信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

面白いね

2018年02月28日 18時13分17秒 | Weblog
今年は例年よりとても寒い。
寒いと言っていると気持ちも縮こまり、暗くなる。
1月にインスタグラムで、編み物のコーナーに入り投稿作品を見ているうちに
よしっ!やってみようと気持ちが奮い立った。

2月になりグラニースクエアというかぎ針の編み方に引き込まれた。
数十年も前、小学校5年の家庭科の時間に初めてかぎ針を持った。
今振り返れば毛糸も乏しく、セーターなどをほどいては母に頼み込んで残り毛糸をもらい
大事に小さな袋を編んだ覚えがある。

女子高時代の夏休みは暇で、物はなく時間はたっぷりで自由課題の宿題を出されて
レース編みを編んだ。時間があるからテーブルセンターに挑戦し方眼編みの模様編みや当時流行った
パイナップル編みなどを完成し秋の文化祭に展示された。
当時は編み物の本など手に入らず、たった一冊の雄鶏社の本を大事に使った。

それからはるかに時間は過ぎ去り子供を育てる時は何でも手作りするのが当たり前だったので
これも自己流で編み物の本を買い2人の子供のセーターを編んで着せた。

歳を取ったら編み物や手芸をしてゆっくりと時間を過ごそうとそのころは夢に想った。
ところが人生とは思うようには進まない。

時間が過ぎ、信州へ移住しさて、何か手仕事を始めようと思った時は老眼で細かいものを見るのが鬱陶しく
面倒になってしまった。
孫たちの肌着に背守りの刺繍をするという義務感からちょっとずつ手芸の世界に戻って来た。

今年のインスタグラムでやる気に火がついて、毛糸を買い編み始めたのが2月だ。
以来、面白くなり友人のお礼にひざ掛けをプレゼントしようと目標を持った。
63枚のモチーフを別毛糸で繋げ編み始めた最初と最後の印象がとても違ったのがまた、面白い。

2週間で編み上げて送ったが、この数十年のブランクは編んでいる途中で自己反省ばかり
山のように積み上がっていった。







良かったよぉ。
まだまだ学習することがあり、やる気が出れば目が見えないなどとほざいていたのが恥ずかしいね。

色彩感覚を試す

2018年02月08日 12時53分38秒 | Weblog
編み物を始めたが、気持ちは逸ってもどうも一日中編み物に向かっているには罪悪感に駆られてしまう。
誰のための人生か、これまで長らく働き続けて来てさぼりの生活は誰にもとがめられるいわれはないとか
思っても性格は変わらず...

結局夜、食後の寝る前に心を開放し編み物を広げている。
昨日、グラデーションの毛糸の余りで、ひざ掛けを編もうと数枚、編んでみた。
編み方はグラニースクエアーといいインスタで同じ趣味や販売している作品の画像を
見ているとその色の使い方でこんなに違うんだと感心する。

冬の寒い外での仕事が出来ない時期に編み物は最適だ。
昨日編んだ数枚のピースが気に入らず、結局ほどいて編み直し。
手持ちの毛糸との組み合わせ次第で全く印象が変わるから面白いのである。

色彩感覚は生まれつきのものでどうにもならないが、組み合わせ方で
大幅に変わるからまた次々やる気になるのかもしれない。

野菜作りやバラ作りはどれだけ手をかけるかで出来高が違うが、この編み物とは
夏冬違うから違った趣味にのめり込むからバランスが取れて良いのかもしれない。

さてさて、帽子はなかなかはかどらないがモチーフはかぎ針1本ですぐに一枚編めるが
何枚編んで繋げるのか、ひざ掛けは毛糸が足りるかな?


昔の記憶を取り戻すのは難解

2018年02月07日 11時31分18秒 | Weblog
今年に入って、編み物を再開した。
約40年近く前は子供たちにミシンで洋服を作り、冬は毛糸でセーターや手袋、靴下を編む。
その当時は専業主婦が通常で、自分も働きたいと言ったら同居の姑に私のムスコはあなたが働くほど困っていませんとぴしゃりと言われた。

身の回りは手作りが当たり前、料理や洋裁が出来る嫁を自慢した。
子供の洋服は既製品は少なく、高かったし手作りして着せるのがうれしかった。
嫁入り道具に母親もミシンを持たせてくれた。

そういえば高校を卒業すると習い事として和裁や洋裁を学ぶ同級生が多かった。
高卒後都会へ出て看護学校、保健婦、助産婦と続けて医療の世界で学んだので生活の中に
まったく手芸は縁がなかった。

結婚してから子育てをするうちに手作りの楽しさを知り、当時の書店は編み物や洋裁の本の販売は
極小で自分なりに1冊の買い求めた本を読んでは覚えていったものだ。

いずれ将来繊維の改革など来るとは知りもせずセーターを編むと模様編みの面白さに
興味は膨らみ、アラン模様や娘には模様編みを入れたセーターを着せるのが唯一の楽しみだった。

それから時間は流れ、今や衣類の素材の変化はめざましく、冬の衣類は激変だ。
重たい毛糸のセーターやカーデイガンなどは暖房のお蔭で周りから姿を消した。

NHKのベニシアさんの番組を長らく視聴しているが、東北大震災の後、気仙沼市で編み物教室を始めた
マルチナさんの毛糸の腹巻帽子を知った。
ネットで調べ毛糸を取り寄せ、寒さしのぎの帽子を編んだのが4年前だ。
以来、気が付けばかぎ針も編み針も時代のせいか面白くて編みたくなるものばかり。


昨年は手芸店で帽子にはまり5,6枚あみ友人やムスメ、孫にまで編んで配った。

最近、インスタグラムの投稿に編み物の作品の画像に繋がり始め、再開した。
作者の画像を眺めているだけで感嘆し、時間が過ぎて行く。
先日ムスメとマゴの帽子を編み終わり、次にこれから寒さの中での庭仕事をしなければならない
自分のためのアラン風の頑丈な帽子を編もうと思った。

ひざ掛けやコースターもいいな。

昔編んでいたから記憶は取り戻せると思ったのが甘かった。
編み図の記号を見ても脳と手が一致しないのだ。

編み方の記号も考えている時間が長く、分かった!と思っても翌日にはうろ覚えがわかる。
ああ歳を取ることってこういうことだったのね。
老眼、理解力と記憶力の減少、まさに認知症の要素を背負い始めている。

しかし買った方が手軽だが、悔しさと根性と脳を老いさせたくない思いとごっちゃになりながら
今日も模様編みに励んでいる。

わかったことはあの30代で覚えた編み物は編むスピードが面白さもあったが編み方が早かった。
一冬で最高、5枚のセーターを編み上げたが
今や小さな帽子をひねくり返しながら一向に一日数段しか編めないのろのろを痛感している。
若いということは何をやってもスピードが違うのである。

   



冬の一日は短く過ぎて行く

2018年02月02日 14時34分45秒 | Weblog
年齢を重ねていくと、これまで積み重なった日々が一日の生活時間のネジの回り方を早くして行くように感じる。
あれっもうこんな時間?
日が短いためもあるがそうかといって夜が長いとも思えない。

子どものころ空を見上げて流れる雲をゆっくり眺めていたあの昭和20年代、ノスタルジイか。
かくして、自由な時間を手に入れた今、やたら、先が見えてきた。

友人と話すが、あっちが痛い、こっちが痛いとか言わなくて済んでいるけど、69歳の時と70歳になった途端
今まで考えもしなかったいつまで生きられるのかという問題が目の前にちらついて来る。
たった1歳の違いなのに、最近70代の訃報が多くなったためかもしれない。

田舎に引っ込んで悠々と好きなことをしてのんびりして羨ましいと言われても、いやいやどうして
そのようなことは決してありません。
毎日が、1か月が、1年が過ぎるのが早すぎ、都会で暮らしていた頃は勿論忙しく働いていたが
老いて行く実感がなかったし、先を考える脳みそもなかったし、その年になってみなければわからないってことだ。

限界集落に移住し、自然は豊かだが、どう時間を使うかによっては虚しさを感じるかもしれない。
幸いSNSで情報を手に入れる便利社会であるから、歳を取っても新しい知識は山のように手に入れられる。

生きてきた知識や経験はその時は良かったが今更参考になる時代ではなくなった。
若者から知りえる生活情報が面白く、先が短くなってきたからこそ貪欲にならねばならないと思う。

インスタグラムから色々な分野に入り込み、生活の中に取り込んでいくとさらに忙しく、趣味も増えるし
生活の仕方も変化が訪れる。

編み物、刺繍、レース編み、収納、掃除方法や用品、園芸や野菜作りは勿論、図書館通いも始まり
さらに生活の時間は細切れだ。

育児、家事、勤務に追われていた若かったあの頃は楽しむより苦痛が大半で子供の受験もその間にウエイトを占め
懸命にこなして定年がやって来た。

人生ホントに短いと言えるようになった。
頼りは健康だけ。

春先から庭で過ごす時間が多くなるが、今年からあれこれ1年の目標を決めずにやりたいことをやりたい放題で
毎日を送って行こうと思う。

昨夜の雪を掻きながら雪だるまを作った。
中学生以来だ。

マスクをつけただるまはインフルエンザに来てほしくない願いを込めた


大竹まこと風のちょい悪オヤジは、宅配便と郵便配達ウケ狙い