信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

老女の嘆き

2013年07月31日 21時36分00秒 | Weblog
体の痛み、頭の痛み、ドラえもんばりの腫れぼったい指からやっと抜け出した。
この2日間、中学生の農業体験で4人の男女が朝から夕方まで体験学習に来た。
原村の農家の野菜、花卉、に分散しお弁当持ちでやって来た。

ブロッコリー農家やセロリ農家、菊や花作りとあり、朝8時半に4人はやってきた。
ブロッコリーの出荷は10時半でそれにあわせて出荷作業を一緒に行った。
出荷が終わると、ブロッコリーの種まきを経験し、午後はブルーベリーの摘み取り作業をする。

2日目は同じく出荷作業をし、残った時間で3ヵ所の畑に蕎麦の種を播く。
農業体験といっても2日間ではごく一部の作業しか出来ないがそれでも受け入れ側は
一生懸命に考え、忙しい中を指導しながら作業を準備した。

農家は今繁忙期で、猫の手も借りたいくらいで中国人の研修生も来なくなったし
中学生の受け入れは断りがたらいまわしになり、結局若い農家にお鉢が回る。

2日間一緒に仕事をしたが正直最初から面食らった。
4人が出荷作業をしている我々の所にやって来たが、まずは遅刻だ。
そして挨拶もなく皆ボーと無言で立っている。
ブロッコリーの出荷は集荷したものを包丁で切り取り形を整え箱詰めする。
包丁を使えるヒトは?と聞いたら、4人とも初めてですという。
ジョシガ一人いたが、えーコワ~イと叫ぶ。
そんな出だしから始まり合間合間にこちらとしては何か口を利かねばと
色々質問してみたが返事が返ってこない。
中学生のダンシだから恥じらいで返事が出来ないのかと思った。
2日目も始まりも終わりも挨拶なく始まる。
挨拶くらいしようよと声を掛けるが反応なし。

蕎麦の種まきに車で出かけるが車中では同級生同士うるさいくらいおしゃべりばかりしている。
話が出来るじゃないと心の中で思う。

蕎麦は荒地でも育つと言われ、広大な土地に手でばら撒きをする。丁度お昼ごろになり
一番暑い時間でもあり、長靴を履き土にもぐり足を取られながら何とか3ヵ所の畑に
播き終わる。
担当の教師が一緒に付き添い写真を撮ったりして作業の中身を確認している。
最後の畑で播き終わった土地に雑草がはびこり、邪魔になるので私とオーナーが
背の高い草を抜き始めた。
折からの炎天下で気分が悪くなりながら続けるが、ふと見ると遠くの車の後部に座り
生徒と教師が飲み物を飲みながら笑いながらこちらを見ながら話をしている。
しばらく我慢したが、とうとうオーナーが一緒に草を取ってくださいと大きな声で車に向かって
怒鳴った。
教師と生徒は見る限りでは話し方が友達同士のようだ。

私は午前中で切れた。
もう勘弁してくださいと午後の仕事は断って帰ってきた。
頭痛と体中の痛みと腹立ちでやりきれなかった。

彼らはせっせと熱中症になりたくないからと
休んではペットボトルの飲み物を飲み
こんなに疲れるとは思わなかったとだけ口を利いた。
挨拶も出来ず、質問にも答えず、友達同士でおしゃべりばかりしすぐにふざけあう。
勉強に来ているという意欲が見られず遊び気分で、今日は流石に受け入れ側のスタッフも
同じ気持ちであったらしく皆で愚痴った。

基本的に家庭で教えることが出来ていない。
コドモだからと許してはならないし教師も指導が足りない。

指示することはやってのけるがそれ以上のことは口も手も出さない。ただ黙って立っているだけ。
オーナーも来年は受けないといった。
ああ、遠い将来この子供たちがこの日本を背負っていくことを思うと気持ちがしぼんだ。
佐藤愛子のように怒る材料がたっぷりあるが、それだけ歳を取ったのか、
けれど怒ることはまだ常識のレールを踏み外していないことかと自分に言い聞かせた。

      

信州は夏も終わりが近づき花も色鮮やかである。

 

今年は西瓜もトマトも愛情たっぷりに応えてくれた。





おら、LCVにインタビューされた

2013年07月28日 21時20分01秒 | Weblog
夕方庭で草取りをしていたら、犬が盛んに吠えるので表の道路を覗いてみた。
2人の男が家の前を行ったり来たりして、格好が怪しい。
と、近づいてきてLCVですが、番組でお話を伺いたいので、と有無を言わさずマイクを向けてきた。

ややや・・・・マイクを持っているのはタレントの石ちゃんのような小太りの
鬘をかぶった三度笠の股旅の姿をしており、おかしくて吹き出しそうになった。

庭のお花がきれいだけれどこの時間にいつも花の手入れをしているのですか
とか、犬の名前はなんと言うかとか何歳かとか、他愛無いない質問をしながら」原村の良さを
引き出していく。
横浜から移住してきてこの夏の涼しさや野菜や空気や水のお陰で健康になったと褒めてみた。
一番喜んでいるのは犬達であるとも。
股旅のインタビューアーは質問攻めで、勝手に色々判断し、有難うを連発し帰って行った。
どうせ画面にカットされているか、登場しても、編集されてせいぜい30秒かと思う。
しゃべりは問題ないが、難点は顔だ。
カメラを向けられながら、ああ・・情けない、まずいとずっと思っていた。

夕方、庭で草取りをしている姿だから、Tシャツにジーンズ、髪の毛はひっつめ髪で
ゴム手袋をしてお世辞にも人前に出る姿ではない。
本当は冬の寒さのつらさを語りたかったが、にこやかな石ちゃん風股旅姿と話していると
うまく誘導尋問に乗ったようだ。

恵みの雨

2013年07月24日 15時59分54秒 | Weblog
毎日晴天が続き、天気予報ではところどころ、夕方にわか雨、
に期待するが雨雲が広がっても山梨方面に流されてしまう。
からからの乾いた土に、野菜や草花を思いやる。

昨日も植え終わった畑のブロッコリーの苗を雨乞いしたい気持ちで
帰宅して、家の花壇や畑に汗をかきながら水を播いた。

この原村、諏訪方面は3ヵ所くらいの雨雲が場所によりけりで雨を降らす。
諏訪で勤務を終えてゲリラのように雨が降っているのに茅野から原村に帰ってくると
雨の気配すらない時もあり、その逆もある。

今日は久しぶりに天気予報が当たり、10時過ぎ位から雨が降り始め
小ぬか雨になった。
これで土中深く浸み込むであろう。

農作業はブロッコリーの出荷が終わり、午前中で終了し、午後は
休みになった。
思わぬ休暇になった。
しかも明日は中央高速のバスに乗り元住んでいた中央林間の眼科に定期健診に出かける。
眼底検査と視野検査の予約を取った。
歳を取ると共に増えていく緑内障や加齢黄班変性症の早期発見のために、かかりつけ医師が
こまめに診察を勧めてくれる。
自分の老後の体は足が動かなくなるのと目が見えなくなるのだけは避けたいと強く思っている。
いずれも車椅子に乗り、ヒトの力を借りることになる。

眼底検査は瞳孔を開き、その後数時間車の運転が出来ないので、近くに住んでいるムスコが
原村まで送ってくれる。
いい具合に検査後は南町田のショッピングモールの整体で、とろける時間を過ごすことが出来る。
今回は慣れない農作業で相当体が傷んでいる。
明日から2・3日体を休ませ、都会の空気に触れる良いチャンスとなった。

夕方になっても窓の外では朝顔がしぼまず、涼しい空気に喜んでいるような風情を感じる。
裏表から写真を撮ってみた。
後姿のほうがけなげさを感じる。

 

思い知る

2013年07月23日 22時01分12秒 | Weblog
婚活をしていたカッコーが姿を消した。
入れ替わりにヒグラシが賑やかに啼き出している。
季節も暑い暑いといいながら微妙な変化が見えてきた。

といっても毎日休みなしの農業生活は大汗をかきながら修行中だ。
ブロッコリー栽培の全容が理解できる作業をしている。
初めは包丁を持ってブロッコリーの形を整え出荷作業をしながら
段々、日々半日単位でさまざまな作業を覚えていく。


今日は午前中、種を播く作業で、120個入りの苗ポットに種まき用の土を入れ
機械で種を播き機械のミスを拾い、さらにその上からバーミキュライトを掛けハウスへ並べる。
今日は苗床80個、種は10,000個播き、1ヵ月半後に芽が出るのを待つ。


 

その後畑へ出て別なハウスで育った苗を手作業で植えた。
このところ雨も降らずカラカラ天気の乾燥した土に苗を植えるが時間が経つとともに
熱中症が気になりだした。
とともに、野菜がこれほど種から育ち店頭に並ぶまでいかに手間がかかっていたか
始めてその仕事について知った。
収入を得るくらいの規模の畑に野菜をつくるには、じいちゃんばあちゃんだけでは
仕事が追いつかないではないか。
後継者が減っていくのには理由もわかる。
これまで毎年、人手不足解消に中国から半年間、研修と名づけ若いジョシが
寝起きを共にし100人ほどセロリ栽培を手伝っていたが今は尖閣問題で中止され、
セロリ農家は大変な思いをしている。

午後はあまり休み時間もなく、ブロッコリーの出荷作業になった。
へえぇと疲れ果てて家に帰るが、最近少しずつ手足の筋肉がへな猪口だったのが
しっかりしてきたような気がする。
中腰の姿勢が多いから大腰筋が鍛えられる。
この2週間、筋肉痛でへこたれていたが、その見返りが少しずつ現れるようになった。
退職したらジムに通うつもりだったが、別な理由から筋肉は鍛えられている日々になった。

庭では手入れをした花々がきれいに咲いている。

 

修行は続く

2013年07月19日 23時16分24秒 | Weblog
農家の手伝いを始めたが、朝も早いし、休みも自分次第で一日が早く過ぎていく。
これまでの毎日の生活が一変した。

区切りを付けたはずが仕事をすることになり、体と頭とついていくのが時間がかかる。
まったくの異業種だから何もかも毎日の作業が初めてであり、体力勝負である。
何よりも暑くてお風呂に入ったように、全身汗でずぶぬれになり家に帰る。
標高の高い場所ではあるが、これほど毎日汗を掻くのはこれまでの人生初めてだ。

出荷は慣れて来たがまだまだ同じ作業のため、指が腫れあがったままだ。
今日は出荷が終わった後、畑へ出てブロッコリーの苗を植えた。

本来は機械で植えるが、苗の成長は同じようにいかず機械で植えられないサイズを手で植えていく。

3000本を3人で2時間で植え終える。
林間の畑ではまだ日があたらず、中腰で片手でシャベルで穴を掘り苗を植えるが終わったときは
いたたた・・・・と腰が立たない。

うつむきながら苗を植えていると、遠くから参議院選挙の演説の声の連呼が流れてくる。
こうして農業従事者の立場になって聴いていると農業政策には関係ない言葉ばかり並べ、
しかも家族やご親戚の1票をお願いしますとばかり言い続け、
実際お願いばかりで国会に行ったら何をしてくれるのかい
と心の中で毒づいた。
医療職の時と立場が違うと見方が変わるのは間違いない。

植え終わった後のずらりと並んだ畑は整然としてきれいだ。
種を播いて苗が育つには1ヵ月半、夏場はそれが育って収穫まで1ヶ月、それが11月まで続くそうだ。
目標3000箱の出荷の一連の作業内容がやっとわかってきた。

  

農家はやらなければならないことが多すぎるし、ブルーベリーの畑もあるし
都会から移住し、就農したということでモデルとして議員さんの見学などもあるし
中学生の就農体験の受け入れもあるしなんでもありで若くなければやっていけない。

兵隊は修行中であるが、5人のスタッフがとても気心が合い、ストレスが発生しないので
その日その日に終わっていく仕事は毎日ゆでだこ状態だが、少しずつ体はリズムが出来てきたようだ。
それにしても、使う筋肉がこれほど衰えているとは、経験して初めてわかった。

伊那に移住すればもう2度と体験できないし、この原村に引っ越してきて6年間に、最初の6ヶ月と
最後の6ヶ月を菊作りとブロッコリーの農家の手伝いを行うことになり何の因縁かと不思議に思う。

飼い猫の佐助が気立てが良く毎日かまうのが小さな楽しみだ。



工事が見えてきた

2013年07月16日 21時54分38秒 | Weblog
野菜の出荷の作業について、1週間経った。
これまでの勤務でPCのキーボードとしゃべる口だけあれば仕事は
主に筋肉を使うことなど無かったのに、生活が激変した。

足も腰も、指の先までどこもかしこも痛い。
初めの数日は気持ちだけが先行し、体の変化に気づかなかった。
使う筋肉ががらりと入れ替わり、やられた!

昔、昔美しかった指は節くれ立って太くなり、腕は日焼けで黒くなった。
1週間経って建設会社との打ち合わせが入った。

工事の全工程の説明を受け、11月20日が引き渡しに決まった。
いまは地盤の補強が終わり地下6メートルまで鉄筋の柱を入れてコンクリート
を流し基礎が終わったそうだ
屋根や外壁、最初に入れるドアーなどを決めてから現地を見に行った。
頭の中と設計図から推測していた家の形が段々現実的に前に迫ってきた。
8月に入ると上棟だ。

    

上下水道の加入金を関係役所に払いに行き、不動産取得税の申告を終えると
4時を過ぎていた。
あと4ヵ月でもう引越しだ。
こりゃ大変なことになって来た。

野菜まみれ

2013年07月12日 23時02分00秒 | Weblog
今週初めは、数日だけの出荷のお手伝いと、軽い気持ちで
臨んだ仕事だが、オーナーの奥さんが折から体を壊してしまい
初心者の私でも助っ人になってしまった。
と言うことは、朝早くから毎日通勤している。
今週はもう5日目になる。

カシスとブルーベリーとブロッコリーを生産している農家なので
季節を通じて主にブロッコリーを毎日出荷している。
訳がわからないままに、作業をしたが、ブロッコリーの出荷の要員になり
毎日続けていると要領も取得して、作業のテンポも速くなりもう辞められないな
と言うのが今の本音だ。

  

スーパーで高いとか言いながら手に取り判断基準もいい加減で買っていたが、
仕事をしていると品質で秀とかランク別にするので手に取った瞬間、このブロッコリーは
とわかるようになった。
急に気温が高くなり、畑には一日長く置いては品質が落ちるので、収穫するヒトと
出荷の作業に回るヒトに分かれて時間作業だ。
朝は畑では4時半に収穫し、7時過ぎ頃から箱詰め作業し、集荷場に10時半には午前の部を
トラックで運んでいく。
午後は一休みして夕方もう一度、出荷する。
野菜は収穫したら日に当てられないので、出来るだけ早く腐っている部分や虫や大きさや
枝葉を取り除き箱詰めにする。

オーナーは昨年は1,000箱出荷したが今年は3,000箱出荷目標にしていると言う。
素人としてはさっぱりその量は見当がつかない。
1箱に20個のブロッコリーを詰めるが、それ以上は計算できない。

ただ、なれない仕事で段々立ちっぱなし、同じ動作の繰り返しで包丁を持つ右手にまめが出来
足は筋肉痛がやってきた。
けれど楽しい時間になっている。
今日は、オーナーのお友達が夏季の長期バカンスで日本に来たが、
異業種体験だと言いご夫婦で午前中一緒に仕事を手伝った。
フインランド人で、いまはスウェーデンに住んでいるがとてもフレンドリーで、冬はストックホルム
より原村のほうがずっと寒いと言う。

先日収穫したカシスを入れて夕方パンを焼いたが病み付きになるほど香りと味が、 贅沢で真に美味しかった。


おら、スカウトされた。その2

2013年07月09日 21時34分41秒 | Weblog


梅雨があけ、真っ青な青空に各地で熱中症の人数が増加し始めた。
冬の寒さに、もうこんな場所に住むのは嫌だと炬燵にあたりながら
非難していたのに、朝起きると爽やかな空気に離れがたくなる。

ムスメの友人に人手が足りなくて…と先週お願いされて、果実のもぎ取り
を手伝うことになった。

横浜で会社員をしていたご夫婦がこの原村に移住してきて、就農した。
働きもので、どんどん畑を広げて行き驚くばかりの働きぶりだ。

朝、8時にブルーベリー畑に集合し、4人で午前中カシスのもぎ取りをした。
ブルーベリーは良く見るが、カシスは初めてだ。
葉っぱや実がハーブのような香りがしてっ座り込んで摘み取っていてもいいにおいだ。
枝の奥深いところに実っているので覗きこんで摘むのだが、間もなく
不自然な姿勢をしているので腰が痛くなってきた。
それでも作業は面白くて午前中炎天下でびっしょり汗をかきながら
もぎ取りを終了し、摘んだ実の選果を行った。
めでたく目標の20キロを達成した。



いったん家へ戻り昼食を食べ、また午後から今度は場所を変えて
ブロッコリーの出荷作業を手伝う。
傍のブルーベリー畑では少しずつ実が熟してきた。

   

全身汗で、ずぶぬれ状態になりシャワーを浴び、洋服を取り替え食事を終えると
また出掛ける時間になる。
これまで勤務していた環境はエアコンで、夏でも肌寒いくらいの室内で
体がおかしくなっていた。
農家の人たちは炎天下で大変な働き方をしているのだと実感する。
夕方6時まで畑から収穫してきたブロッコリーを出荷するように包丁で切り取って整理し
箱詰めする。
ブロッコリーも品質別に選別し、虫がいないか、傷んだ箇所が無いか一つ一つチェックし
箱に詰める。
消費者としてこれまでスーパーでブロッコリーを買っていたが選ぶ判断が
生産者から聞くといい加減だったことがわかった。
値段が安い商品の見方を知ることが出来た。

今日は軽トラ1台分の出荷を手伝ったが明日は3台分出荷するそうだ。
朝早く7時に集合しカシスもぎ取りは別な人たちに回り、ブロッコリーの出荷要員になった。
初めての仕事であるが周囲の人たちがイイヒトタチデ、達成感があるしまずは
初日を乗り切った。
洋服を上から下まで2回全とっかえをするので面倒ではあるが、体の毒素を吐き出すようで
気持ちは良い。



宿場町浪漫

2013年07月08日 22時49分04秒 | Weblog


 

5年も諏訪に勤めていながら、実は近くの下諏訪町へは足を向けていなかった。
昨日、ムスメ夫婦と諏訪大社の秋宮へお参りに行った。
戌の日の安産祈願で朝の9時に集合した。



梅雨明けしたようだが、折からさっと雨が降り始め、社務所脇の
苔むした手洗いの岩が緑がきれいだ。
、脇に鎮座していたさざれ石を皆で感心して君が代の歌詞に出てくるこれが~と学んだ。

 

神主さんはこれがまた声が美しく、祝詞をあげて下さり、終わった時は雨も上がり
境内は古い御神木が瑞々しく心が清められてすがすがしく感じた。

午後から友人のお招きで岡谷のカノラホールで合唱の発表会で、ムスメの胎教にと
伺うことにした。
時間もたっぷりあるので、近隣を歩いてみることにした。
振り返ってみれば皆、諏訪に縁のあるものばかりだが、秋宮にお参りに来たのは
申し訳ないほど時間があき過ぎている。

ムスメは東京に住んでいたときに中学受験で観光ついでに合格祈願のお札をもらった。
それから遥かに時間が経って今度は安産祈願で訪れ、大分途中省略をしたため無事出産したら
次はお礼参りにきてくださいと巫女さんに言われてしまった

下諏訪町も秋宮から万治の石仏まで歩いてまるで観光に来たみたいな、気分になった。
旧中仙道と甲州街道の交わる地点で、温泉地帯でもあるが、町自体が旧江戸時代の
宿場町の建物を復元し、古い歴史に包まれた宿場町の趣が町並みに見られる。
今まで来る機会もなく、東京に住んでいた時に御柱祭と、松本城を見るついでに寄ったくらいで
今から20年以上も前のこと、町並みも変わったのである。

格子戸の美しいまるやという旅籠の茶房でお茶を頂き、雰囲気に浸った。
それから往復、万治の石仏まで歩き、石仏の前でまた色々お願いをして
すっかり観光者気分になっていた。



午後はカノラホールで美しい合唱を聴き、何とも今日は日頃に無い、心が洗われる
佳き時間を過ごすことが出来たものと思いつつ帰宅した。

丁度七夕様の日でもあるが、最近地鎮祭と今日の安産祈願と続けて神主さんの
お払いを受け、次は来月初めの小淵沢の身曾儀神社での薪能奉納と続き
神様に接する機会が多い有難い年回りかもしれない。





お弁当作りは楽しい

2013年07月06日 11時17分15秒 | Weblog
今期から始まったNHKの料理番組でのお弁当作り。
退職してから始まったが、栗原はるみさんの料理の本に心酔しているので
テレビも併せてみている。

一緒に登場するイタリア人が日本語も上手で、子供2人のお弁当を毎日作っているという
お父さんだから手馴れた手つきで番組を盛り上げて楽しい。

今日はドライカレーで、ふんふんと見ている最中はわかったような気持ちになっているが
さて、一人で材料を揃え、料理に至るまでは少し時間を要する。
ドライカレーであるから食材は難しくないが、香辛料がなかなか揃わない。

パン作りをしてもこの地域に住んで感じるのがやはり香辛料が手に入らないことだ。
まあ必ずどうしてもと言うわけではないので一寸手抜きして、別な地域の大手のスーパーに行った時に
見つけてきている。


   

コリアンダーの実が香辛料に入るのだが、粉末しかなく、その代わりに
イタリアンパセリやバジルなどは豊富に揃うので、かなり香りが強いカレーになった。

付け合せの酢醤油卵は逸品だった。
長い間、醤油卵はお弁当に入れていたが、酢醤油にすると口の中でまろやかな
味に変わりこれまたおいしいではないか。。
ヒトの意見は取り入れるものだ。

また、いつもゆで卵のゆで方で出来上がりが違い、殻を剥く時はきれいにはがれず
ぼこぼこのゆで卵になることが多すぎて悩みだった。
新鮮な卵ほどぼこぼこになる。
冷蔵庫から出してきっちり火をつけてから12分で茹で上がり、イタリア人が
皮を剥くのにスプーンでたたき殻にヒビを細かく入れてから剥くとするすると
失敗無くきれいにむけることを学習した。



夕方、近所の温泉に出かけ、湯上りに外へ出たら周りの林ではカナカナ…とヒグラシが鳴いた。
まだ梅雨が明けず局地的な大雨が降り、涼しさから開放されていない。
本当に夏が来るのかなと、七夕を前に思う。
以前、箱根の旅館に7月泊まったときに、夕方、雨が上がりヒグラシが鳴いた。
、仲居さんがヒグラシが鳴くと梅雨明けですよと教えてくれたのを覚えている。
また、ヤマボウシの花が箱根のいたるところで咲き、その時に印象的な花の名前を覚えた。
ヒグラシの鳴き声はいつ聞いても郷愁に引き込まれ物悲しくなるが、長野県の今日の天気予報は
ヤマボウシが最盛期なのに、大雨注意報が出ている。

果実酒を作る

2013年07月04日 23時06分55秒 | Weblog
昨日は電気製品の掃除で上ばかり見ていたから
今日は下ばかり見ることにした。

今年は梅の花が咲いた時に、ドカ雪が降り、その後低温が続き花は凍り、
実を結ぶことが出来なかった。
そのため今年は例年の梅酒やお得意のさしす漬けはあきらめた。
引越し荷物を増やすのも気持ちが進まなかった。

大家さんに夕方、庭のぐみをもがないかと 勧められたが、はて、摘まんで食べるには
10個もあれば良い。
しかし一人暮らしの大家さんでは、熟した後は誰も食べないから腐って落ちるだけである。
昔は子供たちはおやつ代わりに喜んで食べたけど今は、時代が変わってしまったと言う。

大粒の見事な粒で、勿体ない精神で、捥いでみたら2キロ近くある。
ジャムは止めて、焼酎に漬けてみることにした。色がとてもきれいだ。
ぐみ酒などは聞いたこともないが、どんな味のお酒が出来上がるか、楽しみでもある。

 

引越しへ向けての掃除の明け暮れ

2013年07月04日 21時55分51秒 | Weblog
実質あと4ヵ月で引越しとなるので毎日部屋の中を見渡しては掃除とモノの
整理をしている。
一気に減らすことが出来ないので何段階かに分けている。
長い間一緒に暮らしてきたものを分別するのは難しい。
その日その日によって気分も変わるし、激しい時には自分が死んだ後、どうするの
と思うと何もかも必要なものとしては影が薄くなり思い切る。
飽きると庭に出て野菜の手入れをしたりするから実際ははかどらない。

1昨日夜、ブログを書いていて何だか薄暗さを感じ上を見上げるとシャンデリアの
電球が1個切れている。
引っ越してくる時にシャンデリアが取り付かれており、それはいらないと断ったが
はずすことが出来ないらしくそのまま使用している。

 

ずっと勤務していたからお掃除する時間が取れず、気になりつつも今までほったらかし状態であった。
電球を取り替えるついでに、夕方脚立を持ち出し本格的に掃除を始めた。
景気づけにチャゲアスのアルバムを聞きながら取り掛かった。

途中で公開するがやめる訳にいかず、おまけにその勢いで家中の電気の掃除を一気に行った。
トイレの中の電気まで掃除して替えた。

いやはやびっくり!
埃と虫の死骸が主だがここで役立ったのが、重曹とハーブビネガーだった。
化学製品のお世話にならずに効き目が抜群だった。

多分子供たちが聞いたらやめなさいと注意をされるが、シャンデリアや電気器具が
これほどきれいになると、これが最後と自分に言い聞かせる。
若い時にムスメを産んだ後、姑の指示で暮に子供を背負って天井の拭き掃除をした。
今から30数年も前の時代であるから姑の言いつけは絶対服従で、生まれて初めて椅子によじ登って
天井を拭くなどの離れ業を行ったものだ。
それが終わると、買出しと正月客のためのおせち料理つくりを2日も3日もかけて台所で暮らした。
ほっとするともう七草粥の頃になり、毎年その行事が繰り返され、長いこと正月はずっと嫌いだった。
そんなことを思い出しながら、あれは自分に何をもたらしてくれたのだろうと正直、わからない。
いまや時代とともにおせち料理は食べなくなったし客のもてなしも変わった。

あの天井掃除の後は若かったのだが、上を向いての掃除は首が鞭打ち状態のように筋肉痛が来た。
さて、今回はある程度体はこき使っているから首が動かなくなるようなことが来るかと気になる。
ただ、若い時と違うことは脚立に上りシャンデリアのような細かい部分の掃除をする作業は
恐怖感が出ることだ。
大家さんが骨折したのでなお更だが、老化とは高いところが苦手になるのと下り坂が、
テンポがのろくなることだとわかった。
高いところや木登りなど平気でスイスイだったのが、
秘かに恐怖感がその都度出て慎重な動作になってしまうではないか。

毎朝ラジオ体操をしているが全身の筋肉を使うことに実感しており、もうやめられなくなってきた。 
体操をしていると壁にかけられた伊豆面と言う和紙のお面が手抜きしないように見張っており、視線を感じている。
これも若い時に伊豆の旅館で買ったが、今調べると簡単に処分できるような代物にあらず、作家も
有名な人になっていた。福を招くお面だそうだが…。



達成感の後電気のスイッチを入れたら感動モノだった。
新品と取り替えたように明るくなった。うす暗く感じていたのは気のせいではなかった。



半夏生

2013年07月02日 20時29分40秒 | Weblog

 
夏至から数えて11日目の今日は半夏生である。

この日までには農家は田植えを終わっていなければならず、この日は農作業を
忌み嫌う二十四節気のひとつである
梅雨の末期で、毒草が生える多湿で不順な頃とされている。

半夏生までに田植えを済ませた農家はこの日の天候で稲作の出来を占うという。
まだまだ、この地域は気温が上がらず、毎日朝起きると14度か15度。
お昼近くなり日が照りだすが、まだ梅雨の真っ最中だからと思い直し、涼しい毎日には
気分がいまいち盛り上がりに欠けている。

今日は実父の命日である。
福島で教員で勤務先の学校で職員会議中に55歳で脳卒中で亡くなった。
家族が誰も死に目に会えず自分は高校3年であった。

殉職と言うことで学校葬を行ったが、49年前の7月2日はとても暑く、
葬儀の日は人前にさらされた緊張感と予測できなかった悲しさで貧血を起こした。。
あの頃を思い出すと、福島の7月は暑いという記憶しかないが、いまや、信州で毎年涼しさを越えて
暖房と離れがたい日々を過ごしている。

半夏生を過ぎると来週から日の入りが1分ずつ早くなる。
犬の散歩は夕方7時を過ぎてもまだ明るく、いい気分で歩き回っているが、すでに
日の出と日の入りは入れ替わってきつつある。
父親の生きた年月を末っ子の自分はすでに10年も越えて生きている。

親を超えて大したことも出来ずに何も誇れるものはないが、50年も前の時代に生きた父親よりはるかに
文明の恩恵を受けていることには豊かに生きていることで感謝せねばならない。

幼い時に大病で2度も死に損なった記憶は消えることはなく、この先どこで入れ変わるのだろう?
早くに亡くなった父の命日になるといつも同じことを考えてしまう。


      
一緒に移住してきたクレマチスのプリンセスダイアナ、今年は花をびっしり付けた