礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

読んでいただきたかったコラム10(2022年前半)

2022-06-30 01:02:06 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム10(2022年前半)

 二〇二二年も、その前半を終えようとしている。この半年、実に、いろいろなことがあった。
 恒例により、二〇二二年前半(一月~六月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたい順番になっている。

1) 年貢廃棄を要求した一揆は起っていない          1月7日

2) テラとメラの兄弟の話(幸田露伴)         5月18日

3) 宮崎さんが生きているうちに確かめたかった      4月8日

4) その話は聞かなかったことにしておくよ(大角海相)  2月2日            

5) 藤子不二雄Ⓐさん作詞の「少年時代」があった    4月29日

6) アメリカ出自の番組が家の何かを変えていった     2月9日

7) 山と女房に見置きなし               3月25日

8) 東京駅発・鳥羽駅行きの急行列車に乗り込む     2月28日

9) 根のある風説は当路者の言語行動から生ずる     5月31日

10) この本は、全篇、ケンカの話である        4月24日

次 点 牧野伯は女装して裏山から逃れた         2月15日

*このブログの人気記事 2022・6・30(8・10位に極めて珍しいものが入っています)

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駅売りの「焼きぶた」は近年見かけない(種村直樹)

2022-06-29 02:21:48 | コラムと名言

◎駅売りの「焼きぶた」は近年見かけない(種村直樹)

 昨日の続きである。種村直樹は、その著書『時刻表の旅』(中公新書、一九七九)の第Ⅴ部「世相を映す時刻表」で、控え目ながらも、自分と鉄道との出会いについて語っている。一七二ページ以下には、次のような文章がある。

 ようやく敗戦後の混乱がおさまってきた一九五〇年(昭二五)三月号の『日本国有鉄道編集時刻表』は、表紙に「旅を楽しく」の文字を入れ、二ページながらもグラビアページを復活した。「山旅は愉し」と丹沢、相模大山の写真を掲げ、「東京丸ノ内の美観」を添えている。しかし、「鉄道司法警察職員配置駅一覧」に一ページをさき、「犯罪が起きたらすぐ公安官に」と呼びかける、まだぶっそうな時代であった。特急〈つばめ〉(〈へいわ〉を改称)〈はと〉が、東京―大阪間八時間運転と太平洋戦争前の水準に戻った一〇月大改正号になるとグラビアもふえ、「車窓展望図」や「主要旅客列車編成」が掲載されるなど、時刻表にもゆとりが見えてくる。グラビアページには、特急に乗務した「つばめガール」「はとガール」が、にこやかに展望車で笑っていた。
 僕にとっても、東海道本線の膳所から彦根の親類へ行くのに、ドアにロープを張った貨車に詰め込まれたような記憶が、愛称のついていなかった急行で東京へ行き帰りする想い出に変わる。外食券がないと駅弁を買えなかったから、道中の楽しみは、それぞれ五〇円のサンドイッチと焼きぶた。駅売りの焼きぶたは近年見かけないが、小さな箱にキャベツを敷き、それ以上薄く切れないような肉が数枚並べてあり、こんなにおいしいものはないように思えた。サンドイッチと焼きぶたをほお張りながら、NHKラジオ「日曜娯楽版」で覚えた『僕は特急の機関誌で』(三木鶏郎作詞作曲)を、何度も口ずさんだことだった。

 これもまた、貴重な体験談である。なお、最初、読んだときは気にならなかったが、こうして書き写してみると、どうしても「文章」が気になる。これが、この人の文章だと言われてしまえば、それまでだが。

*このブログの人気記事 2022・6・29

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鉄道作家・種村直樹の戦後体験

2022-06-28 02:36:13 | コラムと名言

◎鉄道作家・種村直樹の戦後体験

 先日、神保町の古書店で、レイルウェイ・ライター(鉄道作家)として知られる種村直樹(一九三六~二〇一四)の『時刻表の旅』(中公新書、一九七九)を見つけた。
 その第Ⅴ部は、「世相を映す時刻表」である。その一七〇ページ以降で種村は、ごく短く、自分の戦後体験について語っている。

 たまたま入手した日本研究社・日本旅行社発行とあるB6判の『運輸省監修旅行案内』(運輪省は一九四五年に運輪通信省を改組)一九四七年盛夏号(七月発行)は、なんと本文がザラ紙にガリ版刷りである。「ニュース・フラッシュ」のトップが、「鉄道運賃3.5倍値上げ決定」で、インフレのすさまじさも伝わってくる。この時刻表は一九四六年から四年ほど続いた模様。また日本交通公社が復刻した東京鉄道局の一九四七年一月二〇日現在『時間表』は、石炭事情が悪化して、急行列車が全廃されたみじめな姿を伝えている。
 このころ、僕は琵琶湖畔大津市の膳所〈ゼゼ〉小学校にいた。東海道本線石山―膳所間の線路沿いにある小学校で、敗戦の年は四年生。満足に授業は行なわれず、毎日、校庭で遊ぶうち、占領軍専用列車に手を振ると、兵士たちが菓子やバター、煙草など、さまざまな物を投げてくれることに気づいた。数人のグループで線路づたいに学校を抜けだし、列車を待ち受けて、ありったけの大声で「ハロー、ハロー」と叫んでは、窓から降ってくる雑物を集めたものだ。なにしろ、いつも腹が減っていた。そして「汽車」の替え歌を仲間と一緖に唱った――自分でつくったような気がするが、ラジオで耳にしたのかもしれない。♪もうじき進駐軍の汽車が来る 皆さんハローと言いましょう チョコレート チューインガムほってくれる 皆さんサンキューと言いなさい……。
 懸命な〝歓迎〟にもかかわらず、拾いものでうるおったのはわずかな期間だけだった。子供にものを投げるなと占領軍側で注意したとのうわさも聞いた。

 こういった貴重な体験は、もう少し詳しく書き残してほしかったと思う。なお、書き写していて感じたのだが、この本の文章は、推敲が甘いのではないか(この箇所に限らない)。

*このブログの人気記事 2022・6・28(なぜか1位に春日政治)

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朝鮮語の助詞가(ka)が成立した事情

2022-06-27 01:21:34 | コラムと名言

◎朝鮮語の助詞가(ka)が成立した事情

 濱田敦『朝鮮資料による日本語研究』(岩波書店、一九七〇年三月)から、第二編の六「主格助詞가(ka)成立の過程」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。

 私の素人考えでは、日本語史における所謂朝鮮資料、即ち、十七、八世紀頃を中心とする時期に、主として司訳院の科試用書として編まれ、開板された日本語学習書および、少し遅れる時期に、日本の対馬〈ツシマ〉、人としては雨森芳洲〈アメノモリ・ホウシュウ〉を中心としてつくられた、やはり日鮮通交を目的とする朝鮮語学習書は、裏返せばそのまま朝鮮語史の貴重な資料ともなり得るはずであるのに、少くとも過去においては、朝鮮語学者、特に韓国、朝鮮における研究者の側からは、余りとり上げられることがなかったのではないかと思われる。しかし、思うに、朝鮮語の史的研究において最も多く用いられている、所謂諺解〈ゲンカイ〉類の朝鮮語は、漢籍仏典の諺訳と云う本来の性格からして、あたかも、日本語における訓点、抄物などと共通するものがあり、勿論、全く口語的要素がないと云うわけではないにしても、一方、やはり多分に伝統的なものに支配されて、文語的性格が強く、少くとも、世話にくだけた話し言葉をそこに見出すことは困難ではないかと思われるのである。それに比べれば、本来話し言葉による日鮮通交の手引きであるはずの資料の多くは、当然のこととして、より生【なま】の、話し言葉を基盤として編まれているはずであり、従って、朝鮮語の史的研究の資料としても、諺解類よりもいろいろの点ですぐれているとも云えるのではないかと思われる。そのことは、ここで、日本語の「が」と「は」の問題をさぐる際の副産物として得られた、朝鮮語の主格助詞가(ka)のデータについても、明らかに現われているのである。
 云うまでもなく、kaは日本語の「が」に対応すべき、主格を表わすと云われる助詞であるが、一方において、同じ機能を持つものとして、より古い伝来の‛iがあり、現代語においては、前者は母音、後者は子音に終る体言に接すると云う分担が見られる。しかし、この様なkaと‛iとの分布の成立は、比較的新しく、主格を表わすkaの発生は、所謂中期朝鮮語も最も末期の文献に漸く見えはじめるもので、それが、本格的に主格を表わす助詞として‛iと機能を分担するに至るのは、むしろ近代朝鮮語に入ってからのことに属すると考えられる。しかしながら、どの様な事情によってkaが主袼助詞として成立したかの実際の沿革は、従来必ずしも明確にされていなかった様に、私には思われる。少くとも、その様なことを明らかに述べた論文、記述した朝鮮語史は、私の目に触れたことはなかったのである。それは、一つには、従来の朝鮮語史において採用された資料が、先にも述べた様に、諺解類を中心とするものであるため、恐らく、まず新しく話し言葉から生まれたと考えられる、このkaの様な要素がそこに見出されることの、極めて稀であったと云う事情にもとづくものと思われる。私は、そのkaの成立の事情を、ここではもっぱら、より話し言葉的性格の強いと考えられる、朝鮮資料によって、あとづけてみたいと思うのである。なお、今の段階では、或る意味で、論よりも、データそのものの方が重要であるとも云えるため、煩をいとわず、管見に触れた例のすべてを掲げることにする。【以下略】

 この論文は、ここまでは言わば「序論」であり、ここから「本論」になるのだが、かなり議論が専門的になるので、以下は省略に従う。

*このブログの人気記事 2022・6・27(10位に極めて珍しいものが入っています)

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日本語の助詞「が」と「は」、それに対応する朝鮮語

2022-06-26 04:18:55 | コラムと名言

◎日本語の助詞「が」と「は」、それに対応する朝鮮語

 濱田敦『朝鮮資料による日本語研究』(岩波書店、一九七〇年三月)から、第二編の六「主格助詞가(ka)成立の過程」を紹介している。本日は、その二回目。

 朝鮮資料がその様なことにも役立つべきことを証明してみたいと考えて、まずとり上げたのは、日本語の、主格を表わすと云われる助詞「が」および、それと用法の重なり合うところは多いけれども、国語学の立場では一般に「格」助詞としては扱われないところの「は」についてである。その理由は、この両言語は周知の如く、助詞、つまりpost¬position とも云うべき小詞を共通に持ち、しかも、一つの言語の殆んどすべての、個々の助詞は、それぞれに相対応するものを他の言語にも見出すことが出来るのである。この「が」と「は」についても、やはり朝鮮語において、ほぼそれぞれに対応するするka(‛i),num(‛um)が存在する。但し、その両者における意味用法の一致は、あくまで「ほぼ」に止まるものであることは云うまでもない。また、「は」と「が」および朝鮮語のnum とka それぞれの間にも、それぞれにおいて微妙な一致と差異とが存在するのである。その様な微妙な、「が」と「は」との一致と差異の、少くとも或る面を、それぞれに対応する助詞を持つ朝鮮語との対訳形式を採る朝鮮資料の幾つかを重ね合わせることによって、つかむ手がかりが与えられるのではないかと思うのである。
 但し、ここでは、その様なねらいを正面からとり上げようと云うのではない。それは別稿に譲って(本書二二八ページ)、ここでは、その問題を考える過程において、はからずも得られた、私の専門外の朝鮮語史的事実について報告し、専門家の批判を仰ぎたく思うのである。何分専門外のこととて、現在この問題について、どの程度まで研究が進んでいるかを、特に「韓国」および「朝鮮」の学界の実状に全く疎い〈ウトイ〉私は知らない。従って、或は、既に論じ尽された常識的事柄を、事新しく述べると云ったこともあるかと思うが、その点については、内外の専門学者の叱正を賜りたいと思う。【以下、次回】

 文中、「別稿」とあるのは、『朝鮮資料による日本語研究』の第一編の五〝「が」と「は」の一面〟を指す。

*このブログの人気記事 2022・6・26(9位に極めて珍しいものが入っています)

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