◎七機撃墜は、地上高射砲部隊からの報告
藤本弘道著『踊らした者――大本営報道秘史』(北信書房、1946年7月)から、「四・一八空襲」に関する記述を紹介している。本日は、その三回目。
然しともかくも二機は撃墜されたとして、他の七機はどこから撃墜の公算が生れたかといふのに、それは地上高射砲部隊からの報告によつてゐたのである。
たしかにあのときの空襲は不意を衝かれたものであつた。一般都市民はもとより、軍各部隊も相当以上に動揺狼狽したことは確実である。その中でともかくも邀撃〈ヨウゲキ〉態勢を整へて市街地周辺の高射砲部隊は来襲機に対して煙幕を張つたのである。
その砲弾を避けて、米機は上昇し或ひは急降下した。そして砲煙の中を縫つて降下するものはともすれば砲弾にあたつて墜落して行くやうに見え勝ちのものである。そのときに発する排気ガスは益々さうした判定条件に過誤の条件を強くさすのである。特に高射砲による邀撃戦に経験の少い当時の高射砲部隊の将兵にとつては、功名にあせる心も手伝つて撃墜と判定しがちである。而も航空機の移動性は早く視界は市街地の特有として狭いのであるから撃墜したと思ひこむ率は愈々多くなるわけである。それに加へて高射砲陣地は一箇所だけではなく方々にあつたのであるから、同じ一機をさうした方法と見方で撃墜として二箇所の高射砲陣地から報告して来る場合もあつた。
その報告を基礎にして、かなりあわてて発表した結果は、二機撃墜は確実としても結局九機撃墜の不確実戦果が生れて来たわけである。
かうした、いはば万人注視のなかで行はれた戦闘に於いてさへ、航空戦果の確実性といふものは、かかる不確実を生むに至るといふ好い実例を生んでゐるのである。
『踊らした者――大本営報道秘史』のうち、「航空戦報道秘話」の章からの引用はここまで。
なお、同書の巻末には「雑話集」というものがあり、そこに「四・一八空襲余談」という一文が収められている。明日は、これを紹介してみたい。