信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

始めがあれば終わりが来る

2009年03月31日 21時17分20秒 | Weblog
今日は3月31日、年度末である。
勤務先でも退職者の挨拶が続いた。
自分もこの先1年間の契約更新の手続きをした。
東京での会社をリタイアして、山梨県の北杜市で移住生活を目指したが、事情は転々し、想像もしなかった長野県で暮らし、再就職までしてそして・・・・1年3ヶ月が過ぎ、2年目の契約をした。
先のことはわからないし、通勤と仕事の内容に耐えて行けるか、まずは1年先まで考えれば良い。
リタイアした後の仕事は欲を持ってはいけない。
社会に対しての自分の有用感が持てればそれで十分と思えるようになった。

中央林間に住んでいた時は朝の出勤前は、TBSのラジオを聞きながら時報代わりにしていた。
ところが信州へ越したらラジオ放送は電波が入らず、唯一FMだけ捉えることができた。
FM長野放送は馴染めないが、他に聴くものがないだけに、時報代わりにしていたらいつの間にかその時間帯でのパーソナリテイに馴染んでいた。
昨年の今頃は朝の5時から勤務地に到着する7時半頃までの間は、4月から弁護士の八代英輝と中田美香であった。
軽妙で知的なコンビの1時間半の放送は国内海外ニュース、スポーツ、政治、芸能、多彩に渡り短い時間でその日その日の知識を取り入れることが出来た。
特に、私は仕事上、世間の話題は重要で見知らぬ相手に短時間に入り込むには朝の時間は耳から入る学習の時間でもあった。
9月末、いきなり中田美香が放送を降りた。
その後、柴田幸子が引き継いだが、知的な英語達者な帰国子女の中田美香は都会的な素敵な美人パーソナリテイであり、降板するのにショックを受けた。

八代英輝はオールマイテイの報道をした。
弁護士ではあるが、判りやすく法律を紹介し、政治、経済、映画や音楽、スポーツも詳しく、八面六臂の大活躍ぶりで、人間、こんなに恵まれた才能の人っているのだと
いつも感心しながら聞いていた。
嫌味がなく知的で、爽やかで、元気のもとを貰っていたが、今日番組を終了した。
心の中を風が吹き抜け、寂しさが伴い、何か大事なものを失った寂しさが溢れる気持ちになった。

明日からは新しいパーソナリテイの中西哲生の番組が始まる。
聞きなれるまで、個人の特徴が受け入れるまで、少し時間がかかるであろう。
通勤前の貴重な時間での耳から入る情報は時間と交換の大切な知識の入手先である。

4月は希望の、新しいことの始まりの月、3月は終わりの月、これからもいつだってこの繰り返しであるが、始まりと終わり、気持ちは全く異なるものである。

なるほど ザ やきそば

2009年03月29日 19時24分28秒 | Weblog

今日は気分良く、朝から大働き。

庭へ出て、畑の土作りと張り切ってみたが 、まだ残念ながら、霜でガチガチであり、鍬が入っていかない。

しょうがない、これは来週に引き伸ばし、軒先と日当たりの良い花壇の一部の雑草の草取りをした。
雑草は寒い間はグランドカバーの役目をするが、チョット気を許すとびっしりはびこっていた。

どこまでも続いてやりたいが、まだ体が慣れていず、腰が痛くなりいい加減で家の中に入った。

午後から暮らしの手帳に載っていたやきそば作りを始めた。
ひと手間かけていつもと違ったやきそばを作るという記事に惹かれ、昨日食材を買っておいた。

出来合いの麺ではなく、生麺を蒸し、ボイルしさらに麺を油で焼く。
この作業が美味しいやきそばになり、あとはあんかけの具作り。

ひと奮発して、ホタテ貝柱、紋甲いか、車えび、椎茸、青梗菜、しめじなどを中華スープで調理し、あんかけにする。
チョット面倒なのがやきそば作り、蒸してボイルしてに時間を取った。
硬めの歯ごたえのあるやきそばが出来上がり、多めに作って大家さんのお宅に出前をした。





休日は何か変わったことも気分転換に大いに役立つ。


感動

2009年03月24日 21時44分56秒 | Weblog
今日はWBC 韓国戦。


ばんざーい!
試合が始まって、歓声が上がるが仕事中・・・。
長い長い時間、どよめきと歓声に試合運びを想像し群がっている人々は愛国心一杯の日本人だなーと嬉しくなる。
テレビを見ている観客は高血圧か高血糖に陥っているに違いない。
9回、同点になったときは原監督は急性の胃潰瘍になったことであろう。
イチロウは言葉に出せないくらいすごい人物だ。
彼なりに今回は想像できない苦しみに襲われ痛みになったそうだ。

オスカー賞のおくりびとやつみきのいえといい、WBCといい日本も世界に誇る話題が続き、この寒い不況の時期にすばらしい活躍ぶりで鳥肌が立つ。
ありがたや、ありがたや。

今日張り切って例のメタボダンシの指導をしようと準備していたのに、逃げられた。
イチロウは体脂肪6か7というが逃げたあ奴は体脂肪31である。
お願い何とか自力で長生きしてね。


ザ・マジックアワー

2009年03月23日 21時24分36秒 | Weblog
<昨日の雨が上がったが、気温が冬に舞い戻ってしまった。
既にそめいさんが訪れた地もあるが、今朝犬の散歩に出かけたら、手袋がないことを後悔した。
家に着いたら足の先の感覚がなくなった。
関東地方とは、1ヶ月の差がある。
まだまだ南アルプスの山々は真っ白に雪をかぶっている。
どうも、気温差が激しいので、考え考え衣類の調節をするが、気持ちの調整がいまひとつうまく行かない。

職場に着いて仕事を始めても、3連休の後はどうにもかったるい。
頭が慣れた頃には又別な作業に入っていく。
緻密な数字を追っていくが、間違いが許されない内容で、緊張感が強く伴う。
待合のホールではWBCの試合が始まり、アナウンサーの歓声が聞こえるとドキッとしてしまうではないか。
ああ、心臓に良くないと思いつつ気が散らないよう自分を戒める。
大差でアメリカチームに勝ったと聞き、ほっとして嬉しさを噛み締める。

明日はメタボの41歳のダンシを半年間で改善させる面談を行なう。
本人のやる気が問題だが会って話を聞かないことには前に進まない。
期間限定で、まずは痩せることから始まり、その後は血液データーの改善だ。
この半年で我が家のメタボ犬2匹をきれいに痩せさせたが、人間様はそうは行かないであろう。


 


4月5日朝の7時15分から三谷幸喜の映画とステージが一気に15時間放映になる。
これはWOWWOWの番組。
THE 有頂天ホテル、ザマジックアワー、笑いの大学、みんなのいえ、ラヂオの時間など朝から晩まで、どうしよう?
テレビの前で動けない日が出来てしまった・・・・。
この先、秘かな楽しみが待っている。

悪天候

2009年03月22日 23時11分01秒 | Weblog


今日は打って変わって、雨が激しく降り続いている。
結局、朝から止む間もなく一日中屋根をたたきつけるように降っている。
これが気温が低かったら豪雪になっていたことであろう。
昨日までの2日間の暖かい晴れの陽ざしは嘘の様に、一日家の中で引きこもっていた。

                     



年末に買った匂いシクラメンが急に勢いを取り戻し、花を沢山咲かせて香りもかなり遠くまで香っている。
新種という花だが、この原村はシクラメンの生産地で、生産農家からじかに買える楽しみがある。
マイナス10度まで行った部屋の中で、凍ってしまったが元気を取り戻した。


外にでるにも出る状況の天候ではないが、一日で歩いた歩数は1,000歩に満たないかもしれない。

お陰で日頃気にかかりながら伸ばし伸ばしにしてきた仕事は全部片付けることが出来た。
特に細かい家計の計算など何か月分溜めていた事か。

昨日新しく会員になった記事に書き込みをしたら早速コメントを下さった方から
嬉しい情報を頂く。
今年はトマトに目をつけ美味しいトマトを作ろうと、研究を始めてそのための準備をする。
6年間トマトを連作し、雨よけのフレームで立派な記録をネットに載せた方の記事を紹介され、驚いた。
これは時間を掛けて読まねばならない。
野菜作りの本より詳しく、土作りから書いてある。

昨日農作業の道具と一緒に、花の種と二十日大根、人参をまずは播こうと買ってきた。
夏になると畑と庭は花で埋まってしまう。
こぼれダネからどんどん増えて、庭中花園になり夏中庭に出るのが嬉しかった。
そのくせ又新しいタネを買い込んでしまった。




犬達は傍でおもちゃをかじり暇で暇でたまらなく、雨の一日は酷である。

                           


    

トマト作りに本腰で

2009年03月21日 22時20分16秒 | Weblog
3連休の2日目。まだ後が二日もアル。
家事は午前中で終え、丁度正午に犬の散歩をする。
八ヶ岳は雪も解け始め、春の気配を漂わせ、林の中に入ると木々は芽が膨らみ
土手の蓬は伸び始めている。
蓬餅を作ってみようと、陽だまりにすわり1本、1本摘んでみた。
誰も人通りがないので犬の首紐も外して上げたら最高の上機嫌で、みるきいなどは鼻歌でも唄っているような顔つきである。




長い長い散歩を終えくたびれてへたっている犬達を置いて、農作業用の道具の買出しに出かけた。
先日の新聞のちらしにJAの開店のお知らせがあり、この3連休の期間にバーゲンとなっている。
最近はバーゲンの魅力にはすっかり遠ざかり、久々の心惹かれる催しだ。

茅野の郊外、メルヘン街道を麦草峠に向かって八ヶ岳を正面に仰ぐ堀という場所にJAの店が新装開店した。
2年前に原村に移住して、早速始めたのが長年の夢だった野菜作り。
片っ端から野菜作りの本を買っては読み漁り、にわか知識で野菜を作った。
花壇と畑には花も作った。
2年間、転々と場所を変えて何種類もの野菜を作り、出来すぎて実家や友人にも収穫物を送った。
多分野菜の値段より、宅急便の値段のほうがはるかに高くついたはず。
これは自己満足の領域であった。

昨年、遅霜に何度か植えた野菜の苗がやられ、、6月から7月にかけて畑の雑草が伸び始め、せっせせっせとカナダへ旅行する前日まで旅行の準備もせず草取りをした。
カナダから夢を見るような思い出に浸って帰って来たら畑は雑草で惨憺たる始末になっていた。
気を取り直し、伸びた野菜の手入れを施し、それからは夏中、きゅうりやトマトの恩恵にあずかった。
これほど野菜本来の美味しい味があったとは、作ってみて初めて手にした思いであった。
トマトは採り切れないほど沢山出来たが、最後のほうは雨が降って裂果してしまった。
露地はやはり無理かと、来年は雨よけをしようと誓った。

そして今年、JAで雨よけの道具をそろえた。
支柱やビニール、それを止める留め具など係員が懇切丁寧に教えてくれて買い求めた。
2㍍以上の支柱は車にやっと入った。
一緒に細々と農作業の道具も買い車に積んだまま、帰りは近くの温泉に入り疲れをお湯の中に捨ててきた。
毎週末に温泉に入るのが習慣になった。これはこの地に住む特権であろう。 


春の光

2009年03月20日 21時28分12秒 | Weblog
 

今日から3連休で、お彼岸でもある。
実家へは日帰りは不可能で、今回は母のお墓参りは辞退した。
綾瀬に住む姉はトンボ帰りで行って来るわとメールを寄こした。
長野県から千葉のはずれまでは乗り継ぎしながら片道だけでも夕刻に到着する。
激しい雨音で目が覚めた。
休みの日は犬達が早く早くと散歩をせがむが、今日は10時からWBC の見物のためテレビの前から動けない。
昨日のキューバ戦は勤務中だったからテレビの画面を横目で見ながら仕事に励んだ。

今日は室内の大掃除に執り付かれ、ああ心臓に悪いと言いながら対韓国戦を掃除をしながら見た。
長い試合にで掛けるに出掛けられず、はらはらどきどきしながら結局6対2で勝った。
ばんざぁーい!
込み上げる嬉しさにわくわくし、思い切り犬達を引っ張り出した。

暫くぶりに気温も上がり、青空が広がり、ついつい洗濯を何度か繰り返し、布団も炬燵の道具も一斉に干し上げやっと3時過ぎに出かけた。
朝まで猛烈な勢いで雨が降っていたが、午後からは道路も乾き、畑は黒い土が暖かそうだ。
気が付いたらいつの間にか田んぼは土が耕されきれいに整地されている。

農村の畑や家並みを歩きながら、これまで東京のど真ん中で働いていた者がよくもこの農村地帯を犬を連れて毎日歩き回っているものだと改めて感心する。
今日は大分、水仙の芽も伸び、クロッカスが一斉に太陽の方向めがけて花を開いていた。
春の光は寒い寒い雪の降る恐い道路の運転をしている者にとってたまらなく待ちに待った有難い幸せの訪れである。
心の底から感じ取る感覚であり歳をとるとわくわくすることが無くなって来たが、これだけは違う。 


油断

2009年03月15日 20時56分37秒 | Weblog


金曜日の夜、勤務の帰り同僚に誘われ、ボウリングをする。
先ゝ週、誘われていたが犬に手を噛まれそれどこではなくなり辞退したが、傷が治ったら又誘われた。
まさか、諏訪に来てまでボウリングとはと思ったが、あたしも暇だし、と着いて行った。
ボウリング場は暫くぶりすぎて、スコアーは100と128。不満たらたらで帰ってきたが、周囲の誘った連中はもっとひどい・・・・。
ガターは立て続けで2ゲームで10回くらいだし、40台とか60台とか言って笑っている。皆年齢も40代であるが、私は60代、年齢は上だが若い人に比べたらまだましなスコアーだった。

日曜日になり、天気も回復し朝から晴れ上がり洗濯日和となった。
一日置いてボウリングの筋肉痛が襲ってきた。
背中に重い荷物を背負っているような感じがする。
股関節が痛くて、体の隅々まで痛いからかなりの運動不足である。

犬の散歩に出かける前に、昨年買った任天堂のWiiスポーツを思い出してセットしてみた。
前回から323日経っていますと画面から注意された。
へぇぇー約1年近く離れていたんだ。
買った当初は面白くて毎晩30分以上トレーニングをしていたが、いつしか遠ざかってしまっていた。
そこでボウリングを選んでゲームを始めた。筋肉痛で体が痛く、ぎこちない動作で投げるが意外にストライクが続いたりして最高スコアーは188。
次にゴルフをやってみた。
駄目だ駄目だ・・・、これはひどかった。
トリプルボギーだのダブルボギーだの、ボールを打つ感覚を失い、オーバー気味のボールを打ってあらま、この3年間ゴルフから足を洗って田舎暮らしをしたらすっかり感覚を失ってしまった。
何と言っても323日の空白の日が元の木阿弥になって、体力年齢は64歳になってしまった。
懸命に励んでいた頃は30代まで行ったのに・・・・。

まあローマは一日にして成らずだから部屋の中も炬燵から抜け出しても震えるほどではなくなったし、ぼちぼちして行こう。

折角の晴天に引きこもっていても勿体ないからと犬達にせがまれて、散歩に出かける。
最近にない暖かい陽ざしで、昨日実家に電話したら銚子ではもう梅の花が終わり、桜の花かしら~次は。とのんびり兄嫁が語っていたがこちらは日陰ではまだ雪が固まったまま解けずに残っている。
八ヶ岳は昨日の雪で頂上は真っ白だ。
南アルプスも駒ケ岳はこれも真っ白できれいだ。
帰りに近所の畑ではふきのとうが顔をのぞかせていた。
黒い土から黄緑色の色が見えるといかにも春がやって来たと思わせる。

傍ではクロッカスの花も咲いていた。あまりにも可愛いその花に暫く嬉しくて見とれてしまった。


time to say goodby

2009年03月14日 14時38分18秒 | Weblog


昨日から春の嵐になり、大雨が降り続き、土曜日の朝、雨音で目が覚めた。
春が近づくと天候が悪く好天は長続きせず、気がめいるがいつしか春の気配に気分は変わっていくものだ。

しかし朝、一日雨?と思っていたら間もなくぼたん雪に変わり、おお・・・これで又もや雪景色になるのかと、昨年のブログを開いてみた。
昨年と今年は雪の降った日が全く異なり、今年はそれほどでもなく気温もマイナス18度までは経験しないで済んだ。

昨年は4月中旬に大雪が降った。
暑さ寒さも彼岸までという春分にこれも雪で閉じこまれた。
ついつい引き込まれ、昨年のブログを振り返りながら読んで行くと、昨年の今日は、タイトルの通り、time to say goodbyの曲を聴き、今から12年前の自分を思い出す内容が書いてあった。
そして今年1年はどのような年になるのか、信州へ越して来て2年目、仕事を得て苦労している自分がどう変わっていくかと書いている。

丁度2年前の3月13日、神奈川県から長野県へ引越ししてマイナス15度の大寒波に見舞われ震えていた。
12年前の自分、2年前の自分・・・、今の自分、 
それぞれ月日が、環境が、抱えていた問題を落ち着くところに落ち着かせてくれたようだ。


12年前、抱えていた問題は既にこの頃から発しており、私の人生の転機に差し掛かっていた。時間がかかってもいずれ解決せねばならないが、その困難度には経験がないまま尻込みしていた。
暗いトンネルに入り、将来を予測出来ず不安だらけで大学生のムスメと極寒の北海道へ旅行し、風と雪が吹きすさぶ日本海を見ながらtime to say goodby の曲を初めて聞き心をえぐられていた。

自分でもその当時を思い出すとここまで到達した自分に感動するし、色々周りの人にも大変お世話になった。
長かった12年、50歳になったばかりの私・・・・・今、62歳。
通常経験できない人生のドラマ続きで、やっとそれも終焉を迎える頃この半年近く今度は体の不調続きで、そのためとても死に近い気持ちを毎日感じながら強めて行っていた。
自分の家を持ちたいと夢を持ちそれに少しずつ近づきながら生きてきたのに、それを果たせずもしかしたらある日突然、という想いが現実的になって来た。
けれどそれもこれも先週そのことも解決し、仕事にまで及んでいた災難も遠ざかっていった。
12年前、昨年とそれぞれ将来に思いを馳せたが、何だか結果を手に出来たようだ。
降っているぼたん雪もやむ事であるし、本当に相当な心の重さを長い間持ち続けて生きてきたが、その開放感をこれからはじっくり感じ取り、プラス思考で生きたいものである。
今日聞いたtime to say goodbyは気持ちよく心に染み通り、あの当時の悲しみは全く感じられなかったのが12年目の変化であったのか。

心機一転

2009年03月11日 22時46分16秒 | Weblog
本日、62歳の誕生日を迎えた。
この私が、62歳?
と信じられない気持ちで、年齢だけが先に歩いていくようになった。
年齢と中身が一致しないとも思える。
いずれにせよ、老女といわれる年齢になったことは確実だ。

定年を過ぎて信州へ引越しして来たが、ここで2年が経った。
寒さが辛かったという思いがまだまだ強いがいずれ段々何かと入れ替わっていくかもしれない。

今週は車の買い替えをした。
まだ3年弱のトヨタの車だが毎日の通勤で、一人で乗るには大きいと感じるようになり、しかも信州へ来てから修理にばかり相当なお金を使っている。
狭い都会で碌に擦りもしなかったのに、広い道路で交通量も少ない村へ来てこの有様。
散々考え試乗して今回はホンダのFITに買い換えた。
多分これが最後の車の買い替えになるであろう。
後はずっと大事に擦らず相性良く乗り続けていくことばかりで、新しい土地を訪れ思い出を沢山残し続けて行きたいとの願望は強い。

これで付きまとっていた世田谷の思い出とはお別れだ。
そして来月はまぶたの手術をする。
うっとうしい視野から逃れられる。
この年で入院するがうまくいけばこれも自分を変えるチャンスとなる。

その年になってみなければ気付かないのが老いの心境で、こればかりはヒトと語り合うことが出来ない。
自分の心の奥深くじっと仕舞い込んで自分とのせめぎ合いの繰り返しをする。
今日は満月で、相当冷えてきた夜空で煌々と冴えわたって輝いている。
それを見ながら自分のこれからの変化を望み、うまく行きますようにとお願いした。

ムスメとムスコ夫婦からお祝いの言葉が届いた。
ヨメから昨年はご馳走になった横浜のう飼い亭での思い出が書いてあったので
その時の想いに一瞬戻っていった。
素敵な時間であった。
家族離れ離れの生活をしているが、それぞれ異なった環境で頑張っているから、
老いた事ばかりを意識せず、心機一転、テキトーに生きていこうではないか。








たすけびと

2009年03月09日 21時00分45秒 | Weblog
ブログを書かない日が続いてしまった・・・・。
上田の醸造元で1月から蔵人になり日本酒造りの勉強に行っていたムスメが仕事が終わった。
3月になった最初の日曜日に引き上げてくるので車で迎えに行った。
悪天候が続き雪が降る日が続いたが、その日はからりと晴れて青空の気持ちの良い朝で、原村から蓼科に抜け、白樺湖経由で大門街道を通り、このところ続いた上田までの道を走った。
雪景色の原村とは打って変わって上田方面は梅の花が咲き暖かい気温で、マフラーをしっかり巻いていたのに脱ぎ捨てた。
ムスメの生活用品を車に積んで、そのまま東御市の娘の同僚さんのお宅に寄り畑を見学し、お茶を頂き、夜原村に戻って来た。
そのあと1週間ムスメは原村で暮した。
ある程度その前に家の中の掃除をして余分なものを捨てすっきりと片付けたはずが
毎日仕事に行っている間、ムスメは家の中の掃除に徹した。
どこもかしこも隅々まで物は整理され、更にきれいになった。
片付けられない犬達は散歩に引き回され、短い胴体は泥で汚れ、娘の仕事は増えていく。
母親は朝仕事に出かけ、夕方帰ってくると食事が出来上がり、そのまま食卓に着き晩酌もつき、すっかりオヤジ化した。
快適な5日間は瞬く間に過ぎ去り、その週の土曜日にはムスメは今度は宇都宮の学生時代の友人の出産手伝いに行くためハハは送って行った。
原村から中央道で八王子へ出て圏央道を抜け、関越道から東北道を通り約5時間半。
2時近く鹿沼市へと到着した。
出発した長野県は雪景色で、八ヶ岳や南アルプスの山々が雪をかぶって真っ白できれいで、どんどん埼玉県に近づくにつれ、景色は変わり、梅の花は満開、畑は野菜が青々と育ち、驚きで声を上げてしまうほど僅か数時間の違いで環境は変わっていく。
しっかりコートとマフラーを巻いていたのが恥ずかしい・・・・。
宇都宮で娘を友人宅に下ろし、再び今度は一人で同じ道路を夕方6時40分に北関東自動車道から東北道に抜け、きっかり0時に原村の自宅に戻って来た。
片道5時間強の高速運転は62歳を前にした老体にはずっしりと響く。
しかも一人旅・・・・。

4月末、まぶたの手術のため私は1泊二日の入院をする。
送り迎えをムスメに頼んだ。
多分手術後は腫れ上がった顔で当分外へ出られないため、犬の面倒を見てもらわなければならない。

海外で働いていたムスメは年明けからがらりと変わった生活を送るようになり、続いて暫くはヒトの面倒を見る日々が続いていく。
宇都宮の友人の手伝いもあるが、4月中旬には青山の私の姪夫婦がフランクフルトの勤務地へ転勤で引越しをする。
ムスメはここぞとばかり手馴れた引越し手伝いに出掛けねばならない。
つい最近も友人の引越しを請け負って済ませたばかりだ。
ま、人生どこでヒトのお世話になるかわからないから、出来る時には助けて上げれば良いではないか。
履歴書にかけない貴い隠れた月日だってあっても良いではないかと、これからお世話になるハハは心の中で秘かに思う。


上田

2009年03月01日 22時32分55秒 | Weblog
 

1月から2ヶ月間上田の酒蔵で働いたムスメの仕事が終わり、いったん原村へ帰ってくるので荷物と一緒に迎えに行った。
原村は朝から曇り空で寒く、コートとマフラーをしっかり巻いて車に乗り込んだ。
白樺湖経由で、湖は凍り、山々は雪で真っ白であり、カーブが続く下り坂はやっと雪が解けたようで、2,3日前だったら、通行は恐かったであろう。
丸子を過ぎ上田に近づいた頃は車の中は暖房が異常に暖かく汗ばむほどになった。
上田の酒造家ではお世話になったお礼を言い、酒蔵を見学した。
昔は相当な量のお酒を造っていたが今は、日本酒の消費量も減り、大きな貯蔵タンクは米麹の香る酒蔵に貯蔵され時の流れを見続けている。
その後一緒に働いた同僚の方の家を訪問した。
3年前まで麻布十番で骨董屋さんをしていた方だが東御市に移住し、妻と共に畑と田んぼで米や農作物を作り無農薬の自給自足の生活を送っている。
家の中には高価な骨董品ががいたるところに並べており、お茶を頂いた器も年代ものの高価なものにみえた。

ムスメはアルジェリアから帰り当時の生活などがらりと変わった。
この2ヶ月間でめったに入れない酒蔵の見学させていただき、お酒の製造過程を説明受け、何100年も続いている酒造家の歴史の奥深い部分を見せていただいた。
短い2ヶ月間でムスメはお酒造りは勿論、沢山の人々にめぐり合い貴重な体験をさせてもらった。
タイムスリップしたような酒造家の座敷には古い江戸時代のお雛様が飾られており、立派な雛段には先祖の魂が宿っているのではないかと感心させられた。
娘が上田で働かなかったら訪れることはなかった土地で、知り合いも出来、思いでもいくつか出来たし、感謝せねばならない。