◎岩波文庫旧版『代表的日本人』(鈴木俊郎訳)について
内村鑑三の『代表的日本人』(警醒社、一九〇八)は英文で執筆されたものだが、その岩波文庫版には、戦中の一九四一年(昭和一六)に出た鈴木俊郎〈トシロウ〉訳の旧版と、戦後の一九九五年に出た鈴木範久〈ノリヒサ〉訳の新版とがある。
訳文は、当然、鈴木範久訳の新版のほうが読みやすい。それでは、鈴木俊郎訳の旧版は、今日すでに、本としての役割を終えているのかというと、必ずしもそうは言えない。
それは、巻末にある鈴木俊郎氏の「解説」が、十分に読み応えがあり、またそれ自体、資料的価値を有するものだからである。
この鈴木俊郎氏の「解説」は、一九四一年の七月に執筆されたものである。したがってそれは、当時の戦時色から完全に自由ではないし、また戦前の日本に特有の発想も見出せる。しかし、内村鑑三自身が、戦前に言論活動をおこなった人物なのであり、また、かつては日清戦争を支持するなど、つねに時局に関心を持っていた人物なのである。つまり、鈴木俊郎氏が戦中の一九四一年に書いた「解説」にこそ、リアリティがあると捉えることもできるのである。
本日は、鈴木俊郎氏の「解説」の一部を引いて、そのあたりの「リアリティ」を確認してみたいと思う。なお、鈴木俊郎氏が内村鑑三の文章に施した傍点は、ゴシックで代用した。
著者は、「菊花薫る」といふ短文に於て、斯う〈コウ〉書いてゐる、――
英文『代表的日本人』の改版が出ました、英文の読める方には読んで戴きたくあります、日本文で言ひ兼ねる事を欧文を以て言ふことが出来ます、日本を世界に向つて紹介し、日本人を西洋人に対して弁護するには、如何しても欧文を以てしなければなりません、私は一生の事業の一〈ヒトツ〉として此事を為し得た事を感謝します、私の貴ぶ者は二つのJ〈ジェー〉であります、其一〈ソノヒトツ〉はJesus(イエス)であります、其他の者はJapan(日本)であります、本書は第二のJ〈ジェー〉に対して私の義務の幾分かを尽くしたものであります(傍点、解説者)
と(大正十年一九二一年十一月)。
「日本を世界に向つて紹介し、日本人を西洋人に対して弁護する」ことは、著者の「一生の事業の一」であつた。著者は本書を書いて「此事を為し得た事を感謝し」た。併し、世界に向つて紹介せらるべき日本は、十分な国民的性格を有するものでなければならない。世界に接触して忽ち其〈ソレ〉に征服せられ、「自己のものと称する何等特殊のものなき無形体」となるが如きものであつてはならない。また西洋人に対して弁護せらるべき日本人は、「西洋の智慧」によつて自己の精神を奪はれざる純粋な日本人でなければならない。著者は日本の精神的遺産を尊重するとともに、日本人の精神的独立を尊重した、日本人としての「自己防衛の本能」は著者に於て特に強烈であつた。そして著者の如き過敏なる性格に於て、この「本能」ば容易に西洋的勢力に対する抗議と攻撃に転じたのである。我等は本書を読んで、著書のいはゆる日本の紹介、日本人の弁護が、しばしば世界への抗議、西洋人の攻撃と並んでゐるのに驚くが、それは著者にとりては極めて自然なことであつたと考へられる。
内村鑑三の言論に、日本人としての「自己防衛の本能」を読み取ろうと努めているあたり、いかにも日米開戦直前の空気を感じさせる。しかし、内村鑑三について、そうした「読み取り方」をすることは、必ずしも間違いだとは言えないと考える。【この話、続く】