礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『恐怖の報酬』と映画の醍醐味(青木茂雄氏の映画評論・その二)

2012-07-31 06:26:38 | 日記

◎『恐怖の報酬』と映画の醍醐味(青木茂雄氏の映画評論・その二)

 前回の続きである。幻の雑誌『ことがら』第六号に載った青木茂雄氏の映画評論(『恐怖の報酬』論が中心)の後半部分を引用する。

 映画づくりの達人クルーゾは、伏線を巧みに張りめぐらして恐怖感を観客自身のものとしてしまう。いくつかそれを再現してみると
一、ごく少量のニトロを机の上にたらしただけでポッと炎をあげて燃える。(観客はそのこわさをここで実感する。)
二、ニトロの詰まっているドラムかんをトラックにいっぱいに積みこむ。少しの揺れでも爆発をおこしかねない。緊張の連続である。ピーター・ヴァン・アィクふんするビンバはその積み荷作業を見ながら恐怖のあまり手に時っていたウィスキーグラスを落とす。(この場面で観客の感情移入が成立する。このあとスクリーンとともに恐怖が進行する。)
三、二台のトラックでゆっくりと出発するが途中細い山道で車をUターンさせる。がけにつき出た木組みの足場に車のうしろ半分だけ移動させる。その足場は最初はがんじょうのように見える。(にもかかわらず、観客は気をまわしていったいこの足場は大丈夫なのだろうかと不安がる。この不安を手玉にとるかのように、クルーゾ監督は次の場面で観客を恐怖の底におとしいれる。一台目は無事だったが、二台目のトラックが足場に後輪をのせた瞬間、木組みはボロボロと崩れだす。(まだ映画は半分も進行していないから、ここは何とかきり抜けられることはわかっていながら、でもなおかつこわい。)
四、先行のトラックが路上の大きな石のために先へ進めない。(ここで観客は考える。どうしたらこの石をとりのぞけるか。ウン、ニトロで爆破するのもひとつの手だな、などと考えていると、スクリーンではまさしくこの思惑通りに事が進行する。)
五、いくつかの難関を通りこしてホッとひと息つく。ビンバが運転席で、カミソリをほほにあててひげをそっている。彼は「ナチの鉱山で働かされていたとぎにくらべればこんなことはものの数ではない」と豪語する。(カミソリから観客は不吉なものを予感する)とうしろの車にのっていたジョーが巻いていた紙巻のタバコがフッと飛ぶ。ビンバののっていた車がついに爆発したのだ。(実にあっけない。)
 長々と書いてきたが、要するにクルーゾはこの映画のなかで、観客に次々と予想をさせているのであり、その予想にたいしてもっとも適確な答えをスクリーンのうえで展開してみせているのである。観客が次々に予想をするようになることは、いわば観客の心がしだいしだいにスクリーンに展開されていることがらに凝集されていくことである。予想をくりかえしているうちに、カメラを通した製作者の眼がしだいしだいに観客の眼と同致してゆく。観客の身体の動きが静止するのとあい反して、心の動きはしだいしだいに活発になる。眼はかがやき、呼吸も深く大きくなる。映画の醍醐味はここに尽きると言ってよい。【以下略】

 映画の魅力、映画の醍醐味を知り尽くした映画通の一文という感がある。
 雑誌『ことがら』は、第八号で終刊したが、同号には、青木茂雄氏の映画評論は載っていない。青木氏の映画評論が載ったのは、第五号から第七号までの都合三号であった。もしも、『ことがら』が部数を伸ばし、号数を伸ばしていたとしたら、おそらく青木氏も、映画評論、作品論を書き続けたことであろう。『ことがら』が、わずか八号で終刊してしまったのは、その意味でも残念なことである。

今日の名言 2012・7・31

◎なぜ田中氏なのか、他の候補者はいなかったのか

 本日の東京新聞社説より。原子力規制委員会の委員長候補として、田中俊一氏の名前があがっているが、東京新聞はこれを、「ムラ人事」として批判している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の雑誌『ことがら』と青木茂雄氏の映画評論

2012-07-30 04:39:06 | 日記

◎幻の雑誌『ことがら』と青木茂雄氏の映画評論

 現代思想に関心を持っている人でも、一九八〇年代に、『ことがら』という雑誌が出ていたことを知っている人は少ないだろう。
 この雑誌は、一九八二年八月一五日創刊。発行元は、「ことがら編集委員会」(国立市、小阪修平気付)、発売元は、文京区本郷の五月社であった。一九八六年一一月一〇日に、第八号終刊号を出し、その歴史を閉じた。
 後に私は、この雑誌の編集委員であった青木茂雄氏に無理を言って、全八号分を譲り受け今に愛蔵しているが、雑誌が発行されていた当時は、全くその存在に気づかなかった。本屋の店頭に並んでいるのを見かけた記憶もない。
 同誌第六号(一九八四年七月一〇日発行)の「編集後記」によれば、その時点での編集委員は、青木茂雄・笠井潔・木畑壽信・黒須仁・小阪修平・高野幸雄・長野政利・西研・万本学の九名であった(敬称略)。
 この雑誌については、いろいろと紹介したいことがあるが、とりあえず、今日と明日は、そこに載っていた青木茂雄氏の映画評論を紹介してみたいと思う。青木氏の映画評論「映画という経験」は、同誌第五号(一九八四年二月二〇日発行)にその①が載り、第六号にその②が、第七号にその③が載った。そのうち②の主要部分を、今日と明日の二回に分けて紹介する(もちろん、青木氏の了解は得た)。

 おもしろいことが良い映画の必須の条件であるとは前回に書いたところである。そして、その秘密が、「観客の心をいかにしてその身体からひき離し、スクリーンに展開されていることがらにのりうつらせるかにある」と先に結論づけて書いた。このことをいま少し具体的に展開してみたい。四年ぐらい前に観た作品だが、ジョルジュ・クルーゾ監督の『恐怖の報酬』というだいぶむかしに封切られ大変化話題になったフランス映画がある。これなどはまさにおもしろさだけを純粋培養して絵に画いてしまったような作品だ。とにかく、最初のワン・カットから最後のワン・カットまで息つく間もないほどの緊迫のうちに観てしまうのだ。手に汗をにぎるという言葉はこの映画のためにあると言って良いくらいだ。映画館を出て興奮未ださめやらぬうちに考えた。いったいこの映画のどこでおもしろく感じたのだろうか。クルーゾーという映画作りの達人が人の心を手玉にとるその秘密は、いったいどこにあるのだろうか。
 第一に、筋立てが非常に単純でわかりやすく、場面の状況を観客が即座に自分のものと感じてしまうことにある。トラックに満載したニトログリセリンを南米はマラカイボの石油採油所に運ぶというはなはだもって危険な役目をイヴ・モンタン扮するマリオ以下数名の荒くれ男たちが大金とひきかえに買ってでるわけだが、このニトログリセリンなるものはほんのわずかな震動をうけただけでもいとも簡単に爆発してしまうしろものなのだ。車の運転には細心がうえにも細心の注意がはらわれなければならない。さもないと車もろとも空中にとびちってしまうはめとなる。しかも運搬すべき経路は、あるかなきかの荒れた山道ときている。観客は、このきわめて単純明解な状況設定のなかにひきずりこまれ、やがてスクリーンの前にくぎづけされてしまう破目となる。
 だが、「ニトログリセリンは少しの震動によってもいとも簡単に爆発してしまう危険きわまりないしろものだ」という状況設定はそれ自体としてはいまだ抽象的である。この説明をたとえ言葉で何度きかされたとしても、観客は心の底では決して納得しない。この抽象的な状況設定から映画製作者はスクリーンのカットの積み重ねによって、観客の心のなかに具体的に、あたかも自分が背中に大きなニトログリセリンの大きなかんを背負っているかのように思わせてしまうのだ。

 青木氏の『恐怖の報酬』論は、ここから佳境にはいるのだが、これは次回。
 参考までに、『恐怖の報酬』は、一九五三年制作のフランス映画でグランプリ(ジョルジュ・クルーゾ監督)と男優賞(シャルル・ヴァネル)を、第六回カンヌ国際映画祭で金熊賞を受賞している。【この話、続く】

今日の名言 2012・7・30

◎表現はそれ自身が眼差なので見ることができない

 高野幸雄氏の言葉。『ことがら』第6号(1984・7・10)の「編集後記」に出てくる。「眼差」は〈マナザシ〉と読む。高野幸雄氏は同誌編集委員の一人。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森銑三の笑話集『星取棹』を読む(付・柳田國男と森銑三)

2012-07-29 06:08:26 | 日記

◎森銑三の笑話集『星取棹』を読む
 
 偶然というのはあるものである。数カ月前、神保町の古書展で森銑三〈モリ・センゾウ〉の『古書新説』を入手したが、一昨日の金曜日は、五反田の古書展で森銑三の『星取棹』を見つけた。『古書新説』は、一九四四年(昭和一九)六月、七条書院刊、『星取棹〈ホシトリザオ〉 我が国の笑話〈ショウワ〉』は、一九四六年(昭和二一)一一月、積善館刊。この間、森銑三は本を出していない。すなわち、『古書新説』は、敗戦前、最後に出した本であり、『星取棹』は、敗戦後、初めて世に問うた本である。
 戦中に出た『古書新説』には、ほとんど「戦時色」が感じられない。むしろ、戦後に出た『星取棹』という「笑話集」のほうに、「戦時色」が強くあらわれている。不思議なことだが、これは事実である。というのも、『星取棹』の冒頭には、「昭和十八年秋」という注記を持つ「我が国の笑話」という文章が置かれているからである。
 その一部を抜き出してみよう。

 現代は全世界を挙げて争乱の渦中にある。笑話どころではあるまいといふ人があるかも知れぬ。どの雑誌にも新聞にも、笑話などの閑文学〈カンブンガク〉は、姿を消してしまつてゐるやうである。しかしながらさやうな時代にも、やはり時代を反映す笑話が時に生れたりしてゐる。何か買はれるだらうと、町の行列に加つて動いて行つたら、それは告別式の行列だつたといふやう話が、いつの間にか生れて、それが口から口へ伝へられたりしてゐる。戦時の国民生活が緊張の度を増してゐる裡〈ウチ〉にもその生活に明るさを加へ、緊張の誰にも心のゆとりを与へてくれる健全な笑話が行はれてることが却つて〈カエッテ〉好ましくはあるまいか。スパイの警戒のために、ただ消極的に強ひて国民のも篏口令〈カンコウレイ〉を敷かうとすることには無理がある。却つて笑話に依つて愉快な話題を与へたりすることが、スパイの跳梁〈チョウリョウ〉を防ぐための一〈ヒトツ〉の方便とのなるのではあるまいか。いろはがるたの文句を募つたりした文学報国会あたりで、時局的な健全な笑話を募集して、それを辻々に掲示でもするやうにしたら、どのやうなものだらうか。今日の緊張した生活の中から、却つて見るべき笑話の生れ出づるものがありはせぬかとも考へられる。緊張に緊張を重ねるためには、一方に有意義に息を抜き、息を抜くことに依つて新しい元気を恢復せしめるやうな、工夫が講ぜらるべきであらう。さうした一つの方法として、笑語の利用などいふことが考へられても然るべきではあるまいかと思ふのである。戦時下の諸施設が、国民をして萎縮〈イシュク〉の一路を辿ら〈タドラ〉しめるやうな結果を招くやうでは甚だ以て好ましからぬことといはねばならない。私等はよし交戦国の飛行機の空襲受けて、防空壕の内に身を潜める時代が来ても、壕内で時に笑話でも仕合ふくらゐの心のゆとりを持つてゐたいと思ふのである。

 この文章を読むかぎり、森銑三は、戦中においてもなお、「笑話集」の出版をあきらめていなかった。むしろ、「笑話集」は、戦時にこそ必要と考えていたようである。この本は、森銑三の本とは思えないぐらい誤植が目立つ。上記の引用部分では、「緊張の誰にも」とあるところは、「緊張の裡にも」の誤植ではないかと思う。
 数日前のコラムで、地下の「避難所」についての新聞記事(一九四三年七月)を紹介したが、その記事には「防空壕」という言葉は使われていなかった。ところが、この文章で、森は、防空壕という言葉を使っている。その年の「秋」には、すでに「防空壕」という言葉が一般化したということであろうか。

今日の名言 2012・7・29

◎この書物は明るい健康な笑を読む人々に齎してくれるであらう

 森銑三の言葉。『星取棹』(1946)の序文より(4ページ)。「齎して」は〈モタラシテ〉と読む。なお、今回私は、この本を読んでみて、森銑三という人は、文体や発想の上で、柳田國男の影響を強く受けていることに気づいた。この言葉に見られる発想も柳田的である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カットされた映画『姿三四郎』と河原畑寧氏による補綴

2012-07-28 06:05:21 | 日記

◎カットされた映画『姿三四郎』と河原畑寧氏による補綴

 先週、「柳田國男と天真神楊流柔術」というコラムをお届けしたところ、その日は、妙にアクセス数が多かった。これを機会に、黒澤明監督の映画『姿三四郎』を鑑賞してみることにした。
 黒澤明の『姿三四郎』は、戦中の一九四三年(昭和一八)三月に封切られた。この時は、上映時間九七分の作品だったという。ところが、翌一九四四年三月に再公開されたされた際、それが八〇分弱に短縮されてしまった。「電力節約」のため一作品の上映時間が八〇分以下に制限されたためだという。この「短縮」にあたって、黒澤明監督ら関係者は関与を許されず、カットされたテープも行方不明になったままだったという(その後、ソ連崩壊後のロシアで再発見された)。
 今回、私が見たのは、東宝株式会社の中古ビデオで、上映時間七九分。戦後の一九五二年(昭和二七)に再公開された「短縮版」である。映画の冒頭で、フィルムが短縮された事情について、東宝株式会社からの断りがあり、途中でも数回、カットされた部分の説明がはいっていたと思う。
 この中古ビデオには、リーフレットが残っていた。そこには、映画評論家・河原畑寧〈カワラバタ・ネイ〉さんの解説(タイトルなし)が載っていた。河原畑さんは、一九四三年の封切り時に、この映画を見ており、その時の記憶とシナリオとによって、欠落した部分を補綴〈ホテツ〉している。その意味で、これは、なかなか貴重な文章だと思う。

 大きな欠落は、投げ殺された神明活殺流・門馬三郎〔小杉義男〕の娘お澄〔花井蘭子〕が、三四郎〔藤田進〕を父の仇と狙って、修道館の本拠隆昌寺に来て取り押さえられ、隠し持った短刀をぽろりと落とす、その後の五シーン。お澄は和尚〔高堂国典〕の部屋に通されて宥められ諭される。そこへ三四郎が飛び込んできて刺されそうになるが、師匠矢野正五郎〔大河内伝次郎〕の機転で救われ、お澄は寺に引き取られることになる。
 動揺した三四郎は、村井半助〔志村喬〕との試合を控えての練習に身が入らず、正五郎から厳しい特訓を受ける。監督の手記によると「十八貫(六七・五キロ)の藤田進を二十回以上投げる」「月光に大きな影法師を躍らせて、藤田の巨体がセットも毀れよとばかり」投げられるという、相当に激しい場面があったはずだ。
 私がよく覚えているのは、そのあとで三四郎が、子猫をつかまえて落とし、くるりと安全着地するのを見て、技の参考にする場面である。この子猫は、お澄が拾ってきた捨て猫だということになっていたが、これで三四郎は、村井との試合で投げられても、くるりと回転してぱっと立つ、あの猫のような妙技を身につけるのだ。

 この部分については、一九五二年版では「カットされた部分の説明」が挿入されていたが、もちろん、それで補える問題ではない。なお、修道館のモデルは講道館、矢野正五郎のモデルは嘉納治五郎である。志村喬が演ずる村井半助は、修道館柔道と対立関係にある良移心当流柔術の師範である。その娘が小夜〔轟夕起子〕。村井半助の門人で、実力は師範をしのぐという設定になっているのが、桧垣源之助〔月形龍之介〕である。
 河原畑さんの文章を、再度、引用する。

 もう一つ、カットされて分かりにくくなっているのは、青山杉作(この人は新劇の大物だった)の飯沼恒民という人物である。道場破りに隆昌寺を訪れた山高帽子に二重回しの桧垣源之助が、足踏み洗濯していた三四郎に導かれて門内に入ったところで画面はワイプ転換、いきなり投げられた若者新関虎之助〔中村彰〕が羽目板に叩きつけられて失神する。三四郎が、次の相手になるつもりで正座した時に、横合いから「この門人は稽古止めになっている」と割って入る髭の師範が飯沼恒民。彼は修道館の理解者である起倒流の柔術家で、この日は虎之助に稽古を付けにきていたのだが、その部分が失われているので何故突然ここで流派の違う師範がでてくるのか、納得しにくくなっている。この人、最後の右京ケ原の決闘にも、見届け人として登場する重要人物なのに、正体不明な存在になってしまっている。

 今日では、ロシアで再発見されたフィルムによって補修された九一分の「最長版」のDVDが発売されているようだが、未見。このコラムの読者にも、「短縮版」しか見ていないという方が多いと思うので、河原畑さんの文章を紹介させていただいた次第である。

今日の名言 2012・7・28

◎そういう不充分な姿でも尚且つ再び世に問う価値がある

 黒澤明の映画『姿三四郎』が、1952年(昭和27)に再公開された際、冒頭に掲げられた東宝株式会社のあいさつ。それによれば、この作品は、1944年の段階で、「一八五六呎〈フィート〉」カットされたという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂言の姿勢と運歩について(六代目野村万蔵の「万蔵芸談」より)

2012-07-27 05:43:18 | 日記

◎狂言の姿勢と運歩について(六代目野村万蔵の「万蔵芸談」より)

 昨日の続きである。六代目野村万蔵は、狂言における「姿勢」について、次のように語っている。

 詞は腹、姿勢は腰が基礎となり、この両者が演伎〈エンギ〉の基本根幹を成すものであります。姿勢を整へる為には、腰の堅固〈ケンゴ〉さが絶対に必要となりますが、これは独り〈ヒトリ〉狂言ばかりでなく、あらゆる舞台芸術に共通し、又運動競技などにも当てはまると思はれます。たとへば野球に於いて投球の際のあの腰の力、又相撲に於ける打棄り〈ウッチャリ〉の瞬間の腰の粘りなどが、その最も顕著な例ですが、要するに何事によらず腰に基礎を獲て〈エテ〉、始めて全身が揺ぎ〈ユルギ〉のないものになるのでせう。腰を入れるといふことは、私どもでやかましく申しますが、これは修練によつて自然に会得〈エトク〉されるべきもので、単なる説明では覚えられない性質のものです。しかし大切なことですから、ほんの御参考までに、狂言の姿勢について少し具体的に申しして見ませう。
 一、腹を張り腰を後〈ウシロ〉へ引いて力を入れること。
 一、膝をやや屈曲すること。
 一、胸膈〈キョウカク〉を開き両肱を張ること。
 一、顎を胸の線まで引くこと。
 大体こんな心得で、上半身は肱を張り、手先に力を入れず、肱を主に手先を従にして、あらゆる型を行ひます。手先を働かせるのは歌舞伎や舞踊の方のことで、狂言では最も禁制とされて居ります。

 姿勢、特に、「腰を入れる」ということについての説明である。
 引用文中に「顎」という漢字があるが、これは原文では、前回と同じく、偏がニクヅキ、ツクリが「顎」の右側という難字である。
 それにしても、ソニーが開発した二足歩行型ロボットは、なぜ、「膝をやや屈曲」して歩いているのか。これは、あえて「日本風」にしたというよりは、むしろ、その姿勢が理にかなっていたためではないのか。
 ついでに、「運歩」〈ウンポ〉について解説しているところも引用しておこう。

 運歩には大体次のやうな種類があります。
 一、爪先を上げ、摺り足〈スリアシ〉をするもの。
 一、爪先を上げないもの。
 一、足をやや浮かして歩くやうな形のもの。
 一、足を大きく上げて歩くもの。
 一、安定の無い酔人の足。
 一、左右の足を互違ひ〈タガイチガイ〉にして、横歩きするもの。
 一、両足をゆるやかに上下して、上半身を柔らか〈ヤワラカ〉に揺がし〈ユルガシ〉ながら、所謂〈イワユル〉浮かれる形のもの。
 一、左右何れか一方の足で飛ぶもの。
 一、爪立ちしながら、左右の足を送つて小刻みに横歩きするもの。
 一、左右の足を交々〈コモゴモ〉上下して、飛びはねて走るもの。
 その他抜き足差し足だの、両足を揃へて飛び上る双足飛だの、飛び上つて坐るグヮッシ――能の方で平臥とも安座とも言ふ――だのがありますが、何れ〈イズレ〉の場合にも膝が基調となるのであります。要するにその姿勢は腰を軸心として、上下の半身は様々に動きますが、腰は飽くまで固定して居ります。腰まで動揺する舞踊とは、ここに大きな相違が在るわけであります。

 引用はここまでにしておくが、狂言の身体技法が、きわめて高度なものであること、六代目野村万蔵による説明がわかりやすいことなどが、おわかりいただけたと思う。
 これを筆録した古川久の力量にも敬意を払う必要があるが、ただ欲を言えば、後学のために、漢字には徹底してルビを振っていただきたかった。最後に引用した部分で言えば、双足飛の読みがわからない。〈モロアシトビ〉と読むような気がするが、もちろん特に根拠はない。
 なお、最後に引用した部分に「グヮッシ」とあるのは、広辞苑で「臥し」〈ガッシ〉あるいは「合膝」〈ガッシ〉と表記されている言葉であろう。これをあえて「グヮッシ」と表記しているところをみると、六代目野村万蔵あるいは筆録者の古川久は、「臥し」、「合膝」とも、表記としては適切でないと判断していたのではあるまいか。

今日の名言 2012・7・27

◎会社を根底から作り替えるぐらいの心構えだ

 野村ホールディングのグループ最高執行責任者に就任することになった永井浩二氏が、26日、記者団に述べた言葉。本日の東京新聞による。日本を代表する証券会社である野村證券が、「会社を根底から作り替える」必要がある会社だったとは知らなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする