礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本国民の生活状態は以前より悪化している

2024-11-30 02:11:59 | コラムと名言
◎日本国民の生活状態は以前より悪化している

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその六回目。
 第二部「日本の悲劇的使命」の第一章「日本の奇妙な現状」から、本日は、もう一箇所、次のところを紹介してみたい。

 要するに、二十世紀の日本の世の世界との関わりを規定しているのは不安感なのだ。そして、この不安感が日本を世界最大の生産マシーンに変える壮大な努力とどう結びつくか、理解はさほど困難ではない。
 日本が圧倒的な産業力を得たいと懸命の努力をするのは、軍事力の誇示が近い将来実行不可能なかぎりは、生産力こそ安全を保障する唯一のものだからだ。工業力は軍事力に代わる次善の策なのだ。事実、日本の敗戦の理由は軍需物資不足にあったと広く信じられている。かくして、管理者たち【アドミニストレーターズ】は心の片隅では、日本は二度と準備不足で不意を突かれるようなことがあってはならないと、口には出さないが、たぶん、うすうす意識している。だから、海外市場占有率や外国の技術の獲得に貪欲なのだ。
 西洋では、経済的な利益追求の目的が生活の向上であることはほとんど当然だと考えられている。産業の成長をめざす努力が支持されるのは、それにより生活が快適になり、多くの分野で消費者の選択の幅が広まるからだ。このような基準を当てはめると、国民一人当たりでは世界一のレベルに達した日本の経済成長は、平均的な日本人の生活を大幅に向上させたにちがいないと当然想定される。
 しかし、だれでも知っているように、少なくともこの二十年あまりは、そうなっていない。事実、日本国民の今日の生活状態は、住居や単純娯楽などの分野では以前より悪化していると言えるだろう。都市基盤【インフラ】の問題は、一九六〇年代と同じような不快感を今日でも引き起こしている。これはあなたの経験からおわかりだろう。大都市における住宅事情は劣悪で、通勤・通学者はあいかわらずスシ詰めの電車に以前より長時間乗って通わなければならない。
 日本の経済戦略家たちの頭に生活条件の改善という考えがないことはすぐわかる。戦後の日本経済を形成した重要な意思決定を調べても、そんな考えはまったくなかったと言える。日本の経済戦略は国家の安全を考えていたのだ。利益のほとんどすべてを、生産能力を拡大し、外国市場を次々と征服し、外国資産を大量かつ組織的に買収するためにほどほどの収益には目もくれず絶え間なく再投資した理由は、それ以外に考えられるだろうか?〈164~165ページ〉

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  • 龕(がん)は、山腹に凹処に仏像を安置したもの
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逃れたい現実を直視するのは不愉快なことだ

2024-11-29 00:18:17 | コラムと名言
◎逃れたい現実を直視するのは不愉快なことだ

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその五回目。
 第二部「日本の悲劇的使命」の第一章「日本の奇妙な現状」は、非常に長く、49ページ分もある。この章からは、二箇所を引いてみたい。最初に紹介するのは、次の箇所である。

 人類史上最も有名な「経済の奇跡」をもたらした推進力は何だったのか?
 なぜ、日本国民は非常に多くの生きがいを犠牲にしてまで、ずっとこれを続けてきたのか?
 この疑問を初めて自分に問いかけたときのことを私は覚えている。それは一九六〇年代半ばのころで、「経済の奇跡」はすでによく知られてはいたが、まだ今日ほど有名ではなかった。私は、日本人の知人グループと落ち合ったあと、東京の日比谷あたりを歩いていた。日本の知人たちは、日本経済、自分の会社、自分の仕事のことについて話していた。彼らのいちずな話しぶりに、私は突然、もし彼らが上司から自分の宝石類や家宝を資金として供出するよう頼まれたら、きっとそうするにちがいないと考えた。彼らの会話を聞けば、自分の会社の成功が彼らにとって世の中で一番重要なことらしいと、だれだって結論するしかなかったろう。彼らは、敵の攻撃を受け祖国防衛のために召集された国民のみがもつ熱烈さをもって、日本経済にかかわっていた。日本人は男女の別なく、個人の自由と個人の利益が侵されるのを容認していた。これは、ヨーロッパばかりか、私が十代の後半を過ごしたアジア四カ国のいずれでも、私が思うに、行き過ぎとみなされるであろう寛容さだった。どんな特殊事情でそんなふうになったのか。
 自分の生き方の理由を訊かれることは、多くの人を不愉快にさせる。逃れたい現実を直視させられるからだろう。それは、多くの日本人にとってはとくに不愉快だ。というのは、若い時に、学校の教師やスポーツのコーチをはじめとしたえらい人には質問しないように教えられたからだ。しかし、われわれは市民として、なぜわれわれは今していることをするのか、なぜわれわれは自分たちの生活や仕事の方向を決めている他人に従わなければならないのか、必ず疑問に思うべきだ。われわれは、自分たちの手で社会を自分たちに最もよく合うように再建する手助けをするため、答えを見つける必要がある。
 私の六〇年代の知人たちは、ほかに選択肢はないのだから、そういう問題をじっくり考えても意味がないと、おそらく考えただろう。彼らは、ただ生きるために給料を稼がなければならなかったので、また、別の会社で良い仕事を見つけることも期待できなかったので、現在の仕事が最も大切だと信じることが最も道理にかなっていると考えたのだ。これは、一応よく考えたうえでの結論だっただろう。
 しかし、私は、ほとんどの日本のサラリーマンがここで考えをストップしてしまい、自分の生き方にかかわる重要な問いをみずからに発しないのは不幸だと思う。私の会ったサラリーマンたちは、自分が置かれている境遇しか見ようとしなかった。彼らは、日本経済の成長に関心が深いという点で非常に愛国的に見えたが、実際には、私がそうあるべきだと思っていた意味では愛国的ではなかった。彼らは、あまりに多くのことを当たり前のことと考えていたに過ぎなかった。〈148~149ページ〉

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日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなもの

2024-11-28 00:05:56 | コラムと名言
◎日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなもの

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその四回目。
 第一部「よい人生を阻むもの」第四章「官僚独裁主義」から、その一部を引いてみよう。

 このシステムには、最終的な「説明する責任【アカウンタビリテイ】」がない。つまり、日本で最も力をもっている人たちと、公式に民主主義国である以上は主権者である普通の人々とのあいだの、政治的コミュニケーションを可能にする機構がない。権力者がある政策について人々にきちんと説明し、人々が別の政策について権力者に一般的な方向づけを与える――そうしたコミュニケーションがない。官僚たちは、何をしているか、なぜそれをしているか、人々に伝えず、人々は「公僕」たちが何をすべきか、官僚たちに伝えない。
 政治家の公的役割は、公僕すなわち「人々への奉仕者【パブリツク・サーバント】」であるとされる官僚たちと、その人々【パブリツク】とのあいだを、仲介することだ。しかし政治家はそれができていない。理論的には、公式の政府を形成すべく選出された政治家たち(すなわち首相に率いられた内閣の閣僚たち)だけが官僚に権力を振るえる。しかし閣僚たちは長らくそれをなしえていない。彼らは、民主主義において当然彼らがなすべきこと、すなわち政治的説明責任の中枢を形成する努カをしていない。
 人々の代表者である政治家がこんなに弱体なのは、人々の支持がないからだ。政治家は人々に信用されていない。そして、彼らが弱体のままでいる一つの理由が、頻繁に起こるスキャンダルだ。スキャンダルが、政治家は生まれつき利己的で腐敗した拝金主義者だという偽りのリアリティを強化する。
 これらの要素がすべてからみ合って、日本ほど規模の大きい進んだ経済システムなら当然もたらすべき利益を、日本の人々にもたらしていない。そういう状況がずっとつづいてきた。しかも日本の中間階級は政治的に骨抜きにされ、したがって利益を求めて闘うことができない。
 つまりは、日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなものにすぎない、ということだ。その貝殻のなかで多くの「民主主義的」儀式がとりおこなわれているが、それも日本の市民を誤らせる偽りのリアリティをばらまいているにすぎない。民主主義の形をした殻のなかで実際に機能している権力システムは、「官僚独裁主義(bureaucratic authoritarianism)」と呼ぶべきである。〈88~89ページ〉

※そろそろ11月も終わろうとしているが、わが家に自生しているアサガオ二種のうち、葉がハート形で青い花が咲くほうは、今朝も一輪、花をつけていた。葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、今月20日に、二輪が咲いたのが、たぶん最後だったと思う。

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日本の女性は、いまや世界一晩婚だ

2024-11-27 05:07:05 | コラムと名言
◎日本の女性は、いまや世界一晩婚だ

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその三回目。
 第一部「よい人生を阻むもの」第三章「麻痺した社会の犠牲者たち」から、その一部を引いてみよう。

 私の印象では、最近、日本の若い女性たちは、自分たち自身のプライバシーを創造しはじめている。結婚と出産に関する最近の統計結果は、このサラリーマン文化の国に、雷のような衝撃をもたらした。多くの読者はご存じだろうが、日本の女性は、いまや世界一晩婚だ。結婚しないと決めた女性もふえていて、もはや日本の全女性のうちのびっくりするほど大きな割合を占めている。結婚した女性の産む子供の数もかつてないほど減り、しかも産む時期をかなり遅らせる。あるいは、子供はつくらないことに決めている。統計に表れたこうした女性たちの数は、他の先進工業国とくらべると、劇的なまでに異常だ。
 何人かの日本人評論家も、この現象を、現代日本のサラリーマン社会への女性たちの無言の抗議の表れだと認めている。私がここで述べてきた文脈のなかでこれを言い換えるなら、多くの女性たちは、戦後日本の二つの大きな「偉業」(経済の成功と中間階級の抑圧)の犠牲【コスト】があまりに高すぎると感じ、自分自身の孤高の人生へと逃避しているのだ。〈73~74ページ〉

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  • 仏教経典には、古貝といふ字が屡〻出てゐる
  • 一旅は五百人、五旅が一師
  • 鉢は、梵語パトラー(Patra)の音写
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日本人の集団志向が「生まれつき」のはずはない

2024-11-26 03:35:02 | コラムと名言
◎日本人の集団志向が「生まれつき」のはずはない

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその二回目。
 第一部「よい人生を阻むもの」第二章「巨大な生産マシーン」から、その一部を引いてみよう。

 日本の驚くべき経済的発展に関して、これまでに何ダースもの説明が与えられてきたが、それらは、私が記したような階層秩序的【ハイアラーキカル】な管理の実態を、人々の目から覆い隠してきた。それらの説明は、たいてい、日本社会の深層に植えつけられているとされる「文化的伝統」の要因を強調する。たとえば、「日本人はもともと働くのが好き」だとか「生まれつき〝集団生活〟を好む」だとか「俟約の伝統にしたがって貯蓄にはげむ」といった説だ。
 なかでも、日本人は生まれつき何でも集団でしたがるという説は、偽りのリアリティを支持する人々がとくに好んできた議論だ。表面的にはいかにも本当らしく見える。そして、もちろん、日本の若者も成長の過程で、集団の権威を受け入れていくよう条件づけられる。しかし、だからといって、日本人は「生まれつき」集団志向だとは私は全然思わない。私は、長年の日本の人の観察から、そう断言できる。
 私に言わせれば、会社に入ったとたんに日本の人たちが体験させられることが、日本人が生まれつき集団志向人間ではない証拠である。日本の企業は、ずっと以前から、社員を参加させる実にさまざまな儀式を発明してきた。この種の象徴的行事のことは、あなたもとっくにご承知だろう。これらの儀式は、社員たちに、彼ないし彼女たちの犠牲は価値ある目的に捧げられるのだと納得させる意味がある。あなたも、多分、新入社員のころに、外国なら軍隊の新兵訓練でしか体験できないような訓練を受けているはずだ。
 新入社員は、ときに、道路をほうきで掃かされたり、冷たい川に漬からされたり、整列して登山させられたり、その他いろいろ、とにかく自尊心を傷つけ、ヘトヘトになるようなことまでさせられる。これらの、厳しい集団訓練やお互いでする告白ごっこなどの訓練は――文化人類学者が見たら喜んでこれぞ清め【ピユアリフイケーシヨン】と通過儀礼【イニシエーシヨン】の実例だと教えてくれるだろうが――重要な目的のためにおこなわれている。軍隊の新兵訓練と同様、個人の意志を吹っ飛ばすのに役立つのだ。
 さて、もし日本人が生まれつきの集団志向人間だという話が本当なら、どうしてまたわざわざこうした訓練が必要だろうか。必要ないはずではないか。〈59~60ページ〉

*このブログの人気記事 2024・11・26(8・10位に極めて珍しいものが入っています)
  • ウォルフレン氏の30年前の予言
  • 龕(がん)は、山腹に凹処に仏像を安置したもの
  • 仏教経典には、古貝といふ字が屡〻出てゐる
  • 一旅は五百人、五旅が一師
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