信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

富士吉田市へ

2011年01月31日 21時10分02秒 | Weblog
日曜日、10数年ぶりに富士吉田市の友人を訪ねて中央道を大月方面に向かった。
大雪情報が気にかかるが、家を出る時に電話したら晴れていますよ~と明るい声が返ってきたので勢いで運転した。
このところ低温のため降った雪が融けぬまま雪景色の原村から甲府あたりへ差し掛かったら様子は全く変わっている。
車の中の温度も暖かくなり、大月ジャンクションから河口湖方面への景色は全く雪の降った様子もなく冬景色であるが寒々した様子は感じられない。

1・うおー暖かい
2・走っている車がきれい
 
私は田舎人になりきっているため変なところで感動する。
雪道の通勤の毎日は洗車する意味がなく、道路は融雪剤を播くので車はそのあおりで
冬季は新車を買った筈がきったないまま春になった。

お出掛けだからきれいな車でたまには…と思ったが雪がチラついてきて諏訪まで洗車に出かけられなかったためやむを得なかった。
八ヶ岳パーキングで自分の車の汚さが恥ずかしかった。
大反省である。

さて富士吉田は全くの久し振りであるが、道路は広くなり店は増え、大きな町に変わっていた。
富士山がこんなに大きく見えたっけ?
諏訪湖から見える富士山は5センチくらいで感動していたが、お膝元は問題外の眺望。

信州の山々に誇りを持って毎日眺めていたが、富士山は目の前で見るとやはり
日本一だ。
お天気が良く雪が5合目辺りまであり、今年は雪が少ないと言うが、太陽の光で
光り輝く雪景色の富士山は地元の人たちでもきれいだと思うそうだ。
お鮨屋さんでご馳走になり、その後改築したという自宅でずっと話し込み、気がついたら5時近くになっていた。
慌てて帰り支度だが折角目の前に聳える富士山の写真を撮りそこなっていた。
何と帰りの信号で止まった車の中から撮った写真しか残っていない。



けれどそれだけ沢山溜まった話が出来て、次へ繋がった。
歳をとっても友人は出来る。
それもお互い苦労を経て分かり合える信頼感が根底にある。
あり難い事だ。

寒すぎる原村へ招くのは酷なので、春を過ぎて花の季節になったら今度は我が家で
話し込むことにしよう。
富士吉田から原村まで中央道で車で1時間半の道のりであった。


諏訪湖が凍る

2011年01月25日 22時27分29秒 | Weblog
今年に入っての諏訪の話題は諏訪湖のお神渡り。
地元のやつるぎ神社の神主さんは毎日氷の裂け具合を観測しているそうである。
先週あたりでは氷の厚さは4センチで、10センチから15センチにならないと氷は裂けないそうで、それでもごく一部の裂け目を観測したとの報道があった。
昨夜雪が降り、今朝職場に出勤したら目の前の諏訪湖は凍った上に雪が積もり
真っ白になっていた。

  

岡谷方面や下諏訪、あたりでも氷の厚さは変わって来る。
先週撮った写真と本日の写真では同じ場所から撮ってみたが、変化がわかる。




このまま低温注意報が続けばもっと氷は厚さを増していくであろう。

今住んでいる原村の我が家の和室は気温1度。
夜中に寝ているときはマイナスになっているのであろう。

たけしの恐い家庭の医学で心筋梗塞を取り上げていた。
温度差による心臓死をもたらすがお風呂や温度差の大きい部屋の出入り、などの影響を取り上げていた。
布団の中では34度にも上がるがトイレやお風呂などはその差が大きくなることで心臓に負担がかかる。
それではもっと寒い我が家ではそれ以上のリスクを持っていることになる。
血圧が低いからまだいいが、さあこれから浴室は浴槽にためたお湯の蒸気をもうもうとして温めてから入らねばやる気が出ない。
ううう・・・さぶい。

気をつけよう・・・・

2011年01月23日 12時52分48秒 | Weblog



昨日、やっと気温が上がり晴れ間に犬の散歩をと、迷ったがいつもの八ヶ岳展望コース
を選んだ。
原村は広い地域で標高が800メートルあたりから阿弥陀岳までの2千数百メートルまで
で近隣の散歩でも坂道昇り降りの負荷がかかる。
歩き始めて間もなく運動公園に行く分岐点に来たとき、ウオーキングしている
人に会った。
最近村と言えど、村民の健康意識が高まったのか休日の午後歩くとあちらこちらで
歩いている人に出会う。
この村の良いところは誰に出会っても必ず車の中からでも挨拶をする。
見知らぬコドモでも元気に先に挨拶をしてくる。
ここは大きく都会とは違っている。

そこで出会ったウオーキングの完全防備の男性にこんにちわといつもどおりに
挨拶をしたら無視されて通り過ぎた。

心の中で思わず変な人と思ったが犬達と坂道を歩いて行く。ふと振り返ったら
その男性、立ち止まってこちらを見ている。
変な人と思ったのがまさか透視されたはずはないが、気になりながら歩いて行く。
2-30メートル歩いて3回位振り向いたらまだこちらを見ている。
歩いて行く先にゲートボールの運動場があり、そこに数台の車が止まっており
その車でも見ているのかと思ったら、いきなり手を振り始めた。
犬達は道路の端で立ち止まり、盛んに臭いをかぎ動かない。

手を振っていた男性は今度は畑に入るなと怒鳴っている。
入っていませんよ~と応えたら、驚くことに何だと~嘘つくなとこちらに向かって
怒りながら歩いて来る。
恐くなって犬達を引っ張りどきどきしながら急ぎ足で運動公園に向かった。
いざとなればゲートボールの老人達がいるので危ないことにならないだろうと思った。

そこで思い出せば、秋の頃同じ場所で、家の前で作業しているその家の主らしい
男性からその家の前を通り過ぎるときにいきなり犬の糞は持ち帰れと怒鳴られた。
心外なので、この通り袋に入れて、といったところ今度は嘘つくな・その先の畑で
犬に糞をさせているだろうとか言い出し言い訳無用で私は悪人になり
その場を早々に立ち去った。
それ以来その家の前を通るときは気をつけてその人にあわないとほっとしている
自分がいる。

犬を飼って散歩をしている人には時々出会う。
しかし近所の散歩道で道路に転がっている犬の糞を度々見る。
ドキッとしてあらっまさかウチのものではと見ると太さと量が違う。
我が家はダックスだからはっきりと違いがある。
夏場はその中にとうもろこしが混ざっていたり我が家ではありえないものが混じっている。

けれど現実こういった現象があり、住人達は犬を連れている人は皆だらしない
飼い主に見えるのであろう。
言い訳無用で2回も怒鳴られたが、昨日のずっと立ち止まって私の歩いて行く先を
見続けていたヒトに背中につめたい不気味さを感じた。
そしてその言い方と見張られていたことで、初めて移住して来ている場所に
好感ばかり
持っていることが出来ないなと思った。
ヒトを怒鳴ることはその人の心を酷く傷つける。
いつまでも気分悪さを続けていても、馬鹿らしいと思うが、行動には気をつけよう。



原村特産 アネモネの花 いまが見どころです

感動の日

2011年01月20日 21時01分53秒 | Weblog
勤務中の午後、インフオメーションから電話があり面会者という。
職場を聞かれたので教えてよいかどうかと言われ、覚えがないが会ってみる事にした。

訪ねてきたその女性の顔を見てお互い同時にうわ~と言いながら抱き合った。
涙が出た。
もう10年以上会っていない。

富士山の麓に住んでいるその人は4年前の年賀状で私の勤務先を推察し、訪ねてきたのである。
20年近く前に私の東京での元勤務先の会社に勤めていた夫が亡くなり、それ以来再婚し富士の麓に住んでいる彼女を私は時々訪ねていた。

しかし4年前の定年と共に東京での知人友人との付き合いを片手に納まる人数に整理して私は
信州へ引越してきた。
時々、あの人今頃どうしているかしらと懐かしく思い出す日々はやって来ていた。

大事なのは今の自分、と常に言い聞かせながら今の生活の範囲で付き合う人が
増えてきたので過去は振り返らないことにしていた。
突然、わざわざ富士山の麓からこの信州まで確かな勤務先かわからないのに
訪ねてきてくれて、会うことが出来たそのことに感動した。
話しきれないほどの山ほどの話が溜まっていると今度は私が訪ねていくことになった。
20年近く前の亡くなったご主人の顔がまだ浮かんでくるほど、病気を間に挟んで
数年密接にご夫婦とのお付き合いが続いた。

縁が切れなかったわねと泣き笑いしながら再会を喜んだが、この20年近くお互いの
生活場所が埼玉、東京、神奈川、山梨、信州と入れ替わりながら諏訪湖の傍で再会した。

今夜は満月である。
冷たく清んだ空に明るい大きな月が輝いている。
たまらなく嬉しい今日の出来事を満月に向かって有難うとこころから感謝した。

雪見風呂

2011年01月16日 22時33分42秒 | Weblog
昨夜からの雪が日中気温が上がらず、風で舞い上がり夕方まで雪景色が続いた。
一時陽が射したので、洗った洗濯物を干してよいものか外に干してみたら直ぐに
硬く凍ったので室内干しにした。
よほどのことがない限り、室内干しにする習慣がない。
家の中は狭くなるし、通るたびにぶつかるし、室内の匂いが洗濯物につかないか
気にかかるし乾いてきたかしょっちゅう見なくてはならないし、振り回されるから私には合わない。
昨日の夕方犬の散歩から帰ってきた後雪が降り始め、休日の温泉行きは取りやめた。
家で日中お風呂は入ればよいのだが、室内は寒いし、お風呂のお湯の冷め方は兎も角早い。
入っている間も熱いお湯を足さねば冷めてくる。
昨年浴室の改造をして新型の浴室にしたが、それでもお風呂で温まる満足度が低いので
決心して雪道を運転して近くの樅の湯という地元温泉に行った。

流石に日中の雪の降る日は空いている。
休日ならいつもなら他県ナンバーで駐車場は一杯で地元の人は入れないが
今回は余裕だ。
源泉掛け流しの温泉は湯煙で、手足を伸ばしたらたまらなく気持ちが良くここへ来るまでの雪道の恐さは消えた。
露天風呂では周りの木々が樅の木で、その木に積もった雪がクリスマスツリーに見える。
日中に雪が降った日に温泉に来てお風呂の中から雪景色を見たことなどは無いが
温かいお湯に入り湯煙の中から見る雪景色は本当にきれいだ。
日本列島寒さに閉じ込められ日本海側は大雪が降り続いている。
昨夕は一段と寒く、今朝外の雪景色で部屋が明るく、起きてみた時にあら、雪が降ると暖かいわと思ったけれど、勘違いだった。
日中暖めても室内の気温は上がらず、多分今夜の気温はこれまでで一番低いであろう。
台所のガラス戸の結露が不気味な凍り方で真っ白に凍っている。
明日の朝水道が出るか心配である。
雪道は夜にはアイスバーンになりブレーキが利かなく、朝の通勤にはもっとも恐ろしいスリップ事故に繋がる。
これから2ヶ月間が危険な季節で神経を張り詰めてハンドルを握り締めての車通勤である。
スピードを落として運転して、後続車からあおられるのが一番嫌いだ。



車は雪に閉じ込められている

意外だった・・・・

2011年01月15日 10時58分50秒 | Weblog
お正月を過ぎてから、いよいよ寒さをきつく感じるようになった。
雪が降るのが少ないので例年に比べやはり暖冬かなと思ったのは的外れ。

先週から使っていない部屋に置いてあったキャベツや白菜が凍っていた。
しかも融けるまで気温が上がらないし、湯たんぽの水をあけようと台所のシンクでさかさまにしたらシャーベット状で出てこない。
バナナは買ってきて部屋の中に置いても冷蔵庫に入れた状態の真っ黒に変化する。

原村の方が気温は確実に低いが、勤務先の諏訪もこの数年全面結氷することがなかった諏訪湖が、1昨日から湖の中心まで凍り始めた。
あらぁ、昨日まで周りしか凍っていなかったのに、と眼の前に広がる湖は一日で
中心近くまで厚く凍った。

今年はまだ厚さ4センチの氷だが10㌢から15㌢までなると氷が割けて神事のお神渡りが出来るそうで、時間の問題かもしれないくらい毎日寒い。
家に夜帰れば冷凍庫並みに冷えている。

1昨日の夕方、ふと指導中に顎が痒いので手をやったらぽつんと何か出来ていた。
気にもせず翌朝鏡を見たら5~6個の水膨れに増えていて嫌な予感がした。
休日が続くのでこれは今日中に皮膚科受診しておかねばと、その日の最後の診察に入れてもらった。

お昼過ぎ、呼ばれて医師の前に座ったら、帯状疱疹ですねとたちどころに診断された。
院内処方で薬を出しますから直ぐに飲んで、今夜から朝夕毎日1週間飲みきって下さい
と言われた。
やっぱり・・・即病名がつく時代になった。
20年前にムスメがこの病気になったときは2件の医者に行ってもうーんと考え込んで
しかも抗生剤を使用しなかった。
苦い経験があるが、今は本当に早い。しかも顔だから(髄膜炎を起こすから)専用の
抗生剤を飲む。

免疫力をなくすような出来事があったかなぁと思いながら職場では早退して帰ったほうが良いと心配してくれる。
けれど抱えた仕事が終らずいつもどおりだったが、体は衰えており暫くゆるゆるとした気分で暮らして行こうと思う。
(多分、考えるのと行動は一致しないが)

新しい生活習慣

2011年01月11日 21時47分16秒 | Weblog
長い間、朝の出勤までの時間は時報代わりにラジオを聴きながら準備を進めていた。
東京神奈川に住んでいた時はTBSを専門に聴いていた。
好みの番組もあり休日などは心待ちにしていた。

ところが信州へ越してきてからなぜか電波が入らずAM放送が聴けなくなった。
FMはFM長野だけ。
以来この3年間は好むと好まざるにかかわらず番組は耳に入ってくる。
手を動かさなければならないから聞き流さねばならない。

しかしこの1年我慢してきたが、とうとうもう無理だとその時間だけ電源を消してみた。
出勤までの一番大事な時間帯、1分でも惜しい。

日本赤十字社の提供、LOVE IN ACTION と言う番組、パーソナリテイは山本シュウというコメデイアンらしい。
日赤か・・・・無関係でもないので聴き続けた。今若者の献血が激減しそのための
献血の輪を広げようというプロジェクト番組と称して毎朝10分間声が流れる。
朝からハイテンションですみませんと本人も言うが、山本シュウさんが出てきたぷーぷっぷっぷーと始まる。
男性なのにおせっかいなおばちゃんです見ませんとその言葉も毎朝聞かされる。
なぜぷっぷっぷっかわからないが1年もおなじフレーズが続くと飽きる。
何か違う言葉が言えないかと腹が立つ。
以前のアナウンサーの言葉から何かしら心に残る言葉があり、ラジオは良いなあと思っていたが最近は耳障りになる。
若者や学生達には面白いとか元気で良いと褒められると本人は言うが、うううざいと呆れている人も片側にいるはず。
ワンパターン、ノリのよさで番組は続いているが怒ってばかりもいられない。
朝の時間は貴重だ。
6時半のその時間、CDを買ってきてラジオ体操を始めた。
ラジオ体操第一、首の運動、続いて第2体操を行なうと10分くらいの時間で終る。
まじめに曲げたり廻したり伸ばしたりをしっかりやったら翌日筋肉痛がきた。
今は大丈夫、慣れた。
あほらしいと怒りながら聴いていても何も新しくは生まれない。
寒い季節、体操で体の筋肉はきちんと動いてくれる。
いい習慣が身につきそうだ。
それにしても大人気ないと思うがこのパーソナリテイのぷっぷっぷっの言葉で登場1年以上は変化が無さ過ぎ。

本との出会い

2011年01月09日 12時42分27秒 | Weblog
昨年末治療中の骨粗しょう症の検査で2年間服薬した甲斐もなく背骨の骨密度が
治療する前に戻っていたという事実に反省をし、アフリカのムスメが書いたブログで
丁寧に生活をするの言葉にうなずき今年の生活目標を考えた。

まずは食生活をカルシウム摂取優先にして1年間でどの程度改善するか。
後は自分の行動一つ一つ丁寧に毎日の生活の中身にきちんとした意味を持つこと
など、自分の頭の中に納めた。

夕方、ペットフードを買うついでに本屋さんに立ち寄った。
昨年テレビを購入しエコサービスで図書券を希望したら年末に送って来た。
年末は納会でディズニーランドのペアチケットが当たりビンゴカードに一緒にくっついていた年末ジャンボ宝くじは捨てようと思ったが見直してみたら、末等の300円が当っていた。
籤運が良かった年末だが今年はわからん。

その図書券を持って本屋さんに行きじっくり欲しい本を探した。
まさか23,000円分に見合う本は望まないが、本が積んである中にオーラを見出した。
昨年は一人の午後にと老い力の佐藤愛子、上野千鶴子両女史の文章に共感を得た。
文庫本の装丁に感じるものがあり、目次を見てこれは読んでみたいと思った。



電話、ネットでたちどころに全国便利に生活必需品が手に入る時代、何でもない
買えない味が日常の中に潜んでいるという言葉が気に入った。
以前女優の沢村貞子さんや高峰秀子さんのエッセイに若いときに感化された
生活のヒントも記憶にある。
まずは今朝、箸置き、白い器、取り皿の3つの文章を読んだ。
本当に日常の生活の中でいつも行なっている事柄であるがなぁるほど・・・・・と
感心し、そうか!では自分もそうしてみようと思う結果になる。
これだけでも丁寧に生きる自分の今年の目標に繋がりそうだ。

日常は余りにも何でもない顔をしてそこにいるのでともすると指の間をするりするりと泳いで抜けていく。
買えない味は流れていく日々に穿れた楔のようなものかもしれないと著者は書いている。
なるほど、これは楽しみ、これから少しずつ文章を良く味わって行こう。


夏はソファー 冬は座椅子を占領する老犬

3周年

2011年01月08日 23時47分52秒 | Weblog

南アルプス駒ケ岳

仕事始めから4日間働いて再び3連休がやってきた。
4日間は必死でふやけた脳みそと体を酷使して働いた。
休んだ6日間は短かったけれど、この4日間は長く感じたのはなぜだろうか。

それでも休みが続く開放感で嬉しくて、天気も良く冷蔵庫の掃除を始めた。
ふと、自分の退職、移住、再就職、親の葬儀、色々立て続けに続いたことを思い出し
それが西暦何年だったかが曖昧でパソコンに向かい以前のブログの記事を開いてみた。

2007年の3月13日に神奈川県から信州へ移住してきた。
昨夜も寒くて嘆いたが、3年前の記事ではもっと寒かった。
その翌年も、母親を亡くし何度も千葉と長野を往復したが、その冬はマイナス16度とか言っているので今は耐寒性が悪くなって来た様だ。

2008年の1月母を見送り、喪失感からこの先の支えを見失い、今まで精一杯やってきたからもう頑張らなくてもよいかと自分に言い聞かせている。
しかし現実はそうはいかず、次々と仕事も子供達も変化が続き、今回のお正月があけて
やっと穏やかな年を送れそうという実感持てた。

60才を越しても忙しいなんていって幸せよーと友人達に言われるが、実は
そのために通り越してきた出来事を忘れがちになる。

母親の命日もあれだけ泣いたくせにあらっ10日だか11日だかどちらかしら?と
情けないことになった。
それに加えて家電製品の購入年月日なども記録しておかねばその都度家電製品の
フアイルをいちいち眺めなければならない。
免許番号も、土地を購入した日にちもみなその都度引っ張り出しては
片っ端から忘れていく。

そうだPC上にエクセルで一覧表を作れば良いのだと、今年のお仕事とした。
今年と来年働いて仕事は辞めるつもりでいる。
移住して3年経ってみると、これからの2年はとても短く感じるが、
惰性でいかないよう、流されないよう心していこうと親の命日を思いながら
自分の生き方も考えることが出来たのである。


夕焼けでピンク色に染まる八ヶ岳

新年になり

2011年01月06日 23時08分43秒 | Weblog
年末年始が終わり、とろけた脳みそで出勤始め、現実の職場はふざけたことは
言っていられない真剣勝負の場である。

すでにもう4日目となるが毎日が早いこと!
今日は小寒だがこれからいよいよ寒さはピークを迎える。
暮れ頃から低温注意報が毎日続き、ガラス戸が結露が凍り毎朝おぞましい光景となっている。

健康診断を行なっていると季節感が健診結果に現れ、なかなか面白い。
男性も女性も、年末年始のご馳走で、血液検査と体重が上昇する。
太ってしまって・・・と恥ずかしそうに言い訳をしているが、指導する側も
同じ人間、きついことをいえない。

期間限定で元に戻しましょうとかごまかして、あるいはおだてて、嫌気がささない程度に指導して帰す。
その辺のさじ加減の上手さは年長者の得意技である。

さて、そろそろ1月中旬を過ぎるとスギ花粉が南から入ってくる。
今年は昨年の夏の猛暑で例年の数十倍という花粉の量で大変なことになると
花粉情報が流れている。
テレビでその番組を見ていたが、花粉が飛んでいる黄色い粉を見ていたら
それだけで鼻水が出てきた。
抵抗力をつけるのが大事で、それにはレンコン料理が効くと、料理方が紹介された。
早速今夜、レンコンと肉のスープを作ってみたが、奥園寿子流のずぼらなスピード料理
は簡単で美味しい。
餃子など5種類の料理が紹介されたから片っ端から作って試してみようと思っている。

初詣へ

2011年01月03日 00時08分23秒 | Weblog
お正月2日目はムスコと一緒に小淵沢の身曾岐神社へお参りをした。
昨年はムスメと一緒だった。
これからアフリカへ仕事に行くムスメと拝み、
今年はアメリカから帰ってきたムスコと拝み何とも毎年入れ替わり立ち代りとなった。

今回も運がよく能舞台では新年の浦安の舞の初舞があり、清らかな気持ちで
新しい年を祈願した。
能舞台を囲む池は分厚い氷が張っているので例年通り気温は低いのであろう。

 

昨年に引き続きおみくじは大吉を引き当て、ほっと安心する。
お正月は食べ過ぎに注意だが、今回は野菜を使ったお料理に徹し、お腹に優しく
体重に響かずといった点をを重視した。
山梨のワインセラーで買った地ビールに初めて作った献立はとても良く合ったので
今後のレパートリーに入れて絶対に忘れないようにレシピは記録に残さねばならない。

明日で年末年始も終了で再び日常の生活は元に戻っていくのである。

  

人生一区切り

2011年01月01日 20時11分04秒 | Weblog
大晦日の夜普段見ることも無い紅白歌合戦を見ながら3時間余、過去の家計簿を破り捨て始末した。
紅白は初めて名前を聞く歌手やグループが登場し、自分が時代から取り残されている部分を知った。

家計簿はこの10数年分で、子供2人の大学卒業までの学費の出資が記載されているが、あらためて我ながらよくやったと思ったが処分してみるとこれも過去のものとなり消え去った。

10年前にゼロから出発した我が人生、目標だけを見つめ、よくぞ精神もおびやかさせずやって来れたものだ。
50代を過ぎての再出発は勇気をバックボーンに仕事に支えられここまで生きてこれた。

その当時すがった占い者から、この先は解決まで10年はかかりますねといわれ、この長い先々を思うと絶望したが、いずれ住んでいる地域でお役に立つ仕事をすれば幸せになる(病院などはとても良いですねとか)と言われたことも全くそのとおりになった。
10年は不安と共に経済的な支えは仕事のみで1年1年が長かった。

定年後は身寄りもない土地へ子供と離れて生活を始め、年金生活までは生活の基礎を得なければならず、仕事はゼロからの出発であった。
それも今は慣れて生活の糧を得て、地域の人々と信頼関係を得た上で仕事が成り立っている。

この3月で10年を過ぎる。
もう自分のためだけに生きていっても良いとやっと思えるようになった。
これまではなぜかいつでも心の奥に不安が付きまとい、旅行をしても心から楽しいと思える日々が持てず、何をしてもどこにいても不安が棘のように突き刺さり、多分2人の自分がいたのかもしれない。

今は子供達も独立し自分達の生き方と仕事を得ている。
昨年のお正月にはこのような開放感を感じられなかったから、時期ってちゃんとやって来るのだなと思える。

自分の残された日々は丁寧にきちんとした生き方をせねばならないと
元日の今日、新たに心に感じたのである。