◎岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』をめぐる謎
1月22日のコラム「角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の解説を読む」で私は、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳、初版1934)は、国立国会図書館によってインターネット公開がされていないと書いた。
同図書館に岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』がないわけではない。同図書館の検索システムで検索してみると、同書の第8刷(1934)がヒットする。
ところで、一昨日(1月30日)、書棚を整理していたところ、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』が出てきた。『独逸国民に告ぐ』ではない、『ドイツ国民に告ぐ』が出てきたのである。
その奥付には次のようにあった。
昭和 三 年二月十五日 印 刷
昭和 三 年三月 三 日 発 行
昭和十五年三月 十 日 第十六刷改版発行
昭和十六年三月三十日 第 十 七 刷 発行
ドイツ国民に告ぐ ★★★ 定 価 六 十 銭
たぶん、1940年(昭和15)3月の改版に際して、タイトルを『独逸国民に告ぐ』から『ドイツ国民に告ぐ』に改めたのではないだろうか。
いま手にしている本の表紙を見ると、右書きで「改訂/ドイツ国民に告ぐ」とある。背表紙には、「改訂 ドイツ国民に告ぐ」とある。扉には、なぜか「ドイツ国民に告ぐ/(改訂版)」とあった(扉も右書き)。
「改訂版」の存在が明らかになったので、改めて、国立国会図書館の検索システムで「ドイツ国民に告ぐ 岩波文庫」を検索してみた。ヒットしない。国立国会図書館には、岩波文庫の改訂版『ドイツ国民に告ぐ』は架蔵されていないようだ。意外なことだった。
岩波文庫の初版『独逸国民に告ぐ』は、インターネット上に公開されていない。その訳者は、大津康(おおつ・やすし、1876~1922)だが、この人は、今から百年以上も前に亡くなっている。その訳本が、インターネット公開はされていない。これも、不思議と言えば不思議である。【この話、続く】
1月22日のコラム「角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の解説を読む」で私は、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳、初版1934)は、国立国会図書館によってインターネット公開がされていないと書いた。
同図書館に岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』がないわけではない。同図書館の検索システムで検索してみると、同書の第8刷(1934)がヒットする。
ところで、一昨日(1月30日)、書棚を整理していたところ、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』が出てきた。『独逸国民に告ぐ』ではない、『ドイツ国民に告ぐ』が出てきたのである。
その奥付には次のようにあった。
昭和 三 年二月十五日 印 刷
昭和 三 年三月 三 日 発 行
昭和十五年三月 十 日 第十六刷改版発行
昭和十六年三月三十日 第 十 七 刷 発行
ドイツ国民に告ぐ ★★★ 定 価 六 十 銭
たぶん、1940年(昭和15)3月の改版に際して、タイトルを『独逸国民に告ぐ』から『ドイツ国民に告ぐ』に改めたのではないだろうか。
いま手にしている本の表紙を見ると、右書きで「改訂/ドイツ国民に告ぐ」とある。背表紙には、「改訂 ドイツ国民に告ぐ」とある。扉には、なぜか「ドイツ国民に告ぐ/(改訂版)」とあった(扉も右書き)。
「改訂版」の存在が明らかになったので、改めて、国立国会図書館の検索システムで「ドイツ国民に告ぐ 岩波文庫」を検索してみた。ヒットしない。国立国会図書館には、岩波文庫の改訂版『ドイツ国民に告ぐ』は架蔵されていないようだ。意外なことだった。
岩波文庫の初版『独逸国民に告ぐ』は、インターネット上に公開されていない。その訳者は、大津康(おおつ・やすし、1876~1922)だが、この人は、今から百年以上も前に亡くなっている。その訳本が、インターネット公開はされていない。これも、不思議と言えば不思議である。【この話、続く】
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