休日になると電話が続く。不断家にいないものだから、休日は連絡を取りやすいのだろうが、昨日も今日も朝御飯をやっとたべれるなぁといただきますと頭を下げた途端電話だ。
よっこらしょっと立ち上がり、話をするが、それ以降食べた食器を洗ったのが午後2時。何だか申しあわせたように続く。
私を思い出してくれて有難うだが、休日なのに掃除も洗濯も途中のまま電話にかじりついている自分が半分疎ましい気もする。
しかし今日の朝の電話は違った。
8時のNHK の小さな旅のテーマ曲流れた途端電話が来た。
まあ声を聞いたら何と7,8年ぶりに聞くもとの勤務先の社員のお母さんだ。岡山に住んでいて、息子の恩人といわれ、スーッとあの当時に戻り、話が尽きない。
あちらの家族やお母さんの近況などを聞きながら、ふとテレビの画面を見たら、もう小さな旅はとっくに終わり、日曜討論の画面に変わっていた。
神奈川からリタイアと共に昨年の3月この信州へ引越してきた。
その時、思い切って生活が変わることからこれまでの交流関係に
区切りをつけ、極々最少人数の人だけとのお付き合いに絞り、思いっきり別れを告げた。
一緒に引越しをした娘はその後カナダへ旅立ち私は本当の独り暮らしを始めた。間もなく11ヶ月目を迎える。
音信を絶ったはずだが少しずつまた連絡が来始めた。
本当に大切と思える友人は相手方から連絡をくれるようになった。
カナダの娘のブログからは自分が何をやりたいのか、これからどうしたいのか、常に自問自答している。
今の自分に満足することが無い。
考え考え自分を鍛えているが、同じ年のときの自分を振り返ると、私は幼かったし何も考えていなかった。
時代が違うし女子の職業も限られていたし、自分がどうしたいのかなどの考えに及ばなかった。
丁度その頃、森田公一とトップギャランというグループの歌が流行り
青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの~青春時代は胸に棘刺すことばかり。との歌詞そのものだった。
子供を生み育て、仕事を持ちやがて、ノラの家のノラである私は少しずつ自分の考えや主義主張が心の中に生まれ始めた。
結婚前は常に友人が羨ましく能無しの自分には何の取り得も無く、自信が無く、今後どういう人間を目指すのかなど考えも無かった。
私は仕事に育てられ、自分を見出した。
そしてリタイアーしてから仕事に復帰し、自分の役割の中にも相手が共感を得てくれる場面を沢山持てる特質を感じている。
これは豊富な経験から自分が手に入れたものである。
何が言いたいのか、娘よ、友人との10年間の空白の中に友人は輝く人生を歩いているそれに引き換え自分は何をしているのかなどとは想ってはならんよ。
海外で自分だけの貴重な経験を積んでいるではないか。
それを選んだのは自分だし、自分が感じ取る様々な異文化の中の体験は特殊なものだしいつか精神が豊かになった自分がいると想います。
寒い季節に寒い場所を選び似たような親子ですが、、娘のほうがはるかに豊かな経験を積んでいると想う。
モントリオールと原村は似たような面はあるかもしれないが、食文化の違いはどうにも出来ないと思う。輦
娘のブログを読んだ後、原村の雪の中を犬を連れて散歩したが、景色も大幅に違いはあるが、レストランは夢のようだ。輦
つららは軒先から更に伸び1メートルはある。雨樋は太いつららで詰っている。
冬景色は寒いが本当に美しく、心が洗われる思いがする。