信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

世の中同じ気持ちの人がいる

2017年02月16日 13時17分49秒 | Weblog
先週の新聞の日曜版に目を見張った。
嬉しい記事だ。

一月最後の日曜日、東京のミニシアター ポレポレ東中野はドキュメンタリー映画「人生フルーツ」
を見ようとする人々で朝から立見席にも入れないほどの満員になった。
公開から1か月間平日も夕方までは満席が続き反響の大きさに3月まで上映延長を決めた。
これから上映予定の映画館は全国で30以上にもなるという。

先日、テレビでも公開され昨春東海テレビが制作したがテレビ番組が映画として劇場公開となった。
テレビ欄のはがき通信にやはり視聴した方から投稿があり樹木希林のナレーションと合わせて津端さんご夫婦の
豊かな老後の生活に感動した、胸を打たれたという投稿だった。

ビデオを録画し、本を何度でも繰り返し見ているが、春夏秋冬に合わせ野菜と果実の畑が細かく
分画されそのイラストを見ては、同じようには決してできないが真似をしたいと気持ちは逸る。

やっと先日の雪が解け黒い土の表面はぐちゃぐちゃで長靴で歩いても泥で仕事にはならないし
表面だけサラサラでも5センチも下は硬く凍っている。

早く暖かくなって庭で仕事をしたいと思ってもまだ何度か雪は降るであろうと思われる。
しかし、津端さんご夫婦の笑顔が目に焼き付いているから頑張ろうという強力な力になる。

つばたしゅういちさんは突然この世から去っていかれたが全国の視聴者に
花咲か爺さんの如く花や野菜の種を蒔いていったのかもしれない。


毎日の犬の散歩は風が冷たいが里山の景色は抜群である。





感動を受けるドラマ

2017年02月15日 12時55分55秒 | Weblog
先日NHKのプロフエッショナルという番組で倉本聰の1年間の生活が紹介された。
82歳になるがこの1年間の作品作りに密着して舞台とドラマの脚本づくり、
さらに舞台稽古とドラマの稽古にまさに魂を打ち込んでいる姿を見て苦しくなった。

自分はまだプロではないといい、体力的にもう限界で昨年の最後の舞台と
今春から始まるテレビドラマが最後であろうと言っている。
今のテレビドラマはつまらない。面白いものを求め感動するものがない。
まして年単位では記憶に残るのは皆無に近い。
確かに長いこと生きているとテレビドラマばかりでなく映画も同じようなものだ。

昔は良かったなぁ
と思いだせばあれもこれもと数え上げたドラマは名作が多い。


昨夜はドラマを見たが、何を見たか?
翌日になると昨夜食べた晩御飯が思い出せないのと同じで全く記憶にない。
自分ながらひどいと思うばかりだがあながち年齢のためとも言えない。

北の国からは30年以上たっても今でも繰り返し放送されている。
ドラマに感動する作りが倉本聰らしい。
半年から一年かけて
ドラマの根っこづくりを行い登場人物の背景というか履歴というか各人が年表化され
それから脚本づくりがなされるという。

インタビューには言葉を選び下手なことは質問できないという厳しさを感じ視ている側も
姿勢を崩せず緊張しながら番組が終了した時にはほっと溜息が出た。

感動をもらい自分も成長できた時代は遠くなったが、最近はドキュメントや映画もなかなかだ。
先日、樹木希林のあんを視た。

テレビで放送されたので一度では細かい部分まで見逃していたので2度視た。
ハンセン氏病に侵された女性が日の目を浴びることのない隔離された場所で自由を失い生きて来た
が時間が経って週に一回の散歩の時間に街へ出てどら焼きの店が目に留まりドラマが始まる。
そこで思い出した。

自分の子供時代、東北の田舎で育ったが何も知らない子供が、あのうちは結核の家系だ、あのうちは娘が気違いだ、
また別な家はライ病の家系だ 肉屋は民だとか。
病気が移るから家の前を通るな、通るときは口をふさいで走って通れと大人に吹き込まれた。
病気になると座敷牢に入れられると聞いた。

何のことか、病気の中身もわからず何か怖いことなのだと思った。
しかも夕方は早く家に帰らないと朝鮮人に連れていかれると言われて夕方は
怖かった。
今考えるとすべて差別だった。
何の権限もなく差別する側は色々な理由で差別をして世間から排除した。
ひどい残酷な時代が日本は確かにあったのだ。
ましてや職業なども勿論のこと、小学校の同級生にチンドン屋とからかわれていた子がいた。
いつもいじめられからかわれ、遠足の時その母親が子供の数だけゆで卵を持ってきて
頭を下げながら子供たちに配った。
ゆで卵はその子の思い出に繋がる。


戦後の間もない時期は生活も苦しかったが、精神も貧しかったのだと今になって分かった。
人が人を差別して何も知識もない子供に教え込み、振り返ってみたら高校時代までそれが続いた。
今やTwitterやfacebookで人を傷つける、ささくれた心の持ち主が増えた。
あんを視なかったら、子供時代の差別社会を思い出さなかったと思う。

感動を生み、気持ちを揺さぶり果ては深く自分の人間性の浅さを反省させられるドラマに
これからも沢山でなくていいから出会いたいものだ。





笑える話と、うつむく毎日

2017年02月07日 11時46分15秒 | Weblog
先日の日曜日の安住アナの日曜天国の投稿欄でまた一人で思いっきり笑ってしまった。
最近の困っていることというテーマでの投稿が紹介される。

主婦の困ったこと。

毎日ラジオを聞いているが6歳の娘が、ママもカバライキンノ相談をしてみたらという。
過払い金を理解していないので丁寧に娘に説明した。
そしてママはお金を借りていないから相談しなくても良いのといったら
娘は借りていないと思っていた人も相談したら、お金が返って来たからママも銀行に聞いてみたらと言う。
銀行の名前は娘が勝手に作った儲け銀行というらしい。

聴いていないようで子供も度重なるコマーシャルは耳に入って覚えてしまうのだと
母親は悩んでいるそうだ。
法律事務所の電話番号まで暗記しているのだ。

コドモは記憶装置が高性能で壊れかけたりしている老人とは違い入力、出力が抜群に高度だ。
自分たちの年代では書いてもそれをどこに書いたのかそれを探す始末だ。

新聞の昨日の声欄の投稿。
時代の流れについていく努力を
というタイトルの愛知県の女性の投稿を読んだ。

駅の自動販売機で買い方がわからない様子の高齢の女性がいた。
駅員や周囲の人に聞けばよいのに突っ立ったまま。
私は代わりに切符を買いました。
その間彼女は黙ってみているだけ。
今日は私が買ってあげましたが、次には私はいませんよ。
メモを取られて買い方を覚えていかれなくて良いのですかと聞いた。
彼女はメモを取ろうとする様子がないばかりかありがとうの一言もなかった。
世間にはできない人の気持ちを分かって上げないことを咎めますが時代の流れについていく
努力をしないことを何故か咎めません。
わからないことがあったら人に聞くなり何らかの方法を試すなり努力をすべきではないでしょうか。

という一文。


状況判断がこの文章からは困難だが
もしかしたら、この高齢の女性は認知症が少し発症しかけて外出しているのかもしれないと思った。

確かに正論で、自分の自助努力をという今後の高齢化社会に生きていく努力としてすべきこと
とも思える。
しかし最初にこの文章を読んで気にかかったのは、この後女性は家までたどり着けたのかということだ。
外出したが、自分の行く先や居場所がわからなくなって頭の中が空白になっていたのではないかと。

昨日も伊那で数日前からの行方不明者が夕方警察の広報アナウンスでご協力をと放送された。
外出の格好で、バッグも持っている。
、地方でも行方を探すのは困難で、ましてや都会では忙しく人々が行きかっているいる場面では
関わる人はいないに等しい。
無関心もいるし関わりたくない人もいる。
昔、自分が大手町の地下鉄の乗換えで顔を怪我して血だらけで歩いていても
誰にも声はかけられなかった思い出がある。

コドモは超スピードで言葉や情報を仕入れていくが老人や病人など弱者になると
失っていくのはその逆である。
自分が困った場面に合った時に判断できる知力だけは失わない毎日の生活の仕方を続けたいと
本気で願う。






だんだん美しくなる人生

2017年02月01日 12時40分01秒 | Weblog
タイトルは先日記事に書いたつばたしゅういちさん御夫婦の目指して生きて来た言葉である。
年齢を感じさせない、エイジレスビューテイというそうだ。
昨年、生き方の先輩として尊敬して来た津端さんご夫婦に一大事が起きた。
残された妻の英子さんの一人暮らしを心配していた。

有り難いことにそれに関して先日テレビで放映された。

第12回日本放送文化大賞グランプリ受賞作品
としてである。
(ある建築家と雑木林の物語)
全国につばたさんのファンが沢山おられるようで、ご主人の訃報は衝撃となったのであろう。
皆さん、奥様のその後の生活を心配されていることだろうと思っていた。
その為ではないかもしれないが、つばたさんご夫婦の映画が出来上がった。
視聴した後は少なからず心配した気持ちは取れてほっとした。

「人生フルーツ」というタイトルでご夫婦の40年前からの生活を紹介し、伊勢湾台風で壊滅した後の春日井市の高台に
計画された高蔵寺ニュータウン計画に参画した経過も記録にあった。
名古屋から30分、当時の高蔵寺は山林を切り開き、広大な敷地で建築が始まったが今や巨大なベッドタウンだ。
雑木林の中に建物を作る計画は青写真と異なってしまい
その土地に自ら家を建て家は生活の宝石箱でなければいけないと
実践して来た。

雨が降れば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり

風が吹けば枯葉が落ちる
枯葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
人生フルーツだ

      

90歳と87歳のご夫婦は健康で広島大学を退職された後はそれぞれの時間を趣味や野菜、果実づくりに使い
雑木林に囲まれた住まいはうっそうとし枯葉を落とし土を肥やして自給自足の生活を支えて来た。
野菜は年間70種、果実は50種栽培するというので、土地は広いがやっと10種に及ぶ野菜を夏の暑さに負けながらも
この伊那に引っ越して始めた野菜作りを恥じる。

だだっ広い田んぼの跡地を宅地にして野菜作りを始めたが、土づくりが基本と誰もがいう実際偏が
作業を急ぐあまりに身につかなかった。
3年目にしてやっと開眼。
つばたさんの土づくりから始まった畑と庭作り、友人や地域との交流のドキュメントは何度見ても
その都度発見があり参考にしたい。

自分も東関東大震災の3月11日にはあと一か月半で70歳に突入だ。
自分でも考え付かなかった70歳からの先、訃報も多くなり80歳以降なんてありえないと常に悲観的になっていた
この冬
体力的には無理は出来ないが小さなことからコツコツとときをためてゆっくりという英子さんの生き方
を真似てみよう。

英子さんは残されたが頑張って生きて、亡くなった後は二人の灰を南太平洋の海にまいてもらうのだそう。
夫は生涯愛したヨットのノウハウは生活に取り込み、海を自分たちの最期の落ち着き場所とした。
妻は若い時の貧乏暮らしを苦にせず、きちんとしたものを食べさせてきちっとしたものを着せるのを
妻の仕事とした。


何も大きな木がない日当たりだけが取り柄の我が家は始まったばかりだが、木を育て腐葉土を土にすき込み、ふかふかの土を作るのが70歳からの目標になった。

     

  ときをためる暮らし
  あしたもこはるびより

   つばた英子 つばたしゅういち著より