信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

高遠のさくら

2016年04月16日 14時51分08秒 | Weblog
今年は桜の開花と気温がさがり、当地では花が長持ちしている。
高遠城址公園は何度か訪れているし、混雑し駐車に苦労し、今年はまぁいいかと花見の時間は
意識の外に捨てていたがムスコが休暇を取ってやって来たので、折角だから出かけてみた。

最近行き始めた六道の堤も雨上がりで一組の花見客が宴会をしていた。















その後、混雑している城址公園から外れた長谷寄りの地で満開の小彼岸桜の並木を見つけた。
夕暮れの前の穏やかな日差しでの中に咲き揃った桜並木は圧巻だった。
今年は雪の降る日が少なかったためか、花の数が多くぼったりと重たそうだ。

観光客が誰もいない静かな場所で、来年もここに来ようと決めた。



















春、切り替えの季節

2016年04月13日 13時01分51秒 | Weblog




今日も強風が吹き荒れ、予定していた庭の作業が出来ずいまいましく思う。
今年は花が咲き揃うのが早いなぁと思うのは自分だけではなく、雪が降る回数が少なかったため
植物への侵襲が少ないからと聞いた。
一斉に咲き始め、百合までにょきにょき芽が出ている。

周囲の田んぼまでしろかきが終わり、水が入り始めた。
もうすぐ蛙の大合唱が始まる
例年より早いな。

家の中でたまった家事を片付けているが、高い山があるせいか電波障害でFMも一局しか入らず
瞬間に入らなくなりラジオを持ったままうろうろしている自分が許せずRadikoでAMを聞いている。

番組の編成時期で長らく聴き馴染んだTBSのオオサワユウリの番組が終了した。
その前に永六輔の土曜日の番組も月曜日の夕方に引っ越した。

耳に馴染んでいるというのは仕事をしていても何の違和感も感ぜず時間が流れていく。
新しく引き継いだスタッフは非常にやりにくいであろう。
仕事中、入院中、に手を休めることなく耳から入ってくる情報になるほどと思い、
聴取者は同じ年代が多いことも知りラジオとともに育ってきたのである。

時代は変わる。
自分の年代は先へ先へと送られていく。
新しい番組は騒々しく、喋りまくり慣れないせいか拒否反応が出始めた。
ぐっと我慢して自分を合わせていくことなのだが、古い世代となったことを痛感する。

秋山ちえ子さんが亡くなられた。
長らく主婦専業時代に秋山ちえ子の談話室を聞き、30代のモノを知らない自分は沢山の暮らしの中の話題や
時事問題まで聞き入ったものだ。
毎年終戦記念日にかわいそうなぞうの朗読を何度聞いて涙が出たもので、
秋山さんの凛とした話し方に思いをはせていた。
談話室ではスタジオでストップウオッチで時間を測りながら自分の出番を待っていたそうで、
今やガチャガチャ喋りたい放題のアナウンサーや芸人に占められているラジオ放送も昔は良かったという
ことか。

今日も番組でとっくり襟をタートルネック、スパッツをレギンス、ジーンズをデニムといい、
若いお母さんには
もう自分たちが使った言葉は死語になってしまったそうで使い慣れた言葉も通じる年代が限られて来た。

マゴが先週入園した。
入園式におばあさんは両親と一緒に出席したが、そこはかとなく違和感を感じる。
マゴと子供とでは役目が違う。
これまで通っていた子育て支援センターでは母親の代理で通園していたが、保育園は異なる。
保育園での送り迎えはたまには助っ人にはなるが、お母さんたちに交じって行事に参加することは
違うかなと思う。

新旧出入りのこの時期、若い時は決して考えもしなかった毎日の出来事は歳を取ったからこそ
気付くことが増えてきた。
ややセンチメンタルになる季節でもある。











犬への詫び状 その2

2016年04月12日 19時43分06秒 | Weblog
一昨日あたりから気温が下がり、春の草花はしおれ、強く吹く風は真冬並みだ。
桜が咲き始めたが、立ち止まって眺めている忍耐力は吹っ飛んでしまう。
3月初めに犬が突然目の前から去り、悲しみに浸る間もなく残ったもう一匹の犬の
がんの告知と治療が始まった。
もう1か月も経ったのか・・・・としみじみ失った悲しみに気持ちが入って行くが
この1か月間の毎日の忙しさはその思いを引き離す。

残った1匹の犬は1日おきに抗がん剤を飲ませ、2週間経つと動物病院で血液検査を行う。
体内に腫瘍があるとカルシウム値が異常に亢進するが、半月で少し下がった。
食べ物や副作用や散歩などこれまでになくはらはらしながら見守っている。

間にはマゴの保育があり、日々成長目覚ましい賑やかな動きに悲しさを感じる間がない。
この間、4月の初め中央林間のムスコの家に出かけた。

2匹の飼い犬は幼犬から中央林間に5年住み、信州の原村へ引っ越し6年住んだ。
今回亡くなった犬の写真と病中の犬を連れて幼いころ歩き慣れた土地を見せようと
ムスメとマゴも同乗し車で出掛けた。

犬はすっかり幼いころ住んだ思いはかき消えて、自転車や車、そして沢山のヒトに
道路を歩くどころか震えてばかりでストレスの塊になった。
人間が良かれと思っても動物は違うのを反省する。

びくびくする犬は2泊3日の次々と続く予定に馴染めず、大はしゃぎするマゴとの差は開くばかりで
もう連れて来れないことを悟った。
しかも、この1か月間の動きで自分がせかせか婆さんになっていた。

岐阜大学へ行った時も、今回中央林間に行った時も運転には神経を使いながらも
道路を間違えるなどはなかったのだが続いてインターの出口や圏央道の入り口など
間違えムスメに注意された。

母さんは慌てているという。
これまで途中で運転を代わることがなかった親子が逆転した。
毎日時間を追って動き回っていた自分が落ち着いてものを考える意識を失い
せかせかしている。

ごめんね。涙を流して亡くなったロゼを思いやる時間もなく、悪い主人だった。
せめてあと一年生き延びさせてあげたいと後悔無いように残った犬を溺愛しているが
亡くなる前に最後に見上げた目つきだけは一生忘れない。
ふとした時に襲ってくる隙間の時間に胸をえぐられるくらい悲しい思い出が蘇る。
まだ1か月しか経っていないのだもの・・・・・。