信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

まるでドラマのよう

2014年01月31日 21時53分47秒 | Weblog
昨日ムスメとマゴが出産後の静養を終えて帰宅した。
外は雨が降っており夕方の寂しさで一杯になり、帰った後の部屋を掃除した。
PCを開いてブログを書こうとして引っかかっている電源をコンセントから外そうと
傍の食器戸棚の脚を少し傾けようとした途端、がっしゃーんと凄まじい音と共に
戸棚がひっくり返った。
犬がびっくりして飛んできた。
驚いて心臓が飛び出しそうだったが、すぐさまこれは大変とひっくり返った戸棚を
立て直す。
またまたガラスの割れる音がした。
それはそうだ、グラス類やコーヒーカップが入っているのだ。
1昨日お祝いに頂いたばかりの高価な万古焼きの急須も木っ端微塵になっているではないか。
もうそれからは割れたガラスで怪我をしないよう注意しながら片づけをするのに
時間がかかってしまった。。

大事に買い貯めて来たグラス類は僅かしか無事なのはなく、ドイツで買った
ポーランドのマグカップも2個しか残らない。
めちゃくちゃと言うのはこの事をいうのだろう。

割れたかけらを拾いながらカップやグラスの思い出を無残にしてしまったことが
無念で無念で先ほどまで寂しく思っていた気持ちが吹っ飛んだ。

こんなことになるとはと、思うが気持ちの半分は又やり直しかと思っていた。
大事なものを壊してしまったが、子供たちがやって来て乾杯する機会がぐっと減ったし
じくじくしている気持ちを捨てろと神様の采配か。
思い出だけはあの世まで持っていけるが、モノは持っていけない。
又やり直せばよい。
先日倒れてきた健康器具で足の指を怪我したが、今度は怪我がなく済んだ事が何よりだ。
通常あり得ない事が2回も続いて起きた。

お陰で子離れマゴ離れが急速に進んだように思われる。



喪失感でいっぱい

2014年01月30日 20時00分27秒 | Weblog
今日の夕方、マゴとムスメが出産後37日経ち、自分の家に帰って行った。
もう少し預かるつもりでいたが、急遽早めてムコの元に戻した。

そう決心してから夜は寝付けず朝は早く目が覚め気づかれないようにしていた。
実家は産後の母子を日常生活に順調に戻れるよう手助けする役割で
我が家は父親がいないのでムスメにとっては母の私が一人で頑張らねばならない。

といっても医療の専門家であっても、もと子供を育てた経験があっても、今の世の中には
ころころ変わる育児法には参考にはならず
知識はすぐさまネットで引っ張り出す便利な時代になりお役に立つには
ご飯作りしかない。

良質の母乳が出るようにはカタカナの食品は控え、和食に出来れば徹してと
桶谷式の助産師さんからアドバイスを受けむせるほどの母乳が出る有り難さを
頂き料理に徹した。
マゴは生後1ヶ月で1.5キロ増え、お風呂大好きで順調に成長している。
DNA100%もらっていったのではないかと思うほど酷似している父と子は
これ以上引き離していてもこちらが罪悪感を感じているので
自宅に戻るべくお試しのお泊りをした。
その後、ムスメは荷物をまとめてコドモと帰って行った。

マゴを抱っこしながらこの1ヶ月で濃厚な思い出をたっぷりもらったこと、これからは
その成長が毎日見られなくなったこと、おっぱい臭い愛らしさから離れていく寂しさで
ああこの胸がつまるほどの寂寥感は久々だと思った。
いろいろな場所に置かれていた
ハハとコドモの用品はすっかり消え去り、きれいに片付けられたムスメが寝起きしていた
部屋は逆に妙に物悲しい。
毎日沐浴していた洗面台まで今は、あの生まれたばかりの枯れ木のような手足を支え
恐々入れていた思いに戻ってしまう。

6年前にムスメとカナダ旅行をして、バンクーバーの空港で私は成田へ、ムスメは勤務先の
アルジェリアへ帰って行くが別れの切なさでずっと機内で泣いていた思い出がある。
その後アフリカへ勤務し帰国後伊那に嫁に行ったがその時親としては泣くこともなく
淡々として友人達には悲しくないの?と注意された。

が、今になってムスメとマゴが帰っていくのがあのバンクーバーで味わった同じ悲しさ
がやって来た。
いけない、センチメンタルに浸っていては前に進めないと戒めてはみるが…

3ヵ月になるが伊那に家を建てて引越し、ドサクサのままにムスメの出産になだれこみ
誰からもお幸せでいいですね~と褒められるがいいえどうして、どうして、疲れや底がない寂寥感で
多分2月は自分のリハビリを行わねばならないと思っている。
何をどうしたら良いかわからないが、嫁に出した娘が出産して嫁ぎ先に帰す際にみんな親は
このような気持ちになるのかな?

 

時々考えること

2014年01月26日 17時50分00秒 | Weblog
ブログを書き続けて6年になる。
東京の会社勤務から退職してそのままその月には信州の原村へ引っ越してきた。
自分の人生を振り返ると何だかじっくり考えてから行動するタイプではなく
思ったときに思ったように行動するタイプではないかとよく思うことがあった。

まあ色々原村へ移転するには事情があったからその流れで5年間を送ってきた。
諏訪の赤十字やお花作りの農家の手伝いやブロッコリー農家の手伝いなども
運命的なのか向こうから飛び込んできた話だ。
何でもやってみることはいいことだと思い込み体には経験ない重労働も何とか
やって来た。
そうしてその間日々思うこと、感じたこと、旅行や体験した事柄を書き綴ってきた。
最近スマホに昨年の記事だと言いブログの記事を勝手に送ってくるアプリが届く
様になった。
へぇ~とか思いながら自分の昨年の今頃の記事を読むことがある。
そのような日が続き、今の自分に照らし合わせると過去の自分の方が
色々出来事が多くあったし、今の自分は何だ!と思う日が出てきた。
別に生活が単調なわけではないが、勤めているわけではないし、決まりきった毎日を送っている
だけなのだが、ブログに載せたい記事が激減し、本を読んだりテレビや人々の交流から
感じることが減ったのは確かだ。
自分が今までこんなことを思っていたのかと過去の記事に感心することになってしまったのは
まずい。
人間年を取っても日々前進しなければと思っているので、穏やかな毎日に埋もれて行く
自分が今は一番怖い。

ジェットコースターのようなこれまでの人生を送りここまで来たら、びっくりするようなことが
なくなった毎日は刺激的な感情で生きてきた自分が駄目になったような感覚が生まれてきた。

水との出会い

2014年01月23日 20時26分30秒 | Weblog
信州で生活始めて、水と空気、野菜が都会で長年住んで来て違いが大きいと感じる。
標高も高く山々に囲まれた土地で長年蓄積されて流れ出た水を飲む有り難さ。

原村では八ヶ岳の清冽な水を飲み、伊那に引っ越したら美味しい水は飲めないのであろうと思った。
ところが南アルプスが源流でお酒やお米がその恩恵にあずかって生産されており、三峰米という
お米が特に美味しくご飯を食べるのが楽しくなった。
犬の散歩が段々コースが長くなり、毎日1時間はざらに遠出する。
居住地を中心に相当様々な散歩コースを決めて歩き、小さな犬が一生懸命に歩き
動物虐待ではないかとムスメに言われる。
最近そのコースの先に命水といわれる湧水を汲む土地があることを知った。
車で行けば7,8分だが歩けば15分くらいか、田園地帯の中にときわの命水と言われる湧水がある。
南アルプスの水で花崗岩の中を通り抜けた地下100メートルから堀り上げた軟水である。
今年スェーデンでモンドセレクションで最高金賞を受賞した。
これほど近くで名水を手に入れられるとは有り難いことで、犬たちもなぜか毎日良く飲むように
なり活性酸素を減らす効果があるそうだ。




羨ましい限り

2014年01月22日 22時21分33秒 | Weblog
今日はマゴの生後1ヶ月の検診にて諏訪まで母子を乗せて出かけた。
有り難いことに伊那を出る時は暖かい陽射しで小さな子供を連れての外出
は気を遣う。

山を越えると諏訪湖は結氷し、今年は例年より早く御神渡りが出来そうである。
5年間赤十字病院に勤めていたが最後の2年間は職場が新築して諏訪湖が見えない
方角に移転したので、目の前にありながら見ることが出来ないまま、ニュースで
状況を聞く有様だった。

いよぉー…久しぶりに見る諏訪湖だが全面凍りつき、諏訪地域も気温が下がりっぱなしで
最近の気象状況も変化が見られるようになった。
駐車場の雪も片付けられてはいるが、凍って解ける様子もない。

先月の出産の日はクリスマスイブであったがもうすっかり年も変わり、1ヶ月も経ったら
もう節分が目の前だ。
体重は1キロ増、身長が4.5センチ伸び、頭囲は4センチ増、たった1ヶ月でこんなに増えた。
小さなおちびさんは母親とおばあさんを毎日おろおろさせてそれでもたっぷりと
母乳を飲んで育っていく。

羨ましい…おばあさんはしなびれていくばかり。
一番に目を見張るのは身長だ。
1ヶ月で4.5センチとは骨粗しょう症で縮んでいく悲しい年代には間逆の現象だ。
寝ている間に育っていく新生児や乳児を目の前にして、自分の子供を育てている時には
もっと違った気持ちで向き合っていたなと今更に思う。




健康器具で不健康になった

2014年01月19日 12時54分39秒 | Weblog
数日前、起床して布団をたたみクローゼットにしまっている最中
足の上に何かが倒れてきた。
瞬間のことだったから何が起きたか気にもかけず、おお痛いとだけ言って、身づくろいして
まずはストーブを焚く。
そのうち足の指がじんじんして痛くなってきた。
確かめてみると健康器具の足の筋肉を鍛えるものがねじが外れて倒れて足に
当たったようだ。
ムスメと赤ん坊が同居してことさら忙しく自分の身の回りを構っている時間を失った。
時間が経ち、夕方にかけて痛めた左足の親指がいた痛すぎて足もつけなくなり
歩行に不自由が出てきた。

しかしノルマの仕事は続き、寝る寸前に鎮痛剤を飲んで寝た。
翌朝親指は2倍に膨れ上がり、骨折かひびが入ったかと案じたが、多分そこまでは達していないであろうと
長年の勘で、鎮痛剤と湿布でしのぐ。

健康になりたいと買ったもので健康を損ねる、という無様なことが起きた。
しかもいきなり予測も付かない原因で、生活に不自由を来たし、足を引きずり
2日間は家から外へ出るにも靴も履けず痛さに耐えに耐えた。

赤ちゃんを抱っこする時間が増えて彼には最高の抱っこ魔の時間を与えた。
今日で4日目、見たくないほど変わり果てた親指を目をそらしたいが、
ぎょえ~とつぶやきたちまち可愛そうになった。

紫色に変わり果てた親指の爪は盛り上がって今にも根元から落っこちそうになり
死んでしまった。
今週中には全部剥がれてしまうだろう。
足の親指に爪がなくなったらどういうことになるのだろう?

だから尋常でない痛さだったなのだと妙に納得できた。
不幸中の幸いは骨折になってなかったことで、いつも信条としている足と目だけは
使えなくなったら人様にお世話にならねばならないというのを身をもって体験したことだ。



念願達成

2014年01月12日 18時31分47秒 | Weblog
ムスメの赤ちゃんがやって来て2匹の犬が赤ちゃん返りするかと予測していた。
犬同士がやきもちが強く、張り合いの毎日だからどう出るかと気になっていた。
やはり赤ん坊を抱っこして部屋に入ってきた姿を見て犬たちは強烈な反応をした。

母親としては犬が噛み付かないかと心配し、ムスメを自分の家に帰そうかとも思った。
けれどムスメは自分の子供は小さいときから犬好きにしたいと言い、実家で過ごすと
宣言。

毎日犬たちはそれぞれ焼きもちか親衛隊か、SP犬か役割を分担している様子だ。
今日は念願叶い、顔を舐めることが出来、赤ん坊は迷惑な顔だが第一段階は上手く過ごした。



おばあちゃんと犬と慶ちゃん


骨密度について

2014年01月11日 22時22分44秒 | Weblog




6年前に信州へ移住し、勤務した赤十字病院で何気なく骨密度の検査を受けた。
この検査は簡易法で集団検査で何度か経験し、問題なく気にもかけていなかった。
ところが正式な骨密度の検査を放射線科で受け、結果的に思いがけない骨粗鬆症の診断を受け治療
を始めた。
ショックだった。
急に老けた気持ちになった。
腰椎と股関節の密度が60%台になると治療になる。
体力には自信があったのに、長い通勤は地下鉄だし、勤務はビルの中で終始蛍光灯の下だし
食生活も多分貧困で小食で、と色々思い当たる。
それから服薬を続け定期的にレントゲンで骨密度の検査を受け効果を確かめてきた。
食生活も反省し、休日は太陽に当たるよう心がけてきた。
しかしこの5年間、余り効果が出ずに腰椎67%、股関節80%の値が特に腰椎の60%台がなかなか上昇しない。
薬の種類を変えてみたがあまり反応しない。
転ばないで下さいと通院のたびに注意され、このたび退職した。
主治医も変わり、服薬の種類も変わり、半年経って先週1年ぶりにレントゲン検査を受けた。

あら、びっくり。
腰椎の骨密度が67%から73%に上昇し、股関節も83%になっている。
自分の年齢ではまあまあかというところで薬の効果か、はたまた薪割りか、伊那に引っ越して
飛躍的に増えた犬の散歩か、お日様に当たるようになったのも良いようだ。主治医は
まあそれらの要素全部でしょうという。
働いていた時を退いてから回復するというのも何か悲しいものがある。

人間、褒められると嬉しい。加齢は年々進行するから良いほうに後戻りはあり得ない。
外見はいかにも若いと言われるが実は私、骨が弱いのですと余り言う場面がない。
勤務していた頃、健康診断の事後指導では年配の女性には積極的に骨密度の検査を勧め、
勧めた人が意外に多く骨粗鬆症の診断を受ける結果になることが多く、
長寿県信州の隘路を嘆いていたものだ。

長く生きれば生きるほど骨がもろければ生活が明るく出来なくなる。
がんや動脈硬化も、認知症も、緑内障や白内障、歯の温存、上げれば限がないが
健康な老人として老いていくには課題が多すぎるし、それは若い頃からの延長線上にあるのだ。
気づいてからは遅いというのを年齢が60歳を越える頃から急に感じ出した。

生活が一変した

2014年01月11日 21時20分23秒 | Weblog
12月24日に誕生した小さな赤ん坊が母親と共に実家に来てからその祖母に当たる私の生活は
全く変わってしまった。
恐らくとは思っていたが、勤務していた頃より忙しい。
そしてもう今日で18日目。
病院から帰ってきた当初は授乳やおむつ交換で夜も昼もなく、泣き声に皆戦々恐々。
お正月の来客もその間あったし、十数回のおっぱいと十数回のおむつ交換とに追われ、
やつれた顔のムスメに同情し、親として出来る限りの家事を続けているうちにもう産後
16日目のマミー外来になる。
大雪の降った朝必死で諏訪までムスメと孫を連れて運転する。

母乳は足りており一日46グラムずつ増えているといわれ、気分良く帰宅するがその
夜は泣いてばかりいる新生児に全員寝不足。
朝起きるなり薪ストーブを燃やし、朝食の準備、洗濯、掃除、赤ん坊の沐浴、犬の散歩、買い物
夕食は仕事が終わったムコが一緒に食事をし、翌日のお弁当を作って持たせ10時半ごろ帰っていく
のを送り出す。
一日が早い。
決まった日課が出来上がり、赤ん坊は日に日に育っていく。
おばあさんは日に日にしなびれていく。

思えば30数年前、子供を二人生んでその都度実家に帰り、世話になった。
今になってしみじみ想う。
お母さんごめんなさい、実家のお嫁さんごめんなさい。
偉そうな態度で産前産後を過ごしたが、いかに毎日無理をかけていたか
今になって反省しています。
すでに親はあの世に旅立っているが、自分がその身になって気づく時は
遅いのだ。
ムスメの出産を通して、親の有り難さがより詳細に心に響く毎日である。


親衛隊もしくは警護隊長をいぬなりに役割を演じている

新顔登場

2014年01月04日 22時07分31秒 | Weblog
暮の30日にマゴが退院した。
年末年始の食料品の購入や入り混じって何から手を付けてよいやら・・・・・

入院中の病院での生活リズムが今度は実家に帰り、新米母親として自立しなければならない。
授乳やおむつ交換がひっきりなしに繰り返され、実家はいいなぁや病院ではみんなやって
もらっていたから楽だったとムスメは複雑だ。
まずは泣き声に皆敏感で2匹の犬まで反応する。
心の中はおろおろしながら、なんでもない振りをしているがこれからの毎日を考えると
実はおびえている。

今日で退院後まだ6日目であるが1ヶ月も経ったような感じだ。
お風呂の係りを担当し、数十年ぶりにお風呂に入れて少々焦っている。
慶と名づけたダンシは実にこの世に生まれてきてから周りを振り回し
飲んだり眠ったり、伸びやかな毎日を送っている。
12回も授乳してムスメはくたくただが子供を持った母親は毎日の学習は
恐るべきものだ。