朝から各地に災害情報で、気持ちがざわざわしている。
この長野県も、上伊那地方も今回は大雨、土砂崩れで警報が出っぱなしだ。
と、突然の速報でぎくりとした。
地下鉄サリン事件の死刑判決者が死刑執行された。
今から23年も前の事件は延々と捜査や裁判が続き段々風化されてきた感があった。
当時は東京で日本橋の企業で健康管理の業務につき、ラッシュの電車の中で
押しつぶされながら通勤していた。
携帯電話が出始め、私用に持っていたが、仕事用に持たされたのがその頃だった。
それから一週間後、地下鉄サリン事件が起きた。
日本橋の会社は通勤に東西線、日比谷線を利用する社員が主で3月20日の朝、出勤した途端
健康管理室に目が見えないと抱え込まれる社員が続々と続いた。
何が起きたかとっさに判断できないが、救急車で隣駅の聖路加病院に運ばれた社員がいると
の情報も入りただ事ではないと、直ぐに病院への搬入を始めた。
役員も出かける前であり車を回してくれて次々と都立病院へ運んだ。
何か電車の中で撒かれたらしいと聞いたが、ピストン輸送で運んでは
即入院となり、点滴が始まる。
持っていた携帯電話をかける暇もなく、入院した社員の着ているものは総て足の先まで脱がせ
黒いビニール袋に全部放り込む傍らから警察が押収していく。
突然のことで身ぐるみはがされた社員の下着からパジャマまで買いに走り
家族へ連絡し、保険証をかき集め、経験のない動きだが一日で35人の社員の入院を済ませた。
警視庁、地元の警察、消防庁と入れ代わり立ち代わり聞き取りを受け、うめいている入院した社員に今、答えるのは無理ではないかと思いつつ飛び回る。
地獄とはこういうことを言うのかとののしりながら、誰に向かっての怒りも
ぶつけようもなかった。
サリンを吸入した社員は衣服や体にガスは染みこみ、一緒に一日いた自分も
激しい頭痛が来たがそれを考えている暇もない。
当時の携帯電話はすぐバッテリーが切れ、役に立たない。
1週間経ち、、その後オウム事件が捜査がなされる。
上九一色村のサテイアンがサリンの製造された現場が明らかになりおどろおどろしい事件がニュースを占めて行く。
中央高速は機動隊のクルマが何台も続いて走っていたのをよく見たっけ。
退院した社員はその後も長く後遺症が続き苦しんでいた。
トラウマとなって夜うなされると言っていた。。
子供たちが小学生のころ麻原彰晃が近くの駅前で衆議院の立候補の演説に出くわしたが
白装束で異様な風体で、あの姿が今でも焼き付いている。
もう23年も経つのかと、事件は風化して29人も亡くなり6300人もの被害者を出した無念さだけが残る。
勤めあげた勤務生活でこのサリン事件は最悪の経験で、べったりと心の中に黒くへばりつき時間が経っても、消したくても消えてくれない。
逮捕されしっかり一連の死刑囚となった者たちのリストを覚えた時期もあったが
今ニュースで顔写真を見ても記憶が薄れている。
7人の死刑執行が行われたが、真実はわからずじまい。
被害者家族のインタビューでこれが区切りとは思えず、消化不良となって残っているという言葉が響いてきた。
この長野県も、上伊那地方も今回は大雨、土砂崩れで警報が出っぱなしだ。
と、突然の速報でぎくりとした。
地下鉄サリン事件の死刑判決者が死刑執行された。
今から23年も前の事件は延々と捜査や裁判が続き段々風化されてきた感があった。
当時は東京で日本橋の企業で健康管理の業務につき、ラッシュの電車の中で
押しつぶされながら通勤していた。
携帯電話が出始め、私用に持っていたが、仕事用に持たされたのがその頃だった。
それから一週間後、地下鉄サリン事件が起きた。
日本橋の会社は通勤に東西線、日比谷線を利用する社員が主で3月20日の朝、出勤した途端
健康管理室に目が見えないと抱え込まれる社員が続々と続いた。
何が起きたかとっさに判断できないが、救急車で隣駅の聖路加病院に運ばれた社員がいると
の情報も入りただ事ではないと、直ぐに病院への搬入を始めた。
役員も出かける前であり車を回してくれて次々と都立病院へ運んだ。
何か電車の中で撒かれたらしいと聞いたが、ピストン輸送で運んでは
即入院となり、点滴が始まる。
持っていた携帯電話をかける暇もなく、入院した社員の着ているものは総て足の先まで脱がせ
黒いビニール袋に全部放り込む傍らから警察が押収していく。
突然のことで身ぐるみはがされた社員の下着からパジャマまで買いに走り
家族へ連絡し、保険証をかき集め、経験のない動きだが一日で35人の社員の入院を済ませた。
警視庁、地元の警察、消防庁と入れ代わり立ち代わり聞き取りを受け、うめいている入院した社員に今、答えるのは無理ではないかと思いつつ飛び回る。
地獄とはこういうことを言うのかとののしりながら、誰に向かっての怒りも
ぶつけようもなかった。
サリンを吸入した社員は衣服や体にガスは染みこみ、一緒に一日いた自分も
激しい頭痛が来たがそれを考えている暇もない。
当時の携帯電話はすぐバッテリーが切れ、役に立たない。
1週間経ち、、その後オウム事件が捜査がなされる。
上九一色村のサテイアンがサリンの製造された現場が明らかになりおどろおどろしい事件がニュースを占めて行く。
中央高速は機動隊のクルマが何台も続いて走っていたのをよく見たっけ。
退院した社員はその後も長く後遺症が続き苦しんでいた。
トラウマとなって夜うなされると言っていた。。
子供たちが小学生のころ麻原彰晃が近くの駅前で衆議院の立候補の演説に出くわしたが
白装束で異様な風体で、あの姿が今でも焼き付いている。
もう23年も経つのかと、事件は風化して29人も亡くなり6300人もの被害者を出した無念さだけが残る。
勤めあげた勤務生活でこのサリン事件は最悪の経験で、べったりと心の中に黒くへばりつき時間が経っても、消したくても消えてくれない。
逮捕されしっかり一連の死刑囚となった者たちのリストを覚えた時期もあったが
今ニュースで顔写真を見ても記憶が薄れている。
7人の死刑執行が行われたが、真実はわからずじまい。
被害者家族のインタビューでこれが区切りとは思えず、消化不良となって残っているという言葉が響いてきた。
暑さ寒さも彼岸までと言われますが、東京もここ数日めっきり涼しくなりました。
こちらが涼しいと言う事は、そちらは既に朝は一桁ですね。
田圃の黄金色の稲。
山々の木々が紅葉する素晴らしい季節ですね。
ある意味、過酷な寒さに耐える為にくれる神様のご褒美なのかとも思ってしまう美しさです。
寒暖の激しい季節に向かいますので、ご自愛の程。
追伸、サリンは時と共に歴史に移行してしまうのでしょうか。
日比谷線で思い出したことがあります。
八丁堀の駅についた時、時代劇でお馴染みの八丁堀に感動している若者の会話に驚きました。
当たり前な地名がどんどん消える東京に在って良かったと思った一瞬でした。
ご丁寧なコメントに恐縮して、またPCに向かっております。
ありがとうございます。
つい手軽なインスタグラムに路線変更しましたが、時間が経つとともにまた、想いは変わって来ました。。
世田谷から中央林間に引っ越して間もなく9.11のテロ事件、3.11の東日本大震災、と心を痛め信州での生活を始めました。
しかし特にこの数年は自然災害が立て続けに起き、復興する間もなく続くため記憶から掘り起こすのがに時間がかかります。
これ以上のことはもう起きないと思っても形を変えて世の中は生きにくくなっているのをひしひしと感じています。
昨日、万引き家族の映画を見て、どん底の貧困生活で暮らす寄せ集めの家族の小さな幸せが心を温めてくれました。
自分が恵まれていると謙虚にならざるを得ない、珠玉のドラマでした。