信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

高遠で花見をする

2011年04月24日 21時31分58秒 | Weblog
昨年、ムスコと一緒にかの有名な高遠の桜を見に行ったところ、あまりにも見物客が多く一度見ればもうこれでいいわと帰ってきた。
桜の木の多さと花つきの華麗さに驚きながら、超有名な花見ができたことに満足した。



もう行くことはないと思っていたのにムスメが突然避難して来た為、青空の桜を見たいと再び高遠へ向かった。
昨年の轍を踏まないよう朝早く出発し、混雑する前に桜見物をした。
東日本大震災のため自粛ムードはこの地にも及び、昨年の混雑がなく散り行く桜の花をゆっくり見ることができた。
広い城址公園では日当たりのよい場所では桜吹雪の見物客は歓声を上げ
夢のような景色に酔った。

 


青空の遠く彼方に中央アルプスの山々がそびえ桜の花との調和は信州ならではの風景である。





今年は昨年に比べまだまだ気温が低く最近も雪が降り北アルプスはもとより
八ヶ岳も中央、南アルプスも山々は真っ白に雪化粧している。

今の気温は4度。
朝夕は寒いわ、寒いわ桜の花が咲くのはこの原村では1週間先になるであろうと思われる。

2日前までは40度以上の気温の生活から一気に炬燵に入り、
夜は湯たんぽのお世話になるその差にムスメは震え、時差ぼけにぽわーんとしながら桜の花を見て感激している。



我が家にも避難者が

2011年04月21日 22時29分44秒 | Weblog
2日前の夜、ムスメからいきなり連絡があり、一時帰国することになった。
任国が情勢不安のため大使館が国外退去と決めて日本で待機となった。

留守中の電話に何度かJICAから連絡が入っており22日に日本に到着する旨の
内容で何だか緊迫した様子が伝わった。
アフリカでは3月頃から北アフリカに続き連鎖反応で次々にデモや暴動が
広がり、危うい状態だったがまさか西アフリカのムスメの任地まで及ぶとは予測していなかった。
ブログからデモで焼かれた街の様子を見て知っていたが、援助隊が勤務して丁度1年経ちさあこれからという時に、国外退去で戻らなければならないのはさぞ無念であろう。

とはいっても暴動が続く中では若い援助隊の隊員の命の保障も
優先されねばならないから慌しく荷物をまとめて帰ってくる事になった。

自宅待機は最低1ヶ月は続くようである。
今この記事を書いている最中、地震情報で揺れを感じている。
震源地は千葉県沖という。
日本列島いずこも危ない地盤の上に毎日のように地震があり、やっと咲き始めた桜の花に心が浮き立たないのは仕方がない。

日中日なたでは50度近い温度で焦げそうだといっていたムスメは、この信州の
朝夕まだ0度近くまで冷え込むところへ戻ってきて多分体がおかしくなる事であろう。

桃の花見物

2011年04月17日 21時32分54秒 | Weblog
な、な、何と景色がこうも違うのであろう。
昨夜は寒くて炬燵やストーブで暖まり今朝早く山梨へ向かった。

これまで何度も来年こそ見に来ようと心に誓ったが果たせず、今年は息子に進められ地図まで示され思い立った。

韮崎まで来たら桜が咲き木々は芽吹きすっかり緑に染まり、森や林が新緑に
彩られている。
信州はまだ緑の色は先であり、景色はグレーであり桜も散り始めた
甲府あたりとははるかに温度差がある。

良かったぁ~ 厚着を避けて来たお陰で初夏の景色の笛吹市の桃畑では
軽やかに歩けた。
どこまでも続く桃畑は想像をはるかに越えた広大な桃源郷が広がっている。



ぼってりと濃いピンクの桃の花は青空の下で、春真っ盛りを見せてくれている。
多分今日を境に花は散っていくことであろう。

 

夏になれば大きな実をつけ全国各地に送られていくが、ふと故郷の福島の
桃を思い出した。
福島は果物王国と言われて育った。
りんごや桃は子供時代のおやつであった。

特に暑い夏の真っ盛りに出回る桃をかぶりつき、手を滴り流れる果汁は
洋服にくっつくと落ちないからと母に注意されたのが長らく記憶に残っている。

今、果物王国の福島は原発のためにその歴史を失い将来も見失ったままである。
派手なピンクの花の陰に津波から1ヶ月余経った今だが、東北に遠く思いを馳せながらこころの中では手を合わせずにいられない。


菜園計画

2011年04月12日 22時48分23秒 | Weblog




よし!決めた。

今年の野菜作りは4年目に入るが、
自己流で何とか夏の間は自給自足の食事が出来た。
さて、さて・・・・昨日も思わぬ雪が降り気温が安定しないが、
計画はあらかじめ立てておかねばならない。

昨年はトマト作りに気持ちを込めた。
ミニトマト中心にどっさり毎日収穫できて友人や職場の同僚、実家などに及んだ。
一番最初に植えつけるのがじゃがいも。
これは今週の土曜日あたりに種いもを植えるつもりだ。

今日健康診断の受診者の方から良い話を聞いた。
じゃがいもは芋を植えてからマルチをその上にかぶせ芽が出たら、穴を開けて
夏の間の雑草や土寄せをしなくて住む方法らしい。
採用だ。
トマトときゅうりは植える場所を変え、どっさり収穫できる植え方を学んだので
5月連休明けに苗を植えて行こうと計画をした。

 

ナス、ズッキニー かぼちゃ、西瓜、おくらやモロヘイヤ、いんげん、
枝豆、とうもろこし。
そうだ、今年は長ネギも植えていこう。

まずは土つくりだが今年は昨年の反省もこめて、土は丁寧に沢山の腐葉土をいれ
耕してみよう。いつになったら気温が安定し、霜が降りずに済むかわからないが
美味しい野菜を目指して庭での時間を過ごそう。
にらや三つ葉、青紫蘇などは勝手に生えて来る。ハーブ類も時期が来れば茂ってくる。

花が咲き始めた

2011年04月09日 15時41分32秒 | Weblog



東京では桜が咲き終わったというが、信州はこれから。
しかも
北から南に長い県なのでかなりの差が生じる。

先週は雪解けの庭に土がぱさぱさで、僅かに覗き始めた草花の芽は瑞々しさに欠けていた様に思える。
昨夜からかなりの雨が降り、休日になった今朝は昨夜3時まで夜更かしをしたため
ゆっくり床の中で新聞を読んでから起きた。
雨上がりの庭は雨で水分を吸ったためかしっとりし、柔らかい雰囲気となった。
先週以来この数日でかなりの芽が出始め、植えたパンジーがやっと定着した。

   

水滴が花びらに乗り、それはきれいな色に水っぽくなっている。
草花の芽は1日で数センチ伸び、かわいらしい姿を眼に止めるのはとても幸運だ。
ビロードのような花びらは黙って一人で庭で誰にも見られず咲いているのは、気の毒だ。



こうして花の姿を写真に収めやっと春がやってきたと実感できる。
まだ車は冬タイヤのまま、いつ交換しようかと迷っている。
昨年はもうこの先は雪は降ることはあるまいと、交換した翌日どか雪が降り
大いに困った。

しかし花が咲き始めた庭を眺めると、我慢した長い冬はもう終ったのだと
気持ちを変えるしかない。(炬燵ままだ愛用している)

桜の開花はまだ先になる。
昨年のトピックスは桜の花の上に積もった雪であり
高遠の桜は降った雪の重みで枝が何本も折れて大被害となったのである。
信州は県内での桜の咲く時期が異なり、何度でも種類の違った花を見ることが
出来る幸せな季節を過ごすことができる。
それはそれは寒い長い冬をすごし、気落ちした心をこれからの数ヶ月が
回復させてくれやる気を起こしてくれるのが次々と咲いていく花々なのである。



おひさま

2011年04月05日 21時10分55秒 | Weblog
NHKの朝の連ドラのてっぱんが終了した。
途中中だるみをしたが、終わりは感動し馴染んだ役者には寂しさを感ずる。
4月から又半年新しいドラマが始まった。

今度は尾道や大阪から舞台はこの長野県へ移った。
北アルプスを望む安曇野である。
山と湧水のきれいな土地でこれから見たことも無い沢山の景色を
見れるのではないかと楽しみであり、地元であれば思い入れも強くなる。

ヒロインは陽子という名前である。
おひさまのように明るく生きるように母親から言われるが、同じ言葉を自分も言われた。

戦争で負けて台湾から両親は、着のみ着のままで父親の故郷の福島県へ引き揚げて来た。
戦前は台湾で造船の会社を一族で経営しており、私の兄と姉は台湾生まれで
それぞれねえやと呼ぶお手伝いさん付きで何不自由なく裕福に育った。
私は父の実家でろくな食べ物もなく蔵の隅っこで生まれたそうだ。
3月11日に大雪が降る日に生まれ、明るい太陽のような子供に育って欲しいと願い
陽子と名前をつけたそうだ。

母は48歳で未亡人になり、ムスメの私にはいつでも手に職があれば何があっても
生きていけると教員の道を諦めて看護の職業を勧めた。
大嫌いな理系の勉強になるので辛かったが、続いて5年間も学んでしまった。

今になって名前の通り明るく元気な老人になり働き続けているので、
親にはもう会えないがお返しが出来たかなと思っている。

体は正直

2011年04月03日 23時34分54秒 | Weblog
春らしい日がやってきた。
心は冬のままだが、いつまでもそのままに留まっていられないのが季節と共にやってくる野菜作りである。

まだ入門して4年目なので、昨年はどうだったかな?と思い出すが最近は季節が安定せず参考にならない。
毎週今でも雪が降っている。
土曜日は暖かい日差しになり、気が急いて庭に出た。
雪が解けた後は土がでこぼこで表面ぱさぱさであまりきれいな土ではない。
それでも日当たりが良い場所はハコベがのさばりびっしりじゅうたん状態に育っている。
日陰はこれまた土を掘っても凍みている。
ジャが芋やきゅうりなど毎年場所を変えているが、専業農家でないので育っている最中になり反省点が出てくる。
やっとチューリップやムスカリの芽が出てきた。

 

よくも雪の中で凍ってしまわなかったときれいなグリーンの芽を見ると愛おしくなる。
結局時間が惜しくなり一日中外で働いてしまった。
レタスの苗を植えてみた。



夜になると疲れが出てぼろ雑巾のようになった。
くたくたになり炬燵で丸まった。
朝、起きようとしたら足腰が痛いのに気が付いた。

特に股関節が伸びない。毎日1万歩近く歩いているのにこのざまは何なのだ?
と、けれど使う筋肉が違うのであることがわかった。

畑での作業は中腰になり伸びたり縮んだり、全身を使うのでいかに普段、体がなまっているかがわかった。
農作業を休んで冬の間は約4ヶ月、これだけで体の筋肉が衰えてしまう。

福島県の被災地の農家は農業の道を絶たれてしまった。
しかも避難場所を点々として、体を張って野菜を作っていたのに早くに体を
壊してしまう日々となった。

長野県はこれから野菜生産が主な収入源となるが、老齢化して跡継ぎがいなくなり
休耕田が増え畑も草だらけの土地があちらこちらに広がっている。空き家も多い。
こうした場所に何とか暫く福島県の農家の人たちが働ける施策ができないものかと
想いを馳せる。