礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

高群逸枝『母系制の研究』厚生閣版の「例言」

2019-11-30 03:47:19 | コラムと名言

◎高群逸枝『母系制の研究』厚生閣版の「例言」

 先日、近所の古書店で、高群逸枝(たかむれ・いつえ)著『大日本女性史 母系制の研究』(厚生閣)を入手した。『母系制の研究』は、のちに高群逸枝(一八九四~一九六四)の代表作として知られることになるが、厚生閣から出た『大日本女性史 母系制の研究』は、その最初の版である。ただし、私が買い求めたのは、一九三八年(昭和一三)六月刊の初版ではなく、一九四一年(昭和一六)七月刊の再版である。ちなみに、古書価は一〇〇円だった。
 巻頭に徳富蘇峰の序文が影印で印刷されている。毛筆のクセ字である。そのあとに、「例言」、「引用書目」、「目次」と続く。
 本日は、「例言」を紹介してみたい。それほど長いものではないが、二回に分けて紹介する。

   例 言
一、我国には未だ真によるべき女性史がない。女性史と名け〈ナヅケ〉られしものは数種あるにはあるが、其等は余りに小冊なる上に、内容においても必ずしも学的良心を満足させるものではない。女性の述作に至つては皆無である。私はよき女性史の必要と、それが女性自身によつて書かるべき意義を信ずるものである。唯私が決して其任でないことは自らよく承知してゐる。それにも拘らず進んでこれをなす所以は、纔〈わずか〉に先を為して後の大成を俟たんとするに外ならない。
一、私の書かんとする女性史は、若しすべての事情が之を許すならば、次の五巻としたい考へである。
 1 母系制の研究
 2 招婿婚の研究
 3 通史古代 国初より大化迄
 4 同 近代 改新より幕末迄
 5 同 現代 維新より現代迄
一、本書はその第一巻である。母系制の研究―正しくは母系的遺習の研究は、単に女性史においての第一課題たるのみでなく、亦広く古代史闡明〈センメイ〉の鍵ともなるべきものであるが、史学界の触手は未だこの方面に及ばず、謂はゞこれは女性史家の為めに未開拓のまゝ残されてゐる処女地である。私の本書及び次の巻に試みんとする研究は、善かれ悪かれ〈アシカレ〉、この意味においての最初のものではないかと思ふ。この試みが、幸にして何程かの価値をも伴ふものであれば、たゞに著者の本懐のみではない。【以下、次回】

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電光石火で解決できないものがあると感じる

2019-11-29 04:57:56 | コラムと名言

◎電光石火で解決できないものがあると感じる

 雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
 座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。

 当局に苦言を呈す
記者 当局仁対する註文とか、そんな話を。
 これは非常にいい例だと想ふんですけれども、吉田支店長代理〔帝国銀行椎名町支店の吉田武次郎支店長代理〕ほか三人の生残つた連中ですね、これを聖母病院で写してもいいといふことになつたんです。しかし記者団との一問一答はお断りする、これから帝銀へいつて実地検証をする、といふわけです。しかし、それぢやわれわれは困る。カメラだけ許されても新聞記事は出来ないんだ、一問一答させろ、といふことで迫つたんですが、とにかく三十分ばかり待つてくれ、食事をするから、と言つて扉を締めて鍵をかけて入つたつきり、音沙汰ないんです。扉の所には制服の巡査が二名立つてゐて、われわれは上司の命令で一人も入れてはいかんと言はれるから、入つちや困ります、と言ふんだね。ところが、三十分間待つてる間にわれわれは、こんなちつぽけな所へ二百名からの記者やカメラマンが押掛けたら、建物が潰れちやふだらう、だから各社で質問要項をまとめて代表だけ入ることにしよう、といふことで話をきめたんです。ところが、約束の三十分が来ても音沙汰なし。そこで紙に、いつになつたらわれわれに会つてくれるのか、と書いて、室内にゐる検事に渡してもらつたら、しばらく待つてくれ、といふ答へが来たんです。それから、時間がハッキリしないのは困るから、何時だか言つてくれ、と紙へ書いてやつたところが、あと一時間待つてくれ、といふんです。クソ、あと一時間も待てるか、といふので 非常に騷ぎましたよ。それを鎮めて、とにかく検事自身ここへ出て来てくれ、お互いに話合はうぢやないか、と紙へ書いてやつたんです。さうしたら梨の礫で一向に返事がない。かうして待っこと約二時間‥‥。
 二時間半だ。
 さう。待つたんです。さうしたら二時間半くらゐしたら、検事とか捜査課の連中がソフトをかぶつて帰り支度で出てくるんです。それを記者団がかこんで、一体どうしたんだ、われわれを待たせておいて、なぜ返事をしないのか、と言つて撲り合ひはしませんでしたがね、罵倒し合つたんですよ。さうしたら、君たち会ふなら勝手に会へばいいぢやないか、と言ふんです。それぢや秩序といふものは一体どうなるのか、われわれは初め三十分待つてる間にかういふことにした、と話をして、各社代表十五名が正式に会ふことになつたんです。
 それからもう一つ、僕は当局に言ひたいんだけれども、例の小切手のことで、現場保存といふことさ。
 要するに搜査当局が事大主義なんだよ。その甚しい例はね、今度かういふ話を聞いたんだ。昔だつたらば検事の命令で記事差止〈サシトメ〉をやつちまへば、こんなにやられないで済んだのに、といふことを言ふんだ。それで俺は言つてやつたよ。貴様ら何を言ふか、さういふ考へだからいかんのだ、と言つてやつた。それから小切手のことだけれども、あれは要するに現場保存といふ捜査の基本的な問題なんだ。現場保存といふものは捜査上に重要なことですよ。しかし、それをあまるに重視しすぎると、ああいふことになるんだ。あの発生の晩、何と何が盗まれたかといふことを調べるために、帝銀の本店から行員を呼んで調べさせれば、あの二十六日の晩中に小切手の盗まれてることが判るわけなんだ。それを現場保存のためといつて内部へ入れさせない。もし二十六日の晩にそてが判れば、翌日の午後二時に〔安田銀行〕板橋支店へ金を取りに来た時にパクることが出来た筈なんだ。それを二十六日の晩は十時になつたら全部釘付けにして引揚げちやつた。これは当局の事大主義といつていいね。
記者 国民はみんなさう思つてゐますよ。
 それから、例へばここ四、五日間ばかりは、毎日三回くらゐ記者団と会見するんだけれども、何もありません、といふだけなんです。しかし、もつと当局がほんたうの意味で民衆の協力を求めるといふなら、捜査の方向は現在この方向だ、さうしてかういふ所で難関にぶつかつてるといふやうに、肚〈ハラ〉を割つて話すといふ積極性がなければいかんのです。僕らにしても、どこへ刑事を派遣して、かういふネタが上つから、今度はここへいつてかういふやうに当つてる、なんていふ細かいことを言へ、といふんぢやないんです。捜査の主流はここへ向いてる、しかし、この点で壁に突当つた、これを打破するには民衆の協力が必要だ、といふやうに大筋を話すやうにしないと、やつぱりダメだと思ふんです。ところが、昔通りの捜査当局の頭であるといふことを、われわれは今度の事件を通じて痛切に感じてます。
 だから、本部発表なんて書いた記事が出ますがね、あれは言つた通り書いたたら何のことやら判らないんです。こつちが突込んで質問すると、その話はまだ聞いてゐませんとか、仙台のはうはどうです、まだ連絡を受けてゐません、この二通りだけしか言はない。だから、各社が独自でやらなければならないといふことになるんです。
 だから、捜査本部と新聞社の方と別々な方向にゆくといふわけだな。
 極端にいへば、さう言つていいでせう。
 俺は別に捜査本部の肩を持つわけぢやないけどナ、一応捜査本部を背負つて話をすると、当局は本筋を摑んでるんぢやないかと思ふがね。
 いや、摑んでるとしたら、これくらゐ大きな事件ですからね、電光石火ですよ。僕はさう思ふ。
 電光石火で解決の出来ないものがあるんぢやないか、といふやうなことを俺は感じるな。
 本筋のものを摑んでるといふことは、まづないな。
 摑んでるやうに見えても、案外摑んでないですよ。
 新聞社に話をすれば、それは犯人に話をするのと同じことだ、といふやうなことを或る刑事は言つてるんだ。それなら何か持つてるのかと訊けば、いやアとか何とか言ふんだ。
 まあ、今のところないと思ふな。
 今度の事件は捜査上にアウトラインといふか、範囲は決つてるんだ。例へば、土地とか、銀行、衛星、防疫、それから腕章とか名刺とか、あらゆる所で一つの線が出てくるんだよ。だけど、その網が広いんだ。あまりにも材料がウンとある。そのために小さい網なら締めるのも早いんだけれども、大きい網は締めるのに時間がかかるんだよ。
 俺は面白いと思ふんだがナ、人相といふものだよ、あの事件の起きた次の日に、警視庁で捜査会議を開いたんだ。その時、江戸川乱歩が例のやうに眼鏡をかけて、澄まして入つて来た。さうして眼鏡をはづして座つた。それで、この方が江戸川乱歩さんですが、この方は今どんな服装で来たでせうか、と訊いたんだね。ところが、眼鏡をかけて来たことを当てた者が一人もないつていふんだよ。
 だから、病院に入つてた生残りの四人でも、毎日刑事が来ていろんなことを言ふから、架空の人相といふものを自分で想像して固定しちやふんだよ。今度の人相書がそれさ。その証拠に、あの顔は 凸起が一つもないんだ。ノッペラボウさ。
 問題のあつた支店長三人を鑑識課に集めた時に、あの人相書を見せたら、新聞を見る人はこの人相書に頼つてゐていいけど、刑事さんがこれに頼つてゐたらダメですなと言はれちやつたさうだ。
 だから、当局でもあの人相が絶対だとは言つてないんだよ。ただ輪郭がかうだと言つてるんだ。
 四、五分間しか会はない人間なんだからハッキリ言へるわけがないよ。
 少くとも相似点を求めようとしだけのことでね、完璧なものを出してるわけぢやないんだよ。
 あの人相は多少違つたつていいんだ。しかし中心はあの線だといふことさ。
記者 ではこの辺で、ありがたうございました。

 ここでの発言で注目されるのは、Gの「当局は本筋を摑んでるんぢやないか」、「電光石火で解決の出来ないものがあるんぢやないか」というものである。その真意は不明だが、事件に「七三一部隊関係者」などが関与しており、ために、電光石火での解決が難しいということを、Gはうすうす気づいていたのかもしれない。Gの名前が特定できないのが残念である(時事新報の森西芳久、または東京新聞の丹野幸作のいずれかである可能性が高い)。

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朝日の長谷川君は十日間、家に帰らないという

2019-11-28 01:40:08 | コラムと名言

◎朝日の長谷川君は十日間、家に帰らないという

 雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その五回目。
 座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。

 百万円の報道費
〔読売新聞・井形忠夫〕 うちなんか、百万円突破したさうですよ、費用が。(笑声)朝日さんはもつと掛つてるな。朝日さんは一本八十円の弁当代だけでも、もう一万円突破してますよ。
 八十円? それは安いよ。米持つていつて作ってもらつたつて、加工賃が五十円くらゐ掛るからな。
 本部へは最初からどのくらゐ泊つてるの。
〔毎日新聞・三谷博〕 やはり二人ですね。写真班を入れれば大体四人。
 少いてすな。
 四人でなければ泊れないんだ。車は一番多く使つた時が八台。
 読売は。
 うちの場合は最初の事件発生の時が人間十人の車が五台くらゐですね。次の日から三日間くらゐは、自動車と側車〔サイドカー〕と単車、全部で十台くらゐ、人間は二十人くらゐ動員しましたよ。
 延べ三十人くらゐ来てたな。
 泊りだけで平均十二、三人ですよ。今は六人ですがね。
〔朝日新聞・堀長隆〕 朝日は読売さんと大体同じだ。だけどもそれは本部関係だけでね、あとは遊軍といふのが動いてる。これが全然お祭なんだ。てめえで写真が入つたとかいつて 走り廻つて楽しんでるんだ。(笑声)実際困るんだよ。
 遊軍は多いですね。
記者 酒はどうでした、本部は。
 酒はね、酒は乏しいですよ。昔は大きな事件があれば、本部に詰めかけた人が勝手にそば屋から一本持つて来て呑むといふこともあつたけどね、今はもう酒なんていふものは‥‥。
 最初の四、五日といふものは、酒呑んでる暇がなかつたですよ。
 とにかく多く来た日は概ね二百人くらゐ来てたね。
 さうですね。目白署を占拠したといふ形でしたね。警察官がどこへいつたか、見えなくなるくらゐでね。
 毒殺魔謙虚の第一報を社に送る、これを各々目標にして来てるんだからな、眼の色が違つてます。昨日まで警視庁の記者クラブで仲よく呑んでゐた仲間が、まつたく黙つちやふ‥‥。
 さうなんだな。ふだんの呑み友達が、擦れ違ふ時にかうやつてね。(グツと睨む)
 俱楽部で仲よかつた朋友【ポンユウ】同士が口をきかなかつたですよ。
 せいぜい煙草をタカルのが関の山。
 煙草をもらひながらその人の顏を見て、すぐよこすやうなら安心だ、なんて思つたりしてね。(笑声)
 そのくらゐの神経戦はあつたな。
 各社の中に非常に優秀なる記者といふのがゐるんです。それをみんなで追つかけゴッコしましたね。
記者 マークするわけですね。
 さうなんです。
 マークしなきやダメなんですよ。
 あれが動いた、きつと何か摑んだらうといふわけでね。
 朝日の長谷川君な、あれは大した努力をしてをると思ふな。俺が警視庁へ出たら、あいつは今日で十日間、家に帰らないといふんだ。家の人から電話があつてね、それに対して長谷川君はどこにゐるんだか判りませんなんて返事してるんだ。さうしたらおつ母さんが警視庁へ来たよ。年とつたおつ母さんだ。私は長谷川の母でございますが、伜〈セガレ〉はどちらにをりませうか、といふんだな、それから朝日の人が捜査本部と連絡をつけて、長谷川が電話口に出て来たらしい。さうしたら、お前、十日も帰つて来ないんだが、どうしてるのか。そこでかういふわけだといつて様子を話したらしい。そんなら 着物もずゐぶん汚れたろ、シヤツなんか汚れたろ、忙がしかつたら帰らなくても構はないが、シヤツを取替へたらいいだろ、といふ話をしてる。長谷川が、取りにゆく暇もないんだ、といふと、ぢや、けふ届けにいつてやるぞ、と言つたんだよ。俺はこの話を聴いた時に、やつばりかういふおふくろがゐるから‥‥。
 今度は各社でも相当病人が出てるんぢやないですか。
 俺の所の記者も、留守の間におつかさんがお産でね、赤ちやんが生れてるんだよ。奮闘中に男の子が生まれてるんだ。小池君もさうだつてな。
 うちのキヤップの松尾さんは、子供が二人とも扁桃腺で熱出して‥‥。
 新聞記者は第一報を早く送る、そのためには家も犠牲にするんだ。
 僕は一番脈があるのが板橋以後の犯人の足取りだといふので、とにかく徹底的に洗ひましたよ。板橋の安田銀行支店で小切手一万四千七百五十円を現金にに替へた、あれから忽然と消えて足取りが判らない。そんなバカなことはない。煙ではないだらうといふので、洗つてみたんですがね、その時に車が間に合はないんですよ。あつちへ駈けずり、こつちへ駈けずりでせう。それで交通違反ですがね、オートバイのうしろへ乗つて走ったんです。そのために交通巡査に咎められること二回、しかし、わけを話して納得してもらひましたがね、とにかく埼玉県から千葉県の例の四ツ木橋までいつてるんです。大分ノビちやひましたよ。
 この事件で捜査本部が都民に協力を求めたら、あの野郎、面白くねえ、と思つた奴を投書して来てるらしいな。
 近頃は特捜(特別捜査班、警視庁にある)に特捜をからかふやうな投書が山積して来てますね。【以下、次回】

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山口名刺を刷ったのは銀座八丁目の露店の印刷屋

2019-11-27 03:40:55 | コラムと名言

◎山口名刺を刷ったのは銀座八丁目の露店の印刷屋

 雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その四回目。
 座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。

 問 題 の 名 刺
記者 仙台へは皆さんおいでになつたんですか。
〔朝日新聞・堀長隆〕 いや、いつた者はまだ帰つて来ないでせう。
記者 仙台方面のことはどうですか。
 昨日あたり偉ら方の話を聴きますと、当局としてはあれ〔名刺の線〕が本筋ぢやないか、といふ話をしてましたがね?
 僕の所は返さうかなんて言つてるよ。
〔読売新聞・井形忠夫〕 うちなんかも写真が返つて来た。
 うちは仙台が早くてね、各社より六、七時間早かつた。
 松井の名刺の線でね。
 だから、松井蔚〈シゲル〉が記憶を喚び返して判つた人間と、「山口二郎」の名刺を刷りにいつた人間の人相が一致してたら、きつと指名手配になつてたらうと思ふんです。
 刷ったといふのは銀座八丁目の露店の印刷屋でしたけれども、これも各社が殺到したんです。その自宅へね。ところが、ちやうど細君がお産の最中で、午前二時ごろ訪ねていつたら、主人が憤慨しちやつて、私は刷つたおぼえはない。「山口浅次」だか「友次」だかの二つは刷つたけれども「山口二郎」なんていふのは刷らない。当局の言つてるのは出鱈目だ から、かへつてくれと追返された記者もゐたさうですよ。
 僕がいつたのは十時半頃だつたけど、奥さんが産気づいてね、買物袋をさげて買ひにいかうとしてたところだつた。愚痴を言つてたよ。あれが新聞に出てから全然お客さんが寄りつかん、といつてね。(笑声)
 山口二郎の名刺は二枚しか出てないんだ。その一枚は僕の所〔朝日新聞〕へ握つちやつたし、あとの一枚は富塚が仙台へ持つていつたから、どうしても譲つてくれと言はれたよ。
 新聞社に一足先きに証拠物件を握られちやつて、あとで貸してくれと言つたやうなことが相当あつたらしいな。
 本部の口が固いといふのは、そのためもあるでせう。
〔毎日新聞・三谷博〕 情報網、通信網は新聞に敵はん〈カナワン〉と言つてるもの。
 新聞のはうが先きにやつちやふからな。【以下、次回】

 帝銀事件の前に、同様の手口の事件(未遂)が二件、起きている。そこで使われたのが、それぞれ、「松井蔚」名刺、「山口二郎」名刺であった。このうち、松井蔚の名刺はホンモノで、本人は、仙台市に在住していた。

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われわれ記者は刑事より忙しかった(堀長隆)

2019-11-26 03:23:53 | コラムと名言

◎われわれ記者は刑事より忙しかった(堀長隆)

 雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その三回目。
 座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。

 刑事はだしの活動
記者 初期の活動は犯人の予想をどの程度まで探るかといふことでやられたんですか。
 まあ、さうですな。
 みんな警視庁を受持つとる猛者〈モサ〉連中ですからね。聞込み方や何かは刑事と同じ なんですよ。目撃者の談を取つたり、近所を洗つたり、生残つた者の話を取つたり、いろいろやつたらしいですね。
〔朝日新聞・堀長隆〕 あの事件が起つてから三日間くらゐの新聞記事といふものは、それぞれ、その日その日の盛上つてくるものがあつて、面白かつたと思ふんですが、われわれの気もちは、われわれは刑事ぢやないけれども、さういふ気もちで捜査をしてをつたといへますね。
〔毎日新聞・三谷博〕 刑事(デカ)が、われわれのゆく前に新聞記者が先きにいつてくれちや困る、なんて言つてましたね。
〔読売新聞・井形忠夫〕 ところが、この事件については新聞記者のはうが早いですね。
 小切手ね、あの時も現場へいつたら目白署の刑事がゐて、新聞記者は絶対に入れないといふんです。そのうちガラガラッと扉が開いたから、僕も入つちやつた。見ると本庁の刑革は一人もゐなくて、僕の顔見知りはゐない。さうやつてるうちに、小切手が紛失してるといふことを聴いた。それが新事実なんですね。だから、相手の意表を衝いて刑事以上の感を働かして飛んで歩いたんですよ。
 とにかく今度は、われわれが自分で探偵の如く捜査するといふことが一つ。それから刑事のあとを迫つかけて刑事の動向を探るといふことが一つ。もう一つは、各社の仲間同士の動向を探るといふこと。(笑声)だから、われわれは刑事よりも忙がしいですよ。
記者 それで何か面白いことはなかつたですか。
 病院ではあつたやうですね。
 事件発生から二、三日経つて、新聞社のはうにも容疑者といふのが判つて来たわけです。さうすると容疑者の写真といふものがぢやんぢやん入つて来る。これは人相書〈ニンソウガキ〉と似てるナと思つても、果してこれが真犯人かどうかといふことは判らないので、病院に収容してある生残りの四人に見せて、首実検してもらはなくちやならないと思つたんですよ。ところが、 病院は入口にポリ公が張つてて、中へ入れない。どうして中へ入らうかといふ苦心が大変だつたですね。
 うちでは医者に化けたわけです。医者に化けて、医者の着る白い着物を着て、聴診器を持つたまではいいんですがね、とにかく中へ入つちやつたんです。とにかく入つたけれども、医者なら聴診器を当てなきやならんでせう、ところが、やつぱり職業意識で聴診器を当てることなんか忘れちやつてね、そばにゐたお巡りさんに質問しちやつたわけですよ。(笑声)それで化けの皮が剝がれて、つまみ出されちやつたんです。もうひと息といふ所でしたがね、惜しかつた。(笑声)
 うちぢや、おもては巡査が張込んでるから入れないんです。それで裏へ廻つてみたら、黒いカーテンが張つてあつて、内部の様子が見えないんすね。それで便所は棟が別になつてるから、これは便所へ入るほかはないと思つて、隙間から見てたら、村田正子といふ娘が便所に立つたんです。占めたツと思つて便所の所へソーツと飛込んだまではよかつたんですが、彼女は終つて帰る所で、たうとう摑みそこなつたんです。(笑声)
もう一つは、入院してる者の同級生といふのがゐましてね、これを利用したんです。見舞の花束を持たせて、その花束の中へ容疑者の写真と、こつちで訊くべき要点などを書いた紙をぶちこんで、同級生をおだててやつたんです。これは或る程度成功しましたね。
 それと同じやうなことだけど、俺の所の今井君を三菱銀行中井支店へ入らせた時は一応成功したね。彼は雑誌社から新聞へ入つたばかりで、慣れてないんだ。あの中井支店へは病院と同じで、刑事や各社が写真をワンワン持つてくるわけだ。それで今井君に、お前、帽子をとつて、オーヴアをぬいで、チヤンとテーブルへ向つて仕事してるやうな恰好でゐろ、誰も顔を知らないから、黙つて入つてろツて言つたんだ。それで今井君はストーヴに当りながら、銀行員みたいな顔をして聴いて、俺の昕へどんどん電話でネタを入れてくれたんだ。いま朝日が写真を持つてきたけれども、似てませんとか、読売が引伸ばして持つて来たのは、とてもよく似てますとか、刑事が持つて来たのは全然ダメですとか、みんな判つちやふわけだ。(笑声)それで、よしよし、といふわけでやつてたんだがね、あれはなかなかいい穴だつたよ。だけども、あそこは今度閉店しちやつたから、ダメになつちやつた。(笑声)
 ところが、今度のは容疑者があまりにも多過ぎて困りましたね。うちは全国に通信支局がありますから、容疑者らしきものを送つてくるのが山積しましてね、整理するのが大変でね、係りの者が悲鳴を揚げてましたよ。
記者 新聞に容疑者の写真が出ないものですから、読者には一向ピンと来ないんですけれども。
 あの写真を出させたら、新聞が全部埋つちやひますね。
 結局、田舎の警察から問合せがあると、その問合せ自体が指名手配になつて東京に伝はるわけですよ。それが緊張してる本社に伝はると、事が大きくなりましてね。
 地方の動きがさういふやうになつて来たのは、やつぱり三日目か四日目からでせう。
 さう。それまではさうぢやなかつたな。
 やつばり都内の動きが中心だつたね。
 四、五日のところは捜査本部と同じやうなことをやつてたわけだ。【以下、次回】

 Cの発言中に、「俺の所の今井君を」云々とある。この今井君というのは、たぶん、日本経済新聞記者だった今井金吾(一九二〇~二〇一〇)のことであろう。だとすれば、Cは、日本経済新聞の神林春夫ということになる。
 また、Dの発言中に、「うちは全国に通信支局がありますから」云々とある。この「うち」というのは、たぶん、共同通信のことであろう。だとすればDは、共同通信の杉山俊次郎ということになる。

*このブログの人気記事 2019・11・26

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