◎近衛公派遣の真意はソ連政府には秘匿すべし
一昨日からの続きである。「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
本日は、「近衛公の派遣決定」の節の最後の部分を紹介する(二一~二二ページ)。
事態は荏苒〈ジンゼン〉たる会議の連続を許さない。対立する両論はどこかで一致点乃至妥協点を見出さねばならない。結局、和平の形式については予め〈アラカジメ〉日本側の態度を固定しておくことなく、専ら「急速な戦争終結による人類惨禍拡大防止」といふ点を強調してソ連に働きかけるといふ甚だ瞹眛なところに落着いたのであつた。
近衛公のモスクワ派遣に関する大体の具体的方針は七月九日に至つて一応決定を見た。よつて陛下には七月十二日、折柄重臣会議出席のため疎開先軽井沢から上京中であつた近衛文麿公を会議の席上から御前にお召しあそばされて、御自ら〈オンミズカラ〉公に対し重大使命を帯びてモスクワに使〈ツカイ〉すべき旨の使命を仰せつけられたのであつた。その際、陛下には公に対して、スターリン首相に会見の上は、最近における米空軍の大小都市無差別爆撃の実情を詳細説明して、世界の平和確立のためスターリン首相の協力を熱望あらせらるる旨を充分に伝へるやうにとの御言葉があつた由である。
近衛公は謹んで勅命を拝受した。
かくて十二日夜、モスクワの佐藤大使に対して近衛公の派遣に関する至急訓電は発せられたのであるが、ここでわれわれとして特に指摘しておきたいことは、事この期〈ゴ〉に到つてなほ右訓電は「ソヴェト政府に対する右通告に際しても近衛公派遣の真意に関しては当分これを秘匿するやう」との趣旨が特に付記されてゐたといふ事実である。
何者の圧力で、またいかなる経緯と事情とから、かかる姑息な配慮がめぐらされたかについてはいまは多くを問ふ必要はない。要はただ、かかる小策を弄し、このやうな卑小な魂をもつてそれが外交上の秘術であるかのごとく考ふる者が当路〈トウロ〉にゐる限り、日本の外交は決して処期の目的に近づくことはできないといふことを認識すれば足りる。