土曜日、眼の定期健診へ元住んでいた中央林間の眼科へ行く。
半年に一度受診しており、老人になると眼底の変化がいつ出てくるかわからないので
丁寧に瞳孔を開いて診てもらう。
瞳孔を開くと暫くまぶしくて運転が出来ないので、バスで出かけ帰りには息子が車で
原村まで送ってくる予定にした。
行きは5時に起き6時半の中央高速バスに乗り、新宿から小田急線で電車に乗り
中央林間で息子が迎えに来た。
私の姉に言わせれば、あなたは目とか歯とか遠いところまで良く出かけるわね
近くに医者はいないの・・・・
と批判的だが大事な、大事な
死ぬまで使うパーツだから慣れ親しんだ医者から離れられないのだ。
バスの中の楽しみは読書。
車通勤になり本をじっくり読むチャンスを失い、昼間みっちり働くので家で
夕食後に本を読む前に眠くなってしまう。
雑誌以外無理である。
今回は佐藤愛子女史の老い力という文庫本を買った。
佐藤センセイいわく、50代頃から老いや死を考え続けている女はいまどき珍しく、
50代から80代まで書きつないできたエッセイをまとめたのを本にしたという。
栄養学や医学の進歩に加えて、女性が自由を得た現代では、いつまでも元気に、楽しく
美しく、若々しく生きることが一番の価値になっているようだ。
もう年だからとか良い年をしてとか老人は老人らしくとか
人生を諦めたようなことは言ってはいけないという。
しかし現実にはしわシミよれよれたるみがやってくるし、死は確かにやってくる。
直ぐそこに来ているかもしれない。
出来るだけじたばたせずにつつがなく人生を全うしたいと書いている前書きが
気に入った。
眼科でトータル診療が終るまで4時間かかったので本は読み終わってしまった。
診察結果は異常なし。
新たな所見もなく、白内障も
年齢だからありますが僅かです。また半年後に
と言われ安心した。
空には満月近い月が出ている
まぶしくて物が二重に見え、これが数時間我慢せねばならない。
近くの町田のグランベリーモールへ買い物へ行ったが、人ごみの中で
物を探す気力がなく、夕暮れのクリスマス風景を見て帰ってきた。
静かな農村に暮していると時々出かけて買い物をするのが楽しいと
思うようになった。
実際はたいした物を買わないくせに、眺めるのが好きなのかもしれない。
今回買ったのは紅茶専門店で、金柑入りの紅茶を一缶買っただけだ。
老いを身近に感じながら、若者の溢れるモール街で疲れを眼科のせいと押し付けながら
夜中に息子の運転で真っ暗な高速道路に点在する灯りを見ながら帰ってきた。
なぜかほっとしている大きな理由は今回も異常なしの言葉であろう。
老人になったら眼と足は不自由になったら人様のお世話にならねばならぬから
前もってそうならぬよう手を打っておくのがわたしの持論である。
それにしても佐藤センセイの憤りの混じったエッセイの一つ一つが何と今の自分に
ぴったり馴染むのであろう。