◎台湾をおいて沖縄に来たなあ(芦田隊長)
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『永田町一番地』から、三月三一日および四月一日の分(一八八ページ)、そして、『原爆投下は予告されていた』から、三月三一日から四月二日までの日誌を紹介する(六四~六九ページ)。
『永田町一番地』
三月三十一日
繆斌の問題について、緒方〔竹虎〕国務相は今日、米内〔光政〕海相を訪問して、懇談した。
四月一日
緒方国務相は柴山〔兼四郎〕陸軍次官と会見した。繆斌の問題につき、柴山次官はさういふことの責任をとりたくない、いはば見送りの態度である。
米軍の沖縄本島上陸が本朝来開始された。上陸兵力約三倍といふ。わが本島守備兵力は約二万五千である。すでに上陸が始まつた以上この兵力差では、戦〈タタカイ〉の帰趨は明かである。やがて起ることを予想せねばならぬ沖縄の失陥に伴つて、日本は南方との交通はもちろんのこと、朝鮮を通ずる大陸との交通も事実上、切断されることになる。やがて日本の孤立が来る。事態の深刻さは、筆舌に尽し難いものがある。
【一行アキ】
小磯総理は繆斌の問題について東久邇宮〈ヒガシクニノミヤ〉〔稔彦〕殿下に拝謁した。
『原爆投下は予告されていた』
三月三十一日 (土) 晴
午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、「昨晩午後十時のニューディリー放送では一昨日よりつづけている米海軍機動部隊の艦隊よりの沖縄本島への艦砲射撃を、昨日(三月三十日)はさらに強化して千二百発の艦砲射撃を行なったと放送しました。したがって、三日間連続で三千発、平均一日当たり一千発になります」と。
敵の物量の多さにおどろく。これだけ徹底したのなら、今日ぐらいはあるいは上陸してくるかも知れない。一勤の勤務は先日来からの、勤務のいきさつによってであるが、非常に一勤は静かな毎日の連続である。【以下略】
四月一日 (日) 晴
午前零時、上番下番の挨拶をして田中候補生と勤務の交替をする。田中候補生の申し送り事項として、「昨夜午後十時のニューディリー放送では昨日(三月三十一日)、米軍B29百四十機が九州各地の飛行場、防空施設を空襲し爆撃を加えました。またこれとは別のB29三十機は、瀬戸内海並びに豊後水道一帯に機雷を投じたと報じております」【中略】
午後四時上番する。田中候補生が、「まったく何もめりません。申し送り事項もありません」という。上山少尉は午後二時ごろから入られていたようである。いつものようにただ黙って、手帳に小さな文字を書き込んでおられた。
午後四時半ごろ、隊長〔芦田大尉〕も入って来られた。久しぶりに見る隊長や上山少尉だ。
午後五時、インド・ニューディリー放送が流されてくる。本当にインドかと思うくらいに雑音がない。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれぼ、本日四月一日午前八時、沖縄本島中部の嘉手納【かでな】・茶谷【ちやたん】海岸に米軍上陸部隊は上陸しました。上陸軍はすでに嘉手納飛行場と北飛行場を完全に占領した模様でございます。繰り返し申しあげます。…………。――
隊長「おい上山、台湾をおいて沖縄に来たなあ。沖縄対応策はどうだろかなあ」
上山「沖縄は牛島満中将以下三十二軍が守備しております。第三十二軍は最近、所属が変わって第十方面早に所属しております。第十方面軍は台湾にあります。たしか保有三コ師団でありましたが、そのうち一コ師団が台湾に今年のはじめ転用され、後詰め部隊の派遣が中止になったと聞いております。したがって、第三十二軍はニコ師団のみ保有のはずであります」
隊長「敵の攻撃状況がわからぬが、日本の空軍はだらしないなあ」
上山「おおせの通り当初、沖縄に来攻する敵を撃滅する主役はわが空軍で、三十二軍は端役にすぎないとする見方が普通でした。残念ながら空軍の出方が少ない上に、海軍も沖縄に気やすく上陸させすぎです」
隊長「この部屋にも、沖縄の地図を張り出してくれ。沖縄県なんだよ」
上山「かしこまりました」
上山少尉は、中学用の三省堂の地図から沖縄の頁のところをあけて見ながら地図を書かれ出した。
午後七時になると、NHKで大本営の放送があるかと思っていたが、流れて来たい。なぜ放送しないのだろうか。当番兵が夕食を持って来てくれた。放送を待っていたがないので食べはじめた。
上山少尉はまだ地図を書いていた。都市名には◎印を入れておられた。自分はレシーバーをかけてマイクとにらめっこして待機していた。
午後九時、またもニューディリー放送が流れて来た。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、沖縄攻略の米軍は本日午前八時、上陸を開始し、一時間以内に四コ師団一万六千人と戦車部隊が上陸し、昼までに嘉手納の中飛行場と読谷【よみたん】の北飛行場を占領した。夕方までに六万人が上陸し、砲兵部隊もすべて揚陸が完了しました。繰り返して申しあげます。…………。――
上山少尉は腕組みして聞いておられる。四コ師団で一万六千人ということは一コ師団が四千人の計算になる。夕方までに六万人の上陸ということは十五コ師団の編成となる。上山少尉は午後五時のときに沖縄防衛軍は第三十二軍で現有ニコ師団といわれていたと思う。
もちろん日米の師団編成は違うので、一概に比べるのはおかしいかも知れないが、十五対二では比較にならないではないかと思う。
これだけ詳細な放送が敵側からあるのに、大本営からの放送、すなわちNHKからは何の放送もない。上山少尉も午後十一時過ぎに席を立たれた。
午後十二時、田原候補生と上下番の挨拶をして下番する。下番後はすぐ横になる。
四月二日 (月) 晴
午前八時半、起床する。すでに田原候補生が下番してよく眠っている。【中略】
午後四時半ごろか、午後の静けさの中を破って、敵側同士の無線か電話か知らぬが、隣室で英語翻訳専門の兵隊が一人で翻訳してスピーカーで流されだした。「せっかくこの土地に来たと思ったのに、また出発だって」「よいではないか、おれなんかここ一年になるよ」「あっ、君の彼女からレター届いたかい」「いや、ぜんぜんそんなものお目にかからないね」「僕も、手紙はどんどん出すんだが、彼女からは何も来ないんだよ。どうかしてるんではないかと気になって仕方がないよ。ああキスしたいたあ。一度ぐっとだきしめたいよ」
気になって横後ろの隊長の方を振り返って見たら、まじめな顔をして目をつむっておられたが横を向くと、「おい上山、今の最初の地点の場所がどこか調べさせてくれ。せっかくこの土地に来て、また出発といっていた地点だ」
「ハッわかりました。調べさせます」といって立ち上がると、隣りの部屋に行かれた。
どうも南支内の地点に米軍の通信施設が、中国軍の飛行隊にまじって勤務しているように思える。それにしても、敵さん、公器を勝手に私用に使っている。しかも彼女とか何とか、これなら精神面で日本は絶対に勝てると思った。
情報室に入って思うに、物量作戦での敵の大量武器の豊富さと、その武器をおしげもなく重点的に使っていることが気になって仕方がない。日本軍としては国内はともかくとして外地にあまりに東西南北各地に分散しすぎ、敵の突く沖縄には手勢わずかで制空権、制海権を敵にあたえてしまっているのが現状だ。しかし、日本は負けたことがなく、敵兵の交信に見られるように、兵隊の意志では日本の方が絶対に勝ちだ。
午後九時、内地のNHKニュースもよく聞こえる。
――大本営発表、昨日、米軍は沖縄中部地域に上陸の模様なるも詳細不明――
また他のニュースもつづける。
――郵便・鉄道・酒類が四月一日より値上げに。勝札〈カチフダ〉という宝籤が発行された――
それにしても、ニューディリー放送が沖縄に関し、米軍情報を昨日あれだけ細かに放送したのに、今日になってなお詳細不明とはどういうことか。本当にはがゆい気持だ。
午後十一時、隊長、上山少尉があいついで退出された。午後十二時、下番する。田原候補生上番、要点的に勤務中のことを話し申しおくる。