◎国政変乱を目的とする殺人は今後も起こる
やや間があいたが、深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三)の紹介の紹介に戻る。
この本については、まず、「戦時刑事特別法」の第七条「戦時国政変乱殺人罪」について解説しているところを紹介し、続いて、第一次改正(一九四三年三月)によって付加された第七条ノ二から第七条の五までの条文について紹介する。そのあとさらに、「戦時民事特別法」について解説しているところを紹介しようと考えている。
本日は、戦時刑事特別法第七条「戦時国政変乱殺人罪」について解説している部分を紹介する(一九~二一ページ)。なお、この第七条は、戦時刑事特別法の公布時(一九四二年三月)からあった規定である。また、「戦時国政変乱殺人罪」という罪名は、礫川による「仮称」である。
第七条 戦時ニ際シ国政ヲ変乱スルコトヲ目的トシテ人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役若ハ禁錮ニ処ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第一項ノ罪ヲ犯ス目的ヲ以ク其ノ予備又ハ陰謀ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第一項ノ罪ヲ犯スコトヲ教唆〈キョウサ〉シ又ハ幇助〈ホウジョ〉シタル者ハ被教唆者又ハ被幇助者其ノ実行ヲ為スニ至ラザルトキハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第一項ノ罪ヲ犯ナシムル為他人ヲ煽動シタル者ノ罰亦前項ニ 同ジ
(註解) 本条は「戦時下国政変乱の目的を以てする殺人の罪」である。戦時に於ては極めて鞏固〈キョウコ〉なる政治組織と強力且不変なる政策の遂行とが欠くべからざる要請であり、之を不法に破壊或は阻害せむとする行為、殊に暴力の手段に依るものに付ては極力之が防遏〈ボウアツ〉を図る必要ありと認めたのである、斯かる行為の中でも殺人の方法に依るものは、国政の変乱の目的を達する為に最も効果的な行為だと云ふやうな意識からして従来屡々行はれた所であり、今後も亦行はれる虞れが多分にあり、之を国家的見地から見れば其の危険の最も大なることは言ふ迄もないことである、然るに現在之を特に重く処断すべき規定が存せないので、戦時下殊に斯かる犯罪を防遏するの緊要なるに鑑み、第七条を以て之に対し重き刑を規定し、且事を未然に防ぐ趣旨よりして、予備、陰謀を処罰し、教唆、幇助、煽動等を独立罪として処罰することとしたのである、又他面に於ては、出来るだけ事を未然に防止する趣旨よりして自首減免の規定を設けた次第である。但し第一項第二項の罪には此特典は適用されない(第七条の五)。
本罪の成立には、(1)主観的要件として「犯人に国政を不法に変乱せしむる目的あること」(2)客観的要件として「被害者は其当時の政治状態から見て国政に非常に重要な関連を有ち〈モチ〉其人を殺すことに因り国政変乱を生じ得る程度の人たる事」を要するのである、然し被害者が重臣大臣次官局長等の如きもののみを指すのではなく国政に重大なる関連を有つ人、例へば政界財界の枢要の地位にある人でも此の意味に於て被害者たり得るのである。
「国政」とは、国家の基本的なる政治を意味する、県政自治政なぞは勿論含まれない。
「国政の変乱」とは此の国家の基本的なる政治に不法に変更を加へる或は混乱を生ぜしむるの意味である、刑法の「朝憲紊乱〈チョウケンビンラン〉」の用語は憲法の定むる国家の基本的制度を乱すと解されてをり本条の「国政変乱」よりは意義狭きが故に茲に新用語を用ひたのである。
「陰謀」とは二人以上の協議画策を意味し、他の個条に「通謀」と云へると其意義に異なる所はない、刑法は政治犯に在りては陰謀なる語を用ひてをるが故に本条も之に従ふたまでである。
尚本条の先例的立法としては旧刑法第百二十三条、更に刑法改正仮案第百六十七条乃至第百七十一条等である。
国政変乱を目的とする殺人事件起訴数(司法省編) 昭和五年〔一九三〇〕浜口〔雄幸〕総理大臣を狙撃したる佐郷屋留雄〈サゴヤ・トメオ〉外一名に対する殺人未遂事件より最近に至る迄総計百九十人の起訴を見て居る。
戦時刑事特別法第七条でいう、国政を変乱すること目的とした殺人(「国政変乱殺人」、これも礫川による仮称)とは、言いかえれば、国政に関与している人物を狙った「テロ」である。浜口雄幸〈ハマグチ・オサチ〉首相狙撃事件や、二・二六事件が、その典型例と言えよう。
「戦時」には、この種のテロが起こりかねないと予測した上で、それ(戦時国政変乱殺人)を防止しようというのが、第七条の立法趣旨であったと思われる。