◎「ひとのみち」の御利益しらべ(1936年5月)
昨日のコラムを書いたあと、『「ひとのみち」の御利益しらべ』という本を持っていたことを思い出した。数年前に購入したまま、ほとんど読んでいなかった本である。久しぶりに手にとってみると、一九三六年(昭和一一)五月三一日の刊行であった。すなわち、「ひとのみち事件」の四か月前に出た本である。編者は富田岩夫、出版社は、東京市小石川区大塚町の大同出版社、函入り、布装、定価金一円三〇銭、特価金一円である。
序文には、「筆者は、勿論『ひとのみち』の信者ではない」、「この書は、決して『ひとのみち』の宣伝を目的としたものではなく」などととあるが、内容は、ひとのみち教団の概略を、わかりやすく紹介したものであって、それが「邪教」ではないことを力説しているものであった。
昨日、紹介したように、一九三六年一月、ひとのみち教団全国奉仕員連盟は、「広く世人をして本教を正しく理解せしむるに於て万遺漏なきことを期す」という趣旨の決議をおこなっていた。この決議は、同書にも引用されている。重複を厭わず、関係の部分を引用しておこう(二三~二四ページ)。
(五)決 議
それから、これは前に一寸〈チョット〉書いたが、筆者は現に奉仕員の講演で聴いたところの、ひとのみち教団では、社会の中傷誹謗に就いて積極的活動を開始したのだ。これに関する内容を報道したいと思ふ。
その「決議」は全国奉仕員連盟をはじめ、婦人会役員会、青年会役員会などが各々本部に開かれた会議の席上で作成したものだが、その中の一つを挙げれば、
《決 議
近時本教ノ著シキ発展ニ伴ヒ本教ニ対スル中傷讒誣ノ声頻リニ高マル。コレニヨツテ本教ヲ誤解シ絶対幸福ノ道ニ入ルノ機会ヲ失フ人勘ナカカラズ、斯クノ如キハ独リ本教ノ為ノミナラズ国家ノ深憂ト謂ハザル可カラズ、因ツテ全国奉仕員連盟ハ全員相結束シテ適宜ノ措置ヲ講ジ広ク世人ヲシテ本教ラ正シク理解セシムルニ於イテ万遺漏ナキ事テ期ス。
昭和十一年一月二十七日 扶桑教ひとのみち教団 全国奉仕員連盟》
これは、近来「ひとのみち」に対する見当違ひの意見や、悪戯〈イタズラ〉に類する批判が新聞雑誌に発表されるため「平素従順なることし処女の如き信徒諸氏も遂に勘忍の緒を切らし」先づ東京各支部連盟の蹶起となり、次いで前記の全国奉仕員連盟の決議となり、ここに敢然本教認識徹底のため進出することになつたのだ。
その第四回全国奉仕員連盟総会は一月二十七日、第六十六回の誕辰〈タンシン〉を迎へた教祖〈オシエオヤ〉祖霊祭後に本部広間で開会したのだ。そこにば嗣祖〈ツギオヤ〉、教長〈キョウチョウ〉、橋本、龍起両祖〈リョウソ〉をはじめとして、東京池袋支部の三角寛(大衆作家)同支部の山道襄一(代議士)同支部笠松慎太郎(専修大学講師)京都支部の松浦武雄(医学博士)東京支部の大井静雄(高輪中学校の専務理事)熊本支部の藤井熊太郎(憲兵大佐)東京牛込支部の佐藤義亮(新潮社々長)などの支部代表者諸氏が、この決議に就いて所信を発表するなど、出席者総連盟評議員二百五十余名、傍聴の奉仕員教信徒二千名に及ぶ盛会ぶりだつたのだ。
上記のうち、教祖〈オシエオヤ〉とあるのは、御木徳一〈ミキ・トクハル〉、嗣祖〈ツギオヤ〉とあるのは、徳一の長男・徳近〈トクチカ〉、教長〈キョウチョウ〉とあるのは、徳一の次男・道正〈ミチマサ〉である。橋本とあるのは、准祖の橋本郷見〈サトミ〉、龍起〈タツキ〉とあるのは、同じく准祖の湯浅龍起である。ほかにも湯浅眞生〈マサオ〉という准祖がいるので、これと区別するために、龍起と呼んだものと思われる。なお、准祖に対しては、「橋本祖〈オヤ〉」というふうに、祖〈オヤ〉という敬称をつけて呼ぶことになっていた。
と、このような注釈ができたのは、すべて、『「ひとのみち」の御利益しらべ』に、わかりやすい説明があったからである。
この本の編者・富田岩夫については不詳。おそらく仮名であろう。大同出版社の代表者は、桜井均。国会図書館のデータによると、同社は、一九五〇年代まで、実用書・学習参考書を出していたが、その最初の出版物は、『「ひとのみち」の御利益しらべ』であったようである。
いずれにしても、この本は、出版された時期からみて、「ひとのみち」という宗教を、「正しく理解せしむる」ことを目的として、ひとのみち教団自身によって企画編集されたものであろうと思料する。
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