◎備仲臣道氏の新刊『百鬼園伝説』を味読する
備仲臣道氏から、新刊『百鬼園伝説』(皓星社、二〇一五年五月)をいただいた。内田百間三部作の第三作にあたる。快作である。どこを読んでも、おもしろい。どこから読んでも楽しめる。
読んで感じたことだが、この本は「書評」には適さない。なぜか。これは、論ずる本ではなく、味わう本だからである。また、内田百間という異色の人物をめぐる「伝説」を淡々と紹介する、この本の味わいを伝えることが難しいからである。
というわけで、以下でおこなうのは、この本の「書評」ではない。拝読して、印象に残った部分を抜き出すことによって、この本の味わいを伝えようとするのである。故事成語に、「一斑を見て全豹を卜す」という。
本書「猫好きの章」の「ノラ」の節に、飼い猫のノラが失踪して悲しんでいる百間に対し、高橋義孝が「猫じゃらし」を贈るなどの悪戯〈イタズラ〉をした話が出てくる。高橋にとって、百間は師(先生)であったが、その先生が、「誰も彼も皆、先生と一緒に、先生と同じように悲嘆にくれなければならぬ」と考えているように思え、反発したのである。
このノラ失踪事件について、備仲臣道氏は、百間の心境を、次のように忖度する。
ノラの失踪した年、百間は六十八歳であったから、すでに高齢であって涙腺が刺激に弱く、すぐに緩んでしまうようになっていたはずである。また、その前年の一九五六(昭和三十一)年六月二十五日には、長いこと親交のあった宮城道雄が、大阪へ向かう急行銀河で奇禍に遭って亡くなっており、人と猫を同列に並べて論じるのではないけれど、百間の心の中に癒やし難い深い傷を刻んでいた。さらには、戦前の一九三六(昭和十一)年に遡るが、長男久吉が二十三歳で早世している。死期の迫った息子が、お父さんメロンを食べたいと哀願したのを、むなしく退けた悔やみと痛みが、いつまでも心に刺さって離れなかった。
百聞が砂利場に隠れたころ、久吉はまだ十二歳で、百間には手のかかる子どもだったにしても、久吉のほうからすれば、生後二年は岡山に別居していたし、東京へきてからも他家に預けられたり、情の薄い親父と映っていただろう。十二歳の久吉の下には、長女多美野十一歳、次男唐助八歳、次女英野四歳があり、末っ子でのちに清子の生家の養女になった三女菊美は、まだ赤ん坊であった。だから、これが文学だと確信したものに殉ずるため、百間が捨てたのは、なんにたとえようもないほどに大きなもの、普通人間が捨ててはならない一番のものだったかも知れない。そうして、百間は普通ではなかったのである。
それらの悔いや悲しみに加えて、かつて教えた学生たちにも、人となってのちに若死にしたものが何人かいた。このころの百間は、文筆の上である程度の達成感を得ていたのは明らかで、過去を振り返ってみる余袷はあった。だから、いまさらではあっても、それら一切合切を泣きたい思いは強かったのである。しかし、それを口に出して、人に言えるものではないから余計に苦しい。そんな涙の堰を、ノラやクルが切り崩してしまい、百間はなりふりかまわず泣くことになったのであって、たかが駄猫一匹のために流した涙ではないはずである。そう考えないことには、どういう涙かという説明のつけようがない。
百間が「駄猫一匹のために流した涙」について、ここまで踏み込んで解釈した論者を、寡聞にして知らない。
備仲氏は、内田百間に対して、あくまでも優しい。百間の良き理解者である。ある意味で、内田百間になり切っている。そうでありながら、「百間は普通ではなかったのである」という冷厳な認識を手放そうとはしない。これが、著者のスゴイところである。並の「百鬼園読み」と異なるところである。
本書のオビに、「百鬼園読みの著者の文体はついに百間のそれに迫り百間が乗り移る」とある。百間が著者に乗り移っているのか。それとも、著者が百間に乗り移っているのか。いずれにしても、乗り移っているのは、「文体」にとどまるものではあるまい。