪失感を味わい、結構楽しい時間を送ったのだなと思っていたから。

           
2月に抜歯した後からは兎に角ずっと3ヶ月耐えねばの精神で、酷く不自由な毎日だった。
特に初めの1ヶ月がなかなか時間が経つのが遅い。
1本でも欠ければ食事は勿論話すのも空気が漏れるようでいまいちである。

まあ我ながらよく我慢して、一心に東京まで通い、きちんと手当てを受け、ここまで来た。
治して下さる先生を、信用しなければ遠くまで通いきれないし、折りしも医師会総会のため
時間が無いのに休診日も治療してくださった。

最後かと思うと気持ちも敬虔になり、星野さんの絵や書かれている文章がやけに
身近に感じる。

特に絵に添えられている文章にいつも感動を受けていた。
人生の最も華やかな青年時代をテレビもない病院の8人部屋で過ごしたと
書いてあり涙が出た。

不幸だと思うときに自分がこの世で最高に不幸だと思う。
しかしもっと不幸な人を知らないだけで、星野さんのように下半身自由を失い
一生車椅子の生活となり、長い苦しい時間の中からつつましい
敬虔な人柄となって生まれ変わった。


絵心もなかったというのに口にくわえた絵筆からすばらしい草花の絵が描かれている。
描いているものから筆を通して喜びや優しさ静けさ強さな度生きていく力を与えられていると初めに書かれている。

60代になられた顔は本当に良い顔になられた。

バスの中で最後の通院だが心が静まる良い本を読むことが出来て、又明日から新たな自分で
生活していけると感謝する。

まだまだそれに引き換え自分の未熟さを思い知らされてもいるのである。


  

言葉は恐い

2010年06月05日 21時48分56秒 | Weblog
庭に咲いたクレマチス     


人間って歳をとることによって今まで気がつかなかったことが増えてくる。
若さはそれだけで褒め称えられるが、中身が問題だ。
段々と学習と経験によって、自分の未熟さを埋めて行くのだが個人差は大きいと思う。

一昨日、29日分の書類が見つからず探していた。
同僚に聞いたら、暫くしてから29日は病院祭だから無いでしょう。
認知症になったんじゃないの。と切り捨てるような言い方をされた。

20代の若者に言われたのだが、途端に気持ちが凍りついた。
認知症に摩り替えられる、そういう年齢になったのだろう。

それまでは縁が無いので笑い飛ばして気にも掛けない時が必ずあり、
いつしか忍び寄る記憶の薄れが、自分の不安を少しずつ作り出していく。
しかしそのことは誰にも言えないし、ただ不安だけで、それが加齢なのだ。
今回、彼女の認知症に対しての見下げた見方を感じて、それがたまらなかった。

けれど
そこで注意しても大人気ないし、後の時間は怒りを仕事のばねにして絶対ミスはしまいと、
つっぱった。

言葉は恐い。
自分の思いと別に、相手に及ぼす影響がわからないからだ。
若さばかりではなく生い立ちや、親の育て方や、教育や、人格や色々な要素があるのだろう。

これまで人を知らずに傷つけたことが
沢山あったかも知れず、今になって奢っていた偉そうにしていた若さを
恥ずかしいと思うが、弱者になってきた今だからこそ、かえって見えてくるばかりだ。

いつまでも死ぬまで成長はせねばならないが、プラスの学習とマイナスの学習とが常にあり
どちらかといえばエネルギーの要らないプラスの学習のほうが良いなと思う。



衣替えなのですが

2010年06月01日 21時09分35秒 | Weblog




6月1日です。
昨日各部屋のカレンダーを5月分をびりびりと破りながら、あらぁもう今年も半分になってしまった・・・・
2か月のものであれば3枚で終わるわ、と薄ら寒くなった。
1月、2月、3月と決して無駄に過ごして来た訳ではない。

昨年の12月に同僚が亡くなり、それを引きずったまま1月にとんでもないことが起き、
失意のまま2月から病院では電子カルテに移行するため時間外で研修が始まった。

同時に健診のシステムも変わるため、これも研修続き、寒さと暗い信州の真冬の中、家に帰っては短い睡眠で3月を迎えた。
新システムで恐る恐るPCに向かうが、仕事は確実にこれをスキルにこなしていかねばならない。

東京へ通う歯医者の治療も始まった。
2月に抜歯して3ヶ月間、仮歯で失意の傷口は更に大きく広がった。

昨年、眼瞼下垂症で手術し酷い顔で出勤しこのお陰で悟りを開いた。
自分が思うほど人は気に掛けてはいないと。
過剰反応になってはいないかと思ったほどだ。

3ヶ月もすれば状況は大抵変わってくる。
電子カルテも新システムも使いこなせば、古いシステムをすっかり忘れ、便利な新しい画面をスピーデイに使わせてもらっている。

4月、御柱という、7年に1度の諏訪のビッグイベントが途中にあったおかげで、更に日々は飛ぶように過ぎて行った。

そうだ、もっと大きな出来事があった。
ムスメが1月に駒ヶ根のJICAに入所し、3月には西アフリカへ出て行ってしまった。
その間、息子が赴任先のシカゴから帰任してきた。
二人とも立派な大人なので自分達の荷造りをきちんと納め、新たな話題づくりに入っていった。

5月のGWだけは初夏を通り越した夏日が続いた。
毎週東京の歯医者さんへ通い始め、首都圏と信州の気温差に鼻炎とアレルギー反応は一層強くなり、鼻かみ婆さんになってしまった。
5月も末というのに、原村は気温が10以下で寒さが定着してしまった。

悩むのが着る物。
毎日のことだが、朝夕冷え冷えするので調節できる上着や綿のセーターなどの組み合わせでいたが、日を重ねると飽きてくる。

今朝、押入れを開け何気なく薄いカシミアのVネックのセーターが眼に留まり着てみた。
これに長い麻のマフラーを播きつけ諏訪湖の傍を出勤のため歩いたが、温かく軽く気持ちが良い。

今年の冬はすっかりフリース専用で着たが、セーターがこんなに気持ちの良い暖かさだとはおもわなんだ。

衣替えだろうと何だろうと伊達の薄着は受け入れられない。
季節はずれの姿で暫く通勤してみよう。


今年は庭でつつじの類がびっしりと花をつけた。
数ヶ月前までは雪に閉じ込められ枝が折れそうになって、雪の中で這い蹲っていたのに
今は白い花でまるで雪をかぶっているような姿になって花をつけている。