信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

剣岳

2009年06月28日 23時39分48秒 | Weblog
曜日は朝から晴れたので、雑草が伸びしまりの無い畑の野菜の手入れに日射病寸前になりながら働き続ける。
どこまでも限りなく目の前の仕事を、日曜園芸家としては中途半端に終えることが出来ず次から次へと片付けて行った。
花畑はまとまって花が咲き、出来ればこの段階で終えて
、ゆっくり花を見ながら午後のお茶でも飲みたいところだった。
雑草取りは自分の忍耐力を試す機会である。





夕方見違えるほどきれいに整理された庭を見て満足し、近くの温泉で、中腰でかがみっぱなしの体をお湯に浸かってきた。

さて、今日は午後から友人のコーラスのコンサートへ招かれて岡谷市文化会館のカノラホールへ出かけた。
友人は姑の介護と夫の難治性の病気の看護で疲れているが、それを支えてくれているのがコーラスである。
信州へ移住してきてからなかなかコンサートなどへ出かけるチャンスがなくなったが、1時間半の音楽はうっとりと心の中にしみわたり
毎日の慌しく生きる自分の反省になった。

その後続いて映画鑑賞に移った。
映画館は近くに無く以前は甲府まで出かけていたのが、岡谷のスカラ座で折からの見たい映画が封切りされている。

上映され始めから息を飲み、緊張と疲労で終了した時はため息ばかりが出ていた。
新田次郎原作の立山の剣岳の測量のために前人未到の山に登った人々の物語である。

測量士も山の案内人もその周囲の人間模様はすさまじい登山を中心に描かれている。
約2年間にわたる製作というが、立山連峰と剣岳はあらゆる角度から画面いっぱいに迫り、吹雪や豪雨や雪崩とどこまでも人間の踏み込むのを寄せ付けない自然の脅威は、圧倒的で恐ろしく、寒々しく息を詰めて見入っていた。

山の測量に挑む明治の男達は名誉や地位のためでもなく、
自分が何をしたいのかという答えのために黙々と過酷な自然に挑み
死の山といわれた剣岳に初めて登頂した。
その映画の登場人物は見た者の心の中に何が大事か、現代に生きる人間として何かを失っていないか、充分考えさせてくれた映画であった。

自分が山に登った訳ではないのに大変疲れて途中で何度もため息をつきながら、終わってからがっくりしながら、けれどしっかりしろと言い聞かせながら家に戻って来た。

圧巻であった。
香川照之が扮する宇治長次郎という山の案内人の役が一番惹かれた人物である。

夏時間

2009年06月25日 23時56分09秒 | Weblog
梅雨の晴れ間今日は仕事が終わりまっしぐらに家に帰ってきた。
大喜びで吹っ飛びまわる犬達を抑えながら、夕方の散歩に出かける。
最近は夏至が過ぎたが日没までの時間が長く、7時ごろまで明るいので足を伸ばせばかなり良い気分での散歩が出来る。
この数ヶ月、休日のスケジュールが忙しく、又同時に庭の野菜と花作りに時間を取られ、疲れて月曜日を迎える毎週になっていた。

歩きながら周囲の景色の変化に気付かせられる。
いつの間にかセロリの畑は短い苗が背丈が伸びて青々とし夏景色に代わっている。
水田も稲は伸び水が見えなくなって来ている。
澄んだ冷たい空気と周囲のぐるりと囲まれた山々の日没は本当にこの季節は美しく
移住してきたことに感謝している。

この数日の大雨のために庭の雑草は驚くほどの勢いで増えた。
草花は背丈を伸ばし歩き回るスペースがなくなってきた。
じゃがいもは花が咲き、勢いよく四方八方に伸びている。
昨年の今頃、カナダへ行くのに前日の夕方まで草取りをしていたが、同じ季節になってみると、良くわかった。
放っておくと足の踏み場も無いほど庭は茂って取り返しがつかなくなる。
まだまだ梅雨が明けないから、手を入れないと自慢の庭には戻れなくなる。

などと考えながら野菜畑を廻っていたら、暗くなり8時近くになってしまった。
この季節は昼が長いので、どうしても夕食の時間が遅くなって、その後さてと、パソコンに向かおうという時間を失いがちになるようだ。

安曇野へ

2009年06月21日 00時00分18秒 | Weblog
長野県へ移住して来て、思い描いてきたあちらこちら訪ね歩く計画が尻窄まりになっている。

定年退職したらもう絶対に二度と働くものか!と誓ったくせにまた忙しく働き始め、しかもその仕事が面白いなどと思ってる。

もう一つ思い描いた畑と花作り、これは現実化し、相当近所からも褒められている。
都会から引越してきたへなちょこが、何か始めたと興味津々で見られていたが、野菜の苗をどんどん持って来てくれて畑は賑やかになって来た。

ということで休日は朝から晩まで庭で暮しており、生活ぶりは全く変わった。
これではいけない、憧れの信州を少しも知らないままに2年が過ぎ、ここらで反撃だと思い立った。

チャンスは訪れ、マイフレンドさんに声を掛けられ今日は安曇野へ出かけていく。
安曇野の夢農場のラベンダーが咲き始めたと聞き、マイフレンドの方は案内をして下さった。

マイフレンドに顔を合わす・・・・・これは相当高いハードルで、自分の不細工な顔を見せるのは申し訳なく、と思っていたがあれよあれよと話はまとまり、自分の住む原村から長野道で安曇野まで1時間の高速に乗っていた。

道路はどこまでも整備され、気温は高く30度を越え夏日になった。
ラベンダーはもうチョイ1週間早く、3分咲き位であった。



マイフレンドさんは初めてお会いしたはずなのに、もう10年以来の知己のように話が弾み、沢山の趣味をお持ちでたじたじであり汗した。

北アルプスを見渡せる展望台に案内され、長野県の広い地域の少しも知らない自分を思い知り、これからの短い人生、今しかないと思いながら、もっと外へ出て行こうと反省しながら帰って来た。


梅干 その2

2009年06月17日 22時55分49秒 | Weblog
おととい漬けた小梅が、水が上がった。
漬けた時の半分の量に減った。

緑の梅は塩で漬かり黄色に変色し、良い香りが出てきた。

梅酢はたっぷり上がってきた。
小梅といえども梅は梅、カリカリして丁度良い大きさで、このまま
くしゃくしゃにならずに漬かっていって欲しい。

赤紫蘇を入れる頃は梅雨も終わり暑い日々になっているだろうが
今年は気温が低くまだ3センチくらいにしか育っていない。

梅干

2009年06月15日 23時26分41秒 | Weblog


今年も店頭に梅が出始めた。

昨年、7月も終わりになった頃、大家さんがチョット遅いけど・・・と言いながら大きな梅の実を籠にどっさり下さった。
当惑しながらも梅干を漬けた。
遅い時期に漬けたので、庭に生えている赤紫蘇も何とか間に合った。
3日間夜干しも出来ず、結果オーライで梅干しらしい格好に納まった。
その梅は毎日お弁当に役立っている。

昨日、又もや大家さんが今度は小梅を持って来て、あらあらという間に置いて行った。
すごい量で、私が食べるには何年もかかる量だ。

計ってみたら8キロもあった。
普通2キロか3キロを漬けるのでしょうが、どうにもならず、洗って一晩水に漬け、翌日塩漬けにした。

毎年、大家さんの庭は梅ノ木が何本もあるので時期が来ると、梅をもいでどうぞと言って持って来てくださる。
お陰で梅酒や梅干や醤油漬けなどに加工してみるが年々溜まっていく。

今年の小梅8キロは消費しきれないと思いながら、まずは漬けてみなければならないが、段々置き場所に困ってきた。

贅沢、贅沢と思いつつ、毎年の行事となった信州生活である

梅雨の晴れ間

2009年06月13日 13時48分27秒 | Weblog
週末ごとに雨が降り、今日も午後から雷雨がやってくるとの予報で、大忙しの家事を午前中に済ませる、
最近娘が帰って来てから休日の朝食はパンになった。

外の畑で収穫し始めた野菜を使ってサラダを作り、健康的な食事をする季節となる。

休日の起き掛けには平日と異なり新聞をゆっくり、1時間かけて読むことにしている。
活字を読む時間が平日はなく、仕事はもっぱら自分を表現する作業になるので休日は色々知識も仕入れねばならない。
今日はなるほど、と思われる記事が3つほどあった。

自分らしい老いを探そうというタイトルで高齢者向きのフオーラムが開かれた。
アンチエイジングの言葉が当たり前にまかり通っているが、ウイズエイジングの考え方を目指そうという。
三浦雄一郎さんが人間は20歳の頃から肉体的な能力は毎年1%ずつ落ちるに決まっている。
僕は77歳だから50%に落ちている。
70歳以上の人は地上5,000㍍の高地で暮らしているのだから段々天国へ近づいている。
これは自然の法則だから死ぬのを恐れずと言っている。
なるほど!
私は体力40%か・・・・。
疲れるのも当たり前。今飛ばしすぎだ。
自分らしい老い、ウイズエイジング、良い言葉だ。

又、鎌田實先生は諏訪中央病院の名誉院長だがこの原村の診療所でも週に1回診療をする。

旅について、旅には力があると思う。
それは心と体に元気を与え、人生を変える力だ。
と、障害者や高齢者、ハンデイのある不自由な体の人に旅をするチャンスをと、ツーリズムのツアーに参加し元気をシャワーのように降らしている。旅は目標を持ち、感動には声を出し、リスクがあってもオタオタせず恐れないと語る。

そうだ、本当に旅は出かける前は面倒だが、良く先々で多くの思い出と活力を持ち帰る。
丁度昨年の今頃からカナダへ出かけたが、帰った後は以前より元気になったではないか。

3つ目は三四六というパーソナリテイが、長野の小中学校の恒例の登山に、最近親が子供が疲れるからやめてもらえませんかという意見が出ていることについて記事を書いている。
怪我をすることを恐れる親が今の時代だ。我々の年代はすりむき傷を繰り返しながら育った。
傷を作る前から阻んでしまう親だが
頂上に立ったときに景色が変わるのではなく、辛くても登った自分が変わっているということを判らせてあげたい。
そうだそうだ。

ああ~悲しい・・・・

2009年06月11日 20時49分40秒 | Weblog
夕方、仕事が終わって帰り道の出来事。
海のない長野県での諏訪には新潟からの魚の直送店がある。
魚を買って帰ろうといつもの通勤道路から方向を変え、5分ばかり走ったところ、
前方の道路脇に何か見えてきた。
なんだなんだ、ゴミ袋か何か落し物かと思いつつどんどん近づいて行く。
車が流れているので、そのままスピードだけ落とし、物体を確認して通り過ぎた。
びっくり仰天!
その後胸がキューンと痛くなった。そして目に涙がにじんだ。

ううう、鴨が轢かれて横たわっていたのだった。
通勤道路だからひっきりなしに車が通るのだがどうして鴨が?

このあたりは諏訪湖に近いので、そこへ注ぐ小さな川が何本もあり、鴨がいつも泳いでいる。
最近は越冬してもずっといついて子供を生んで家族が増えていく。

通勤始めて、田んぼに面している道路でよちよち歩きの鴨の親子が横断途中でいるのを発見した。
2回とも同じ道路であったが、意外と歩き方がのろいので急ブレーキをかけて止った。
鴨達はすまして道路を渡り、田んぼへ降りていった。
小さな小さな生まれて間もないような子供達はわらわら驚きながら散らばって、慌てふためいて親鴨の後を追った。
ああ轢かなくてよかった、とどきどきした。

その話を職場で昼休みに話したら、同僚さんが、私はそれで事故を起こしたのよと言う。
鴨を引きそうになり慌ててブレーキをかけたが対向車と接触したそうで、判る気がする。

今日轢かれていた鴨は通る車はよけて通っていたが、横たわって首が長く伸びていた。
道路に犬や猫が轢かれているのは何回も見たが、鴨が轢かれているのは初めて見た。
とても哀れで、毎日通勤の時見ている親子の母さんではないことを願った。
瞬間に見たその姿はずっと目の奥に残り、魚屋さんへ寄っても食欲がなくなり買い物の意欲が失せた。

道路を渡ろうとしていたのかもしれないが足が遅く、轢かれてしまったのかもしれない。
哀れであれからどうなっただろうかと気にかかる。








パン屋さんとの出会い

2009年06月10日 22時23分57秒 | Weblog

 
 
最近、美味しいパンを食べている。
北杜市の友人から紹介され、草刈の後訪ねた。
30代の夫婦が始めたお店は清里大橋の手前の別荘地帯を抜け明るい牧草地の傍にあった。
自家製酵母、国産小麦がうりのパンとケーキの小さなお店で予約販売をする。
朝3時半におきてパンを作り、客は休日は朝早く勝手に開店時間前にパンを買いに来るそうだ。
30代の若い夫婦が自分達で手作りで家を作りパン屋を開いた。
明るい南向きの家の玄関の前はこれまで見たことがないハーブ系の花が植えられ屋根からはクレマチスの白い花がぶら下がって咲き、夢一杯のおもむきをかもし出している。
パンはヨーロッパ系の外が硬く中身が柔らかいフランスパン風で、しっとりとした味がする。
酵母菌を使っているが、すっぱい独特の味がしないので聞いてみたら、生地はぶどうで作った酵母菌を入れているそうである。
カンパーニュという名前のパンを買い、評判のシュークリームとミルフイユをおやつにわくわくしながら包んでもらう。

翌日ムスメがパンの感想をメールで出したところすぐにパン屋さんの若い奥さんからお返事が届いた。
丁寧な御礼の内容で、文面からはその人柄がうかがわれ、とてもすがすがしい気持ちになる。
お客様からの言葉が仕事の励みになると言うが、客の方は美味しい
パンがいただけるので反対に感謝しますというところである。

信州へ引越しして、朝食はご飯一辺倒だったが、美味しいパン屋さんに巡りあえ楽しみがこれで一つ増えた。

カルガモの親子

2009年06月08日 23時12分11秒 | Weblog


通勤の行き帰りに、諏訪湖へ注ぐ川を通っていくが今その場所で鴨が生まれた。
多分10羽くらいだが毎朝眺めるのが楽しみになった。

初めて発見したのが1週間前。
それはそれは小さい体で必死に母親の後を追って泳いでいる。
小さくて黄色い体で、可愛いわ、可愛いわで1羽さらって行きたくなる。

母親かもは全部に目配りをして、全員引き連れて餌のとり方などをおしえている。

黄色やまだら模様やきょうだいでも色が違うが全員、行儀良く整然と列を組んで泳いでいる。
絶えず目を配る母親は貫禄があり子供を守るオーラを感じる。

人間もこうありたい。

森の掃除

2009年06月07日 22時33分41秒 | Weblog

暫くご無沙汰をした。
この1週間は仕事が忙しく、夕方原村へ戻って来るのも毎日時間がずれ込んでいた。
といっても車で30分の距離であり、以前の職場はメトロの乗り継ぎ、片道1時間40分だったのでそれを考えたらずっと楽だ。
しかし遅くなると、夕食以後寝るまでの時間が少なく、ブログを書く時間を失っていた。
又この1週間、ムスメが研修から戻り一緒に暮していたので、余計時間の経つのは早かった。
おはよう、おやすみがすぐにやって来る。

昨日の土曜日と本日は予定を立てた。
5月以来週末になると、雨が降り畑の農作業は持ち越しになり、今週やっと晴れ間が覗き定植、種まき、草花植え、草取りとあせあせしながら夕方まで外で過ごした。

今日はほったらかしの大泉の土地の草刈に出かけた。
まずは小淵沢のリゾナーレの傍のスウエーデン料理のレストランのメーラレンでランチを食べた。

 



にしん料理を森の中の緑のデッキで食べるとそれはそれはおいしかった。
お腹が一杯になり、さあ大変な労働に向かった。
森の中で広い土地は草が生い茂り、ビーバーでの刈り取りに娘は活躍した。

私は伸びた木々をのこぎりで枝払いをする。
昨年の今頃丁度土地の一角の流れに大きな鹿が足を取られて動けなくなり死んでいた。
たまたま草刈に行き鹿を発見し仰天してすくんだ。
友人に頼んで処分をしてもらった思い出が蘇る。

まだ勤めを持っていて諏訪は遠いので、家を立てる予定も先延ばしになり、定期的に草刈や枝払いに出かけねばならない。
道路の沿線の別荘地はどんどん家が増えていく。
建てたい家のサンプルが沢山あり、見ていても楽しい。
すっかり森の中はきれいになり、又8月頃まではさっぱりとして見通しもよくなり
終了する。

森の中での魔女の生活に憧れるが、見た目が大事で、草ぼうぼうでは決まらないから、暫く季節労働は続けねばなるまい。