◎映画評論家と映画愛好家の違い
『キングコング』の話には、まだ続きがあるが、本日は、話題を転じる。ただし、映画の話であることには変わりはない。「映画評論家」の青木茂雄氏から、続稿が送られてきた。早速これを紹介してみよう。
記憶の中の映画(5) 青木茂雄
「映画評論家」について
この「記憶の中の映画」連載初回の冒頭に、主宰の礫川氏から私を「映画評論家」としてご紹介戴いた。この言葉は大変に恐縮して頂いておくが、あらかじめ弁明しておくと、私は過去に数回、映画批評文を書いたことがあるだけで、当然「映画評論家」などと言えたものではない。あえて自称すれば“映画愛好家”であり、多少系統的に観賞し、作品については一家言があると自負しているので“映画研究家”ぐらいは自称しても良いと思っている。その“研究”は、製作側よりむむしろ観賞する側のことが中心であるから“映画観賞経験研究家”とでも自称できるかもしれない。
私が過去に書いた映画批評文は、1984年頃に同人誌『ことがら』5~7号に数回連載した「映画という経験」、1997年から1999年ころに雑誌『歴史民俗学』10~15号に連載した「韓国映画評」と「回想の日本映画~黒澤明」、同じく『歴史民俗学』24号“路地裏の民俗”に「映画の昭和30年代」として、小津安二郎と成瀬巳喜男について少し書いた。また『東京都立大学附属高等学校研究紀要』19号に、「木下恵介における“泣かせ”の研究」として『二十四の瞳』について、かなり長い文章を書いた。これぐらいである(これらは全て、東京都中央区京橋にある国立近代美術館フィルムセンター図書室に寄贈しておいた)。
本当は映画を見終わったら、その都度、何か書き残しておいた方が良いのかもしれないが、通常は、日付と作品名と監督名、それに評価◎〇無△×の五段階の評価をメモしておくだけである(メモを取る時間があったら一本でも多く観たい)。この評価は、同じ映画を再見するかどうかの目安となる。◎〇の評価があれば、再見の対象となる。そして、一カ月くらい経ったのちに、思い出して感想を二~三行で手帳にメモしておく。完全に内容を忘れてしまったものは、ただそれだけのものであるということになる。その映画とは、もう縁が切れるということになる。一カ月たっても何か憶えているものは、やはり自分にとって何か意味のある作品である。
私の観賞する本数は、平均して一カ月約20~30本、すべて劇場でスクリーンで観たものだけをカウントしている。なぜスクリーンにこだわるのかと言えば、やはり、映画の中に込められている情報量の大きさである。映画の情報量は、例えばテレビドラマなどにくらべると格段に大きく、それだけの大きさの画面と相応の注意力を必要とすること。これが理由の第一であるが、それとともに観賞の流儀、制作者への最低限の“仁義”(リスペクト)というものもあるであろうか。また、新作・封切り作品は、原則として観ない。費用の関係と、ある程度世の評価が定まってから観たいというのが理由である。したがって、私の観賞する劇場は、殆どが、いわゆる“名画座”系統である。“名画座”で古今東西の映画を連日のように観賞できるのは、全国唯一(おそらく世界唯一)東京のみである。だから私は、生涯東京近辺を離れるつもりはない。ちなみに入場料を言うと、シニアまたは登録会員料金で、フィルムセンターは1本あたり310円、高田馬場にある早稲田松竹は2本だてて900円、池袋の文芸坐は同じく2本だてで1050円、渋谷のシネマヴェーラも2本だてで1000円。飯田橋のギンレイホールは、登録カード利用で年間10500円で、何度でも観放題。これだと、1本あたりの単価は300円以下の計算となる。こういう場所を利用しない限り、月間30本はこなせない。
ところで、私のこれまでの生涯における観賞映画の本数であるが、正確には数えられていないが、おおよそ8000本ぐらいにはなっていると思う。現在生涯1万本をめざして、自己記録を更新中(淀川長治は三万本だったというが、これはとうてい無理)である。
さて、表題の「映画評論家」についてである。
「映画評論家」と“映画愛好家”との違いはどこにあるのかであるが、やや皮肉っぽく言えば、映画観賞にあたって前者は自腹を切らないもの、後者は自腹を切るもの、ということにでもなろうか。前者の観賞場所は、試写会の会場か、劇場の中の指定された特別席の中であるのに対して、後者のそれは一般席である。「映画評論家」の定席は、典型的には「キネマ旬報」誌主催で毎年一回行われる「キネ旬ベストテン」に一票投票する権利を持つ者や、さらにもっと頂点に行くと、国際映画祭の審査員を委嘱される者とかであろうか。これらは、名実ともに“公式の”「映画評論家」と言って良いだろう。
私は、何も「映画評論家」をここで揶揄しようとしているわけでも、反「映画評論家」論を展開しようとしているわけでもない。なにごとにも、音楽でも絵画でも文学作品でも、その他諸々の人間的な活動に対しては、専門的な批評は必須であり、それを専門的に担う「批評家」ないし「評論家」に対して専門家として、それ相応の社会的処遇があるべきことも当然である。批評によって「良いもの」、「後世に残す価値のあるもの」が選び分けられるのであるから、この仕事はある意味で、一国の、一時代の文化の総体としての価値を決定していく大事な仕事の一環である。専門家による《批評》の存在しない社会、あるいはその批評が許されないか、軽んじられる社会の残す文化の総体は、凡庸であるか又は醜悪なものたらざるをえない。
専門的な批評家の介在を抜きに行われる《批評》の代用物は、ひとつには、市場における商品価値としての評価であり、市場による選択と淘汰である。もうひとつは政治権力による強制を伴った批評と選択である。
映画という媒体は、元来が社会的・組織的要素が強く、従って、《批評》の代用物が介在する余地が大きい。大衆性と興業性の観点から、作品としての商品価値はつねに付きまとっている。その自体は悪いものではなかったにせよ、大衆は常に良いものを選択するとは限らない。大衆は時として愚劣で醜悪なものも好んで選択する。
であるからこそ、映画には専門的な批評家の「目利き」が必須であると考えている。私の見るところ「映画評論家」と言われ、そういう社会的位置を占めてきた者には、みなそれぞれに作品に対する「目」を持っているのであり、彼らの書いた批評文からは学ぶべき点も多い。
そうは言っても、「映画評論家」の仕事の発注元は、多く映画製作側・興業側からであり、興業である以上、作品に対するマイナス評価ばかりを続ければ、仕事の注文もやがて途絶える。その点から言えば、我々“映画愛好家”にはタブーがない。「良い」ものには「良い」と言い、「面白い」ものには「面白い」と言い、「つまらない」ものには「つまらない」と言える。何よりも自腹を切っているのが最大の強みである。目の肥えた“映画愛好家”も、《批評》という文化的な共同事業に進んで参与すべきである。
しかしながら、“映画愛好家”には製作側からもたらされる情報量が圧倒的に少ないことと、発表の機会が極めて少ないこと、という二つのハンディがある。後者については、これまでただ胸の中にしまっておくだけだったが、今回は、このブログを使用させて頂いている。前者に関しては、私は、あくまで観客である我々の立場に立脚することをもって最大の根拠としていくことを考えている。私ひとりだけをとってみても、《映画観賞という経験》は奥が深く謎めいている。これについては近々「経験としての映画」というシリーズを、このブログで連載開始する予定である。
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