信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

おあずけ

2008年02月26日 20時34分12秒 |  日記
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21日で愛犬みるきいが4歳になった。
22日の生まれと長いこと思い込んでいたが、先日鑑定書を見たところ
1日間違えていた。
ごぼうのように痩せていて何を食べさせても太れないで、常にお腹をすかせていた。
赤ちゃん時代にはおもちゃには目もくれず、それなのに今頃になって
犬のおもちゃに夢中になり、2時間くらいずっと遊んでいる。
ふと見るとかじったまま寝ている時もある。
昨年の7月に去勢し手術をした後、女の子になって太ってきた。より一層足の短いダックスフンドになってしまった。
人参が好きでおあずけ中・・・。



Glass lamp、table & window LAMP.YA

2008年02月24日 22時47分47秒 |  日記
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昨日は一日中吹雪いており外出も出来なかった。
丁度諏訪地方は諏訪いちと称しお菓子祭りの日であったが、外へ出る騒ぎではなかった。
今朝は一段と冷え込み、昨日降った雪はきらきら光っていた。
昨年の年末以来、大泉の陶芸家から紹介されたガラス工房を訪ねていくことにした。
最近アロマランプに魅せられて、その穏やかな光を毎晩見ているが、今ある蛍光灯やシャンデリアではなく手元を照らす明かりも欲しいとふと思った。
雪景色の原村から小淵沢、北杜市へ向かうが、長坂のインターを降りた途端雪がないことに気が付いた。
やはり八ヶ岳の南麓は気温が違い、標高が高くても雪が降らないのだ。
小海線の甲斐大泉駅を過ぎて、日野水牧場の裏手にアトリエはあった。
目の前に八ヶ岳の三つ頭、権現岳が大きくそびえ木立の中のアトリエにガラスのランプが幾つも燈っていた。
同じ作品は2つとなく、どれも個性的でこれまで見たことも無い、ガラスと蝋燭や電燈の明かりとのコラボレーションに一目で魅せられてしまった。
もともと個展の案内状の作品に魅かれたのだが、実物はその数倍も素晴らしい。
一つ一つゆっくり見て廻ったが、硬いガラスがこれほどこれほど柔らかい形を作るとは知らなかった。
作家の七尾裕子さんは東京の仙川からこの八ヶ岳に2002年にアトリエを移住し毎年東京で個展を開いている。
それもランプデザインの仕事に専念し独特の作品を作っている。

DSCN5354.JPG → LANP.YA.

その作品を見ている内に外はいつの間にか夕暮れの薄紫色になっていた。
道路が凍結しないうちに原村へ帰らなければならない。
ランプも欲しいが今日は小さな作品を2つ求めた。
揺らめくキャンドルの明かりで、ゆっくり手紙を書いてみたい。
可愛い小さな一輪挿しも、大好きなイメージだ。
これで今日は昨日の吹雪きに閉じ込められたせっかくの休日が払拭できた。
大泉はこういった陶芸、画、工芸、クラフトなどなど沢山の作家が住んでいる。これから暖かくなり始めたら、見て廻る楽しみがある。
雪と寒さで縮こまっていた気持ちが、やっと外へ向かっての気力が充実し始めて来た様だ。

こうしてパソコンに向かっている手元では、キャンドルの光がほんのり明るく揺らめいている。
視線の上では先に載せた、ハリネズミのモビールがゆっくりと泳いでいる。
外はマイナス10度だが、部屋の中の雰囲気は小物のお陰で誠に暖かい。


春はまだまだ春はまだまだ

2008年02月19日 21時55分09秒 |  日記
今日も家を出発し、茅野から諏訪へ向かう。
どこもかしこも一面、雪景色で朝の光は目にまぶしい。
道路は乾いているが、道路脇は1メートル近くの雪の壁になっている。
今日は役割は採血で、これまで35年間人の血管に針を刺し血液を頂くなどという恐れ多い仕事から遠ざかっていたが、赤十字では出来ませんでは通じない。
初めは心臓が飛び出しそうな勢いで、失敗を恐れ、相当なストレスでへとへとだったが、これで通算3度くらい一人で何十人も受け持った結果、腕が上がった。

しかし本業は午後からの保健指導だ。
諏訪にある施設だが、受診者は長野県全県下から受けに来る。朝6時に家を出てくるという。大部分企業の社員であるが個人もいるし年齢分布も広い。
私にとっては始めて顔を合わすのであり、午前中の健診項目の結果が午後まとまるので、それを見て直接面談をする。
何が飛び出すかわからないが、話をすると人間外見では本当に判断は出来ないといつも思う。
割合この季節は学校の教員が受診してくる。教員のキャラは本当に幅広い。
ストレスを抱えて、外にそれを出せない悩みも抱えている。
同じ長野県内でも単身赴任している人もいる。
元の勤務先を振り返れば同じ企業内の社員であり、勤務先の風土は同じである。福利厚生、職場環境、処遇、とても恵まれている。しかしその中にいるときはその恵まれているのを受け止めずもっと多くを望む。
その職場を離れてみると、その恵まれていたことを痛感する。
そのような気持ちでこの長野県の勤労者に向かうと、その環境には
様々あると学ばされることになる。
沢山の職場で働いている人にめぐり合い、少しずつ慣れてきたために
段々違った視線で相手に向かい合うことになって来た。

雪景色の中の毎日の往復で早い地方では梅便りを聞くが、まだまだ諏訪は春はずっと先にある。

友人がピカソのサルタンバンクの肖像画を写真で送ってくれた。
いい色合いで何度見ても飽きない絵である。

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心に残ること

2008年02月17日 22時34分04秒 |  日記
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日曜日、犬がうるさくて頭を打っても寝ていられない。
洗濯をしながらFM長野をきき、台所から掃除を始める。
原村はAMの放送が聴けず、FMを聴きだしたが、慣れてみるとこれがまた味わいがある。毎朝仕事をしながら時報代わりに聞いている。
今朝は9:00の時報と共に南こうせつの声が聞こえ、日曜日の定例の番組のようだ。
ラッキイ!大好きな南こうせつだ。ゲストにパキスタンで戦争を撮り続けている写真家が出ていた。
その後の番組では小川洋子さんが、作家の武田百合子さんと泰三さん夫婦の晩年の住み家である富士山の麓での10年間住んだ富士日記という本の内容を紹介していた。
本を捜して読んでみたい。なんでもない日常生活を書いている内容が
今の原村の私の日常にも繋がっている内容だ。

夫の泰三さんは心の大きい人で百合子さんが大好きな絵の話をするとああそれは前に何回も聞いたよ。だけど君が話したいのだから聞いてあげるよと言う。
このような会話が出来る夫婦は素敵だ。うるさい、何度も同じことを言うな、聞き飽きた、前にも聞いたとか言う言葉が通常の夫婦なら出てくる。
自分が夫婦の会話がもう一生持てないから、尚更このような何気ない言葉に魅かれてしまう。
百合子さんはまた、その当時流行ったビートルズにも入れ込み、何回も何回も東京公演のライブを聞いていたそうで、プリーズミーのその曲が流れてきた途端、私も当時の思い出がよみがえってきた。
ビートルズ、プレスリー・・・とっても懐かしい。
私にも若い日は確実にあったのに記憶ははるか海の底に沈んでしまった。
けれど今日のように突然記憶は海の底からぽっかり浮かんでくるのだ。
それがたまらなく懐かしく嬉しい。
いい時間を送らせて貰った。


天井ではハリネズミのモビールが揺らめいている。
シャンデリアの光で淡く浮かび上がり、アロマのランプから漂ってくるカモミールの香りと共に今日の休日も終わりになった。

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すってんころりん

2008年02月16日 23時15分04秒 |  日記
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金曜日の夕方は仕事も30分くらいの延長で済ませるようになり、明るいうちに帰宅できた。
冬至が過ぎて、日が延びて来てこれまで4時半には真っ暗になっていたが段々日没も延びて来て、春が近づいてきているのが感じられる。
とは言っても朝はエンジンを掛け、スタートする時の外気温はマイナス14度だった。それが茅野に近づくにつれマイナス12度、11度、9度と上がっていく。諏訪ではマイナス9度になった。諏訪湖が凍っているので
相当寒いと思われるが、実際は原村とは気温差は5度である。
まだ明るさが残っている間に、帰宅した私を歓喜の小躍りで出迎えてくれる犬たちに応えて、夕方の散歩を行なう。
この2ヶ月ほど朝寒くて犬は起きて来ないし、出勤も早くなったところで散歩はしなくなった。
道路は雪は解けているが両側厚い雪の壁になって根雪でがりがりになっている。
久し振りの散歩で上機嫌の犬たちは裏側の小道では雪が残っている方を歩きたがる。


短足で滑り止めのないダックスフントは良く滑りながら歩いている。
滑って転ぶが転ぶことの意味を知らないのでそれがおかしくてたまらない。
ところが家が近づいてすぐそこの雪道で自分でもわからないうちに
あっという間にモロニすってんと転んだ。
道路はアイスバンになっていた。
ひっくり返った途端帽子が飛んで、頭が道路にガッチンと音を立ててぶつかり私は倒れていた。目から火花が飛んだ。
意識はあった。倒れて起きない私を犬2匹が心配し顔を交互になめる。
ここで頭を打って死ぬのか・・・・いや、意識があるから大丈夫・・・手は、足は動くかなど寝たまま考えた。そしてそろりそろりと起き上がるがつるつるの鏡の板の上なので摑まるところがない。
打った頭に手をやると後頭部に見事にたんこぶが出来上がっていた。
たんこぶが出来たから頭は割れていない、とか自分を安心させ、忌々しいアイスバンの道路をよろよろと去った。
信州へ引越して色々な出来事が忙しく次々と起き、新年を迎えて母親を亡くしその1週間後、自分の体がおかしくなり、吐き気とお腹壊しと
気持ち悪さで食事が1週間出来なかった。長かった。
やっと持ち直し、食事も取れるようになり、働く意欲も出てきてその挙句凍った道路で滑って転んで頭を打った。
何だか不気味だが自分の背後に何か霊でも付いているのではないか?
昨年からの1年間で階段から10段落っこちるし、夏も畑の下の道路に落っこちて怪我をした。開いているドアや戸に何度も頭をぶっつけた。
中央林間時代には転ぶとか頭をぶっつけるなどという経験は全くなかった。
原村に来てからで私は歳を取って注意力がなくなったのか。
今は自分に腹が立つ。
頭を打った翌日目が覚めた時、ああ打ち所が悪く夜中に死んでいなかったと感謝した。
そして時間と共に急激に転倒したため、首の筋肉が鞭打ち状態で横向きが出来なくなりつつある。
悲しいよぉ輦

マイナス14度の台所のガラス戸は結露が凍りすさまじい凍った状態になる。ぶるぶる。

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信州から千葉へ

2008年02月11日 22時00分19秒 |  日記
9日から11日の3連休は、実家の母の49日で茅野から電車で銚子に行く。
今回は用意周到にあらかじめ1週間前に電車の往復切符を買い、茅野駅の駐車場に車を預ける準備もした。
2匹の犬を動物病院へ預け、スタンドでガソリンを満タンにし、灯油を
寒さの中で悴む手でタンクに入れやっと時間前に茅野駅に到着した。
何と!中央線の相模湖付近の架線事故で中央線の列車は運休とのこと。
いつも私の運命は出かける時に何かが起きる。
スーパーあずさを何のために1週間も先に買い求めたのか。
やっとのことで銚子に着いた時は嵐で大雨。
夜中まで兄や姉と携帯でのメール教室を始め、2時半になって兄がマスターしたので全員眠りに就いた。
姉は面倒だと逃げるので明日に廻した。
翌日は10時半からお寺に向かい、49日の法要をした。
1ヶ月前のお葬式と違い、気持ちも落ち着き、ひたすら和尚さんのお経を聞きながら母との思い出を辿っていた。
お清めも終了させ、また夕方家に帰って来て、今度は姉のメール教室を始めた。
兄夫婦と姉と相続の話を進め、又もや寝る時間は朝方になった。
3連休はすばやく過ぎ去り、東京駅に戻ってきたが、1昨日以来の大嵐も遠ざかり、東京は暖かい日差しで春の様だった。
だが、信州に戻った時は雪景色で、駐車場の車は雪に埋もれていた。
僅か6時間くらいの距離だが気温の差は大幅に異なり、暖かい思いをした3日間は又もや遠くへ過ぎ去っていった。
銚子では道端では水仙や白梅が満開であった。
原村の家は雪の壁に、つららが長く伸び、屋根から雪が落っこちそうになっていた。


雪掻きの一日

2008年02月03日 20時05分06秒 |  日記
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昨夜からの雪が朝起きたら既に20センチも積もっている。
6時半に目が覚め熱は下がったので、寝床の中で考えた。
多分、日曜日であっても、雪が降るとこの村では寝坊は許されない。
近所中が雪掻きを始めるのだが、顔を見せないと原村は一人住まいの家は誰かが来て掻いて行く。
おちおち寝ていられないので、気分が少々悪いが、起きて部屋中の暖房をし外へ出た。
雪掻きのためのシャベルも粉雪の軽い雪用と春先の重い雪用の2本取り揃えた。

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案の定、家の敷地に誰か男性が車を止め雪掻きを始めた。
前の家のご主人も一緒に手伝ってくれて、3人で雪掻きをする。
ああ良かった、後30分も遅かったらもう終わっていた。
考えてみたら今日は節分ではないか!
ましてや明日は立春だ。
とほほほ~  春はなのみの風の寒さよどころか雪降りで留まる所を知らない。

結局一日中雪掻き4回、北側の寝室は結露で部屋がびしょぬれで布団まで濡れ寝室の移動と掃除、雪が大好きと散歩をせがむあほ犬のため、散歩を降りしきる中2回、

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合間合間に電話が何度も・・・。

やがて一日が終わり、夕暮れとなり、疲れだけが残った。
また症状はぶり返す。

あぁ雪が降ったら一日中炬燵に入り普段読めない本を読むのだと夢に見ていたが、幻に終わった。
夕方、元の雇用主からアネモネの花束を頂く。
この季節ならではの花であるが、あの6月の暑い日に1本1本植えつけたアネモネが時期が来たらこのように美しく咲いている。
丁度前回いただいた花が咲き終わる頃にまた届けて下さる有難いご夫婦に感謝するばかり。
常に寒い部屋の中で長い期間美しく咲いているこのアネモネは私のアドレスに頂いた。
それにしても今夜も雪はどれだけ積もるのだろう。すでに30センチは積もったのだが・・・・。

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やっぱり!

2008年02月02日 23時26分51秒 |  日記
いやぁ~気持ち悪い。
自分の体調不良を真正面から向き合わず、元気を装っていた。
この1週間、勤務時間も朝早く1時間繰り上がった。
折からの天候も朝から雪が降り、アイスバンのつるつる道路を神経を使いながら横滑りしないように走り、勤務も時間外が続いた。
親を亡くし混乱したまま半月過ぎたら、自分が駄目になった。
1年間健康保険を使わない生活をして内心秘かに自負していたのに残念だ。

気分が悪いが、帰るに帰れない勤務体制のため、やはり残業して生あくび続出で帰宅し、食事など考えるだけでも吐き気がしてそのまま炬燵で横になったまま動けなくなった。

疲れかノロウイルスか消化不良の風邪かいずれにしても自分の体を侮り働き続けた結果だ。
子供たちからは無理するなとか歳なんだからとか以前の勤務と同じ働きかたはするなとか常に釘を刺されていたのに、新人は手を抜けず、おまけにしらないために失敗するというこれまでにない心の傷は大きかった。

あっという間に3ヶ月が経ちこれまでの会社以上の働き方をしている。
というより要求されている。
もっと若かったら出来ない知らないととぼけてそれなりの働き方をするのだが、経験を積んでしまった以上手抜きができないという生真面目なキャラを身につけてしまった。

しかしこの気分の悪さの中、不安を感じた時反省した。
断ることが出来ない自分を何とかせねばなるまい。
明日は雪の予報だ。まだ先週降った雪が解けないまま、そこに雪が降る。
10センチから15センチとのこと。
私の寝る部屋は0度からマイナス2度くらいになっている。
それもいけないのだろう。
凍ってはいけない食べ物は冷蔵庫に入れることをここに住んで初めて覚えた。
バナナが何で部屋の中でも買ってきてすぐに真っ黒になるのかと不思議に思っていたら、冷蔵庫に入れた状態より低い室温のため黒くなったのだ。
神奈川から持ってきた室内の植物はかわいそうに全部凍死した。
今年の諏訪湖は寒さがきつく湖面は全面凍結し20センチも盛り上がり御神渡りが今日出来た。

想像以上の寒さを経験し、おまけに車で走る怖さの中から、暖かい都会生活から60歳になり移住してきた自分は甘かった。
原村は寒いから100万貰っても住みたくないと言った人がいたが、あの暑い夏にエアコンも必要ない涼しさの中で寝る快適さは・・・今は忘れた。

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