◎清水幾太郎にとっての「古典」とは
昨日の続きである。清水幾太郎は、岩波書店編『古典の読み方』〔「岩波文庫創刊二十五年記念」非売品〕(一九五三)の中で、「古典」について語っている。
昨日、紹介した箇所のみならず、他の個所でも清水は、いろいろと興味深い指摘をしているが、それらの紹介は、来年に回したい。
ところで、清水幾太郎自身は、何を以て、みずからの「古典」としていたのだろうか。おそらく、フランスの社会学者オーギュスト・コント(一七九八~一八五七)の著作だったのではないだろうか。
ところが、このコントの著作を、「古典」として親しんでいる日本人が、今いったい、どれだけいるのだろうか。コントの名前を知っている人は多い。思想史上において、彼の果たした役割を承知している人も多い。しかし、実際にどれだけの人が「コント」を読んでいるのか、どれだけの人がコントを読んで感銘しているのか、というと、これは甚だ疑問だと言わざるを得ない。
かつて石川三四郎訳の『実証哲学』(春秋文庫)を読もうとしたことがあるが、あまりに冗長で、すぐに投げ出した。アナキストの石川三四郎は、決してヒマ人ではなかったと思うが、こうした本を翻訳した石川の根気に驚嘆した。
清水幾太郎は、古典の中にも、ダレて冗漫なものがあると言っていたが、この『実証哲学』は、そうした冗漫な古典を代表するものだろう。
中央公論社の「世界の名著」第三六巻『コント/スペンサー』(一九七〇年二月)は、清水幾太郎が責任編集をしている。この本にはさまれている「付録」では、清水幾太郎(当時、二十世紀研究所)と社会学者の高橋徹〈アキラ〉(当時・東京大学助教授)が対談している(対談の日付は、同年一月九日)。
この対談の最後のほうで、高橋は、「あらゆる学問において、その創始者の名前を忘れかねているような学問は大成しない」というホワイトヘッドの言葉を引いている。これは、今だに、コントやスペンサーを忘れかねている清水幾太郎に対する痛烈な皮肉である。
二〇歳近く歳下の研究者から、こんなことふうに皮肉られた清水は、「さあ、ちょっと忘れ過ぎているような感じもしますね」と返しているが、特に、激怒したふうはない。オトナと言えばオトナだが、ここで生意気な後輩を一喝できなかったところに、学者としての清水の中途半端さがある。要するに、学者としての信念と自覚に乏しいのである。
この日、高橋徹から、コントやスペンサーを忘れかねていると皮肉られた清水には、おそらく激怒するだけの気迫がなかったのだと思う。後輩に皮肉られたこと自体が情けなく、それに言い返せなかった自分も情けなかったに違いない。ちなみに、清水幾太郎が右旋回を始めたのは、一九七三年からだったという。
この日、先輩を皮肉った高橋徹も、一〇年ほど前に、すでに鬼籍に入っている。時が流れるのは速い。
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