◎米軍、沖縄掃討戦の終結を発表(1945・6・30)
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、六月二八日~三〇日の日誌を紹介する(一九一~一九五ページ)。
六月二十八日 (木) 雨後曇
雨が降れば敵機が来ないといったって、三日も連続で降られたのでは弱ったものだ。【中略】
午後やっと雨が上がったので、山のような洗濯物に挑む。例によって室内に干す。満艦飾〈マンカンショク〉のごとく洗濯物が靡【なび】く。干してしまえば三十分あまりで乾く。
午後三時半、上番準備。今日は編上靴【へんじようか】にも保革油をつける。午後四時、上番する。
午後七時のNHKのニュースでは、初めの部分雑音が入って来て聞きとれない。係が一度切って途中からだが、前年度の秋田県の木材供出は割り当ての百二十九パーセントで全国一の好成績であるという。前半が聞けなかったのは残念。沖縄戦線のことは、いわなかったのだろうかどうだろう。
午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米軍は本日、B29約三十機にて神戸港並びに新潟港の港内外および近海を空襲し機雷を投下致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
大部隊が出ないのは天候の関係だろうか。午後十二時、下番する。
六月二十九日 (金) 曇時々雨
三勤の特権とばかりに朝、ゆっくりと起きる。起きたころには雨は降っていなかったが、空は真っ黒、ぽつりぽつりと落ちて来た。【中略】
午後四時、上番する。下番田中候補生は、「今日も全然ベルがならす、机に向かうのが息苦しかったです」という。田中は真面目だなあと思う。そこで、
「ないからといって、貴様の責任ではない。おれなんか十日くらいもう電話に接してないよ。これから八時間もこの天候なら、まずないだろう。心配するなよ」といって慰めてやった。予測の通りというか、今日も電話はどこからもかかって来ない。
午後七時、NHKのニュースが流れる。沖縄戦線のその後、何かあるかと期待したが、期待したのが問違っていて何もなかった。放送は大蔵省の統計によると、昭和十九年度の国民貯蓄総額は、四百八十四億八千九百万円で、目標額を一割八分突破したと発表された。また全国の銀行においては預貯金の共通支払制度を、来る〈キタル〉七月一日からはじめる。すなわち普通預貯金は、全国どの銀行でも払い出しが可能になると発表された。今まで東京都内だけの扱いが拡大されるということのようだ。
午後八時ごろ、富士山のボタンのベルがなって隊長が出て、「上山を呼べ」ということで、上山少尉と替わると、上山少尉は、「はい、わかりました」とだけいって部屋を出ていかれた。何か事件でもあったのか。
その後、今日も午後十時のニューディリー放送もない。雨で米軍は休んでいるのだろうか。日本内地が雨なのだろうか。午後十二時、下番する。
六月三十日 (土) 晴
朝陽【あさひ】の燦々【さんさん】とした光もあって、午前七時半、起床する。ちょうど田中が上番準備のため服装をととのえているところだった。
「班長殿、早いですね」という。
「いや、太陽光線が東側の入口から斜めに入って顔の辺りで照ってくれるんで、目がさめたんだ」と答えた。
朝食を終わったところに、田原も下番して来た。午前九時ごろから天気がよいので、洗濯物を持って出て洗濯していると、眠っていたはずの田原が、「班長殿、班長殿」と呼んでいる。見ると隊長名の至急通知書で、『本日全員に一コ宛〈ズツ〉手榴弾を支給する。したがって手榴弾投擲〈トウテキ〉訓練を、本日午後一時より情報室前の広場で行なう。非番者は全員集合すること。なお各班各分隊においてはできるだけ初年次の者を参加せしめられたい。初年次の者が服務中のところは、旧年次、もしくは手榴弾投擲について熟知の者が勤務を交代された上、初年次者を参加させられたし。担当教官高橋少尉』となっている。【中略】
十二時三十分、上番し、田中候補生を帰らせる。午後一時、隊長が入って来られる。
「おい黒木、ちょっと来い」
自分はびっくりして直立不動の姿勢で隊長の前に、
「はッ」といって立った。
「諸般の都合により七月一日付をもって監視所を一部閉鎖する。場所は陽江、河源、多祝、海三の四ヵ所とする。閉鎖した各監視所要員は、分散して一週間以内に指定する監視所に合併する。当初、梧州もこの該当となったが、西からの飛来敵機のために残してもらった。以上だ」
昨夜の上山少尉との打ち合わせはこの件だなと思った。これは南支軍として完全な縮小ではないか。おそらく、それぞれの監視所の併設の部隊が移動することになったからだろう。梧州まで撤退する話が出たのかと驚く。この三月まで自分がいたのに。
隊長は自分に対して説明した後、すぐ出て行かれた。非番者の投擲訓練の状況を見られるのであろう。幸いに今日も敵機の動き、南支上空はなし。二勤につづき三勤も勤務する。
午後七時よりのNHKニュースによると、福島県では軍刀報国会が結成され、県下にある各家宝の刀剣三万口の供出促進に乗り出したといっている。
午後八時、上山少尉、午後九時、隊長と、あいついで部屋に入って来られた。
午後十時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日午後五時をもって米第十軍は、沖縄南部における掃討戦を終了したと発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
ついに来るべき日が来たかという感じで一杯だった。おそらく軍、官、民の犠牲になった人は何万、いな何十万となることだろう。沖縄がそこにあったばかりに戦火の渦中に巻き込まれた一般住民に対し、国民の一人として本当にどうもすみませんと言わなければならない。それにしても、上山少尉の六月一杯までという予言が適中したのには敬意を表したい。
暑い暑い七月が来るという南支におりながら、背中から寒い風が吹いて来るようである。
*このブログの人気記事 2016・6・28(5位にやや珍しいものが入っています)