◎昔の物売りやちんどん屋には、ひとかどの芸があった
内海桂子師匠のエッセイを紹介した昨日のコラムに対して、inaka4848さんから「続き希望」のボタンをもらったので、師匠のエッセイを、もうひとつ紹介してみよう。
これも、『七転び八起き人生訓』(主婦と生活社、一九九一)にあるエッセイである。
声梁塵を動かす
○昔は物売りにもひとかどの〝芸〟があった
近所の豆腐【とうふ】屋さんと会ったので、
「近ごろ売りに来ないのねえ」
と話しかけると、
「売りに歩いたって、さっぱり買ってもらえなくてね」
と言うのです。
古いなじみの豆腐屋さんで、以前は「なまあーげ、がんもどき、こんちゃ午【うま】の日」なんて元気に声を張り上げ、喇叭【らつぱ】を吹き鳴らして、売りに回っていたものです。
「油揚げなんぞ、まとめて買う人はいなくなったねえ。今のかみさん連は稲荷ずしも作らねえで、出来合いを買ってくるからだよ。栄養のあるおからを買う人も少なくなったしねえ」とも嘆くのです。
夕暮れどきになり、遠くから豆腐屋さんの喇叭【らつぱ】が聞こえてくると、「それっ」とばかりに鍋【なべ】なぞ持ち出して、「豆腐屋さーん」と叫んだ昔が懐かしく思われます。
下町のこの一帯では、物売りの声がよく聞けたものです。
「きんちゃん、甘いよ」と調子をつけながら回ってくる物売りがありました。きんちゃんというのは小豆を砂糖でまぶしたもので、岡持にそれを入れ、チリンチリンと鈴を鳴らしながら流していました。粟餅【あわもち】屋や水飴【みずあめ】屋など子供が喜ぶ物売りも来たし、鋳掛屋【いかけや】や研【と】ぎ屋だの、ほかにもいろんな商人が売り声とともにやってきました。夏になると、風鈴などをぶらさげた金魚屋も来ました。それが下町の風情だったのです。
決まった時間に回ってくるので、『町まちの時計になれや小商人【こあきんど】』ともなっていて、それを聞くと、「あっ、あの物売りが来た。もう三時なんだねえ」となります。気に入った声や節まわしが耳に残り、その人のファンになってしまうこともありました。
どの物売りも独特の節まわしと音を持っていましたが、あれが客寄せのための余興というものです。売り声だから本当の芸とは言えないでしょうが、なかには芸人顔負けとも思 える物売りもいました。
そういう物売りの声をまねて、本職の芸人が舞台で演じたものです。物売りのあとを三 日もついて歩いて覚えた芸人もいたほどです
卵売りの「たまごー、たまご」という節まわしと声っぷしがいいので、玉子家なにがしという芸名で出て、漫才師になった人もいました。物売りから芸人になった例です。
客寄せがうまいといえば、ちんどん屋がまさにそれでしょう。太鼓を叩【たた】いたり、喇叭を吹いて練り歩くだけでなく、三味線のおばさんと客寄せに漫才をやっていたのです。
今どきのちんどん屋さんは仮装行列みたいなもので、お化粧を塗りたくって黙って歩いていますが、昔はそうではありませんでした。
商店が開業するときに呼ばれるのは、今も昔も同じですが、昔は客集めに口上を切り、 踊ったり、掛け合い漫才をやったりして、客を喜ばせたものです。もっとも、一時食いっぱぐれた芸人がちんどん屋さんになっていたこともあります。
盆と暮れにはちんどん屋が一斉に集まって、演芸大会のようなこともしていました。東京・三河島〈ミカワシマ〉に三山【みやま】倶楽部という小屋があってそこでは漫才だけでなく、茶番や、かっぽれなどほとんどの芸を披露していました。ちんどん屋の興行というわけです。それを見るには商店で入場券のような札をもらわなければなりません。
私は幼いころ、ショールが欲しいばっかりに親に内証で、ここで興行していたちんどん屋さんの一行について甲州まで行ったことがあります。
浅草育ちの劇作家でいらっしゃる宇野信夫さんの本に、橋場のちんどん屋さんの話が出てきます。私も知っていますが、そのちんどん屋さんは芸人になりました。ちんどん屋の芸が本職になった例です。
本職になつて本場に出るか、ドサ回りするかの違いはありますが、昔の物売りやちんど ん屋には、ひとかどの芸があったのは事実です。
中国の故事に「声梁塵【るようじん】を動かす」というのがあります。魯【ろ】の虞【ぐ】公は歌声が優れ、梁【はり】の上の塵【ちり】を声で動かしたというたとえです。
古きよき時代の下町には、そんな物売りがいたような気がします。
内海師匠の『七転び八起き人生訓』という本には、全部で六十五のエッセイが収められている。どのエッセイも、タイトルは「ことわざ」になっていて、その「ことわざ」に関わる、師匠の芸談、体験談、人生観などが語られている。
今回、たまたま、そのうちのふたつを紹介したが、それほかのエッセイも、味わい深いものばかりである。