礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1891年開業の下田駅(奈良県)は、2004年に香芝駅と改称

2025-01-31 00:50:17 | コラムと名言
◎1891年開業の下田駅(奈良県)は、2004年に香芝駅と改称

『明治廿八年 御重寳』から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介している。
 その六ページの上には、ヨコ右書きで「神戸馬場間 難波堺間 湊町奈良及王寺桜井間」とあって、馬場駅・神戸駅間、難波駅・堺駅間、湊町駅・奈良駅間、天王寺駅・桜井駅間の、それぞれの路線について、各駅の発着時刻が示されている。
 このページの内容を、箇条でまとめてみた。

○馬場駅・神戸駅間は、いわゆる東海道線のうち、関西の部分である。駅名は、二~三ページにあるものと同じ。下り・上りとも、一日十六便。
○馬場駅始発、上りの最初の電車は、午前3:55発。神戸駅始発、下りの最初の電車は、午前3:25発。
○難波駅・堺駅間の鉄道は、民営の阪堺(はんかい)鉄道。駅は、難波(なんば)・天下茶屋(てんがちゃや)・住吉・堺の四駅。下り・上りとも、一日二十四便。
○湊町駅・奈良駅間の鉄道は、大阪鉄道(民営)の路線。駅は、湊町(みなとまち)・天王寺・平野・八尾(やお)・柏原(かしわら)・王寺(おうじ)・法隆寺・郡山(こおりやま)・奈良。下り・上りとも、一日十一便。
○王寺駅・桜井駅間の鉄道は、大阪鉄道(民営)の路線。駅は、王寺・下田・高田・畝傍(うねび)・桜井の五駅。下り・上りとも、一日十一便。

 大阪鉄道の下田駅(奈良県)は、1891年(明治24)3月に開業した。同年12月に開業した日本鉄道の下田駅(青森県、現在は、青い森鉄道線の駅)とは別。1961年(昭和36)12月に開業した伊豆急下田駅(静岡県)とも、もちろん別である。なお、奈良県の下田駅(現在、JR西日本・和歌山線の駅)は、開業から113年後の2004年(平成12)3月、香芝(かしば)駅と改称された。
「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」の紹介は、まだ終わっていないが、明日は、いったん話題を変える。

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神戸から広島までの所要時間は8時間56分

2025-01-30 00:06:30 | コラムと名言
◎神戸から広島までの所要時間は8時間56分

『明治廿八年 御重寳』から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介している。
 その五ページの上には、ヨコ右書きで「神戸広島間」とあって、神戸駅・広島駅間の各駅について、その発着時刻が示されている。
 このページの内容を、箇条でまとめてみた。

○神戸駅・広島駅間は、山陽鉄道(民営)の路線で、1894年(明治27)6月10日に、広島駅まで延伸したばかりだった。
○神戸駅・広島駅間にある駅名は、次の通り。神戸・兵庫・須磨・舞子・明石・大久保・土山・加古川・阿弥陀・姫路・網干・龍野・那波・有年・三石・吉永・和気・瀬戸・長岡・岡山・庭瀬・倉敷・玉島・鴨方・笠岡・福山・松永・尾道・糸崎・三原・本郷・河内・西条・八本松・瀬野・海田市・広島。
○神戸駅始発の列車は、一日に九本あるが、その内訳は、広島行きが三本、岡山行きが三本、姫路行きが二本、糸崎行きが一本である。
○このほかに、岡山駅始発の広島行きの列車が二本ある。
○神戸駅始発午前9:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午前10:33、姫路発午前10:39、岡山着午前12:57、岡山発午後1:04、糸崎着午後3:27、糸崎発午後3:32、広島着午後5:56。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、8時間56分である。
○神戸駅始発午前10:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午前12:15、姫路発午前12:30、岡山着午後4:00、岡山発午後4:19、糸崎着午後7:22、糸崎発午後7:37、広島着午後10:35。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、12時間35分である。
○神戸駅始発午後8:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午後10:15、姫路発午後10:30、岡山着翌日午前1:50、岡山発午前2:15、糸崎着午前4:59、糸崎発午前5:17、広島着午前8:43。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、12時間43分である。
○神戸駅から主要駅までの賃金(乗車賃)は、次の通り。兵庫2銭・姫路34銭・岡山70銭・倉敷80銭・福山1円・糸崎1円・広島1円30銭。

 ウィキペディア「八本松駅」の項によれば、八本松(はちほんまつ)駅の開業は、1895年(明治28)4月4日である。一方、冊子『明治廿八年 御重寳』の発行は、1894年(明治27)11月20日であった。すなわち、この冊子の編集者は、翌年4月の八本松駅開業に合わせた時刻表を入手し、この冊子に載せていたことがわかる。
 神戸駅始発午前9時の列車と、同駅始発午前10時、午後8時の列車とを比べると、広島駅までの所要時間に、3時間以上の差があるが、時刻表では、そのようになっている。

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かつて高月駅と木ノ本駅の間に駅があった

2025-01-29 00:02:09 | コラムと名言
◎かつて高月駅と木ノ本駅の間に駅があった

『明治廿八年 御重寳』の付録「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」の紹介に戻る。
 この時刻表の四ページの上には、ヨコ右書きで「大府武豊間 亀山津間 津宮川間 桑名草津間 米原金ヶ崎間」とあって、大府駅・武豊駅間 亀山駅・津駅間 津駅・宮川駅間 桑名駅・草津駅間 米原駅・金ヶ崎駅間の、それぞれの路線について、各駅の発着時刻が示されている。
 このページの内容について、箇条でまとめてみた。
 なお、このページに限らず、この時刻表では、路線の名称、運営主体の名称などは、いっさい示されていない。

○大府・武豊間の鉄道は、いわゆる「東海道線」の支線にあたる。この支線は、今日、武豊線(たけとよせん)と呼ばれているが、当時、そのような呼称があったかどうかは不詳。
○大府・武豊間の駅は、大府(おおぶ)・亀崎(かめざき)・半田(はんだ)・武豊(たけとよ)の四駅。下り・上りとも、一日五便。
○亀山・津間の鉄道は、関西鉄道(民営)の支線で、「津支線」と呼ばれていたようだ。亀山・津間の駅は、亀山・下庄(しものしょう)・一身田(いしんでん)・津の四駅。下り・上りとも、一日七便。
○津・宮川間の鉄道は、当時、民営の参宮鉄道が運営し、参宮線と呼ばれていたようだ。津・宮川間の駅は、津・阿漕(あこぎ)・高茶屋(たかちゃや)・六軒(ろっけん)・松阪(まつさか)・相可(おうか)・田丸・宮川(みやがわ)の八駅。下り・上りとも、一日八便。
○この当時の相可駅は、初代の相可駅であって、今日、紀勢東線にある相可駅(二代目)とは別。初代の相可駅は、1923年(大正12)に相可口駅と改称され、さらに1959年(昭和34)には、多気(たき)駅と改称され、今日にいたっている。
○桑名・草津間の鉄道は、関西鉄道が運営していた。桑名駅から草津駅までを結ぶ路線が完成したのは、1896年(明治27)7月だった。この路線が、当時、何と呼ばれたかは不詳。桑名・草津間の駅は、桑名・富田(とみだ)・四日市・河原田(かわらだ)・高宮・亀山・関・柘植(つげ)・深川(ふかわ)・三雲・石部・草津の十二駅。下り・上りとも、一日七便。
○米原・金ヶ崎間の鉄道は官営鉄道で、のちに北陸線、北陸本線の一部となった。米原・金ヶ崎間の駅は、米原・長浜・高月・井ノ口・木ノ本(きのもと)・中ノ郷(なかのごう)・柳ヶ瀬(やながせ)・疋田(ひきだ)・敦賀(つるが)・金ヶ崎(かねがさき)の十駅。下り・上りとも、一日四便。

 米原・金ヶ崎間の駅名を見ると、高月駅と木ノ本駅との間に「井ノ口」という駅があったことになっている。今日、ウィキペディアで調べても、その駅の存在が確認できない。ただし、現在長浜市高月町(たかつきちょう)には、井口(いのくち)という字名がある。この時刻表の当時、「井ノ口」あるいは「井口」という駅(読みは「いのくち」であろう)が存在したことは、ほぼ間違い。地元の方、鉄道ファンの方のご教示を俟つ。

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再度、ウィキペディア「金子堅太郎」の項について

2025-01-28 00:52:43 | コラムと名言
◎再度、ウィキペディア「金子堅太郎」の項について

『明治廿八年 御重寳』(法木書店、1894)から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介しているところだが、いったん話題を変える。
 昨日(2025・1・27)、当ブログの記事〝ウィキペディア「金子堅太郎」の項の問題点〟(2023・1・30)を読んでくださった方があったようだ。私はそこで、次のように書いた。

 今年〔2023〕になって、ウィキペディア「金子堅太郎」の項を閲覧して驚いた。親交のあった軍人・加藤寛治(ひろはる)の名前が出てこない。ロンドン条約、国体明徴問題、天皇機関説という言葉も出てこない。
 参考文献に、藤井新一の大著『帝国憲法と金子伯』(大日本雄弁会講談社、一九四二)が入っていない。伊東隆ほか編『続・現代史資料 5』〔海軍 加藤寛治日記〕(みすず書房、一九九四)が入っていない。飯田直輝「金子堅太郎と国体明徴問題」(『書陵部紀要』第60号、二〇〇九年三月)も入っていない。礫川全次『日本保守思想のアポリア』(批評社、二〇一三)が入っていないのは仕方ないとしても、清水伸『維新と革新』(千歳書房、一九四二)が入っていないのは、なぜなのか。
「金子堅太郎」の項を執筆しているのが、どういう方かは知らない。しかし、同項においては、金子堅太郎という官僚・政治家における「負」の側面が、巧妙に隠蔽されている。

 昨日、久しぶりに、ウィキペディア「金子堅太郎」の項を閲覧してみた。すると、「参考文献」に、藤井新一『帝国憲法と金子伯』大日本雄弁会講談社が入っていた(どういうわけか、刊行年の記載がない)。
 ただし、伊東隆ほか編『続・現代史資料 5』〔海軍 加藤寛治日記〕(みすず書房、一九九四)、飯田直輝「金子堅太郎と国体明徴問題」(『書陵部紀要』第60号、二〇〇九年三月)、清水伸『維新と革新』(千歳書房、一九四二)が入っていないところは、以前と変わらない。
 親交のあった軍人・加藤寛治の名前が出てこない点、ロンドン条約、国体明徴問題、天皇機関説という言葉が出てこない点も、以前と変わっていない。
 ちなみに、この項の最終更新は、2025年1月8日になっている。
 管見によれば、金子堅太郎という人物は、日本の歴史を大きく動かした人物である。結果的に、大日本帝国を敗滅に導いた人物である。しかし、ウィキペディア「金子堅太郎」の項の執筆者から、そのあたりの問題意識を感じ取ることはできない。金子堅太郎という人物について、深く研究してみようという、若き研究者が登場されることを期待したい。

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新橋から神戸までの所要時間は19時間10分

2025-01-27 00:14:28 | コラムと名言
◎新橋から神戸までの所要時間は19時間10分

『明治廿八年 御重寳』から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介している。
 その二ページおよび三ページは、見開きになっていて、上に、ヨコ右書きで「新橋神戸間」とある。両ページの内容を、箇条でまとめてみた。

○国府津駅・神戸駅間にある駅名は、次の通り。松田・山北・小山・御殿場・佐野・沼津・鈴川・岩淵・蒲原・興津・江尻・静岡・焼津・藤枝・島田・金谷・堀ノ内・掛川・袋井・中泉・浜松・舞坂・鷲津・豊橋・御油・蒲郡・岡崎・安城・苅谷・大府・大高・熱田・名古屋・清州・一ノ宮・木曽川・岐阜・大垣・垂井・関ヶ原・長岡・米原・彦根・能登川・八幡・野洲・草津・馬場・大谷・山科・稲荷・京都・向日町・山崎・高槻・茨木・吹田・大阪・神崎・西ノ宮・住吉・三ノ宮・神戸。
○駅名について注釈すべきところだが、調べに時間がかかりそうなので、機会を改める。
○新橋駅始発午前6:20の列車は神戸行きである。国府津駅以降の主要駅における発着時刻を示す。国府津着午前8:40、国府津発午前8:43、名古屋着午後5:55、名古屋発午後6:00、米原着午後8:31、米原発午後8:36、大阪着午後12:00、大阪発午後12:20、神戸着翌日午前1:31。この列車の場合、新橋から神戸までの所要時間は、19時間11分である。
○新橋駅始発午前8:05の列車は大垣行きで、国府津駅以降の主要駅における発着時刻を示す。国府津着午前10:29、国府津発午前10:32、名古屋着午後8:27、名古屋発午後8:50、大垣着午後10:42。
○新橋駅始発午前11:45の列車は神戸行き。国府津着午後2:00、国府津発午後2:04、名古屋着午後11:40、名古屋発午後11:45、米原着翌日午前2:15、米原発午前2:21、大阪着午前5:49、大阪発午前5:53、神戸着午前6:55。この列車の場合、新橋から神戸までの所要時間は、19時間10分である。
○新橋駅始発午後2:30の列車は浜松行き。国府津駅以降の主要駅における発着時刻を示す。国府津着午後4:48、国府津発午後4:51、静岡着午後8:50、静岡発午後8:55、浜松着午後11:15。
○新橋駅始発午後4:10の列車は静岡行き。国府津着午後6:30、国府津発午後6:35、御殿場発午後8:00、沼津発午後8:50、静岡着午後10:30。
○新橋駅始発午後9:55の列車は神戸行きである。国府津着午後12:10、国府津発午後12:13、名古屋着翌日午前9:25、名古屋発午前9:35、米原着午前12:20、米原発午前12:26、大阪着午後4:23、大阪発午後4:28、神戸着午後5:30。この列車の場合、新橋から神戸までの所要時間は、19時間35分である。
○新橋駅から主要駅までの賃金(乗車賃)は、次の通り。横浜20銭・国府津49銭・御殿場71銭・沼津86銭・静岡1円20銭・浜松1円68銭・豊橋1円90銭・名古屋2円30銭・大垣2円63銭・彦根2円88銭・京都3円24銭・大阪3円56銭・神戸3円76銭。
○新橋駅・神戸駅間の官営鉄道は、1895年(明治28)以降、「東海道線」と呼ばれるようになったというが(ウィキペディア「東海道本線」)、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」には、「東海道線」という呼称は用いられていない。

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