礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

読んでいただきたかったコラム・ベスト10(2015年前半)

2015-06-30 04:27:11 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム・ベスト10(2015年前半)

 早いもので、本年もすでに、その前半を終えようとしている。恒例により、「読んでいただきたかったコラム・ベスト10」(二〇一五年一月~六月)を挙げさせていただこう。
 これまで、「読んでいただきたかったコラム」に限って、アクセスが少ないという傾向が見られたが、今回の「ベスト10」については、必ずしもそうではなかった。「歴代ベスト60」にはいっているものが複数あるのは、光栄なことであった。

一位 6月12日 家永三郎、「悪書」について熱く語る(1967)

二位 2月4日 岩波新書『ナンセン伝』1950年版の謎

三位 1月1日 海老沢有道と「ごまかされた維新」

四位 5月31日 備仲臣道氏の新刊『百鬼園伝説』を味読する

五位 5月16日 キコリの九右衛門が熊に助けられた話

六位 2月27日 エノケンは、義経・弁慶に追いつけたのか

七位 6月25日 神道の戦争責任と神々の不在

八位 6月26日 鵜崎巨石氏評『曼陀羅国神不敬事件の真相』

九位 1月24日 笠間杲雄のエッセイ「排外は国辱」(1941)

十位 2月13日 「良民証を見せろ」(『新辞林』軍用会話より)

 

*このブログの人気記事 2015・6・30

 

(コメント:6・8・9位に、かなり珍しいものがはいっていました)

 

 

 

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東条首相の訓示と安倍首相の憲法解釈

2015-06-29 04:03:05 | コラムと名言

◎東条首相の訓示と安倍首相の憲法解釈

 昨日の続きである。戦中の一九四四年(昭和一九)二月二八日、東条英機首相は、「司法官会同」に出席し、司法関係者に対して「訓示」をおこなった。その内容は、「司法官会同ニ於ケル内閣総理大臣訓示」という文書に残されているほか、当時の新聞もこれを報じたという。
 その訓示の中で、東条首相が次のように述べていることに、特に注目したい(原文はカタカナ文だが、ひらがな文に直した)。

 法文の末節に捉はれ、無益有害なる慣習に拘はり〈コダワリ〉、戦争遂行上に重大なる障害を与ふるが如き措置をせらるるに於ては、洵に〈マコトニ〉寒心に堪へない所であります。

 これを要するに、東条首相は、司法関係者に向かって、罪刑法定主義や判例といったものにこだわることなく、戦争遂行上の見地から、望まれるような判決を出すよう要求しているのである。これが、司法に対する干渉でなくて何であろうか。
 しかも、東条首相は、このすぐあとで、もしも司法関係者が、あいかわらず、罪刑法定主義や判例といったものにこだわるのであれば、政府としては、「戦時治安確保上緊急ナル措置」を構ずることも考慮せざるをないという趣旨のことを述べている。これは完全に、司法関係者に対する恫喝である。
 さて、この「訓示」から七〇年以上が経過した今日の状況を見てみよう。本年六月末現在、安倍晋三首相は、「現憲法のままで集団的自衛権の行使は可能」という憲法解釈を維持している。その持論を支えているのは、「国際情勢に目をつぶって従来の解釈に固執するのは、政治家として責任放棄だ」という信念である(毎日新聞「視点」二〇一五・六・二八)。この発想は、戦中の東条首相の、「法文の末節に捉はれ、無益有害なる慣習に拘はり、戦争遂行上に重大なる障害を与ふるが如き措置をせらるるに於ては、洵に寒心に堪へない所であります」という発想に酷似している。
 今日の安倍首相は、行政府の長が憲法解釈をなしうるし、その必要があるというふうに思いこんでいる。立憲主義ということを理解していないのである。戦中の東条首相は、「法文」を軽視しようとしたわけだが、今日の安倍首相は、「憲法」を軽視している。東条首相は、憲法の定める三権分立主義に挑戦し、安倍首相は、立憲主義そのものに挑戦している。
 戦中の東条首相は、「私は司法権尊重の点に於て人後に落つるものでないのであります」と述べていた。また、「訓示」のうち、露骨に司法に干渉しようとしている部分は、新聞発表から削るという判断ができた(干渉した事実は消えないが)。戦中の独裁者にして、三権分立に対しては、なお一定の配慮をおこなっている。一方、今日の安倍首相は、行政府の長が憲法解釈をなしうるし、その必要があるということを、誰はばかることなく公言してきた。
「危機」の時代に登場し、政治家としての「責任」を強調した首相として、この二人は、今後も長く語り継がれてゆくことであろう。

*このブログの人気記事 2015・6・29

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司法官会同ニ於ケル内閣総理大臣訓示(1944)

2015-06-28 07:28:38 | コラムと名言

◎司法官会同ニ於ケル内閣総理大臣訓示(1944)

 今ごろになって、家永三郎の『司法権独立の歴史的考察』(日本評論社)を読み返すことになろうとは。それというのも、「安全保障関連法案」をめぐる昨今の政治情勢を見聞きしているうちに、戦時中、東条英機首相が司法関係者に対しておこなった「干渉発言」を思い出したからである。その干渉発言は、家永の前掲書に引用されていたという記憶があった。
 さっそく取り出してみた。私が架蔵している一本は、一九七一年六月発行の第二版第三刷。初版は一九六二年七月発行で、第二版(増補版)第一刷発行は一九六七年一一月である。
 同書の四五ページから四八ページにかけて、たしかに、東条首相が、司法関係者に対しておこなった干渉発言が引用されていた。正確には、「昭和十九年二月二十八日 司法官会同ニ於ケル内閣総理大臣訓示」というもので、このタイトルの謄写刷文書が存在し、会同における発言内容は、当時の新聞にも報道されたという。
 家永の前掲書は、同文書の全文を引用しているわけではないが、引用部分には、新聞発表では伏せられた箇所が含まれている。
 早速、紹介してみよう。引用中、(中略)などとあるのは、家永によるもので、【中略】などとあるのは、礫川によるものである。

昭和十九年二月二十八日 司法官会同ニ於ケル内閣総理大臣訓示(新聞紙発表ノモノト相違ノ点アリ長官限トシ取扱御注意ヲ請フ) 【謄写刷、マル秘印あり】

【前略】
 此ノ秋〈とき〉ニ当リ、司法ノ重職ニ当ラルル諸君モ其ノ職責遂行ノ上ニ於テ一大勇猛心ヲ以テ新ナル出発ヲ決意セラレタルコトト御察シ致スノデアリマスルガ、此ノ機会ニ於キマシテ、政府ノ特ニ期待スル所ヲ披瀝〈ひれき〉致シマシテ、御参考ニ供シ度イト存ズルノデアリマス。【中略】
 次ニ国内結束ヲ紊ス〈みだす〉モノニ対スル措置デアリマス。【中略】今ヤ苛烈ナル戦局下、切リ詰メラレタル戦時生活ノ要求ニ直面シテ、其処〈そこ〉ニハ不平モ生レ、不満モ生ジ、批判モ行ハレルコトモアリ得ルコトデアリマス。然シ乍ラ〈しかしながら〉之ヲ悪用シテ国論ノ分裂ヲ策シ、国民ノ結束ヲ紊ル〈みだる〉ガ如キ一部ノ不心得者ニ対シテハ、仮借スル所ナク之ヲ処断シ、簡明直截〈ちょくせつ〉ナル措置ニ依リ、一億国民ノ結束ヲ確保強化セネバナラナイノデアリマス。(中略)而モ政府ハ之ニ対シ、官民ノ盛リ上ル忠誠心ニ此ノ上共期待スルト共ニ、今日ニ至ルモ猶ホ〈なお〉時局ヲ弁ヘズ〈わきまえず〉、或ハ故意ニ、或ハ不注意ニ結束ヲ乱ス者ニ対シテハ、容赦ナク処断セントスルノデアリマス。従ヒマシテ、此ノ方面ニ直接携ハルル諸君ノ責務ハ愈々〈いよいよ〉重キヲ加ヘテ居ルノデアリマシテ、国家ノ諸君ニ期待スル所益々切ナルモノガアルノデアリマス。
 ドウカ諸君ニ於カレマシテハ、此ノ点ヲ篤ト肝ニ銘ジ、思ヒ切ツタ措置ヲ講ゼラレンコトヲ特ニ強ク希望致ス次第デアリマス。要スルニ、此ノ際諸君ハ従来ノ惰勢〈だせい〉ヲ一切放擲〈ほうてき〉シ、司法権ノ行使ヲシテ正シク必勝ノ為メノ司法権ノ行使タラシメタイノデアリマス。ドウカ諸君ニ於カレマシテハ虚心坦懐、内ニ省ミ、執ルベキハ速ニ〈すみやかに〉執リ、改ムベキハ直ニ〈ただち〉改メ、大胆率直ニ、而シテ敏速果断ニ職権ヲ行使セラレタイノデアリマス。特ニ所謂時局犯罪ノ敏速ナル処理ニ付キ、此ノ点ヲ強ク期待スルモノデアリマス。(〔原本頭註〕「 」内新聞不発表)「従来諸君ノ分野ニ於テ執ラレテ来タ措置振リ〈そちぶり〉ヲ自ラ批判モセズ、唯漫然ト之ヲ踏襲スルトキ、其処ニ果シテ必勝司法ノ本旨ニ副ハザル〈そわざる〉モノナキヤ否ヤ、篤ト振リ返ツテ見ルコトガ肝要ト存ズルノデアリマス。政府ハ素ヨリ〈もとより〉司法権ノ行使ニ対シマシテハ、衷心〈ちゅうしん〉ヨリ敬意ヲ表スルモノデアリマス。私ハ司法権尊重ノ点ニ於テ人後ニ落ツルモノデナイノデアリマス。然シ乍ラ、勝利無クシテハ司法権モアリ得ナイノデアリマス。苟且〈かりそめ〉ニモ心構ヘニ於テ、将又〈はたまた〉執務振リニ於テ、法文ノ末節ニ捉ハレ、無益有害ナル慣習ニ拘ハリ〈こだわり〉、戦争遂行上ニ重大ナル障害ヲ与フルガ如キ措置ヲセラルルニ於テハ、洵ニ〈まことに〉寒心ニ堪ヘナイ所デアリマス。万々一〈まんまんいち〉ニモ斯クノ如キ状況ニテ推移セン乎〈か〉、政府ト致シマシテハ、戦時治安確保上緊急ナル措置ヲ構ズルコトヲモ考慮セザルヲ得ナクナルト考ヘテ居ルノデアリマス。斯クシテ此ノ緊急措置ヲ執ラザルヲ得ナイ状況ニ立チ至ルコトアリト致シマスルナラバ、之〈これ〉国家ノ為洵ニ不幸トスル所デアリマス。然シ乍ラ、真ニ必要已ム〈やむ〉ヲ得ザルニ至レバ、政府ハ機ヲ失セズ此ノ非常措置ニモ出ヅル考ヘデアリマス。此ノ点ニ付テハ特ニ諸君ノ充分ナル御注意ヲ願ヒ度イモノト存ズ次第デアリマス。」以上頭ノ切リ換ヘニ付テ申述ベタ次第デアリマスルガ、(下略)

 三か所、下線を引いておいた。最初のところは、ひらがな文に直せば、次のようになる。

 今日に至るも猶ほ時局を弁へず、或は故意に、或は不注意に結束を乱す者に対しては、容赦なく処断せんとするのであります。

 これを読むと、最近話題になっている自民党「若手議員」による発言、――「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、〔マスコミは〕スポンサーにならないことが一番こたえることが分かった」といった発言と、発想において共通するものがある。
 しかし、この際、最も問題にしたいのは、二番目の下線の部分である。なぜなら、「違憲」という批判を無視して、「安全保障関連法案」の実現を図ろうとしている首相が、現に存在するからである。この首相の発想は、戦中の東条首相の発想と酷似していると思う。しかも、しかもその発言は、戦中のように、「新聞不発表」という措置が取られることもなく、堂々とマスコミに公表されている。これは実は、たいへんな問題ではないのか。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2015・6・28

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今福将雄さんと映画『橋のない川』

2015-06-27 05:12:26 | コラムと名言

◎今福将雄さんと映画『橋のない川』

 本日は、一昨日に引き続き、柏木隆法さんの「隆法窟日乗」から、六月二六日の分を紹介させていただきたい。

隆法窟日乗(6月26日) 通しナンバー439

 最近、テレビのニュースをみるのが怖くなった。次から次へと拙の知っている方が亡くなるからだ。流石にもう聞きたくない。ここ二年ほど年賀状が来ないから心配していた人物に今福将雄〈イマフク・マサオ〉がいた。律儀な人で拙が最初に会ったのは『橋のない川』〔第一部、一九六九年公開〕の安養寺住職の役だった。水平社創立の西光万吉〈サイコウ・マンキチ〉の父親で重要な役であった。奈良の八木で安養寺のロケが始まり、寺田聰という無名の俳優が主役だったが箸にも棒にもかからない大根で伊藤雄之助や北林谷栄〈キタバヤシ・タニエ〉に囲まれて少々気の毒な気がした。今井正〈イマイ・タダシ〉という監督は滅多に怒鳴らなかったが寺田だけは怒鳴られっぱなしだった。寺田はこの一作で姿を消した。今福は本堂で無量寿経を唱えるシーンがあったので拙の出番になったが、拙は禅宗の経なら吹替えができるのだが、浄土真宗なので困っていると、龍谷大学からきていた学生がそれをやってくれた。拙が今福の名前を知ったのは『日本で一番長い日』〔一九六七年公開の東宝映画〕で陸軍元帥の畑俊六〈ハタ・シュンロク〉を演じたのが印象的だった。いわゆる「そっくりさん」である。今日亡くなった年齢を聞いたが96歳とあるから年齢に不足はないが昔からの付き合いではなく、20年後に赤坂プリンスホテルで何かの授賞式があったとき、拙と中野英治が会場に行くと笠智衆〈リュウ・チシュウ〉が待っていた。中野と笠は戦前からのつきあいがあり、その席で「僕の弟分です」といって紹介されたのが今福将雄だった。拙が「お久しぶりです」というと、今福から穴があくほど見つめられ、やっと思い出したらしく「アッ、橋のない川のときの……」この日から旧交が温まった。再び会うことはなかったが頻繁に手紙のやり取りはしていた。その日は鶴田浩二や伴淳三郎〈バン・ジュンザブロウ〉も出席していたが、面識はあっても話す機会はなかった。それというのも鶴田浩二が一人駄々をこねだして険悪な雰囲気になっていたからである。何が原因だったか知らないが、巻き込まれても面倒なので拙らは早々に会場を後にしていた。笠は住いのある鎌倉から電車できていたので東京駅まで見送った。昔の俳優は人気が落ちてもプライドだけは高い。丁度そのころ松竹で『キネマの天地』という松竹蒲田を舞台にした映画が公開されたばかりで〔一九八六年八月二日公開〕、昔の俳優はこの映画をミソクソに貶し〈ケナシ〉ていた。小津安二郎〈オツ・ヤスジロウ〉と夏川静江とおぼしき人物を中心に話をまとめていたが、酷評の声が頻りだった。映画は事実を元にしても脚色が施されており、事実そのものではない。それが老俳優には鼻持ちならぬモノとして映っていたようである。笠は『男はつらいよ』で円鏡寺の御前様が板についており、第一作から出演していた。その前に『東京物語』や『野菊の如き君なりき』などの名作にも出演していた。笠と会ったのはこの時だけであったが、御前様の風貌そのものであった。40の半ばを越えてからの映画デビューだったので、今福の活動の場は専らテレビ時代劇に限られ、あまり目立った代表作品はない。「無常迅速」というか「無常」は実感として湧くが「迅速」はこうなってみないとピンとこない。考えてみると、拙も「過去の人」なのである。『日本で一番長い日』は今度リメークされるというが〔松竹映画、本年八月公開予定〕、こういう作品は候の〔ママ〕製作された時代を反映されるが、今度はどういう意図を以て製作されるのだろうか。溝口健二の『赤線地帯』は終戦から10年を経て売春禁止令が施行された昭和33年の赤線を描いた。政治は民衆の生活と関係ないところで論議され、労働運動や左翼政党は「人権」のみで庶民の権利を描いた。戦後の10年は誰も生きるために突っ走った。いまになって考えてみると銀幕の世界で活躍していた人々がどのように生きたのか、振り返ってみたい。拙は今福を思い出してこう思った。

 今福将雄さんは、一九二一年(大正一〇)生まれの俳優。本年五月二七日に死去された(九四歳)。マスコミがその死を報じたのは、六月一日であった。本名は「今福正雄」で、一九八〇年から、「今福将雄」の芸名を用いたという。なお、ウィキペディア「今福将雄」のデータによると、今福さんが、最初に出演した映画は、一九六七年の『日本で一番長い日』だったようだ。

*このブログの人気記事 2015・6・27

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鵜崎巨石氏評『曼陀羅国神不敬事件の真相』

2015-06-26 03:38:27 | コラムと名言

◎鵜崎巨石氏評『曼陀羅国神不敬事件の真相』

 本日は、鵜崎巨石氏のブログから、氏が、小笠原日堂著『曼陀羅国神不敬事件の真相』(一九四九、無上道出版部:復刻二〇一五、批評社)についておこなった書評を紹介させていただきたい。この書評は、昨二五日に、鵜崎氏のブログに掲載されたものであるが、ご本人のお許しを得て、転載させていただくものである。

小笠原日堂(礫川全次)著 「曼陀羅国神不敬事件の真相 戦時下宗教弾圧受難の血涙記」
2015-06-25 13:21:22NEW !
テーマ:読書・宗教

 今日は、小笠原日堂著 礫川全次翻刻・注記解題「曼陀羅国神不敬事件の真相 戦時下宗教弾圧受難の血涙記」2015.2批評社刊である。
 これは、戦時中、国家神道による狂気の精神総動員体制の中で、日蓮宗のある一派(旧本門法華宗)が、その本尊である祖師日蓮の大曼陀羅の曲解を理由に讒言され、弾圧を受けた事件についての記録である。
 編者である礫川氏は、その当事者であった僧侶のいわば私出版物を翻刻し、今日の世に問うた。
 これは、 最近このブログで取り上げた、蜷川新著/礫川全次「維新正観 秘められた日本史・明治篇」に比しても、より強くわたしの心を捉えたと言ってよい。
 本書読了にあたっては、必ずしも正調とはいわれぬ晦渋な文章の連続に、理解に手間取って、案外に時間が掛かったが、読書の連続性から言うと、わたしの最近の思考回路に極めて適うものであった。
 それは、第一には、昨日のブログの老松克博著「人格系と発達系<対話> の深層心理学」講談社選書メチエにあった、宗教家あるいは宗教的人間の神秘的な瞑想を伴う宗教的活動の一端が本書に実例として登場していること。
 これが十分に発現した場合、すなわち第二の我が「脳内回路」適合であるが、宗論に鍛えられた教学的論理は、俗界の法理の太刀打ちできるものではないことである。
 ついでながら、この読書により、周辺知識として得たことである。
 日蓮宗の「大曼陀羅本尊」の基本的な原理と、とくに明治期以降の教団分裂の概略に接することができた。
 明治期以来の我が国の政治的破綻が、とくに宗教政策について愚かに過ぎ、結局は、様々な新興宗教(主に宗派神道や、一部の日蓮宗派)などの弱いものいじめが生じ、そののち、本著の事件のような、法制論理としても破綻を来す国家権力の失態を生じたことは注目すべきである。
 もちろん、本件のような「法難」に対し、宗門全体ないしは仏教界全体としてこれに立ち向かわなかったということは、我が国の宗教組織と言うものが、「社会制度」の一端を担うべき存在として未熟・未確立であったことも実感するところであった。
 本書内容の梗概をあえて示す。
 日蓮宗の本尊は「御題目」である。これには種々の形があるようであるが、南無妙法蓮華経の題目を中心として諸仏諸菩薩諸神を配置した板曼陀羅である。
 ここにはしばしば諸神と並んで下部に天照大神や八幡大菩薩が配せられるが、これを果たせるかな日蓮宗門の一派の讒言から「不敬である」との訴えがあり、この修正を肯んじない本門法華宗に対する逮捕拘禁が続き、ついに裁判に至る。
 この中での検事の尋問や拘置所での叙述、裁判記録などが本書の中心となる。
 上述のわたしの読書上の関心を捉えたものは第一に、著者小笠原日堂が検事の尋問を受ける場面である。
 検事は俄(にわか)宗論を頭にたたき込み、日堂に不敬の理由を言い立てる。
 これに対していったん日堂は全く反論が出来ない。
 これは当然ながら俗界の中で不意にその論理世界で対決を迫られるのであるから、戦うリングが違うのである。
 日堂はいったん獄に戻って題目を唱えることに専心(唱題行)する。
 まさにユング派のいう手続きに従い、信仰的内面に回帰するのである。
 そうすると今まで宗教世界で鍛えられた、曼陀羅の表象とその連関が、宗教者の深層から浮かび上がることとなる。
 こうなると検事との戦いの場は、宗教者のリングとなる。
 検事は完膚無きまでにその論理を破綻毀損せられる。
 もちろんこの叙述には誇張や美化もあろうが、宗教と世俗論理の戦う場が違うこと、これに世俗が割って入っても、宗教的論理の中では優位に立てないことを表していると、わたしは信ずる。
 さて、思想犯が監獄で強力犯など刑事犯よりも優位に立つというエピソードは、社会主義者の獄中記でも散見されるところであるが、著者日堂は直ちに牢名主となり、未決囚のみならず獄吏まで折伏すると言うところが、読み物として快い。
 最後に白眉とするのは裁判記録であり、宗教的確信を得た弁護士(信者でもある)による論理は、一審が猶予刑、二審は無罪という結果を勝ち取る。
 ここで展開される弁護側の主張は、理に適っている。
 関心を持ったのは次の下り。
 教派神道が勃興し、いずれも天照大神を祭神とする。
 そこで、国家神道はそれら祭神との混同を避けるため内務省神祇庁名で以下唱えた。
「現今新興宗教等に於て天照太神或は諾冉二神等を御祭神とするものもあるが、その天照大神は伊勢に鎮ります天照坐皇大宮神(あまてらしますすめおおみかみ)とは全然別個なものである、故にかかる場合はこれらの神をば崇敬しないからとて咎めらるべきではない」
 これに対し弁護側は、他の官幣大社(朝鮮神宮、南洋神宮、関東神宮)及び中社、小社は天照大神を祀っている。これは矛盾ではないかと陳述する。もちろん曼陀羅には「天照大神」とある。
 これはわたしも嗤ってしまう。
 内務省情報局との対決も痛快である。
「立正安国論に『正法ヲ護ル者ハ当に刀剣器杖ヲ執持スべシ、刀杖ヲ持ツト雖モ我レ是等ヲ説キテ名ケテ持戒ト曰ハント』という文言は、日蓮が斯様な不穏な文句を書いてるとのことであり、法華宗でこの文言を削除できぬとはどう云うことか」と攻めるのに対して、
「この部分は涅槃経から引用したもの。同経は、元正天皇が養老六年に勅状を以て、書写させられた経典である」と「不敬はそちら」と逆手に出る。見事である。
 こういう時代に、当然に気骨を示すべき宗門日蓮宗派のなかで、唯一宗教法理と法制論理を以て抵抗し、事実上勝利した宗派があったことを世に知らしめる本書の意義は大きい。

*このブログの人気記事 2015・6・26

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