信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

思い出のメロディ

2008年08月31日 23時25分28秒 |  日記
土曜日の7時半からNHKで第40回、思い出のメロディを見た。
昭和33年に東京タワーが出来て、丁度中学生に向かう頃の歌謡曲が、ロカビリーが、次々と歌われた。
えーっ津軽海峡冬景色から、30年、裕次郎が亡くなり20年、中学から高校生時代に聞いた曲が、当時を思い出させる。
ロカビリーの平尾昌章やミッキーカーチスや次々に出てくる当時の歌手が、随分と歳を取ったり、3,40年経っても全く当時とあまり変わっていなかったり、懐かしい。
変わったのは自分のほうかと思いながら、30年前あたりからの歌が流れると、ふっと子育てをしていた頃に瞬時に戻っていく事が出来る。
思い出というのは不思議なもので、思い出そうとしても普段は全く出て来ない。
それがメロデイを聞いた途端、ああこの時はこんなことがあったっけなどと、当時のことがはっきりと浮かび上がってくるのだ。

暫くぶりに、懐かしさや、悲しさ、などと共に過去の自分を思い出した時間だった。

その後、チャンネルを替えたら、インデペンデンスデイを土曜洋画劇場でやっており、つい最後まで見てしまった。
先週もDeep Inpakt を見て背筋が寒くなり、アメリカ合衆国が大津波に飲まれる様子を見た。
外では大雨が降り、ニュースでは洪水の災害地を映している。
やがてそう遠くないうちに大地震がやって来て相当の被害が出て、などと考えてしまうことが多くなった。

2週間もの間雨が続き、やっと一日だけ晴れ間が覗いた。
それっとばかりに洗濯機を3回大物小物を洗い、日なたでサウナに入ったくらいの汗をかき、畑や庭の草ボウボウを片付け、終わった頃に又雨が降り始めた。
トマトの木は長雨で腐ってしまった。
雨の中真っ赤に色づいているプチトマトが見えていたが、傍に行ってみたらトマトの実は裂果していた。
2週間も降り続くと野菜や草花は腐ってしまうのが悔しい。
それでもトマトは赤くなった実を摘んでみると一人では到底食べきれないほどの量が取れたのだ。

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マイみるきい回復する

2008年08月27日 21時37分44秒 |  日記
ああ驚いた。
どんなに食べてもお腹が一杯にならない我が家のあほ犬のうち、がっつきみるきいが、今朝は挙動不審だ。
昨夜、寝る寸前まで、お腹がすいてたまらないと2匹でしゃべっていた。
けれどそれを無視して寝かしつけた。
朝起きていぬは庭に出してトイレに向かったが、みるきいは暫く庭を歩き回り戻って来た。
ロゼ山は、最近庭に出ようとせず、てこでも動かない。
そして朝ごはんを催促する。
がっつきみるきいがところがおかしい。
庭を眺めてご飯を作っても寄って来ない。
ロゼ山が大急ぎで食べているがそれを横目で見てもすぐに庭に目を移し、ずっと眺めている。
ありゃりゃあお腹の調子がおかしいのだ。
みるきいは単純だからすぐにわかる。
多分昨夜庭に出したらずっと暫く帰ってこなかったので、何か外で拾って食べたか蛙でもからかったか・・・。

ご飯の器を鼻先まで持っていても、知らん顔だ。
外を見ている後姿が何故か憂いを含んでいる。
笹身まきガムをあげてもそのままで、普段なら飛びつくのに、やはり絶対におかしい。
挙句の果てロゼ山に横取りされてしまった。

仕事に出かけるので、ケージに入れて出かけたが、時々思い出しては心配していた。
夕方、心配しながら、死んでいたらどうしようなど考えている自分に腹が立つがそれほどがっつきみるきいが食欲がないというのがおかしいのだ。

家に着いたら吠えて待っていた。
そのままくらい道を散歩に出たが、いつものみるきいに戻っていた。
そして常にお腹が空いてうろうろしているみるきいがいる。

又もやみるきいには心配させられてしまった。
この子はからだが弱いし頭も弱い。蓮

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週末

2008年08月24日 13時48分17秒 |  日記
まだ8月というのに、お盆が過ぎた頃から急に気温が下がり始めた。
朝の通勤のときは涼しくていいじゃん!と喜んでいたが、帰宅する頃には肌寒く、1,150㍍の我が家に到着する頃はもう薄暗くなり、大歓迎の犬達を連れて散歩をする。
が懐中電灯をつけて、薄ら寒いのを通り越しこれは冬がいきなりやって来たわとぶるぶるだ。

それでも庭では今年の初体験だが、野菜は種から育てようと遅めの6月に種を播いたとうもろこし、かぼちゃ、モロッコインゲンが今頃になりぐんぐん育ち始めた。
苗から育てたきゅうりやトマトやナスはよく育って実をつけた。
昨年うまく行かず良く育ったのだが、実が立ち枯れになってがっかりしたトマトは今年はすごい。
金メダル
ミニトマトが毎日とってもとっても籠に山盛り、スーパーで買ったら、(多分こんなに買わないが)とほくほくしている。
なんと言っても私の野菜は無農薬で育てたので安全この上ない。
しかも庭でとって台所直結、数分後には口に入れている。
多分近所の農家の人々より、早い収穫、消費であろう。
特にトマトは毎日かなりの量を食べており、身体の中の活性酸素を消滅させる働きをするリコピンが成分のため、私の身体はおかげで元気でいられる。
仕事はその日その日で完結するため時間勝負であり、対する相手には常に真剣で、しかも医療的なミスは最も許されない、常に勤務時間内は緊張感に捉われている。
採血の時も何十人も針を刺すが、すんなり血管が浮き出ている人ばかりではない。肉の奥深くしまい込んでいる人も多い。
手探りで、探る人指し指の指先が頼りで、血管が出ないのですと言われると、どっと汗が噴出すのだ。
医療の現場は益々、ミスを防ぐための関門が緻密にはりめぐらされ、
今や法律の網が頭の上からかぶされた状態で皆勤務者は働いているのだ。
企業で働いていた時もその緊張感は同じだが、現場ではないので医療的なミスは常に背中合わせということはない。
そこで何十年も働き、移住先の土地で勤務始め、どっぷり看護技術を要求される職場で既に9ヶ月が経った。

図々しいといえば図々しい。
恐さ知らずで、リタイアした人間がリスクを背負う職場へ良く考えもせず、意欲のみで勤務始めたなと、今振り返ると、汗たらたら・・・。
勤務始めて最初の3ヶ月はへたった。
いつでもやめる心境は出来上がっていた。

けど、東京から来た人間は弱いとか、頑張りが利かないとか言われるのが悔しくて何とかここまでやって来た。
それは自分で作った野菜のお陰でもあり、毎日出会う信州の人々との保健指導を通じての人間関係が作られて来て
その中から味わう専門職だから頂く心の繋がりのためである。
毎年受けている健康診断の中身がわかっていませんでした、良くわかりました、有難うございましたと頭を下げられるがなんてこった。
頭からこうしなさいと指導され、意味もわからず又同じ生活を続け、身体はメタボ、それがこれまでの指導であり、そこに手をいれ手法を変え、来た甲斐があったと思うように送り出す、それが年季を積んできた人間のやる仕事で、目の前の受診者にその都度感謝され、深々と頭を下げられる仕事なんてそうあるまいと思う。

やっと信州へ引越しして2回目の夏が過ぎて行くが、昨年の経験と全く違った生活をしており、まだまだこの土地では私は新人だ。

雨降りのお陰で、週末は家の中でずっと過ごしたので、色々振り返ることが出来た。

さあこれから八ヶ岳を仰ぐ望岳の湯という温泉に行き、その後美容院へ行く予定で、ぶるぶる震えていた身体を暖めて来よう。

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かくして夏は過ぎ行く

2008年08月19日 23時15分02秒 |  日記
2,3日前から急に涼しさが増して、おや?いつの間に秋が目の前に来てしまったのという感じ。
今日も仕事の帰り、病院を出て駐車場まで歩いている途中、ああ諏訪湖の花火大会が終わったら秋になっていた、と身体で感じた。
2、3日前の花火が既に1ヶ月くらい経ってしまったかの錯覚に落ちいる。
遡ってみれば、1月に母を亡くし葬儀や49日を追っかけて実家に行ったりきたりしている間に春が来た。4月になってムスメの就職話が浮上し、5月はムスコの転勤が決まり送別会をしたりして6月中旬、いったんビザ申請に戻って来たムスメとシカゴへ赴任するムスコを送り出した。
忙しいまま準備も碌に出来ずに6月末から7月にムスメと一緒にカナダへ旅行に出かけた。
11日間の旅行で現実から逃避した頭で、職場に戻り時差や疲れを出せずに働き、一日だけ訳がわからないひどい腰痛にへっぴり腰でどうなることやらと不安になったが何とか持ち直した。
8月に入り毎週薪能や実家へ帰って新盆、そして先週の諏訪湖の花火大会で続いたイベントは終了した。
その間、しっかり畑を耕し農作物を作り育てた。
満足するほどの産物は出来、益々農作業が好きになった。
来週で8月は終わり、9月か・・・・と思うとこの1年の時間の過ぎ去っていったスピードは人生でもっとも速かったように思える。
田舎でのんびり過ごそうと考えた3年前、実際移り住んでみたら何ととぼけたことを考えていたのだろうと思う。
田舎生活はまさしく忙しい。
しかも充実しており、ゆっくり時間を掛けて本を読んだり、手芸をしたりと夢みた事柄は彼方へ飛んでいってしまった。
ああ私の人生、いつまで経っても、もしかしたら死ぬ寸前まで動き回ってパタリ!と逝くのかな?
今外は月明かりで煌々と空が冴えわたり、秋の虫が鳴いている。
既に気温は20度を切り、肌寒さを感じるようになってしまった。
何となくこうなると、夏の間には感じなかったわびしさが占めるようになっているなと心の隅に見出したのである。


諏訪湖上花火大会

2008年08月15日 23時11分29秒 |  日記
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毎年8月15日は諏訪湖の花火大会である。
今年は家族が離れ離れになり、毎年、あっちこっちの花火を見続けてきた息子夫婦は残念ながらアメリカに行ってしまった。
そのお陰で、ハハは家族を代表して花火を見ることにした。
インターネットでチケットの購入方法を確認し、カナダの旅行に出かける寸前に市役所宛に書留を送った。
今回もお祝い花火と称し、1万円を奮発し、ムスメとムスコ夫婦の健康を祈願した。
チケットは手に入ったが、今回の花火大会は60回目の記念すべきもので当然、見物の人々は昨年より増えるであろうし、開場も昨年の3時から2時に繰り上がったため決死の覚悟で出掛けねばならない。
今年は43,000発の打ち上げ数は全国一だそうだ。
予報では雨になると言っていたが、雨が降りそうな空模様ではなく、暑い真っ最中に駐車場までお昼過ぎに家を出発した。
今回も駐車するのは会場から程遠い、終末処理場であり、日傘を差してたっぷり汗を拭き拭き、50分は歩いた。
人ごみの中、なかなか思うように歩けず暑いわ、進まないわでいらいらしながら3時近くにようやく入場口にたどり着いた。
席は確保してあるのだが、かんかん照りの直射日光を避け様がない諏訪湖の岸で、疲れて転がって寝てみた。
背中のシートが焼けていて、30分も寝たら、かちかち山の狸の様に、背中が焼けて痒くなった。
4時間の待ち時間、良くぞ待ったものだ。
7時待ちに待った花火が打ち上げられた。市民花火協賛が何十発も次々打ち上げられ、これまで何時間も待った事もいっぺんに吹っ飛んだ。
ドドーンとお腹に響く。
わくわくする、悔しいムスコはインターネットで見るといっていたが、何といっても目の前の光景は迫力が違う。秊
今年は4万3千発の花火が打ち上げられた。
空を見上げる群集は、この時間だけは人類皆はきょうだいになり、笑ったり拍手したりしているうちにいよいよハイライトの水上スターマインになった。
これだけは毎年見たいとつくづく思う。
天気にも恵まれ、帰りの大渋滞に巻き込まれず大満足で家に帰ってきた。
一人で寂しいこともなく、達成感を充分に味わい、こころの中では、もう来年のことを考えていた。

これが終わると、信州では秋が大急ぎでやって来るのだ。




ついに・・・・

2008年08月11日 23時13分13秒 |  日記
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ムスメよ、ごめん!

ついに使い慣れたプリンターが言う事聞かなくなり、動かなくなった。
これは昨夜のこと。
今月になり、紙送りが数枚まとまって送り、はがきの印刷は失敗するほうが多くなり、A4はぐちゃぐちゃになって奥のほうで固まっていた。
そして昨夜紙送りが出来なくなり、手を突っ込んでも取れなくなり、印刷機は変な音を立てて動かなくなった。
私の手もインクで真っ黒になり、引っ張り出すことも出来ず、夜中の1時半、諦めた。
思えばムスメが8年前、中央林間に引越した際、HP社のPCとプリンターを買い使用していた。
私はそれを使わしてもらっていた。
今回諦めるしかなく、そして仕事の帰りにヤマダ電器により新しいプリンターを買ってきた。
プリンターはずいぶんと安くなり、それのほうに驚いた。
E社のプリンターを勧められ、E社は地元でもあり、毎日社員は健診に来ている。
身近なところから購入し、夕食後、セットした。
子供に頼っていたあまり、何も出来ない母親だったが、今回は歯を食いしばってでもセットしなければ印刷が出来ず、不自由この上ない。

ぱんぱかぱーん!
インストールは時間がかかっても正常にセットでき、試しの印刷は
見事に綺麗な色に印刷された。
カラーリオといっているテレビのコマーシャルどおり、写真はかってないくらい美しく印刷が出来た。

長いことお世話になったが、動かなくなって紙を食い込んだままのHP社のプリンターよ、そしてムスメよ誠に申し訳ない、新しいプリンターにバトンタッチ致しました。


仕事を通して見え始めたもの

2008年08月06日 22時32分35秒 |  日記
 
 最近、朝からきれいに晴れ上がっていても午後から暗雲立ち込め、諏訪湖は不気味な色に変わる。
そして間もなくすごい勢いで雨が降る。
この繰り返しが毎日起きている。
これまでこのような雨の降り方はなかったが、異常気象のせいだと思っている。
お陰で、健診を受けた人たちはずぶぬれになって帰るやら、やってくるやら被害も大きい。

特定健診が始まり、健康診断の受診者は毎日うなぎ昇り。
申し込んでも2ヶ月待たねば予約できないと、受診者の声。
午前中は8時から始まる健康診断だが、長野県全域から集まる対象者は
7時ごろにはもう玄関が開く前から待っているのだ。
待ち時間が長くなるのが嫌なのか、早く終わりたいのか、早く終わって職場へ仕事に戻りたいのか、様々な理由がある。
しかし早い・・・・。

問診、身体測定、採血、レントゲン、心電図や腹部エコー、眼底、心肺機能、胃カメラ、バリウムこれらは時間と共に進み、問題ない。
客観的には個人差は見えない。

しかし午後になって、健診結果の説明の段になり、結果に基づく個人面談を行なうとそこで見えてくるものが一杯ある。
個人のデーターの背後にはその人の生活が見えるのである。
男女差、年齢、職業、食事や日常生活の内容、交際範囲といった個人生活、果ては人柄までが浮き彫りになってくるのである。
そしてその個人は自分の身体をどの程度認識しているか、健康感はどのようなものか、健診結果の数値から判断していくと、あなたは占い師ですかと最近目の前の受診者から言われることが多い。
健診データーから読み取れる数年先の健康状態、果ては背負い込む病気を予測して話すと、皆びっくりして、こんなに詳しく話を聞いたのは初めてだと言いながら、神妙になる。
おどしたり褒めたり、あの手この手で病気に入り込むのを引っ張り上げている毎日だ。
1年後にどのような変化をするかの生活の改善を約束して送り出すが、
毎日、様々な職業の人たちを相手にしているため、仕事としての面白さが出てきた。
これまで企業という一つの枠の中で仕事を20年間続けてきたが、あたら
しい仕事を得て又自分の中にあるアンテナを少し高く伸ばすことが出来るようになったかなと最近、帰宅途中、病院から駐車場まで歩いている時に思うことである。

シカゴに転勤した息子夫婦が犬栄養失調になっている。
しょうがない、動き回るあほ犬にご機嫌を取り、写真を撮るが最近奴らは察しがよく、さっとカメラを向ける前に姿を消す。
取った写真はお化け状態ばかり。
苦労の賜物の写真をここに・・・。

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八ヶ岳薪能

2008年08月03日 22時49分55秒 |  日記
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8月に入り、第一週の日曜日、小淵沢の身曾岐神社の能楽殿へ薪能を観にいく。
昨年初めて引越して来てこの催し物を知った。
日本一の能楽堂があり毎年この季節になると、能の奉納が行なわれる。
昨年、平家物語に感動し、今年もチケットの購入を知人にお願いした。
午後の4時から3時間半、今年の出し物は能、半蔀 狂言、鎌腹 能葵上の3部。
入場者は1,500人とかの駐車場で苦労する人数である。
今年は源氏物語が執筆され1,000年の記念すべき年で、能もそのため源氏物語を取り上げた。
昨年初めて、舞台にすり足でゆっくり登場する面をつけたシテに鳥肌が立った。
今年は京都から金剛流と宝生流の来演で、段々日も暮れ始めた時に篝火が焚かれ、幽玄の世界へ踏み込んだ時間になった。
六条御息所の怨念で半蔀では夕顔が呪い殺され、葵上ではやはり御息所に呪い殺される場面を能の舞台で表現されるが、昨年の野村万歳と違い京都の雅やかな品格と艶が今日の身曾岐神社の幽玄な趣にぴったりだった。
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帰りは駐車場が溢れるほどの車で赤ランプの列だったが、いつの間にか
小淵沢アウトレットを過ぎたら一台も車がいなくなり、八ヶ岳方面、原村へ向かう車はなく真っ暗な闇の中、何だか不気味で背筋が寒くなりながら吹っ飛ばして戻って来た。
リゾート地の週末、まだ夜の8時だに、家に到着するまで前後を走る車が一台もないなんて初めてのことだった。
田舎は夜になると本当に真っ暗闇になる。聯