礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

うそばかり ついていると どうなるか 考えてみよう

2020-03-31 03:02:07 | コラムと名言

◎うそばかり ついていると どうなるか 考えてみよう

 昨日、インターネット上で、〝小沢一郎氏 買いだめ菅官房長官会見に「安倍政権が何を言っても信用される訳ない」〟と題された記事を読んだ。デイリースポーツが、「2020/03/28 18:21」に配信した記事である。以下は引用。

 小沢一郎衆院議員が28日、ツイッターで安倍政権を「何を言っても信用される訳がない」などと痛烈に批判した。
 小沢氏は、今週末の外出自粛要請が出された都内の買いだめ行為について食料品は十分な供給力があると菅義偉官房長官が会見で述べたというニュースを引用。
 「うそばかり ついていると どうなるか 考えてみよう。小学校の道徳の教科書にすらこうある」と前置きし、「公文書は改竄し、統計は都合よく偽装してきた安倍政権が、今や何を言っても信用される訳がない」と菅氏の会見をバッサリ。「だからこそ嘘と隠蔽と改竄の政治は許されないのである」と、安倍政権を痛烈に批判した。

 この「菅氏の会見」というのは、三月二六日の記者会見を指すのであろう。それにしても、小沢一郎議員の安倍政権批判は鋭い。
 三月二八日には、安倍晋三首相も記者会見をおこなった。冒頭、首相は力強い口調で国民に呼びかけていたが、話の中身は空疎であった。これまで、みずからが窮地に立ったときは、保身のために強権を揮い、国民を驚かせてきた首相だが、国民全体が窮地に立っている今日、その首相の呼びかけには、国民を驚かせるような具体的な提案は見られなかった。
 二八日の安倍首相の記者会見について、小沢一郎議員がどのようなコメントをしたのか知りたいところである。

*このブログの人気記事 2020・3・31

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澤柳政太郎君の無責任

2020-03-30 03:14:08 | コラムと名言

◎澤柳政太郎君の無責任

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の五回目(最後)。

▲就いて一言したいのは澤柳政太郎氏の言説である。氏は過日東京朝日新聞記者に語りて小学校の教科書などには学者の異説を入るべきではない普通の説を載すべきものであるとといひて、小学日本歴史に南北朝対等説を入れた事を非難せられた。是実に我輩の怪訝〈ケゲン〉に湛へざる事である。そもそも小学日本歴史は明治三十七年〔一九〇四〕に出来たのである。明治三十七年は澤柳君が普通学務局長在職中ではあるまいか。君が普通学務局長在職中に出来た所の小学日本歴史は南北朝に就いてはどういふ筆法を用ひてあるか君は御存知であるか、あれには正しく南北朝を対等にして居りますぞ。『同時に二天皇あり』と書いてありますぞ。御歴代表中に南北朝の天皇を対等に書いてありますぞ。我輩は文部省の内規を知らぬが普通学務局長は小学校の事項を鞅掌〈オウショウ〉するといふ事なれば定めて小学校の教科書編纂に就いても責任はあることと思ふ。然るに自己が今文部省内に奉職せぬからといふて在職中に出来た教科書を白々しく非難するのは実に無責任ではあるまいか。
 かくいふと菊池といふ男は他の一旦の過言を捉て得たりと突込む酷い奴だと思ふ人もあるかも知らぬが我輩とても人の過誤を見出して之を責めて喜ぶのではない。是は公徳の為めに自分の毀誉褒貶を顧みずして言ふのである、又殊に澤柳君であるから言ふのである。澤柳君は教育界に功労のない事ではないが又実に我教育界に害毒を流した人である。かの突飛〈トッピ〉な仮字遣ひや漢字制限は小学児童にどれほど害を及ぼしたか分からぬのである。小学児童の学力を非常に低下し従つて小学校と中学校との連絡を滅茶々々にしたのである。この害毒は今日特に甚しく感ぜらるるのである。是は澤柳君御自身も知らぬことはあるまい。知つて責任を感ずるなれば教育界より隠退すべきが当然であらうと思ふ。隠退せぬ所を以て見ると澤柳君は責任を感ずることの薄い人ではあるまいか。それであるから自己在職中に出来た教科書を攻撃するのであると思ふ。澤柳君は校長論や教師論や修身書や孝道などいふ書を著はして大に修養を鼓吹せらるる人であるから我輩は特に此機会を捉へて苦言するのである、尋常一様の人であるなら我輩は決してかゝる苦言を呈せぬのである。偶々喜田博士の休職を耳にして気の毒の感に堪へざると同時に澤柳君の無責任を感ずることも一層深くなつたからかたがた一言したのである。

 澤柳政太郎(一八六五~一九二七)は、文部官僚、教育者。一九一七年(大正六)に、成城小学校を創立。明日は、話題を変えます。

*このブログの人気記事 2020・3・30(10位に珍しいものが入っています)

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国定教科書は皇室に関する史実に対して小心翼々に過ぎた

2020-03-29 00:36:30 | コラムと名言

◎国定教科書は皇室に関する史実に対して小心翼々に過ぎた

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の四回目。

▲右の外皇統の事は臣民の議すべきものでない、正閏の区別を立つるのは僭越であるとかいふ議論も見えた、それは皇室の内事と歴史上の公事といふ区別を知らぬ論。又足利時代の著書に北朝を正統としたものが多くあるから北朝は正統なりとの意見も見えたがそれは論ずはも及ばぬことである。要するに対立論者の論拠は之を史実に取つたのではなく対立論 を建設せんが為に一種の見解を立てたのに過ぎぬ。而して其見解はいづれも没常識であることが分る。
▲さて小学校の日本歴史に南北朝対等説を持ち込んだ為めに国論大に沸騰した。我輩も反対者の一人であるが、しかし是は喜田〔貞吉〕君始め編纂委員の人々が自家の私見を国定教科書に由つて貫徹せしめんとしたものでない事は明かである。それはかの小学日本歴史を通覧すると皇室の御争に関することは成るべく触れない主意を以て書かれて居る。一例をいふと壬申の乱は全く抜きにしてある。この筆法で南北朝のことも軽重を立てなかつたのであらうと思ふ。それであるから我輩は国定教科書編纂の主意の極めて小心翼々たる誠意を認めるのである。さりながら皇室に関する史実に対して小心翼々に過ぎたから思はず知らず大処に着眼することを忘れて失策に陥つたのであらう。一体我皇室の尊厳なることは世界無比であるが数千年の間には旺盛のことも微弱なこともあつた。いかに微弱に在はせられても未だ甞て其尊厳を傷つけられたことはない。是我が國體の類例なき所であるから、歴史も有のまゝに書いた方が皇室の尊厳をますます発揮することになるのである。然るに国定教科書はあまりに注意を払ひ過ざて真想を誤まらしむるに至つたのであらうと思ふ。吾輩は皇室の歴史に対して国定教科書が注意を払ひ過ざたる誠意を認むると共に喜田君其他が国定教科書を利用したのでないことは万々認めざるを得ない。之と同時に喜田君等が従来の伝説に重きを置かず為めに国民道徳に動揺を起さんとしたのを悲むのである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・3・29(10位になぜか米内光政)

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北方の天子は足利氏の飾り物であった(菊池謙二郎)

2020-03-28 01:31:14 | コラムと名言

◎北方の天子は足利氏の飾り物であった(菊池謙二郎)

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の三回目。

▲(三)神器軽視論 対等論者は北朝に神器が伝つて無い所から神器を非常に軽視して居るのである。某博士は某教育界の講習会にて神器は器物に過ぎないと言つたそうで又或る博士は南朝正統論者が神器々々といふが神器を盜んだものがあればそれは天子になれるではないかと言うて居る。神器は単に器物に過ぎぬと放言する論者は天祖の詔を度外したものと言はねばならぬ。神器を奪つたものが天子になれるといふ論者は神器の授受といふことを忘れたのであらう。神器の所在に由りて皇統の正閏を決するといふその「所在」を文字通りに解しては訳の分らぬことになる。万世一系の皇統にして平和の間に即ち先帝の崩御又は譲位の際に正当に神器を受けさせられた御方が正天子であると解釈せねばならぬのである。三宅観瀾が「其器之所臨、実在其統之当続者。」といつたのも同じ意義である。そもそも神器は皇位を確定すべき標章であつて之を有する間は一あつて二なき天皇であるといふことは天祖肇国以来の不文法である。それゆゑ後醍醐天皇も甞て神器を離し給はず、神器さへ保有すれば如何なる乱世と雖も正しく天皇なりとの御考があつたに相違ない。神器はかやうに重大のものである。然るに対等論者が神器を軽視するのは畢竟北朝に神器が無い所から起つたのであらう。我田引水論とはこの事である。
▲(四)勢力論。南朝には勢力がなく北朝には勢力があつたから実力の上から見ても対等とせねばならぬと対等論者はいふのであるが是は土台「名」と「力」とを区別せぬ議論である。譬へば本家は何程貧乏しても本家は本家で先祖代々の位牌を持つて居る。分家は鉅万の富を積んでもどこまでも分家である。南朝には勢力がなかつたといふけれどもそれは後村上天皇以後で、天皇の時には三回まで京都を回復し北朝の天子や年号を廃せられたこともある。又北朝に勢力があつたといふけれどもそれは足利氏に勢力のあつたので天子の威令といふものは少しも行はれて居らなかつたのである。天子を廃さうと立てやうとそれは足利氏の随意であつて恐れ多い事であるが北方の天子は足利氏の飾物であつたのである。光明院が擁立せられた時に民間では『この持明院殿ほど大果報の人はおはせざりけり、軍の一度もしたまはずして将軍より王位を賜はらせ給ひたり』と言つたほどではないか。名と勢との区別をせぬのはそもそもの誤であるが足利氏の勢力の為めに其飾物を正統の天子と認むる論法は没常識ではあるまいか。
▲(五)北朝系統論。現在の皇室が北朝の系統にて在はす〈オワス〉ゆゑ北朝を閏位とするのは恐れ多いといふ事である。是は既に〔頼〕山陽なども論破したことで又過日来も其俗論たることは我党の人々が論じ尽されて居るからこゝに詳しくは言はぬが要するに血統と皇統との区別を明にせぬより起つた愚論である。実は北朝の御血統といふことももはや申すには及ばぬ事である。何となれば南北朝合一後はひとしく後嵯峨天皇の御血統、否神武天皇の御血統であつて北朝南朝の称呼を現在の皇室に対し奉りて用ふべきものでないからである。そもそも又対等論者は南北朝五十七年間は一時の変態であるから正閏軽重の区別を立つべきものでないと言ひながら変態時代の称呼であつた南北朝の区別を今に至つても猶明に称ふるのはどういふ訳であるかトント分らぬ。矛盾ではないか。【以下、次回】

今日の名言 2020・3・28

◎目立つことをすると、前をふさごうとする者が必ず出てくる

 陶芸家の神山清子さんの言葉。本日の東京新聞「あの人に迫る」より。聴き手は築山栄太郎記者。

*このブログの人気記事 2020・3・28(2位になぜか村八分)

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変態の場合こそ大義名分を明らかにせねばならぬ

2020-03-27 02:02:13 | コラムと名言

◎変態の場合こそ大義名分を明らかにせねばならぬ

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の二回目。

▲(一)正閏の語 正閏の語は支那の歴史に用ひられた語で、易姓革命の彼の国に在つては通用するけれども我国に在つては適用せぬと対等論者は言ふのである。殊に久米〔邦武〕博士の如きは正閏の語を我国に用ふるのは無学の致す所であるとまで罵倒して居る。正閏の語は固より支那の歴史に用ひた言葉であるが支那の如き易姓革命の国には却つて〈カエッテ〉適用せぬので我国には能く応用が出来るのである。支那の國體は事新しく言ふまでもなく君主専制の衣を被れる共和国で、徳なく力なきものが亡んで徳あり力あるものが王者となるのであるから、正統の天子とか閏位の天子とかいふのは誤りで王位に昇つたものは皆正当の王者である。唯歴史編纂上前朝との連絡を保つために歴史家が正閏の区別を立てたのに過ぎないのである。万世一系の天皇が統治権を有する我国に在りては歴史上変態を生じた場合にはこの正閏の語が極めて能く適用せらるゝのである。同時に二天皇あるときは、一方を正とし一方を閏とせねばならぬ。こゝが即ち大義名分でどうしても正閏の区別を立てねば國體に戻り〈モトリ〉国民の帰嚮〈キキョウ〉を失はむることになる。それであるから正閏の語は本家の支那には寧ろ不必要で我国には却て必要なので又能く当嵌まるのである。恰も〈アタカモ〉忠孝一本といふ語は支那から来た言葉であるが支那の國體には適切でなく我国家に適切であると同様である。
▲(二)変態論 対等論者は南北朝分立の如きは一時の変態であるから其間に正閏軽重の区別を立ててはならぬと言ふのであるが我々南朝正統論者は一時の変態であるから正閏軽重の区別を立てねばならぬといふのである。蓋し対等論者は一時の変態は南北朝時代に限つて将来再たびかゝる事の無い事を予想するのであらう。我々とても勿論かゝる変態の再び起らぬ事を希望するのは万々である。希望するからして我國體の上より大義名分を明かにして変態の再び起らぬことを予防するのである。再び起らぬ事を希望すれども再び起らぬ事と予想することは到底出来ぬ。変態の場合には大義名分を明にせず、正閏軽重の区別を立てぬとすれば実に寒心すべき事を予想せざるを得ないのである。それは乱臣賊子に口実を与ふることになるからである。皇胤を擁立さへすれば逆賊の名を免るることが出来るとの観念を知らず知らず国民の頭に吹き込めばどういふことになるであらうか、第二第三の尊氏を生ずることなしとも限らぬでないか、神経質と笑ひ給ふな、我々国民の倫理思想の大半は国史によつて出来て居るのである。国史の教育を一歩誤るというと、それこそ倫理思想に大なる変動を来たすのである。歴史上平静の時代には大義名分を明にする必要は却て少なく、変態の場合こそどこまでも大義名分を明にせねばならぬのである。さうせねば国史の教育といふものは存外有効のものではない。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・3・27

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