信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

伊那での定住生活1年目

2014年10月29日 13時47分22秒 | Weblog
朝起きて外を見たら、庭の土が白い・・・・・。
霜が降りたのだ。
長野県の初霜は例年より数日は早いとニュースで聞いた。






あと3日もすれば原村から引っ越して1年目になるが、まだ日中の気温も25度くらいになるので
眼中になかった。犬の散歩の土手では霜が美しい模様を描き、日陰の田んぼは霜柱が立っている。



そうか、もうその季節か。としんみりとした。
今朝の霜で夏の草花は一気に茶色に枯れていく。
冬の白菜や小松菜などの野菜はいきいきと朝の光で緑に輝いている。

間もなく伊那に移住して1年目になる。
中央林間から遠い信州へ引越し、原村で6年間暮らし7年目は伊那で暮らした。
親戚も知人もない土地での暮らしは先々を何も考える余裕もなく日々が過ぎていった。
仕事を持ったので頭の中の90%は職場へ溶け込んでミスのない毎日を願っていた。

自分の家を持つことに職場をやめてから専心し、新しい家を建てる喜びより、お金の遣り繰りに
小市民の自分は心を砕き、引越しを迎えた。

思いっきり家具や衣類を手放し、小さな一人住まいに相応しい荷物を作ったはずがまだまだ甘かった。
引越し後のごっちゃごっちゃの各部屋に治まりきれないダンボール類に、またもや新しいストレスを抱えた。

それから約1か月後、何とか落ち着いた家の中になるが、近くに住むムスメが出産し退院後マゴとともに
滞在し産後の生活の面倒を見ることになった。
自分の新しい土地での生活もままならないまま、ムスメ親子と寒い季節でのなかほとんど食事つくりや
マゴの沐浴や出たり入ったりの毎日で毎日の薪割りなどという力作業も加わった。

日々体重が増えていくマゴと薪割り、雪掻き、はパソコン作業と口だけ動かしているこれまでの勤務とは程遠く
筋肉痛が治ることなく春になった。
マゴの抱っこは変わらないが、家を除いた250坪ほどの土地に野菜や草花などの畑や花壇作りが
始まり、筋肉痛は更に極めていく。
初めての広い有効土地利用だが、何も考えずその日暮らしで耕し苗を植え、草取りや朝夕の水遣りなど
見えなかった生活が、こういうことかとわかってきた。
欲張って目一杯植えた野菜や草花類は隙間がないほど茂り、近所の人々から褒められる嬉しさがその見かえりとなった。

ま、1年目だからいいか・・・・の気分で夏も真っ盛りになったが蜂に刺されて酷いことになり、
この10月は頭を2回もぶっつけて大きいたんこぶが出来、その数日後夜暗い、レンガ畳の庭で転び両膝と指を怪我し
体中痛いだらけの毎日で、たたりか?と思ったほどだ。

その間8月中旬には飼い犬が椎間板ヘルニアで後ろ足が麻痺しその週には東京まで車で突っ走り
MRI写真を撮り、翌日入院手術し、その後2ヶ月間、介護生活を始めた。
赤ちゃんと介護犬との生活でパソコンからは遠ざかってしまったが、そんなどたばた生活もあと2日で
1年目が終わる。

何と手ごたえ十分の毎日であったことか。
先日、地元の自治会に入会することになり、挨拶に行ったが、これで人生13回目の引越しも終え、今後は
この土地に落ち着き年金暮らしのつつましい生活を送りたいと述べた。
これまでは先々を考える頭も持ち合わせなかったが、この1年の経験がやがて基本となり
知恵を絞っていかねばならないと少し前向きに前進だ。

御嶽山の噴火という突然の事象にこの1ヵ月他人事と思えない心の痛みを抱えながら、それでも
この穏やかな伊那谷と中央アルプスと南アルプスの美しい山々を毎日眺めながら暮らす幸福感は
大きい。

このまま、このまま怪我と病気だけは御免こうむりながら、マゴの成長に一時関われる毎日を
過ごして歳を取っていくのであろう。





空木岳をバックに稲刈りが済んだ跡地には麦が芽を出し始めている




高遠秋のバラ祭り

2014年10月11日 18時29分00秒 | Weblog
今日から3連休が始まり、あちらこちらでイベントが行われる。
自分が属している高遠町のバラ園では秋のバラ祭りが開催され、当番で今日
お祭りの運営に参加した。

  

13日には台風19号が接近するため中止となり2日間は無料でのお祭りを行う。
我がボランティア会員はそれぞれの持ち場の配置につき、自分は豚汁を振舞う係りになった。

 

120人分入る寸胴鍋3個に材料を仕込み2時間ほどかかり豚汁が出来上がった。
春の6月のバラ祭りは有料だが、秋は無料でこじんまりと行う。
気温がぐんぐん上がり、テントの中で汗をかきながら鍋をかき回しこれまで経験のない
大量の料理を作るが、さすが担当の係りの人たちは主婦であるから手馴れたもので、やり易い。

秋はバラも春に比べ、少し小振りになるが、手入れの行き届いたお陰で大きな花を一杯つけて
秋の日差しの中で立派なものだ。
8月に剪定を行ったが、こんなに切ってしまってよいものかと迷ってみたが、何とあれから新芽が50センチも伸び
花を着けているからボランティアに参加すると実践で学習できる。

天気が良いので正面に中央アルプスを臨み、御嶽山の噴煙も遠くに見えた。

予定した350食分の豚汁は午前中でほぼ売れつくした。
関西方面からの団体バス旅行組みもお昼に到着し、賑やかさを増し汗をかきながら容器にひたすら
注ぐ。
若い世代の子供連れが目立ち、穏やかな秋の日差しの中でこれまでにない経験をさせてもらった。
31日で知人友人、親戚もいない伊那に引っ越して間もなく1年になろうとしている。

キャベツやトマトの収穫、お盆のお花の花束作り、そしてバラつくりのボランティアと
地域の知らない人々と一緒に働き、新たな気持ちを楽しんでいる。
都会に住んでいたときは想像もつかない生活だ。
年齢を経て沢山の経験をして、行き着くところに来て楽しいと思える経験をさせてもらって
感謝、感謝である。 











 



木曽駒ケ岳に登る

2014年10月05日 12時26分28秒 | Weblog





9月27日長野放送の番組で駒ヶ根の千畳敷カールから木曽駒ケ岳に登山する録画を見て
紅葉がかなり進んでいるのを知った。

御嶽山では噴火の惨状に毎日ハラハラしているが、夏休みを取ったムスコが今回は上高地から
涸沢に登山している。
30日の今日まで好天で中央アルプスはガスもかからず今日までは晴れているという。
ずっと続いた犬の介護と自宅から午前中で登れるという
条件の良い千畳敷カールへ息子のいない間に思い切って出かけることにした。

駒ヶ根まで自宅から車で30分余、ロープウエイの麓から電気バスに乗り、しらび平まで40分。
ロープウエイで僅か7分で千畳敷カールに到着した。









ウイークディのことで中高年でほぼ乗客は満員となり皆登山姿で決めている。
この山へ来たのは34年前と12年前でいずれもロープウエイを降りたときはガスで煙り
視界はなかった。
その当時を思い返せば登山者の無防備な姿は減った。
高度を増すごとに驚くような色の紅葉になった。



千畳敷カールは ななかまどの紅葉が見ごろ。来週は多分見ごろは終わるであろう。





遠くに駒ヶ根や伊那市街地が見える



宝剣岳 2931メートル



自宅から一番近くに見える伊那前岳 2883メートル



中岳 2925メートル



頂上の木曽駒ケ岳 2956メートル



遠くに御嶽山の噴煙が上がっているが、この日はガスが強く、救出を断念したという



下山の途中でやっと余裕が出来、登って来た麓を写した。

この日は体力に自信がなく、最近登山から遠ざかり、麓のトレッキングコースを一回りして帰ろう
と予定した。
ところが青空と、せめて宝剣岳までと欲が出てぞろぞろと続く中高年者の後に続いた。
少しずつその列は間隔が出始め、中岳ではコースを間違え、巻き道を選んでしまった。
ぞっとする谷あいを下に見ながら岩場にへばりつき、目の前が開けたときは中岳を過ぎて
目の前は木曽駒ケ岳の麓だ。
頂上を目の前にして戻ることはない。
10時40分に頂上に着いた。

岐阜県側を見ると噴煙を上げている御嶽山を初めてみることができた。
噴煙の高さが500㍍と言うが、この遠い距離から見てももっと高く上がっているに違いない。
胸に迫るものがある。

お昼過ぎには下山に向かい、自宅には犬が待っているので3時過ぎには帰宅できた。
こうして、20代のバリバリ若い独身時代に初めて登った千丈敷カールだがそのときは空木岳も縦走し
山小屋に泊まった。
体の衰えは当然あるが、登りより下りるときの足が弱っているのを感じる。
歳を取ると足がもつれたりつまずきやすいというが、なるほど、理解できる。

又来春になったらこれを機会に折角の信州に住み着いた恩恵に山登りをぼちぼちと始めよう。
ゆっくり、ゆっくり自分のペースで慎重に登れば訓練が出来ていくのではないかと思う。

この2週間は犬の突然の病気で失意の日が続き、気持ちが滅入っていた。
しかしや思い切って気分転換をしたら達成感も大きく、又明日から頑張れる精神に傾いたのである。