信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

小布施町と安曇野

2010年09月26日 21時16分06秒 | Weblog
兄夫婦滞在は2日目となり、雨は上がったが曇りでは山方面はお勧めできない。
信州らしい場所を見てもらいたいと予定したが雨模様で計画は大幅に崩れた。

娘の友人が長野方面への案内を申し出てくれた。
善光寺は何度か行っているのでと、では小布施へ行きましょうと途中でナビを変更した。

姨捨のパーキングで小休止。
ぬいぐるみ好きの犬のお土産にと100円コインでぬいぐるみを吊り上げるゲームを
1回だけと断ってやってみた。
小さなひよこのぬいぐるみを吊り上げるが空振りばかりで全員が悔しさ紛れに挑戦するが
結局700円出して3匹しか吊れなかった。

いんちきだといい大人が4人でゲーム機の前で話していたら、
マグドナルドのおじさんが通りかかり、ああそれは難しいです、コツがあります。
もう遅い、簡単に見えたが馬鹿馬鹿しいが吊り上げないように出来ているそうだ。

姨捨は棚田で有名な場所で、下りのパーキングでは眺望がよくないので、帰りに残した。
今夜はお月見が出来そうか?

栗の里の小布施は市街地からは予測もつかないが、町全体がきれいに街づくりがなされている。
車を降りてぶらり歩きながら店を覗き食べ物屋さんで食事やお菓子を味わい、
葛飾北斎の美術館で肉筆を堪能したり
他の美術館を巡り長時間楽しめることが出来る。
お菓子屋さんだけでも悩むほど老舗が並んでいる。



   



次に兄がわさびの有名な場所があるので見て行きたいと言い出し、性格のよい娘の友人は
又もやナビを入れ替え、豊科インターから安曇野の大王わさび園へ向かった。
ウイークデイにもかかわらず、わさび園は混んでいた。
湧水で有名な水車も豊富な水量で梅花藻が水の中で生い茂り、
驚くことにいつの間にかこの川の中をカヌーのような船で観光するツアーがあり、景観を損ねていた。





水車小屋の傍にはもう早くも彼岸花が咲いている。
心が和む風景である。

 


わさび田はどこまでも続き、出荷まで3年かかるといわれるが、夏の間は寒冷紗の中で
育ち清冽な湧水が豊富に流れを受け見事な風景である。





 

最後に小布施の竹風堂の栗おこわを買い、夕方家に戻った。
小布施の町を全部歩くには今日は時間が足らず、今度一人で朝早くからやって来ようと
次なる計画を胸の中に仕舞い込んだのである。

兄夫婦は大満足 




客が来た

2010年09月25日 19時36分38秒 | Weblog
この9月半ばは3連休、4連休となった(休暇を取って)。
前半も後半も来客で本当に話題満載で忙しかったが、兎に角楽しかった。

後半の休みには千葉の実家から兄夫婦が訪ねてきた。
兄嫁は長年母の介護で遠くへの旅行が出来ず、信州へ移住して3年経った私の家を訪ねる日がやっと来た。

けれど何と運が悪いことに雨が降った。
信州は寒いからと電話であらかじめ忠告したが、千葉は暑いからと信用せず、
22日に到着した時はやっぱりほら、暑いじゃない~と。

しかし翌日雨の一日になり、気温が20度近く下がり、戸惑っていた。
高原地帯は雨が降れば寒いし、外へ出るわけにも行かず、観光することが全く不可能になる。

台風の影響とかで、朝から雷がなり雨の降り方も激しく、朝ごはんを食べた後、経験がないというWiiスポーツを勧める。

幸い買ったばかりのリゾート編があるので、
カヌーや卓球、モーターバイク、アーチェリーなど次々にはまり
夫婦で交互にアーとかワーとか騒ぎながらリモコンを離さない。
お昼は夢中になっている二人をテレビの前から引っ剥がして
信州そばの美味しいお店へ出かけた。

その後はよりどりみどりの温泉へ出かけた。
寒くてからだが冷えていたため、ゆっくり温まると軽く2時間近くたってしまった。
雨の日は温泉に限る。
連休が続き、この後半は天気が悪いとわかっていたのか、観光客は少なく、蓼科でも
温泉は空いており、幸運だった。

外食すると運転者はアルコール抜きであるし、ゆっくり家で飲もうと、せっせと料理を沢山作り
信州牛を焼いて生わさびを摺り、先週山梨から買ってきた白ワインを抜き、乾杯した。
野菜が美味しいと褒められ、来年も野菜作りは欠かせなくなった。

お風呂上りで、美味しい料理があり、気兼ね無しの兄妹であれば夜の食卓は、通常にない盛り上がりである。

犬達も参加し、大笑いしながら、食事が続いた。
お酒は弱くなってね~と言いながらボトル1本軽くあけてしまったではないか。

その夜は雨降りの一日にもかかわらず、楽しく過ごし大満足で60過ぎの3人は
布団に入ったのである。

御柱祭終わる

2010年09月20日 22時45分49秒 | Weblog
4月の雪が降った寒い日に始まった諏訪の御柱が各諏訪郡のそれぞれの地域に散らばって
この9月から10月で地元の神社に立てられ終了する。
この原村は19日に津島神社に2本の御柱が立てられ7年間に1度の大行事は終了した。



 

立派な柱には地元の若い中学、高校の男子が3人登る。将来の若い希望の名誉の役割だが太い何10メートルもある樅の木によじ登り危険な役でもある。

諏訪では死亡事故にもなったほど高い柱にしがみつき、降り落とされないようにする
ので高所恐怖症は到底無理である。


 


御柱を立てるには一日かかりで、プロの手が必要。




建築屋さんが何10人かかりで木に足場を施し、装飾をしてクレーンで穴を掘り、4本のワイヤーで横になっている柱を引き起こし立てて行く作業は3時間近くかかった。


 




 

この役回りは全て男の世界。
何10もの役回りがあるのでユニフオームも異なる。
普段働いている村の男の人たち全員借り出され、この日のために1年を掛けて準備してきた。

地域の人々は目的に向かって1丸になって結束し寝不足を重ね神様のために力を合わせて
神社へ柱を立てて行く。
地方でしか見られないご先祖様から代々引き継がれてきた重要な行事を今年目の前で見られて幸運だった。

原村の散歩道

2010年09月19日 21時32分44秒 | Weblog



今日は3連休の2日目である。
昨日畑と家事と美容院を済ませ、今日はお天気次第で白馬方面の山歩きを予定した。
ところが御柱の小宮祭りといって居住地域の神社に御柱を立てる最終行事があると役員が
夜廻って参加を伝えてきた。

午前中神社まで柱の曳行を犬と一緒に見に行きそのまま散歩に出かける。
気温はまだ高いが秋の気配はそこかしこに感じる。



  

高原野菜、日本一のセロリ畑はこの夏の暑さから解放され、生き生きと育っている。
散歩は毎日同じコースは通らないので暫く振りに通ると畑の野菜が育っているのに驚く。




  


ガマズミの実が赤く色づき、ああそうだ、秋だわねぇと少しセンチメンタルになる。
稲刈りが始まったが、今年は遅霜で田植えが半月遅くなったが、稲の成長は立派であった。
たわわに実り頭を低く謙遜してお辞儀をしている。

 

林に入るとひんやりとして涼しさが違ってくる。
バンバリンというバイオリンの製作者のアトリエがある傍を通る。
蓼科やこの原村は音楽家や陶芸家や文化活動をしている人々、俳優などが永住しているが林の中のたたずまいは人の気配を感じない。


 

きのこを唐松林の中でみつけた。
白いきれいな形をしているが多分勘では毒キノコに違いない。



 

犬は盛んに草花の臭いをかぎ、暇をもてあましていた数時間前と違った顔つきで表情まで
人間と同じで喜怒哀楽はあるのだなと写真を見て思う。

リゾートで遊ぶ

2010年09月15日 22時17分35秒 | Weblog
うううう…腕がだるい。

何をしたかというと、Wiiリゾートの新しいソフトを買って来た。

Fitとスポーツは最近ご無沙汰してしまった。
又もや筋肉の衰えをじわじわと感じ始め、再びトレーニングをする気になった。
といっても働いているので日中時間は無いし、やるには帰宅してからになる。

南の島を舞台にした12のレジャースポーツの言葉に誘われて、張り切ってトレーニングを始める。

あなどれない。

バスケット、ゴルフ、カヌー、ピンポン、スカイレジャー、アーチェリー
以下…12のスポーツの種類はまともに通常はお目にかからない。
ゴルフやボウリングはバージョンアップし、難易度が上がった。
ストライクやスペアが面白いほど取れたのに今度はちょぼちょぼだ。

夕食を終えて、1時間くらいちょこっとやってみようと思うが、夢中になっているまに
1時間は軽く過ぎている。
休憩タイムの文字が現れるが、まだまだ止めたくない。

翌日は馬&鹿と思えるが筋肉痛が来た。

凝り始めたのがカヌーである。
コースから外れないよう、まっすぐ進む様に、必死で漕ぐ。

周囲の景色がステキで、目標距離がどんどん高くなり、オールを握った途端懸命に漕ぎ始める。
思い出せばカナダのルイーズ湖でエメラルド色の水をカヌーに乗って漕いだが
トレーニングとなると全く気分は違ってくる。

普段使っていない腕の筋肉がきちんと使える仕組みになっている。
カヌーはホント面白すぎる。
ゲーム感覚のトレーニングだが暫くこれにはまっているであろう。

 

お疲れ様です

2010年09月13日 23時20分14秒 | Weblog


友人の死のお知らせを聞いて一気に喪失感が強くなった。
力が出なくなった。

それでも週末は畑を眺めると次から次へとやらねばならない仕事があり、暑い最中
汗びっしょりになり働いた。
これも自己満足の世界だが、誰が眺める畑でもないが、草が伸びているのも気にかかる。
2日目になり朝からだるい。
午前中に買い物に出かけるが、いつものようにエンジン全開とならない。
いくつかの店を廻るがどうも暑さのせいにしても調子が出ない。

よし、今日は畑はもうやめた。
近くの温泉に行きゆっくりお風呂にはいり体を休めようと、それでも夕方の5時近くになった。

なかば船酔い気分で温泉に入ったらもっと気分が悪くなるかもしれないと、
少し自信を失いながらも車で数分の近場は便利である、すぐに着いた。

夕方はまだ混んでいなかった。
のんびりと露天風呂に入り暫くぶりに温泉に来たことを思い出す。
5月のGWあたりは他県からの観光客で村は人が一杯になりそれこそ温泉は
いも洗い状態になるので寄り付かなかった。

8月は夏休みもとらず働いた。
月末は北海道への出張で気が張った。
毎日働き週末は畑で作業し、結局からだが休まらなかったのだ。
そして、野菜を沢山食べているからといつもたっぷり飲んでいるお茶類を、
飲まなくなった。
野菜は沢山収穫でき、余るほどなのであちらこちらに送ったがそれでも、
自分の胃袋に収めなければならず、多分消化能力を越して食べていたのであろう。

睡眠もいつも5時間、この夏はこれで体力を落としたのであろう、
旭川から帰って風邪を引いた。
ここまで温泉に入ってゆっくり考えたが、自分で自分を貶めていた。
暑いからと、シャワーで済ませ、湯船に入る回数がとても少なかった。

それで積み重ねの結果疲れが増してこのだるさとなった。
いつもこのての反省は人生数限りなくやってきたが、今回は友人の死で人事ではなく感じる。

温泉効果は体を楽にするばかりでなく、心も柔らかくしてくれるようである。
ぐたらぐたらして眠気ばかり嫌に強く変だ変だと思いつつ犬と一緒にごろ寝していた。
そこを反省し、食事や休養やお風呂や睡眠、水分不足と生きて行く上の
ベースの部分をおろそかにしていたことを温かいお湯が教えてくれた。

お風呂を出て体が軽くなり、貧血状態にならず、翌日は気持ちよく仕事が出来た。
普段ひとには病気にならない指導をしているくせに自分働き通しで疲れをはねつけていたようである。

とほほほ……。


 

トルコ桔梗

悲しいお知らせ

2010年09月12日 00時16分09秒 | Weblog
昨夜、寝る前にメールをチェックし瞬間手が止まった。
何ということ…。

友人の娘さんからのメールで、バンクーバーから書いていますという。

母が8月に亡くなり、いまだに動転しているがお知らせいたしますということであった。
友人にはそろそろ手紙を書こうかなと思っていたところで、にわかには信じられずに、大急ぎでお返事を書いた。
寝付かれず、うとうと思い出してばかり、その度に心がえぐられる。

1昨年の6月から7月に掛けて娘と一緒にカナダへ旅行した。
2人でカナディアンロッキーを回り、バンクーバーから一人で帰ってきた。
その当時娘はアルジェリアで仕事に就いて間もなかったが、
辛い経験をしていてそれを知りながら送り出す気持ちが悲しくて、ホテルで別れてから
機内ではずっと泣いていた。

帰ってきてからその様子をブログに書いたが間もなくブログに投稿された
コメントがバンクーバー在住の女性であった。
同じ頃日本から訪ねてきた母親と別れた後悲しくて同じような人がいないかと
ブログを検索して、私のブログに行き着いたという。
私と逆の立場でやはり親子の別れの悲しさをメールで書いていた。

それをきっかけに日本で一人暮らしをしている母親と友達になってくれませんかと
の依頼から、京都に住んでいるYさんと文通を始めた。

私とは2歳くらいしか違わず若々しく綺麗な方で、夫と長女を亡くし、山科に一人で暮している。
次女はカナダで結婚しもう20年以上になる。
不思議な縁から手紙をやり取りしてやがて京都でお会いしましょうといっていたのだが
それも叶わぬことになった。
がんで亡くなったというが急であり疲れから痩せてきたという文章がそうであったかと
思ってももう遅い。
残されたノートには死後知らせて欲しい友人の一覧があったという。

Yさんはもういない。
一人暮らしであったので、電話連絡もできず、娘さんはバンクーバーへ戻っている。
今日も畑で仕事をしながら悔やんでばかりであった。

そして今夕、折から北川悦吏子の脚本でお母さんの最後の一日というテレビのドラマでをみた。
倍賞美津子演じる母親ががんで亡くなる最後の日の娘や夫と過ごす一日を描いている。
ストーリーもそれぞれの言葉や演技が日常的で違和感が無く作られたドラマ的でもなく
なぜか自分に当てはめて見入ってしまった。
年齢が同じであるから身につまされる。


この信州へ移住して3年だが、その間に身近な人たちを4人失った。
母親は別だがその中の3人はなぜそんなに早くと驚愕し、自分と同じような年齢の
死は近いうちに自分も呼び寄せられるのではないかと思うようになった。

おひとり様の老後を読んで、時々発作的に身の周りの必要でない物の処分を始めたが
今夜ドラマを見終わったときに部屋を見渡してああままだまだ物が多すぎると反省する。

もうYさんに会いに京都へ訪ねていくことができないと思うと涙で目の前が霞んでしまう。
残された手紙の束、彼女の人柄が文字になって写真の笑顔と共にそこにいる。


ドラマスペシャル

2010年09月05日 23時41分51秒 | Weblog
昨日一日中猛暑に負けず畑で野菜の世話をする。
といってもこの暑さの中でどんどんはこびる雑草取りをしたのである。

この3週間、雨らしい雨は降っていない。
夕立も長野や上田は日によって、大雨洪水雷注意報が出ているのをニュースで見るが
この住んでいる地域は渇水状態。

日本一のセロリの生産地は水分が最も重要で、八ヶ岳の水を畑へ引いて、
毎夕噴水状態で水撒きをしているが、居住地域は水道水を播くしかない。

土はひび割れし、掘ってみると5センチくらいはからからになって水分はなく、草取りして
根っこを引っこ抜くともわっと土ぼこりが立つ。
野菜は勢いが無くなり、きゅうりはひん曲がってきた。

結局は雑草を抜き、ほこりにまみれ、疲労困憊で休日は終わった。

夜になって外科医須磨久善のタイトルでドラマを見た。
久し振りに手を休め画面に張り付き通しだった。

いつもならドラマを見ていても胡散臭いとかこんなことありえないとか、ドラマだから
脚色しすぎだとかけちばかりつけながら、見終わってからああ時間を損したと
不満足に終わるのが常だ。

今回の水谷豊が演ずる心臓血管外科の医師のドラマは事実に忠実だった。
日本で初めて胃の大網動脈を使った心臓のバイパス手術に成功しそれも世界初である。

また心筋症で心臓移植しか生きる道がないのをバチスタ手術を開発しも日本で始めて挑戦した。

今まで心臓の冠状動脈のバイパスは胃の動脈を使うのは当たり前と思っていたが
その前に普及していたのは別な血管を使っていたのである。
足の内腔動脈を使っていたのを、諏訪医師が再発が短い期間で起こると
胃の動脈を使うのを考えた。

成功すると神の手ともてはやされる以前は、学会から拒否され弾圧され
それでも患者の命を救いたいと
リスクを引き換えに手術に挑戦していくドラマであった。

今やバチスタはいくつかのドラマになっているが、見るほうもそのような過去の歴史
は知らないので手軽な推理ドラマで終わっていた。
水谷豊は味のある俳優になった。

時々耳にする湘南ハートセンターが開設したいきさつもこのドラマで判ったのである。
最近の連ドラは医療ものや刑事か科学捜査がらみが人気だが、たまにはこうした
きちんとした事実に基づいた医療ドラマは見ていて後味が良い。

植物は強い

2010年09月04日 10時18分05秒 | Weblog
5日間家を留守にして、信州に戻って来た。
夜になると涼しいので途中通過してきた東京や山梨の暑さが記憶に残っていない。

家に戻り片づけをして、近所にお土産配りをして落ち着いた。

台所に立ち、シンクのごみをのぞいてみたところ
あらっ確か出かける前に、ごみは捨てて空っぽにしていったはずだが
何かもやしのようなものが…。

ごみ受けを出して見たら、本当にもやしが育っている。
長い根っこも伸びている。

綺麗に青々としてごみ受けの中でまとまってかいわれ大根のちょっと手前状態。

思い出してみたが、出かける寸前に冷蔵庫の中にメロンが残っていたので
大急ぎで食べてから出かけた。
その種がシンクの中で丁度よい水分と温度と密室の中の暗いごみ受けで
5日間で芽を出して育っていったのである。

なんたる生命力。

畑に播いても多分芽は出ないであろう。
捨てるのが惜しかったが、今更育てるわけにも行かず、処分したが、ちょっとした感動だった。

勿論外の畑ではきゅうりやトマトは鈴なり、雑草は一番勢力が強く予想以上に伸びている。
来週の週末は忙しい。



まじめに勉強する

2010年09月02日 22時56分27秒 | Weblog
  



旭山動物園へ行き見るべきものを見たら気分が治まり、午後から学会へ参加した。
日本ドック学会は学術研究、研究発表、特別講演、シンポジウム、と2日間にわたり、
会場も不便だが行ったり来たりしながらかなり忙しい。

全国から参加者は集まるので人気テーマは会場から人が溢れている。
昨年から特定保健指導が始まり、その研究結果もまとめて午後一杯聞いた。

施設の規模が違うがまとめた内容は大体同じような結果に落ち着いている。
厚生労働省から全国の健保に保険者に特定保健指導を受けさせメタボの改善を義務付けた。

指導する側もされる側も慣れないながら6ヶ月間の個別指導で6割以上の改善が認められた。
効果があるのは予測はついているが、6分間の発表で20施設の発表を聞いていたら流石に
疲れてどれも皆同じと感動がなくなってきた。

夕方、特別講演を聞くために会場を移動した。
昨日別な会合で旭山動物園の園長の講演を聞いた。
何と土地柄か学会では前旭山動物園長
の小菅正夫前園長のいのちを次の世代に伝えるために野性動物は生きているというテーマで
あるが小菅さんの話はずば抜けて面白い。
使ったスライドもプロ並みの手法で作られて、これだけの動物園の改革をやり遂げただけに
次々に紹介される動物の話には魅了されっぱなしであった。

段々とモチベーションも上がり、やる気が出て、翌日の糖尿病のシンポジウムや
ランチョンセミナーでは新しい医療知識を、旭川医科大学の学長の特別講演では
やれば出来るという話だ。
来た甲斐があったとこれから戻って仕事をしていくのに大変に知識と意欲を
貰ったような幸せな気がする。

旭川医科大学については地方の大学という偏見もあったが、どうして、
北海道から先端医療をICTにより医師不足、を補うために全国各地へ向けて発進し、
遠隔操作で高度な難度の高い手術技術を提供することが出来ているのである。
テレビカメラはすごい早いスピードで旭川医大で開発され、
今後中国の病院とも同時進行の病気の診断や手術が行なわれるようになるという。

医療改革は地方から発信されたのである。これには会場の観客は驚いた。

学会は最後まで残れず札幌まで2時間、特急電車に乗り札幌から羽田に戻ってきて、
ナナカマドが紅葉し始めた涼しさから一気に酷暑の東京は同じ日本かと思えぬ澱んだ
湿度の高い夜になっていた。



旭川赤十字のドクターヘリ