今日で氷河の山々とはお別れをして、バンフを6時35分に出発した。
昨夜は念には念を入れて何度もカルガリー空港からバンクーバーへ向かうエアーカナダの便に乗り遅れないように逆算し、朝起きて車で出発する時間を頭に覚えさせ、携帯電話の目覚ましをセットして寝た。
しかし、目覚ましが果たしてきちんと仕事をするかどうかが心配で、二人とも朝方うつらうつらで、目覚ましが鳴る前に起きた。
緊張しきってバッグの整理をして、忘れ物がないように何度も見回した。
返す返すも心残りは、昨日私の帽子が姿を消したことだ。
神隠しにあったように、いつどこで手元を離れたか2人でデジカメに映った私の帽子を見たがボウ川に着く時には姿を消していた。
娘は盛んに気に掛け残念がっていた。
一緒に山に登った帽子は日本に帰りたくなく、カナダへ残りたかったらしい。
今回の旅行では最も早い朝の出発であった。
見慣れたアイスフィールドをひた走り、3時間後にはカルガリーへ着いてレンタカーを返し、空港へ戻っていなければ、今日中にバンクーバーへいけなくなる。
何度も見ながら走ってきた氷河の山々を今度は後ろに遠ざかるのを見ながら去っていくのはとても辛いことだ。
ジャスパーまで来る時は英語で書いてある地図を読むのにも時間がかかり、山の名前と照らし合わせながら助手席で真剣に学習した。
そのお陰で帰りは山々と湖と滝と川が見覚え有り、とても身近に感じていた。
途中のケンモアは感慨ひとしおで飛び降りたかったくらいの思いが残った。
そうなると今度は過ぎ去っていくのが早くて、予定時間より早く、遥か後方の彼方にロッキーの山々を見てカルガリーの町に到着した。
行きはとてつもなく広いカルガリーの町の中を抜けてアイスフイールドに入って行ったが、帰りもすんなりと空港へ到着し、レンタカーの返却も日本での返却手続きよりずっと簡単で、ムスメは現金で精算したかったのに既にカード精算されてしまったと残念がっていた。
残念ついでに、レンタカーのバックミラーに付けて置いたロッキー国立公園の通行券を忘れて来てしまった。
1年間有効で14,000円もしたので息子夫婦に譲ろうともくろんでいたのにやはり我々親子はどこか抜けているらしい。
この間の走行距離は1600キロであった。
毎日山に登っていたのだが、その割には良く走り回っていたのだ。
誠にムスメよ、親孝行をして、毎日右側通行の運転に徹しお疲れ様でした。
成長したムスメよ有難うございます。
カルガリーからバンクーバーには15時40分に到着した。
行きの飛行機の窓からは、ロッキー山脈が白く雪をかぶり延々と続くのが見えたが、帰りは雲が厚く天気が悪いらしい。
バンクーバーに到着すると間もなく雨が降り始め、タクシーに30分載り
ホテルに向かった。
ダウンタウンの中心部のロブソン通りにエンパイアホテルがあり、すっかりこれまでの8日間の旅の宿と異なり、大都会での1晩の泊りとなった。
雨が上がり、早速残り少ないバンクーバーの町を歩く。
大型デパートやホテル、ブランドの店、お土産や、高級レストラン、
ファーストフードが目白押し。
これまで見慣れた森や山などを見てきた目が一挙に疲れる。
ムスメは仕事用の携帯電話の店をあれこれ探し回り、4件目に気に入った品が手に入った。
その後約束のRootsのお揃いの財布を買い、ついでにポロシャツも買うことが出来お腹が空きっぱなしでまだ歩く。
来る時に持って来たムスメのスーツケースがお土産を入れたらもう入らず、結局バンクーバーで買うことにした。
空港やロブソン通りでは旅行鞄を60%や70%offで売っている。
半分嫌になりながらすきっ腹と戦い、何とかフランス製のシックな鞄を手に入れた。
息子夫婦がシカゴにいる間に出掛けようという魂胆だから、買い物も必死だ。
時期とタイミングを失うと、日本へ帰れば辺鄙な原村だからもう買う気持ちは失せてしまい、シカゴは夢のまた夢に終わってしまう。
ムスメは日本食を売っている店を見つけ下見をして明日買い物に来るという。
さすがにお腹が空きすぎてその時に一番食べたかった、ラーメンを食べに中華の店に入った。
思いがけず麺も美味しくキムチラーメンと餃子を食べた。
バンクーバーでですよ。
26階の部屋からは夜景が美しく、真向かいは港、セレブが住む高級住宅地があるノースバンクーバーがきらめき、下を覗くとぞっとするほど小さくロブソン通りが見える。
ムスメが入れてくれたバスソルトにゆっくり入り、カナダでの最後の夜は高層ビルが立ち並び、美しい夜景を見ながら、カーテンを轢くのが勿体なくそのままベットに入った。
日本へ帰りたくないが、それを口に出すともっともっとアルジェに帰りたくないムスメに申し訳なく、悲しいが心の奥でカナダよ本当に有難うとお礼を言って目をつぶった。