◎瀧川政次郎『律令の研究』初版(一九三一)の序
昨日は、瀧川政次郎『律令の研究』の名著普及会再刊本(一九八八)の「序」を紹介した。本日は、その初版(刀江書院、一九三一年九月一五日)の「序」を紹介してみよう。これまた、簡潔な名文である。
文章中の漢字は、新字に直したが、仮名づかいは原文のママである。〔 〕内は、引用者による注。
序
本書は、我が国中古の根本法典たる律令のテキストに関する研究である。題して『律令の研究』と称するが、律令の内容並びにその社会的使命といふが如き社会経済史学的問題には全く触れてゐない。これは勿論、著者がこの種の研究の重要性を忘れた為めでもなければ、故意にこれを避けた為めでもない。ただこれを他日の研究に譲つた迄である。然らば著者は何故にまづテキストの硏究に手を染めたか。言ふ迄もなく、それがすべての律令研究の基礎工事であるからである。最近日本歴史の研究熱が、新旧の学者間に勃興しつつあることはまことに喜ばしい。がしかし、所謂新興史学の人々の間に、徒らに〈イタズラニ〉理論に馳せて〈ハセテ〉、事実の穿鑿〈センサク〉考証を軽視する傾向の見られるのは、頗る遺憾である。事実の穿鑿、文献の考証のみが、歴史家の本領でないことはもとよりであるが、而もこれを外にしては史学は成立し難い。著者が創意を加ふる余地勘くして、而も精根を疲らす〈ツカラス〉こと多き、この地味なる仕事に身を入れたのは、この傾向に慨するところ鮮し〈スクナシ〉としない。
本書は、律令のテキストの研究を主題とせるものである。従つて本書に於いては、大宝律令のテキストの復現を目的とせる第三編と、養老律令のテキストの修補を主眼とせる第四編とが主要部を為してゐる。第一編の「本邦律令の沿革」は、寧ろ第二編以下の特殊研究の律令研究中に於ける地位を指示する為めに附加せられたものである。而して本書の第二編は、「日唐律令の比較」といふ先人の論じ尽した問題に就いて、落ちたるを拾ふた二編の論文より成り、附録に収めた五編は、何れ〈イズレ〉も日唐の律令に関する研究の断片である。本書の各章は、大正十二年〔一九二三〕七月以降、その成るに随つて〈シタガッテ〉大抵単行の論文として雑誌に発表した。次に各章の該当論文を示さう。
第一編、第二章(『近江律令考』法学新報、第三十八巻、第十号)
第三章(『天武律令考』法学新報、第三十九巻、第二号)
第四章(『大宝律令考』法学新報、第三十九巻、第六、第十号)
第六章(『删定律令考』法学研究、第二十四巻、第十号)
第二編、第一章(『西域出土の唐職官令断片に就いて』法学協会雑誌、第四十七巻、第一号)
第二章(『唐礼と日本令』法学協会雑誌、第四十七巻、第九号)
第三編、第一章(『大宝律と養老律との異同を論ず』史学雑誌、第三十九編、第八号)
第二章(『再び大宝律と養老律との異同を論ず』史学雜誌,第三十九編、第十一号)
第三章(『三浦博士の「大宝・養老二律の比較研究」を読む』法学論叢、第二十
一巻、第三号)
第四編、第一章(『律逸々』法学協会雑誌、第四十四巻、第二、第三、第四、第五、第六、第七、第九号)
第二章(『倉庫令考』法学論叢、第十六巻、第二、第四号)
故に本書の出版によつて初めて世に出るものは、結局第一編第一章、同編第五章及び第三編第四章の三編である。併し〈シカシ〉著者は、これらの諸論文を基礎として本書を纏め上げるに当つては、必要なる修正増補を施すことに最善の努力を払つた。中には完膚なき迄に旧稿を改竄〈カイザン〉して、全く面目を一新したものもある。但し第三編の初めの三章だけは、論争に係るものなるが故に、特に改竄を加へずして旧稿を転載した。【以下、次回】