信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

今年もJICAで

2016年01月31日 22時18分46秒 | Weblog
昨年の1月末に訪れた駒ケ根のJICAへマゴとムスメと行ってきた。
と、言ってもJICAOGの付き添いの形で。



年に何回か、JICA会場でOB,OGの会合が開かれる。
長野県という地域であるため出席者は限られてくるが、それでも家族連れで
会場は一杯になる。

今回は1月に相応しく餅つき大会。
今や杵と臼でつく餅などお目にかかれなくなってしまった。

お昼前に雪深い駒が根のJICAの庭に集合する。
毎年御世話役の方たちが道具を用意し、せいろでもち米をふかして豚汁を作っている。
料理も沢山持ち寄りが集まり、ご馳走がふるまわれる。
教員や現役の3月卒業して派遣される訓練生やOB,OGなど揃って間もなく餅つきが始まった。







小学生や幼稚園児たちは珍しい餅つきを自分たちもやってみたいと傍でうずうずしている。
せいろで蒸かしたもち米は臼に移され杵でこねられそれからぺったんぺったんと順番に
それぞれ搗いてみたい希望者が変わりばんこに交代し、若い力で搗かれた餅はすぐに出来上がった。

昨年、傍で手を出したくてたまらなかった1歳1か月のマゴは年齢不足だが大サービスで杵を持ち餅つきのまねごとを
させてもらい大満足だった。
今回もすぐにでも飛び出していくのではと思ったが、意外や意外。
恥ずかしくて照れてしまい、母親の陰に隠れてダメだった。

搗いたお餅はあんこやごま、きなこにくるまれ広い講堂の食事会でふるまわれた。
流石世界各国で活躍して来たJICA隊員は皆気さくで途上国で苦労して働いてきただけあって
初めての顔合わせでもすぐに打ち解けている。
子供たちはもっとすごい。
数十人の小学生から幼児まで団子になって食事を食べ飽きたあと館内を走り回り、多分1時間以上は
訓練生相手に最後は体育館内で大声を上げながら遊びまわっていた。
訓練生の中には保育士さんもいるし体育の教員もいるし、子供と一緒に走り回り若さってすごいなと思わさせられる。
父親にはあのようなエネルギーはないだろうし、何よりも遊ばせ上手だ。

まもなく世界各地へ苦労を覚悟で出かけていく訓練生を見てああ世の中の若者たちは
まだまだ捨てたものではないと安堵した。

アフリカのブルキナファソから帰国して結婚し、すでに3年を経たムスメはもう新たな生活に定着しているが
ずっとこれからも訓練で得たボランテイア精神を失わないで何らかの形でこれから地域に還元して欲しいと
年老いたははは今年も帰り際に思った。

駒ケ根から仰ぎ見る中央アルプスの千畳敷カールの宝剣岳は真っ白に輝いていた。







日本語の将来

2016年01月29日 11時17分05秒 | Weblog
2歳1か月になったマゴがしゃべるようになり、単語から2語文が混じるようになる。
昨年はしゃべることが出来ないからその間物心がつき、喋れないもどかしさから手にしたおもちゃや
食器などを投げ、心を痛めた。
この子は乱暴者かもしれないと思った。
保育士さんに話すと、喋り始めると治ってきますよとの言葉が返って来た。

自分の育てた子供に見られない現象に、ばあさんはおろおろする。
確かに言葉が出始めた頃には日中通って遊んでいる子育て支援センターでの0歳時から3歳児までの
子供たちの仲間との遊びから影響を受け成長が目覚ましくなる。
モノを投げることもいつの間にか姿を消した。

まめ(だめ)おはん(ごはん)とかかわいい言葉を言いながら通訳が必要な会話が増え続く。
今の悩みは犬に向かってあっち行けとかうるさいとか自分に不利な時に相手にブーブーと制止する。
どこで覚えたのかと親たちは考えるが誰も該当せず、2歳児は支援センターでの似たような年齢のコドモに
向かって偉そうに言うので連れていっているばあさんは顔から火が出る。

確かにうるさいだけはマゴが生まれて敵対心を持った飼い犬2匹が吠え方がうるさすぎ、がんの治療を
行った犬のほうは我儘を覚え吠えて要求を通すようになった。
このことからうるさいの言葉はマゴの脳にコピーされた。
これだけは反省だが、どんどん増える言葉はいったいどこから覚えるのか、テレビはまだ機関車トーマス
お母さんと一緒の枠だからその影響は有り得ない。

昨日保育士さんと言葉についての話題になり盛り上がった。
マゴが男の子のせいか言葉が乱暴で、先行き不安だというと、あらまあ、おばあちゃん、まだ男の子は
それほど心配ないですよ。女の子のほうがずっと怖いです。

まだ2歳半の女の子がお年玉のやり取りの時に母親に向かって、とりあえずカネだけもらっておけばぁいいんじゃねえ
と言ったそうな。
その子は小学生のお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるのでそこから覚えたかと言う。
中学生になると父親に臭いとかうざいとか死ねとか言うので女の子は難しいのよ
 やべえ~など日常語よと言われた。

昨年、内館牧子の著書でカネを積まれても使いたくない日本語を読み
今の世の中、乱れた日本語が使われているのを嘆いているのは自分だけではないと納得した。

マジ ヤバイ やっぱ チョー ぶっちゃけ かな? 自分的には あざ~す
(笑)(泣)(怒)のメールの文面挿入
など氷山の一角だが言葉の乱れはどんどん低年齢化して来た。

そして毎日のように幼児の虐待死が報道され、20代の若い父親母親が逮捕されている。
20代の親は50代前半か・・・
50代のそのまた親は70代から80代であろうがその時代の子育てが今の20代の親になった世代に影響が出て来た。
言葉は人柄を表わすと言われて厳格に育てられたじいさんばあさんが今や流行語を使うのが
時代に沿っているという人も出て来て不快に感じる。

60代頃から世の中に怒ったり嘆いたりするのが増えてきたのは老人になってきた証だ。
もう1回、内館牧子の著書を読み返して、胸のいらだちを抑えようかと思う。



老いても学習は続く

2016年01月24日 12時19分27秒 | Weblog
昨夜からの雪で急ぎやることもなく、休日の今朝はベットの中で新聞を読んでいた。
と、ムスメからの電話。
よーちゃんとマゴの声が聞こえる。

最近、母親に電話をかけさせる技を覚え、よーちゃんと言って自分が今何をしているのか報告する。
彼には祖母が二人いるが、母親の実家の祖母はよーちゃん(陽子)と呼び父親方の祖母はばあちゃんだ。
今朝はトーマスのビデオをもう6回も続けて見ているという。

確か20分の番組だがそれを続けて6回とは頭の中はどうなっているのだろう?
後期高齢者寸前のおばあちゃんとは反対に、2歳1か月の脳細胞はいったい何万個ずつ細胞分裂を繰り返し
記憶装置は超スピードで新しいものを取り込んでいるのだろう。

マゴの1歳半くらいからの体と言葉と記憶はそれぞれ1週間単位で発達を見せてくれている。
体は問題なくおばあさんでもこなすことが出来るが、興味を示し始めたおもちゃや絵本、テレビ番組などは
これまで育児から数十年おさらばしているからこれが問題だ。

自分が育てた二人の子供の時代とは何から何まで違い、マゴの今とシンクロしてもあまり役に立たない。
ムスメはキャンデイキャンデイやサリーちゃんとかアニメの出始めでムスコは半魚ドンや怪獣や超合金集めだった。

最近のマゴは、はたらく車のミニカーやきかんしゃトーマスだ。
両手に何等か抱えてやって来る。

おばあさんはマゴといる時は語りかけて常にしゃべりっぱなしだから無口ではいられない。
しかも、この頃は彼の知らないことを大袈裟に話すと途端に尊敬する顔つきになる。

10月など東北新幹線のこまちに乗ったと話したら、3か月たった今でもどこかで新幹線の写真を見ると
よーちゃんと得意げに言うそうだ。

それを聞いたのでばあさん、マゴと会話の帳尻を合わすための努力が必要になったと悟った。
ムスコの時に興味を示さなかった工事車のトラクターやパワーショベル、いやはやこんなに世の中
働く車に生活をお世話になっていたのねと目が覚めた。
名前を間違うと言い直しする羽目になる。

そして、突然マゴは12月中旬頃からきかんしゃトーマスに目覚め、トリコになった。
今や大学受験を目指している姪のムスメが幼いころ凝っていた。
折からクリスマスに合わせNHKでトーマスの特集を組んだ。

全く興味もわかなかったトーマスの番組だがマゴと会話を合わせていかねばならない課題は
高いのでそっと絵本を買ってきたりして、まず学習を始めた。
イギリスのお話とは全く持って知らなかった。

きかんしゃトーマスには仲間たちが数十種類登場する。
しかも聞きなれないソドー島やトップハムハット卿など記憶するには何日もかかりそうだし
言い間違えるとムスメから指摘を受ける。

マゴは何十回も同じお話を見ているので新しい機関車の仲間の名前はたちまちコピーされる。
クララベルやケイトリンやテイモシー、デイーゼル・・・・うんぬん覚えるのは退化してきた脳細胞を
ガツンと言わせねばならない。

しかしきかんしゃトーマスのお話は画像が美しく見ているうちに楽しくなってきた。
もちろん上の空で見ていると覚えられないし何度でも見ないとマゴとの会話の上前をはねられないから真剣だ。

ムスメが一人暮らしのお婆さんが機関車トーマスをテレビで一人で見ているのは何だか面白い図だねと言ったが
知らなかった世界へ飛び込んだようで本当は感謝すべきなのかもしれない。
トーマス以外のキャラクターはまだ5本の指に入るくらいしか覚えられないのだが、マゴとの会話は成り立っている。








面白いことを見つけなくては

2016年01月23日 14時23分54秒 | Weblog




雪景色の中での1週間を過ごした。
マゴのお蔭で退屈とは縁遠く、成長著しいちびの動きでむしろ忙しい。

けれどそれとは別に老境に入った毎日の生活はマゴから離れたら何があるのだ。
生活の中身は季節性が大きく、冬を除いたら何で田舎生活はこんなにやることが多すぎるのか
と床で疲れて倒れこむ日もある。
確かに長年勤めた仕事を離れ、自由な身になったが毎日の日々は個人それぞれ違いが大きく異なるのだろう
なとこの場に及んでわかってきた。

先が短くなってきた老人にとって、友人や趣味、仕事や一般的に支えになるものを持ちなさいと言われても
それが全てではない。
人間長い間の子育てや勤めなど制約された生活から解放されると、追いかけるものが無くなり自由で有り難いが
どこか心の端っこに点のような小さな小さな虚しさを覚えるものだ。
忙しい毎日であればそのシミのような点は引っ込んでいるが、この雪景色のような日にはなぜかデンッと現れる。

定年後まだ3年目なので自由な生活に罪悪感を感じる働き者の団塊の世代のためかなとも思う。
昨日、書店に寄り、大好きな佐藤愛子の新刊を購入して来た。
もう、今年で93歳になるがいつまでも世の中に向かって怒っていて欲しいと願うばかりだ。

孫と私の小さな歴史というタイトルで単行本が出た。
20年間の孫と一緒に撮った写真の年賀状を大公開した。
大作家が孫と一緒のコスプレの写真を毎年撮り、あの美人の佐藤愛子さん
とは考えもつかないびっくり仰天の出来栄えだ。
娘さんと孫の文も写真同様に大変に面白い。

昨夜寝る前にベットで読み始めたら止められなくなり
自分でも不気味だが大きな笑い声で、次々とページをめくってしまう。

世の中のニュースにちぇっと舌打ちし、テレビ番組に失望し、笑いが最近姿を消した自分がいる。
マゴと遊んでいるときはふざけ半分で笑いもあるが、1992年から始まった年賀状のそれぞれの写真は
また別な笑いをもたらし、大いに失望心が増したばあさんにカツを与えてくれた。







    2009年 ままごとの巻
      ー孫と私の小さな歴史からー

新旧交代

2016年01月20日 16時02分54秒 | Weblog
恐れていた列島爆弾低気圧で大雪情報が的中し、昨日以来雪降りになった。
昨年と一昨年の今頃のブログの記事は雪に閉ざされての生活になっていたが
人間、慣れとは怖さを押し隠すものだ。
原村での5年間の通勤生活は冬の期間が長く標高1150mから700mの諏訪までの下り坂で凍った
アイスバーンをよくぞ通ったものと今更ながらぞっとする。
朝早く、轍のない道路を横滑りしたりしながらも、必死だった。
いつも心の中では手を合わせていた。

まだ1歳未満のマゴは昨年は雪道を毎日薄いトレーニングシューズで歩き回ったものだが
2歳を過ぎた今はずるをしておんぶをせがみ興味のある土手などは滑り降りたり転げまわったりまだ野生の
キャラのほうが強く大の字になり寝転んでいる。
羨ましいくらい勝手気ままに楽しんでいる。

その笑顔はかってないほど満面の笑みで成長するに従いこれほどの笑顔は見られなくなるのだろうなと
経験深い年寄りは寂しく思う。

 

3年前まで住んでいた原村で冬の足跡のついていない道路やグラウンドを
追いかけっこしたりふざけ回って転げたりしていた2匹の犬はもう雪道を転げまわる遊びは忘れたようだ。

暖冬だからと2,3日前むさくるしく伸びきった毛を丸刈りした。
その2日後雪景色となり犬たちは外へ最小限の用事の時しか出なくなった。
一目散に戻ってくる。

今年を境に幼児と老犬たちはその行動を交代した。
原村で一日中炬燵へもぐって過ごした犬は伊那へ来てから炬燵ロスになりストーブの前に寝そべって
という絵になる動作は有り得ず主人の顔を見るたびに大袈裟に震えて見せるようになった。

骨密度回復途上

2016年01月10日 14時30分19秒 | Weblog
2007年12月に勤務先でたまたま、深い意味もなく、自分には縁がないと思っている骨密度の検査
を健診側の者として受診者に説明するため経験しておこうと検査を受けてみた。
年齢からいって80%以上の骨密度が欲しいが、結果を聞き愕然とし、しかも紹介状をもらって
即整形受診となった。

以来、もう8年になるが服薬を続け、年に1回の骨密度検査を受け効果を確認している。
女性は更年期を境に骨密度が減少し、腰椎や股関節の骨折に繋がり、それが寝たきりの原因になることもある。

大学病院からの研修医は受診する度に交代し、説明内容などの違いをあからさまに感じることがある。
骨粗鬆症などは病気扱いしない口ぶりであったり、年齢だから良くはならないとか、食事療法は効果がないとか
がっかりする時もある。

さて正月も明けて予約した骨密度検査を受けに元勤務していた諏訪に向かった。

朝早い時間で、年明けの仕事始めの日なので道路の混雑を恐れたが、道路は空いていて何だか
ウキウキし、朝日に輝く諏訪湖を見て勤務していた時に感じなかった思いがある。

病院は年明けから混んでいた。
骨密度の検査を受け、結果説明を待った。
服薬は怠らないが、日常生活に何らかの問題はなかったか自信がない。

股関節の骨密度が8年前は0.64、現在0.71
腰椎は0.63が0.70とゆっくりだが上昇している。

年齢からいって回復は望まず、横ばいで行きましょう。
絶対に骨折しないよう転ばないでくださいが毎度のセンセイの言葉だ。
ただ今度の研修医だけは違っていた。頑張っていますねと励ましてくれた。

こうなると帰りに車の運転は気が軽くなった。
人間の生きているうえでの様々の分かれ道は本人は気付かないが後でわかると変に感心する。
多分都会で日の当たらないオフィスで運動もない生活は知らず知らず更年期以降から
骨粗鬆症へ一直線であったのだろう。
あのままであったら多分骨折に早い時期になっていたかもしれない。

2年前に退職し、花や畑を作り、長い犬の散歩や外で過ごす時間が長くなり、良く歩くようになったのが
車社会であるにも関わらず、特に股関節の回復に役立ちレッドゾーンから脱出した。

最近、友人達の骨折した話が多くなってきた。
転倒予防は絶えず神経を使うが、必要以上に恐れてしまい普段の生活を抑制して前へ出ない。。

歳だからとか食べ物は効果ないとか言われながら、確かにウオーキングの効果が
股関節の強化につながったと思う気持ちは自信につながる。
地道に出来ることを自分なりに生活に取り込むことが言うまでもなく大事なことである。

しかも、昨年次々と腕や太腿の痛みや痺れに悩まされ整骨院に通う日々であったのに
長く使っていたベッドのマトレスを思い切って交換したらぴたりと消えた。
寝具も姿勢には大きな役目であることが実感できた。

雪に埋まっている中から姿を見せる福寿草が例年より1か月は早く咲いている。
路上では梅の花も咲いている。

家の中は日中は暖房なしでも23度まで上がり夕方まで万遍なく陽が当たる。
これが伊那に引っ越した最大の優れものかもしれない。






新年になり

2016年01月09日 18時07分46秒 | Weblog
今日は一日、最高の日和であった。
暖冬であるため、昨年の冬景色がまだ記憶に残り、毎日これでいいのかと誰に向かうことなく
問いながら暮らしている。
引っ越してきて今頃は2年間は庭は雪で固まり、これでは原村と変わりないではないかと雪掻きした。
しかし、今日の午後薪割りしながら、雑草が青々と駐車スペースで成長しているのを見ると
確かに暮らしやすいが、これでいいのかとまたもや疑問だらけ。

年末年始、劇的に寒くないのでたるんだ気分で正月が過ぎていった。
大晦日に夜勤明けで、元日に実家にやって来たムスコは大量の仕事を持ってきてずっとパソコンに向かい
眉間にしわを寄せている。
中間管理職は、切れ目のない仕事を背中に背負い、楽しむことも周りで作って上げないとずぶずぶと
沈みっぱなしだ。

コドモに自分の20年前の姿を見て、人生、その時その時は一生懸命に働き良かれと思い、暮らしてきたが
特急列車で60代を送り、今は時間の余裕ができたことを感謝する立場にいる。

過去のブログが表示され、昨年は駒ケ根の光前寺に初参りに行ったのが記憶に戻った。
大吉のおみくじを引き当て、長年の苦労が実るとあった。
その時は1年間の中身も見当が付かず、へえ~と温かい気持ちになった。

1昨年は飼い犬のヘルニアの手術、車に追突されもらい事故になり、ずいぶんと気を病んだ。
年が明け、再び犬たちの病気や手術、がんの治療などで病院通いが続いた。
6月に突然降ってわいたのが、10年間持ち続けた北杜市の150坪の宅地が売れたことだ。
10年の長さは諦めとなり、もう今後は売れないまま持ち続けるのであろうかと不安材料になっていた土地が
買った時の半額で売れた。
損得を抜きに手放したことにほっとした。
多分、光前寺で引いたおみくじの大吉はこれであったのかと思うことにした。

1年で友人を数人、病気で失い健康に自信が無くなり意気消沈したが、人間ドックを受けたら
過去にない健康な結果が出た。
がん検診も問題なしだった。

今年は仕事漬けのムスコを引っ剥がして3日に初詣に行った。
行列を辛抱良く待ち、控えめに神様に祈り、猿の張り子のおみくじを引いた。



何と、親子で大吉が出た。
災い去り、とあるがああこれでやっと中年から続いた労苦から解放されるかと
何だか信じたいではないか。

昨年の正月に思っていたもうやりたいことがなくなった腑抜けの状態から
今年は冒険とチャレンジを考えた。
腑抜けでいたら老いは加速する。
マゴの成長ぶりも日々楽しすぎ、わが子になかった・・・・こんなこともというのを日々発見している。

70歳までにもう1年ある。
毎日を大事に、せっかちに生きてきたこれまでの自分から脱皮しよう。