信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

小春日和の散歩道

2009年10月31日 23時55分52秒 | Weblog
珍しく秋の陽ざしが暖かく長続きしている。
休日になり、朝から今日のスケジュールを考えて悩んでしまう。
やりたいことだらけ・・・・。
しかし時間に限りはある。

夕方、修理中の車が出来上がる予定であるから、遠出は出来ない。
庭の花が終わったコスモスは刈り取らねばならないし、大根の間引きも
丁寧に行なわなければならない。

頭の中で渦巻いている事柄を、ホワイトボードに書き写してみた。
だめだ、これは。
やることが多すぎて、今日中には終わらない。
足元では犬達が、恨めしそうな顔で見上げている。

せめて庭だけでも、片付けて、午後から紅葉を見ながら散歩に行くか~
と散漫ながらあっちこっちを片付ける。
3時の火の見やぐらからのオルゴールを合図に出かける。


移住して3年目になるのに、知らない散歩道を発見した。
近くに雑木林の中に点在する別荘がこれほどあったとは・・・・。
コットン村と名前がついている。
将来自分が住みたい家を想像しながら、木漏れ日の林を2時間ほど歩いた。

   

先週、忙しくてすさんでいた心が大分楽になった。
美容家の田中宥久子さんが、仕事は楽しんでやらなければと言うが
そうも行かない時もある。

その時は自分の顔は険しくなっているのかもしれない。
秋の淡い陽ざしを受けながら、枯葉の落ちている道を歩くと、ほっとする。



八ヶ岳の裾野は落葉松が紅葉し、陽ざしがさらに褐色の山に変えている。

朝もやが立ち始めたので、そろそろ寒波がやって来るのも近いかもしれない。


ご苦労様でした

2009年10月26日 23時44分15秒 | Weblog
朝、何気なく外の畑を一回りしたら、雨よけハウスの中のミニトマトの木に真っ赤なトマトの姿が見えた。

もう先週には霜が降りてあたり一面真っ白の朝があった。
いよいよなのね~とため息をついた。

と、なると野菜たちの季節は終わりに近い。
畑の野菜の整理をしなければならない。
根こそぎ引っこ抜いて土を来年に向けて土壌改良する。
それなのに、この数日でトマトは最後のお勤めを果たしてくれた。
完熟するのはこの季節の気温では珍しい。




他のトマトの木は緑の実がみっちりなっているが赤くならずそのままずっと同じ姿を保ったままである。
健気な数粒のミニトマトは最後のご奉公をしてくれた。
食べるのが勿体ない。
来年の栽培を、自分なりの方法を考え、今年の収穫はにわか日曜園芸家2年目にしてまずまずであったと思われる。

来年も元気に畑を耕す気力を持ち続けなければならない。

果実酒

2009年10月25日 20時00分45秒 | Weblog
2年前に信州へ来てから実家の兄から頼まれていたことが今年は果たせた。
福島で育ち、外で一日中遊び、線路の土手で夏の間赤く咲いていた花に記憶がある。
きれいだからと家に持って帰ると火事になると言い伝えられ、何となく不気味な花だとずっと思い続けていた。
故郷ではその花をしどみと言い、秋になると黄色い実を付けた。
かじるとたまらなく酸っぱく、子供にとっては美味しさなど感じられず、吐き出してしまう。
その程度の記憶のまま、昨年原村を訪ねてきた兄が、ここではしどみはならないかと訊ねた。
確か昨年の秋、犬と散歩をしていたら、エコーラインの土手で黄色い実を見たような記憶があり、
その場所へ案内した。

もう11月になって寒くなり、いくつかみつけたが、茶色でしわしわになり梅干のようだった。
では今年こそと、夏の頃から散歩の度に気に掛けて藪の中なども覗いていた。
今年は豊作なのだろうか、この辺りではしどみを取る人もいず、軍手をはめて
退屈して帰りたがる犬を押さえつけ、収穫した。

思いもよらず沢山の量が取れ、早速宅急便で送り、実家の兄は感激して、
妻の兄妹までおすそ分けしたそうである。
実家は海に近いからこのような貴重な物の恩恵は受けられない。

その後も休みの度に犬の散歩で林でしどみの実がなっているのを発見し、焼酎につけた。
なかなか実がならないというブログの記事を見て私はその方の数100倍は収穫したのであるが
効能は咳止めになると言う。
甕と瓶に漬けたが、来年の今頃はきれいな色にしどみ酒は出来上がっていると思われる。
梅酒も毎年漬けるが飲み手がいないので、瓶はどんどん増えるばかりである。


くさぼけ

・薔薇(ばら)科。
・学名 Chaenomeles japonica
Chaenomeles : ボケ属
japonica : 日本の
Chaenomeles(カエノメレス)は ギリシャ語の
「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が
語源で、”裂けたリンゴ”の意味。



・冬から春にかけて、オレンジ色の花が咲く。
・盆栽としても利用される。
・別名「地梨」(じなし)。
果実は果実酒にされる。
・枝にはトゲあり

  

老後の友人とは?

2009年10月24日 23時02分48秒 | Weblog





先週の休日の夕食の時である。
いきなり、中学時代の同級生(ここの同じ村の住人)からの電話がある。
どうしたの~今、どこにいるの?と私。
友人・・・富山だよ。

以前、この友人から話を聞いたが、同じ中学時代の同級生が富山に住んでいて、色々あって交流を始めたようだ。

ああー今日は訪ねていったのね。

そう、今一緒に飲んでいるんだ。
〇〇君に代わるから・・・・・と言うので慌てた私はいきなり代わるって言っても、
ええっ~同級生と言っても40年以上間が空いているし、まして私はその人を知らないしいきなり代わると言っても何を話してよいか判らないから困るわと言ったがもう相手が出ていた。

名前と顔が一致しない。
当時は中学生でも
話し始めたら、相手は卒業後の同級会には1度も出ていないと言
い全くイメージが付かない。クラスも1回も一緒になったことがないという。
話をしろと言われても無理な話で、食べ始めたご飯が喉に突っかかった。

今富山で何をしているのと当たり障りがないように聞いたが、相手はああ社長をしているよと言い、喉につっかえたご飯でさらにむせった。

富山に遊びに来いと言うので、直ぐにはいけないけどそのうちにねと言うと、ごちゃごちゃ言わず、近いうちに来い!という。
来いと言っても・・・そうね、そのうちにねと又言ったら、
本当に来いっと何度か言って電話を代わった。

歳を取ると同級生がやたらと懐かしくなり、故郷では毎年集まっているという。
高校を卒業してからは生まれ故郷を出て、それから3種類の学校を卒業した。
定年後信州へ引越しする際、考えがあって、これまでの同級生とも勤めていた会社の友人とも一切縁を切り、自由になるべく全く縁のない土地へやって来て住んだ。

ところが今回いきなり夜、電話で来い!と言われてすっかり気分が落っこちた。
社長か~。
何の社長かわからないが、だからどうした。

深く考えることはない、同級生といっても全く交流もなく、そうですか、はいわかりました。という訳には行かないでしょう。
友人は必要と思うが・・・・・。

と思い続けて1週間が経った。
犬達と秋の深まってきた散歩道を歩きながら、折角信州に引越して来て何を大事にすべきか、辺りの景色が答えを出してくれたのである。

  

肩透かし

2009年10月22日 23時00分56秒 | Weblog
先週から新型インフルエンザの予防接種について、お触れが流されては変更していく。
初めに医療職からということで、優先的に職場ごとにリストアップされて月曜日から
接種始めるということが毎日情報が変更される。

ワクチンの数も800人の職員には限られる。
1週間たち、方向性は変わり、来週から季節性インフルエンザの接種を職員に順番に始めると大幅に変更される。

国から流れる情報と事実は異なり、現場は相当錯綜している。
一般住民の季節性インフルエンザの接種についてはまだ方針が決まっていない。
ニュースでは益々感染は拡大し、あおってくるが、いまだにこの状況では、不安が募ってくるのは当たり前かもしれない。

通勤途中の街路樹は日に日に色を濃くしていく。
中央高速道路の諏訪インターの付近の桜並木は意外や赤い色に色づいてきた。
今週末から来週初めが見ごろになるかもしれない。
駐車場脇のりんご畑に1本の柿の木があるが、大きな柿の実が朝日を受けて光っていた。
誠に美しい姿であるが多分、渋柿に違いないと思われる。

     
 



信州に住んで気が付いたがこちらには季節の香りの木が植えていない。
沈丁花、くちなし、金木犀。
これらの花の香りは香りでその存在を見つけたものであった。
そして季節が今丁度その時であることを確認したのだが、こちらではそのことがなくなった。
しかし咲く花の種類や彩り、秋の紅葉は見事なものである。

通勤周辺

2009年10月20日 21時57分58秒 | Weblog
最近、好天が続いている。
夏の間いやというほど雨が降り続き、寒い晩夏を迎え、アメリカ旅行では砂漠地帯で今年着る事のなかったTシャツで過ごした。
気温を体でまともに感じ取るセンサーが壊れてしまったと思った。

この1週間、風邪もやっと治り、嗅覚と味覚が戻って来た。
追突されたショックも失せた。
体の元気を取り戻せると、やる気が出てくるし、毎日の通勤の時の気分が変わってくる。

街路樹は赤い色の紅葉に変わってきたし、四季を感じながら出勤できることを幸せと思える。
諏訪湖に注ぐ堀川は鴨の数が増えてきた。
親子も連なって泳いでいる。




りんご畑があちらこちらにあるが、甘い香りが漂い始め、実の色も赤くなってきた。
いつもながら道路際に鈴なりになっているがよく盗まれないなと感心する、小心者である。




1週間前に通勤バイパスで、渋滞しており、ずるずる進んでいったら
道路には血が飛び散りその先に狐の子供らしい姿が横たわっていた。
胸が痛んだ。
暫くの間その姿は焼きついたまま事あるごとに思い出し、悲しくなっていた。
そして本日、同じ通勤バイパスで今度は狸が横たわっていた。
やはり車に接触したか、轢かれたらしい。
立派な毛皮に見えた。

通勤バイパスは諏訪湖に注ぐ上川では両岸に葦が茂り、小動物が棲んでいるらしい。

鴨も轢かれていた。
罪もない狸も狐も車に轢かれ命を落とした。
こうして季節は巡っていく。

黄金色の蓼科高原

2009年10月18日 23時48分27秒 | Weblog
アメリカへ行って来てから、1ヶ月が過ぎた。
この1ヶ月はとても早く、しみじみ思い出に浸っていることがなかった。
風邪を引いて体調は悪いし、仕事は容赦なく忙しく、遊んできた事はおくびにも出せないし、
先日の17日になって、ああそうだ今頃シカゴに飛び立ったのだとやっと振り返ることが出来た。

先週は事故に遭い、追突され新車は6ヶ月目で後部を大破し、今月一杯治って来ない。
通常なら大変な出来事で、うつうつしてしまう事だが、アメリカ旅行で私はいくらか大人になって帰ってきた。

一番困ったのが、このブログを書いている途中に、写真がアップ出来なくなり、画像フオルダーが壊れてしまったことだった。
手を尽くしても治らず、このブログを辞めねばならないかと覚悟した。
娘が助けてくれた。
そしてこれまでよりも大きな画像を載せることができるようになった。
お陰でとても印象が違ったものになって来た。

今回の旅行では子供達の成長を見て、子供と自分の差が益々開いたことを確認し、
又、アメリカなんてと偏見を持ち、食わず嫌いの国の歴史を見聞きしてからは自分を恥じる。
いつものことだが大きな世界でのちっぽけな自分を思い知り、年を取ることを恐れていた最近を思い直し、少し自分の精神がこの旅行で、ふっくらしたような思いで帰って来た。

先々週、乗鞍へ登山して、標高差の大きい山の危険を目の当たりに感じ、
今日は蓼科にドライブがてら、秋の気配の進んだ山を歩き回ってきた。
昨日は準備までして出掛けたが、雨が降り始め断念した。
今日は打って変わって快晴となり、暖かい陽ざしに急に行先を予定変更し、秋色の蓼科に行こうと決めた。
蓼科湖は青空を湖に映し、ドウダンつつじやもみじが真っ赤に色づいていた。

   

今年は夏の間の長雨で、紅葉の色が悪いといわれているが、蓼科から白樺湖に抜ける途中の山道は
黄金色の木々のトンネルとなり、落葉松も黄色に色づきまだ落葉せず、一番良い時期であったかもしれない。

霧が峰から八島湿原をぐるりと歩き回り、太陽の光を受けて銀色に光るススキの原は、見応えがあった。
修理に廻した間は代車で生活しているが、この半年は新車に慣れ、その便利さを当り前とみなしていた
自分のおごりに気付かされた。
何もかも不自由な小さな代車はその便利さをことごとく打ち消してくれる。
今日は青空の気持ちの良い高原を一生懸命に走ってくれて、
移住して3年目に入った信州の秋を愛すべき良き地の想いを数倍にさせてくれた。

遠くに見えるのが八ヶ岳。

 八島湿原  

ザイオンからラスベガスへ戻る

2009年10月12日 00時49分20秒 | Weblog
9月22日から23日(火、水)7~8日目

ザイオン国立公園でのバージン川のトレイルを歩き、びしょぬれながら目的を果たした満足感一杯で
3時過ぎに緑が茂るスプリングデールの街を出た。
川歩きで疲れたムスコにはこれから2時間半、ラスベガスへ向かい運転をして頑張ってもらわねばならない。
暑さで陽炎の立つ延々続く長道路脇は巨大な岩が立ち並び、砂漠地帯であるのでサボテンがずっと見えている。

5時15分ラスベガス着。高速道路が網の目のように市内に続いていく。
初めの日に泊ったラスベガスだが違った方向から入って行くと全く方向感覚がわからないので
違った街に見えてしまう。
市内に入って直ぐに、ムスコから1時間だけと時間制限でアウトレットへ連れて行かれた。
どうやら目的の店があるらしいが、ベガスのアウトレットは御殿場の数倍はあり、廻りきれないため
1店舗に絞ったらしい。
1時間はとっくに過ぎたが間もなく買い物に大満足したムスメとハハを車に戻しホテルへ向かった。
今夜のホテルはベネチアンといい、水の都のベネチアを模してゴンドラが運河をカップルを乗せていく。



ホテルの中に運河があるというだけで驚きだが、ロビーは上を見ると丸天井から回廊になりイタリアのフレスコ画に圧倒される。
ホテルは4,049室、全室スイートで家具調度や絵画が美術館の如く飾られている。




イタリアンレストランで夕食となったが、来年の春アフリカでの仕事に出かけるムスメの壮行会をした。
もうこれでムスメとムスコの姉弟は2,3年は会えなくなってしまう。
テーブルには、バイオリンとアコーデイオンを持った楽師が廻ってくる。
我々のテーブルに来て、おおジャパニーズ、と言いながら荒城の月とさくらさくらを弾いてくれた。
そうか、そう思われているのだ、日本はと思いながらチップを渡したが、彼らはテーブルを廻って歩き結構な収入を得ているのである。

今回も夕食を終えたのが11時半、既に予定していたベラッジオホテルの噴水バレエショーや、ホテルミラージュの火山の噴火も
ホテルまで到着した時は終了していた。
ホテル一つ一つがアミューズメントパークになっている広大な土地なので、歩くだけでも相当時間がかかり、へとへとになってしまう。
明日には早朝にムスメが、一人でデスバレーバスツアーへ出かけ、ヨセミテ公園、イエローストーン国立公園、グランドテイトン国立公園のトレッキングに挑戦する。
女の子ながら逞しい限りである。

翌朝、ムスメを見送り、我々は二人で空港へ向かった。
2日間泊りながら大したことも出来ず、ショーもカジノも通り過ぎ、あまりにも巨大なラスベガスは訳がわからなかった。
マッカラン空港でレンタカーを返し、通算6日間で走行距離は1,700キロとなり、慣れない土地をムスコは一人で頑張って運転をしてくれた。
成長してくれた子供をしっかり見れたのが今回の旅行の大きなポイントとなった。

12:25発マッカラン空港からシカゴのオヘア空港に着いたのが18:00でヨメが迎えに出てくれていた。
ムスメがいないので大きな穴があいているが、無事8日目にはシカゴの息子の家でお疲れ様の乾杯が出来て、ぐっすり眠る気分になっていた。








乗鞍岳への登山

2009年10月10日 23時34分29秒 | Weblog
3連休となり、金曜日の前日の夜、ムスメと相談し、山登りをすることになった。
2年前に乗鞍岳の途中までドライブしたが、シャトルバスの乗り換える時間がなく断念した頂上まで登ろうとなった。
この3連休は天気は晴れというが、昨日の朝刊で乗鞍岳の初冠雪の写真が載った。
松本インターから波田街経由で、上高地方面の途中で乗鞍岳への分岐になるが、車は
はるかに上高地方面へ走り去り、紅葉が標高が上がるごとに黄色く色づいて行く。

まだ今月の終わりあたりに真っ赤に色づくかなと思ったが、バスターミナルに到着した頃にはかなり紅葉も褐色近くなっている。
シャトルバスが1時間に1本で既に今、出発したばかりで、相乗りタクシーで向かう。
面白い運転手さんで途中途中で説明を入れてくれるが、笑ってばかりいるような話になり、笹野弘史のようなキャラである。

タクシーを降り、登り始める時には雪がちらちら吹っかけてきた。
青空だったのに・・・・と尻込みするが登り始めた。
肩の小屋口から25分で肩の小屋まで到着し、前方の中腹には万年雪の雪渓が残っている。
スキーヤーが初スキーで滑っているのが見える。
乗鞍岳は北アルプスの南端に位置し、剣が峰(3,026m)を最高峰に、23の峰と
7つの湖と8つの平原がある。
その姿が馬の鞍に似ていることから乗鞍と呼ばれるようになったという。
朝日岳、繭玉岳を経過して登り90分である。
一瞬にして霧が晴れたり、真っ白に何も見えなくなったりの中をあえぎあえぎ
登っていく。
ハイ松が凍っている。


雪が薄く岩壁に残り、途中からは凍った岩山が続いている。
頂上近くになり、眼下にエメラルド色の権現池が見えている。
霧が晴れると登ってきた尾根が見えて苦しかった筈だと、自分に言い聞かせる。
大分頂上付近近づいたときに、すれ違った下山者が2時を過ぎると頂上は凍るから早く登った方が良いとアドバイスしてくれた。

なるほど、既に岩山は氷でバリバリ、厚く壁になっていてうっすら雪化粧になっている。
頂上の剣が峰は3,026mで周囲360度見渡せるが、霧がかかり、一瞬晴れるが又見えなくなり、しかも寒さでいつまでも立ち止まっていられない。
鳥居も神社も氷で凍っており見るだけでぞっとする姿になっている。

天候は思わない方向にあったが、無事登りきれたことを感謝して、又同じ尾根づたいに降りてきた。
岩だらけの道は足を取られ歩きにくい。
登り始めた時の、肩の小屋からバスターミナルの畳平まで45分、ここは寒かった。
霰が吹っかけてきて、寒さで悴んだ体でせっせと歩き、畳平に到着した時は体感温度はマイナス何度であっただろうか?


下山して途中の湯けむり館という温泉に立ち寄り、温まることにした。
夕暮れの温泉は単純硫黄で、乳白色の湯船は冷たくなった体を充分温めて、とろける気持ちにしてくれた。
慌しく決めた山登りであったが、達成感を味わい、秋の山の気温の変化の大きさを
これも充分恐さと感じた、これからの登山に繋がる経験をして帰ってきた。





ザイオン国立公園ハイキング

2009年10月07日 23時57分32秒 | Weblog
9月22日(火)7日目

ザイオン国立公園は巨岩と木々の絶妙なバランスで、岩の芸術の宝庫といわれる。
ラスベガス、ソルトレイクシテイ、グランドキャニオンなどからのアクセスも便利なため四季を通じて観光客が訪れる。
特に秋の紅葉の季節は、駐車場も満杯になるほどのようで、年間250万人の入園者という。


グランドキャニオンはコロラド川が削り、ザイオンはバージン川が浸食して出来上がった深い谷である。
次々と車窓から連なる巨岩にはそれぞれ名前がついている。
岩の色も形もこれまでの砂漠地帯の岩とは違った様相であり、その岩を見ながら今日は渓谷に沿ったトレイルをハイキングをする。
午後にはラスベガスの大都会に戻っていかねばならない。

朝起きてロッジから見る景色はスプリンクラーで水が撒かれ、あらゆる季節の花が咲きここは南国のリゾートか?と勘違いするような庭が広がっている。
すぐ目の前には朝日に輝く巨大な岩壁がそそり立っている。

ザイオン国立公園は交通渋滞、環境汚染、動物の保護などから広大な園内は、無料シャトルバスで見て廻る。
トレイルも完備され、岩を仰ぎ見ながらバージン川に沿ったトレイルを歩き、川の中を水に浸かって歩く今日の予定である。
既に暑い焼けるような陽ざしになった博物館前からシャトルバスに乗り、バージン川に沿った峡谷には巨大な岩壁が迫っている。

岩には名前がそれぞれついている。
グレート、ホワイト、スローンという岩は世界最大級の1枚岩で川岸からの高さが700メートル以上と、首が痛くなるほど仰がねばならない。
オーストラリアのエアーズロックの2倍というから規模はすさまじい。



ザイオンキャニオンシーニックドライブの突き当りがトレイルに繋がる。
このハイキングに備えてわざわざ、荷物に靴や服を準備してきた。
やっと陽の目を浴びることになった。

トレイルを勇ましい短パンの観光客のガイジンと歩き、、終点となったところからいよいよ川の中を歩いて進むことになる。
いよいよかと思うと気持ちは引き締まる。
バージン川は膝の深さから深いところは腹まで水に浸かる。

靴を履いたままだし、暑いから良いがそれでも川の中は勇気がいるし水温も低い。
川はどんどん細くなり、垂直の岩が両側に迫り、岸がない川で腰まで水に浸かって
滑らないよう注意を払いつつ歩くがそれでも、足元はつるつるで一度ひっくり返ってずぶぬれになった。


  

峡谷はどんどん狭くなり、仰ぎ見る空も僅かになり、2時を過ぎて又同じ川の中を戻らねばならないので途中で引き返してきた。
ずぶぬれで川から上がってトレイルを歩いていても、暑い日差しで服は乾いていく。

11時ごろから約4時間の峡谷のトレッキングは確かに足を使って歩いたぞと
思うのだったが、その後時間が経つと共に疲れとなって、ラスベガスに移動する車の中は睡魔と戦わねばならなかった。

多分もう2度とない60歳を過ぎての貴重すぎる体力勝負の体験になったと思う。


ザイオン国立公園へ向かう

2009年10月05日 23時06分06秒 | Weblog
9月21日(月) 6日目

旅行も半分を過ぎた。
毎日が満載で終わりが来るのが恐い。

今日はペイジ発の国内機でヨメがシカゴへ帰って行くのである。
語学学校の学生のヨメは新学期が始まり、これ以上旅行に参加できず後半は子供たちと3人の旅を続けて行く。

ヨメは12:12ペイジ発からデンバー乗り換えでシカゴ空港に20:20着なので国内でもしっかり時間がかかる。
機内で宿題を終わらせねばならない。

見送った後我々はペイジから北東に向かい延々、アリゾナ州からユタ州南部のザイオン国立公園へ約190キロ、2時間半で到着する。
ヨメを見送った後、車中は何故かシーン。
ムスコは寡黙になりいつになく言葉も少なく、ムスメは寝た振りを続ける。
やはりいつもいるべき人がいないと、リズムを崩すし、ヨメは家族の中心人物であるからいないと火が消えたようになった。

ペイジを過ぎてから程なくコロラド川を渡るがこれも昨日のホースシューベントと同様深い谷底を覗く感じで恐さのあまりにお尻がムズムズする。






その後はアリゾナの砂漠特有の景色がどこまでも続き、運転するムスコに気の毒な思いが出た。
このレンタカーを借りての旅行は、初めから息子が運転し、ヨメもムスメも代わるよ~と言うのにきっぱりと断って一人で運転を続けている。
ハハは国内であれば一番運転暦が長いが、仕事で忙しく国際免許を得る時間もなく、いきなり左ハンドルどころではなく、おとなしく黙っ
ているばかりで、まあ、子供たちが小さい頃と逆転しているのだからと甘んじていた。
時差はこれで1時間ごとに代わるのが4回続いている。
時計の針を変えるのもいつの間にかやめてしまった。

ユタ州に近づいてきた頃に、景色が変わり一気に森林地帯に変わってきた。
砂漠からどのような地勢で木が生えてくるのかも判らない。

宿泊はザイオンキャニオンがあるスプリングデールというリゾートタウンにある。
ザイオンとはエルサレムにあるシオンの丘の意味で道の両側にどこまでも続く巨岩群で国立公園の中でもそのスケールには圧倒される。
夕方になり夕日が赤く岩壁に輝きを増す頃にザイオンの玄関口に到着した。
その頃機内にいる筈のヨメから電話が入り、デンバーで足止めになり、5時間待ちという。
雨は降っているし、暗くなったし、一人で寝る気にもならず、ただ待つだけであるという。
国内機は何があるかわからないという。
かわいそうに、ムスコも内心心配している。

ビジターセンターで明日の予定を調べ、スプリングデールのレストランで日没前の巨岩を見ながら野菜をたっぷり食べたいねと言いつつ夕食を摂った。

   

幻想のアンテロープキャニオン

2009年10月04日 21時39分17秒 | Weblog
9月20日(日)5日目

モニュメントバレーの日の出はこれも100万ドルの価値でスケールが大きい。
ホテルの窓から前面に広がる広がるバレーは徐々に紫色から色が変わり夕方見た景色と違った美しさを感じた。

今日も予定が詰っているので、次なる場所へ出かけた。
フオレスト・ガンプが走ったシーンで、地図上ではわからないので昨日のバレーツアーでは先住民から聞いた。
おおーここだっ。
だだっ広い延々続く道路ではムスメが夢みていたガンプの立ち止まっている格好をやっている。



砂漠地帯を次は3時間半かかり、ペイジの街に到着する。
グランドキャニオンの上流に94の峡谷が入り組んだ場所がある。
その峡谷の中にコロラド川をせき止めてダムが作られ、世界で2番目に大きいといわれるレイクパウエルという人造湖が出来上がった。
全長が東京名古屋間にあたり、満水になるのに17年もかかったという。
深い青緑色のぎざぎざの峡谷の入り組んだ地形は
その景観は猿の惑星などのSF映画の舞台になっている。

レイクパウエルに注ぎ込むコロラド川の支流にアンテロープキャニオンがある。
アッパーとロウアーと2箇所の見物になるが初めにアッパーを選んだ。

やはりここもナバホ族の居留地内にあるのでこれもツアーを申し込み改造トラックで見て廻る。
漆黒の長い髪を三編みにした先住民の若者が案内役件運転手となる。

超スピードで砂漠を走り砂塵を巻き上げ、降り落とされそうになりながら10分ほどで着いた。
見上げる岩壁からは中は計り知れないが、一歩入ると幻想的な世界に繋がっていった。
砂丘が固まって出来た砂岩が鉄砲水に浸食されて出来た細長い隙間のらせん状のキャニオンと呼ばれる。
くねくねと続く細長い道を3分ほど歩くが見上げると長さ20メートルほどのらせん状の岩壁が渦巻状に削られている。
峡谷の僅かな空から漏れる光で岩肌が様々な色に変化して行くが、見たこともないような微妙な、幻想的な色合いで皆、感動の声を上げている。
ただ時折砂塵が上から降って来るので、目潰しの刑に合った様で、泣きながら、目が開かず、手を引かれながらその美しさを味わわなければならない。
ガイジンはソフトコンタクトなので砂埃が目に入らないらしく、平然としている。

    

目潰しのキャニオンで泣きっぱなしで、午後からのロウアーは危険も伴うので
予定変更した。
ダムの下流にあるホースシューベントというコロラド川が馬蹄形の急カーブを描く場所で砂漠のトレイルを上っていくが暑いので結構きつかった。
コロラド川は赤い色をしているのだが、ダムに川の砂や岩石は沈殿し、この場所では不思議なことに緑色となっている。
眼下に望む川は覗き込むことが出来ないほど深く、手すりもない崖で背筋が寒くなる。
この規模と川に囲まれた岩石は日本では見られない。

知らなかった・・・。
今日見たキャニオンはいずれも多分一生知らずに終わっていたかも知れない場所であった。
グランドキャニオンはロッキーから流れ出た1滴の氷河の水がやがてコロラド川となり500万年から600万年もかかり岩肌を削り作りあげた渓谷だが、その延長線上のアンテロープキャニオンやレイクパウエルも巨大な土地ならでの造形である。

アンテロープキャニオンのそのらせん状の岩肌は、絵葉書にしたいような美しさで写真にアップするには選び難く悩むほどである。

   

モニュメントバレーツアー

2009年10月01日 22時06分34秒 | Weblog
9月19日(土) 午後

グランドキャニオンから再び砂漠の中を北東へ約2時間半走り、モニュメントバレーへと到着した。





暑い!
アメリカの原風景といわれる景色が広がるが空気は見事に乾燥しきっていて、 陽ざしが刺す様に痛い。
アリゾナ州に入ってからは砂漠の特有の景色がどこまでも続き、グランドキャニオンは暑かったが、それでも夜になるとひんやりと気温が下がっていった。
モニュメントバレーはアリゾナ州とユタ州の州境に位置する。
時差が又1時間ずれてきた。

アメリカは先住民の居留地域が決められており、このモニュメントバレーはナバホ族の人々が管理、運営する、ナバホ族の公園である。

ホテルに荷物を置いて、夕刻のバレーツアーに参加する。
案内人兼運転もナバホ族のお世話になる。
一人60ドルという値段を交渉し、改造トラックに乗り込みバレー内、全長27キロの道路を赤い砂埃を巻き上げて突っ走る。
想像以上のバレー内の広さで、懐かしき西部劇そのものの風景を、こうしてみることになるとは思ってもいなかった。

ライトミトン、レフトミトン、スヌーピーの丘とかスリーシスターズとか
名前がついたビュート(残丘)と呼ばれる地上300メートルもある
1枚岩の巨大な岩がそそり立ち、開発されない荒野は、馬や馬車が今にも現れそうな様相をして、つい、西部劇のシーンを回想させられる気持ちになる。



砂埃に涙を流し、夕焼けに染まるビュートを見ながら約2時間のツアーは終わった。

ナバホ族も世代交代はやって来ているが、メディスンマンという呪術師が診療所で拝んでくれるし、今でも生活は自然や天候を頼りに守ってきている老人と、若いジーンズを履き英語を話す若者との間には差が開いてきているようだ。

夕暮れになり、広いバレー内を猛烈なスピードで飛ばすので、車から落っこちそうになりながら、戻っていくのだが
ナバホ族の案内者とは2時間も一緒にいると不思議にフレンドリーな気持ちになっていくのである。

夕焼けに染まったモニュメントバレーは、泣きたくなるようなすばらしい景色となり、アメリカ大陸の長い歴史を感じ、知らずにこれまで偏見を持っていた自分を恥じた思い出の場所となった。

グランドキャニオンと同様、日没と日の出が美しいといわれているので、明日の朝のバレーの変化を見つめて行きたい。
砂埃にまみれた一日であったが、モニュメントバレーとグランドキャニオンの両方に圧倒され、多分夢も見ずにぐっすりと眠れるかもしれない。