信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

前向きに。

2015年09月26日 13時31分54秒 | Weblog
暑さにひたすら向かっていった8月が過ぎ、確かにお盆が過ぎて秋の気配は駆け足で
やって来た。
マゴの保育支援センターでの毎日のプール遊びは何十年も白かった足が黒く焼けて
気になりながら、やがて長雨にたたられるようになった。

9月は長雨、マゴとムスメの手足口病、飼い犬の抗がん剤の治療開始、友人の訃報、
別な友人のがん治療のお知らせ、と続き、シルバーウイークになった。

行楽地は好天で賑わい、20日にあきる野市で開かれた友人の絵画の回顧展に行く。
信じられなかった訃報が実際に数々の遺作を見て、現実だったことを思い知らされ、
小さな作品2点を買い求め帰路に就いた。58キロの中央高速の大渋滞も気持ちが一杯だったから
ずるずると走りながら気持ちの決着はついた。

連休の後、気温が下降し、晩秋の寒さとなった。
勢い、今年の薪ストーブの薪の確保のため懇意の業者に電話した。
そこで、この夏、治療中の奥さんが急変し他界されたのを知らされた。
このところ、自分に近い年齢の女性のがんでの別れが多くまたしても気持ちが滅入った。

昨日、雨の中本屋へ出かけ、来年のカレンダーと単行本を買った。
今の心境は来年生きている予測もないのに、カレンダーなんて・・・・と思いながら
世界で一番美しい街、村というヨーロッパの景色が目に入り1月がドイツのローテンブルグの
タウバーの城壁のある街に魅かれる。2回も行った場所だ。







数年先の自分の命さえおぼつかない気分になっているが、ふと、目に留まった本が
料理研究家の有元葉子さんの使い切る、という表紙にズンと来た。

以前、ためない暮らしという内容の本を買い、なるほどと参考にして今回は使い切ることだ。
何と、自分にピッタリではないか。
モノを増やさない、すっきりとした清潔な日常生活に徹して、この数年を送って行かねば
ならない今の生活に当てはまる。
秋の夜長をこれでしばらく集中して読もう。

パラパラとページをめくったらほうき草が出て来た。
我が家の庭で勢力を増しているほうき草の1本分
有元さんが購入して愛用しているほうきの4本は出来そうだ。
紅葉が終わったら、プレゼント用のほうき作りに今年の秋は時間を取られそうだ。

初秋の上高地

2015年09月21日 22時14分17秒 | Weblog
シルバーウイークが始まり、高速道路、観光地、はいずれも行楽客で渋滞と人混みで長雨の
反動は大きい。

その少し手前でムスコは休みを取って伊那にやって来た。
調整しての休暇だが、夕方家に到着したその姿はぼろ雑巾状態で、シワだらけ。
過重労働と長時間勤務と異動した職場での慣れない勤務内容。

まあまあと4日間寝て暮らしてもよいとの言葉がのどまで出かかったが、母親らしく
食事作りでごまかした。

しかし一夜明けると寝ていては勿体ないと先月訪れた勝沼のブドウ園を再度尋ねることになった。
ムスメとマゴも積んで一路中央道を通って勝沼へ向かった。
翌日は最近疲れ気味の母親を上高地へ行こうと朝早く、観光客が殺到してくる前に
松本方面へ車を飛ばした。

思えば4・5年前になるかもしれないが秋の上高地は経験していた。
10時にピストン輸送のバスに乗り込んだが、もう早い時間で駐車場は満車となっていた。
記憶を散り戻しながら、山深くバスが入って行くとまだ紅葉には早く
上高地行きのバスは他府県ナンバーの客を満席にして山を登り始めた。

焼岳や奥穂高岳が目の前に聳えるが山頂はガスがかかり今一歩だ。
お昼頃まで上高地の遊歩道を歩き、午後からは家に戻り北杜市の友人宅を
一緒に訪れる約束になっているので急いで梓川の遊歩道をぐるっと歩く。









標高が上がるに連れて植物の紅葉が始まっており野菊も咲き乱れていた。
明神橋の川岸でお昼にしてお弁当を食べた。
混雑寸前に到着したが、今回の観光客は4・5年前に比較すると一様に登山スタイルで決めており
老若男女いずれもええっその格好で無理じゃない~と思う人は少なく
お主、なかなかお金をかけているではないかと思わせる。
しかも外人観光客がいやに多く、一瞬海外旅行に来た気分になった。








せっせと復路も歩き、帰宅したが続いて山梨まで又出かけるため
のんびりとした気分も味わないまま、夕方泊まりの準備をして家を
出たのである。

紅葉の見頃は10月になって速足でやって来ることであろう。



閉じ込めていた日々

2015年09月08日 19時00分58秒 | Weblog
先週、近所のレストランで持ち帰りのお総菜を買った。
原村に移住した時に実家の兄から、硬く硬く、買い食いをしてはいけないと言い聞かされた。
歳をとった妹が田舎暮らしをしたら食事の支度が面倒になると考えたのであろう。
そのことはなぜか耳に焼き付き、ここまでけなげに守って来た。ショウケースに並んだ
お惣菜類の中でサバの南蛮漬けが目に入った。

小鯵の南蛮漬けは母親譲りで得意料理の一つであるが、サバ?は食べたことがない。
夜の食事に食べてみたが、この量では値段が高いとの感想を持った。
自分で作ればどれほどの量が作れるか試そうと思い立った。

今日の夕方、食材を取りそろえ料理に取り掛かった。
長雨が続き、料理をするにはたっぷりとした夕方の時間がある。

料理をするにはBGMが必要でYou Tubeで気に入った音楽をMixで聞けば世話なしである。
サバを油で揚げ始めた時に、紛れ込んで冬のソナタが流れて来た。

ああ懐かしい・・・・・と思って冬ソナのMixに切り替えて料理に集中したが
思い出すことしきり。

今から10何年前になるか、日本橋の企業で働いているときに冬ソナのドラマが始まり
人気沸騰した。昔、君の名はという銭湯がその時間帯は空になるというほど当時の人々を
夢中にしたドラマがあったが、今度は韓流という名前でテレビで視聴率が高く評判になった。

50代であった自分が見事にはまった。
同じ企業に勤めている友人3人と金曜日に飲み会をしながら、ドラマをネタに飲みながら
来週の展開をワクワクしながら待った。

実はその当時の自分は職場では非常に苦しい毎日を送っていた。
今でこそ、セクハラ、パワハラ、モラハラ、エイジハラスメント、とハラスメントが
ドラマになっているが
10年も前の職場はハラスメントは社会問題として取り上げる時代ではなかった。

会社は上司が変わればいう通りにしなければならない。
新人で入社して来た同僚の嫌がらせとそれに同調した上司のパワハラとダブルの
ハラスメントで2年間苦しんだ。
持って行き場がない悩みは常に会社を辞めたいと思いながら、
現実的には辞められない事情があり、葛藤しながら仕事をした。
ちょうどその時に毎週観ていたドラマが冬ソナであった。

そして苦しい自分が逃げ込んだドラマが冬ソナの場であった。
通常あり得ない悲劇が続き、どんどんドラマに引き込まれていったため
自分の問題からは逃避できた。

友人たちはいつも励ましてくれた。
上司はいつか異動で代わるからそれまで我慢しようと頼りになってくれた。
会社の職場関係はヒトが代われば状況も変わる。
昔から続いている陰で見えないハラスメントは今でも世の中では続いているが、
法律でも守ってくれるとは限らない。

あの2年間を何とかやり過ごし、代わりにがむしゃらに働いたなという思いが残った。
冬ソナのそれぞれのパーツ毎のテーマ曲を聴くと見事にその当時を思い出してしまった。
しかし悪いことではない。
自分のこれまで経験のないどん底の時期が確かにあり、それを通過し、今があるのは
あの時期を過ごせたからと考えた。
音楽は深い海の底に沈んだ、通常では思い出せない出来事をあっという間に浮かび上がらせてくれる。

間もなく前期高齢者の年齢を過ぎていく老人になったが、若かった時に懸命に過ごしていた
職場の思い出を色々あったがひっくるめると良かったなぁと思うようになった。

サバの南蛮漬けは大量に出来上がり、信州のスーパーの売り場に並ぶサバのフィオーレは
塩分が強かったというのが感想である。
.....あらかじめ塩抜きすべきだった。




友を失う

2015年09月06日 15時39分56秒 | Weblog

  



おととい、1通のはがきが届き、目にした途端、どん底に落とされた。
病気療養中の友人が亡くなられた。

3年前に白血病の宣告で長い入院生活に入った。
白血病の種類でも珍しい病名で、輸血、抗がん剤の繰り返しで一旦退院した。
そして、昨秋、再入院した。
今年の桜の季節に俳句集が送られてきて、胸騒ぎがして思わず電話した。
4月3日のことだった。
桜を見に1時退院が許されたの…としゃがれた声で久しぶりに話が出来た。
14年前に知り合い、水彩画の作家で、ヨーロッパのスケッチ旅行の絵に魅かれて買い求め
それ以来毎年絵を買い求めた。

ところが、今年の春送られて来た俳句集は絵とともに長年作り溜めたものという。
今回も絶対に治療の効果で夏ごろには自宅へ帰れると信じ、そろそろまた電話してみようと
思っていた矢先のことだった。

いきなり深い奈落の底へ落され、2日間気持ちは悲しさが大きすぎて浮遊していた。
何をしていても次々と思い出が蘇り、無情な感情に入り込む。
彼女の死とともに残されたものは8点の絵画と俳句集であるため、直ぐに目に留まり
ぼーっと見入って考えてしまう。
この9月の連休中の期間、故人の遺志で遺作展を開くというので
あきる野市まで会いに行くつもりである。
多分泣いてしまうであろう。

思えば自分にはこの年齢まで続いてきた友人が5人おり、一人が1昨年の暮れ脳腫瘍で長期療養の末
亡くなった。
そして、白血病に続き、非結核性肺炎、悪性リンパ腫、転倒しての肘関節の骨折で手術、
と重症で残りの3人とも病院に通院中である。

自分は、というと飼い犬が細胞診の結果、悪性黒色腫と診断され先月から抗がん剤の治療に入った。
これは犬が身代わりとなってくれたのかと思うほどのタイミングであった。

平均寿命、健康寿命までまだ手が届かない年齢なのに、これまで明るく健康でいつも羨ましいと
思う生活環境で暮らしていた友人達だ。
少なくとも50代後半までは、命取りと思うほどの大病に襲われるような考えは一切なかった。
自分を含め周囲の友人にも及ぶことはなく、60代になり秘かにじわじわと健康障害は侵入し始めたと思う。
何が起きるか明日はわからない、闇の世界との言葉が身に染みるこの頃となった。
この季節、秋が深まる長い秋雨の毎日、もの悲しい日々となった。