今日は3月31日、年度末である。
勤務先でも退職者の挨拶が続いた。
自分もこの先1年間の契約更新の手続きをした。
東京での会社をリタイアして、山梨県の北杜市で移住生活を目指したが、事情は転々し、想像もしなかった長野県で暮らし、再就職までしてそして・・・・1年3ヶ月が過ぎ、2年目の契約をした。
先のことはわからないし、通勤と仕事の内容に耐えて行けるか、まずは1年先まで考えれば良い。
リタイアした後の仕事は欲を持ってはいけない。
社会に対しての自分の有用感が持てればそれで十分と思えるようになった。
中央林間に住んでいた時は朝の出勤前は、TBSのラジオを聞きながら時報代わりにしていた。
ところが信州へ越したらラジオ放送は電波が入らず、唯一FMだけ捉えることができた。
FM長野放送は馴染めないが、他に聴くものがないだけに、時報代わりにしていたらいつの間にかその時間帯でのパーソナリテイに馴染んでいた。
昨年の今頃は朝の5時から勤務地に到着する7時半頃までの間は、4月から弁護士の八代英輝と中田美香であった。
軽妙で知的なコンビの1時間半の放送は国内海外ニュース、スポーツ、政治、芸能、多彩に渡り短い時間でその日その日の知識を取り入れることが出来た。
特に、私は仕事上、世間の話題は重要で見知らぬ相手に短時間に入り込むには朝の時間は耳から入る学習の時間でもあった。
9月末、いきなり中田美香が放送を降りた。
その後、柴田幸子が引き継いだが、知的な英語達者な帰国子女の中田美香は都会的な素敵な美人パーソナリテイであり、降板するのにショックを受けた。
八代英輝はオールマイテイの報道をした。
弁護士ではあるが、判りやすく法律を紹介し、政治、経済、映画や音楽、スポーツも詳しく、八面六臂の大活躍ぶりで、人間、こんなに恵まれた才能の人っているのだと
いつも感心しながら聞いていた。
嫌味がなく知的で、爽やかで、元気のもとを貰っていたが、今日番組を終了した。
心の中を風が吹き抜け、寂しさが伴い、何か大事なものを失った寂しさが溢れる気持ちになった。
明日からは新しいパーソナリテイの中西哲生の番組が始まる。
聞きなれるまで、個人の特徴が受け入れるまで、少し時間がかかるであろう。
通勤前の貴重な時間での耳から入る情報は時間と交換の大切な知識の入手先である。
4月は希望の、新しいことの始まりの月、3月は終わりの月、これからもいつだってこの繰り返しであるが、始まりと終わり、気持ちは全く異なるものである。
勤務先でも退職者の挨拶が続いた。
自分もこの先1年間の契約更新の手続きをした。
東京での会社をリタイアして、山梨県の北杜市で移住生活を目指したが、事情は転々し、想像もしなかった長野県で暮らし、再就職までしてそして・・・・1年3ヶ月が過ぎ、2年目の契約をした。
先のことはわからないし、通勤と仕事の内容に耐えて行けるか、まずは1年先まで考えれば良い。
リタイアした後の仕事は欲を持ってはいけない。
社会に対しての自分の有用感が持てればそれで十分と思えるようになった。
中央林間に住んでいた時は朝の出勤前は、TBSのラジオを聞きながら時報代わりにしていた。
ところが信州へ越したらラジオ放送は電波が入らず、唯一FMだけ捉えることができた。
FM長野放送は馴染めないが、他に聴くものがないだけに、時報代わりにしていたらいつの間にかその時間帯でのパーソナリテイに馴染んでいた。
昨年の今頃は朝の5時から勤務地に到着する7時半頃までの間は、4月から弁護士の八代英輝と中田美香であった。
軽妙で知的なコンビの1時間半の放送は国内海外ニュース、スポーツ、政治、芸能、多彩に渡り短い時間でその日その日の知識を取り入れることが出来た。
特に、私は仕事上、世間の話題は重要で見知らぬ相手に短時間に入り込むには朝の時間は耳から入る学習の時間でもあった。
9月末、いきなり中田美香が放送を降りた。
その後、柴田幸子が引き継いだが、知的な英語達者な帰国子女の中田美香は都会的な素敵な美人パーソナリテイであり、降板するのにショックを受けた。
八代英輝はオールマイテイの報道をした。
弁護士ではあるが、判りやすく法律を紹介し、政治、経済、映画や音楽、スポーツも詳しく、八面六臂の大活躍ぶりで、人間、こんなに恵まれた才能の人っているのだと
いつも感心しながら聞いていた。
嫌味がなく知的で、爽やかで、元気のもとを貰っていたが、今日番組を終了した。
心の中を風が吹き抜け、寂しさが伴い、何か大事なものを失った寂しさが溢れる気持ちになった。

明日からは新しいパーソナリテイの中西哲生の番組が始まる。
聞きなれるまで、個人の特徴が受け入れるまで、少し時間がかかるであろう。
通勤前の貴重な時間での耳から入る情報は時間と交換の大切な知識の入手先である。
4月は希望の、新しいことの始まりの月、3月は終わりの月、これからもいつだってこの繰り返しであるが、始まりと終わり、気持ちは全く異なるものである。